2017年07月09日

精神科読本18「精神医学が分かる講座」

精神科読本18『精神医学が分かる講座』(2017年改訂版)
神医学がわかる講座
 精神医学はみなさんが想像するほど難しいものではありません。どなたでも理解できる,とっつきやすい学問です。それは皆さんが日頃経験していることを治療の対象にしているからでもあります。しかも治療するかどうかの線引きも難しいものではありません。日常生活に支障を来たしているかどうかがポイントになります。たとえば、インフルエンザが流行する時期になると手洗いが奨励されます。この手洗いが短時間で止められなくなると生活にも支障を来しますので強迫症状と診断されるのです。それでは精神医学講座を始めていくことにしましょう。
T.精神病とは何か?
 世界保健機関WHOの出している精神疾患の診断マニュアルICD−10では,精神病を次のように定義しています。「幻覚,妄想,激しい興奮と多動,うつ病や不安によらない深刻な長期の社会的引きこもり,著明な精神運動抑制,緊張病的行動といった明らかな異常行動の存在を示すために用いる。」
中に含まれる疾患には器質性脳疾患,統合失調症,短期反応性精神病,感応性精神病,精神病像を伴う躁うつ病,などがあります。
 漢字が多くてイメージできない人もいるかも知れません。福岡大学名誉教授の西園先生は精神病を「自分で自分を守れない人」と分かりやすく説明してくれました。自分の目を箸で突き刺した人がいます。その理由を訊ねると「眼を突き刺せ」と聞こえてきたからと説明しました。声が「幻覚」であれ,現実の誰かの声であれ,疑うこともなく命令にしたがったのであれば,その人はひどく心が壊れていると想像できます。しかし,友だちと仲違いした少女が自分の意志でリストカットを行なったからといって、彼女が精神病を患ったために「自分を守れなくて自分を傷つけた」とは言えません。
英国の小児科医で精神分析家のDr.ウィニコットは、相手の話に「共感できなければ,その人はひどい病に罹っている(精神病)」と教えました。ある小児科医は,自分が予防接種した女の子に副作用が出たために,自責の念に駆られ,食事も出来ないほどに落ち込んでいました。この話を聞いたあなたは「なんて患者さん思いの先生なのでしょう」と,彼の話に同情・共感できるでしょう。しかしこの話が,十数年前の出来事としたらどう思われますか。「えっ!いつからそのことを悩むようになったのですか」と訊ねると思います。1ヶ月前から予防接種の事故のこと思い出して悩み出したと知ったら,彼が何かひどい病に罹っているのではないかと推測すると思います。もはや彼の訴えに共感できなくなっているからです。
ところが,Dr.ウィニコット説で説明不可能な事態も実はあるのです。判断する側の者がある価値観に固まっていたとすると,相手の話に共感できないことが発生するからです。たとえば,「親からもらった身体を大切にする」という考えに固まっているとリストカットの心理は理解・共感できないでしょう。
どこで線を引いたらよいのかますます混乱してきました。そのような人には私は次のように説明するようにしています。「日常生活に支障を来たしているにもかかわらず,自分はおかしくない,周囲がおかしいと訴えるとき,周囲の者とのあいだで理解がずれている場合が精神病を患っているときです」。先に例としてあげた強迫症状の場合、手を洗わないとウィルスが付着していると不安なのであって、自分がおかしな心理状態に陥っていることは気づいているので、精神病ではありません。
つまり,精神病では,異常は自分の心に起きているのではなくて,外に原因があると感じる心のことなのです。もっとも判断が難しい例は,嫉妬妄想に苦しむ人たちの話です。彼/彼女の話を聴いていると,本当の話のように聞こえてきて,彼/彼女の相手が不義理をしているように思えてくるのです。精神病だと診断するには、自分が考え過ぎだとは思っていないということと、相手が不義理をしていないという事実がないといけません。彼/彼女を嫉妬妄想と診断するのはとても難しいのです。
うつ病は精神病なのかどうか
うつ病や躁病はそれ自体では精神病には入らないということはしっかり押さえておくべきでしょう。30年以上前はうつ病も躁うつ病も精神病の一つでした。60歳以上の精神科医ならうつ病は精神病だと主張すると思います。こうなったのはアメリカ精神医学会が出版した精神疾患を分類するマニュアル(DSM-V)の影響があります。アメリカではうつ病の症状を羅列し、5項目あるいはそれ以上を満たすなら大うつ病性障害major depressive disorder(MDD)と呼んで,次に精神病を伴うか伴わないかと分類するのです。うつ病にメジャーもマイナーもないのですが。私が若い頃は、躁うつ病やうつ病の中には誇大妄想やその反対の微小妄想,罪業妄想が認められることが多く、精神病の範疇だと教えられました。
 ところが,臨床的にはうつ病と紛らわしい「うつ状態」があります。慢性疲労症候群や最近増加傾向にある「ITうつ病」が代表的です。どちらも仕事のオーバーワークと仕事の行き詰まりが原因です。ところが,両者とも「自分の元気のなさや疲れ」を自覚しているにも関わらず,自分の能力のせいにしがちです。「それは病気のせいではなく,自分の怠慢によるものだ」と自覚している会社員がいると仮定します。同僚も彼の妻も彼の「落ち込み」を認めているとします。しかし,元気のない理由が病気から来るものなのか,自分の怠慢のせいと考えるかで食い違いが見られます。私の定義によると,彼は精神病を患っていることになります。しかしその自覚は専門家から「鬱のために自分のせいだと判断されるのですよ」と説明されると,安心して治療を受けるようになる程度(訂正可能)であるなら,うつ病ではなくなります。そのときは軽症うつ病と考えてよいでしょう。精神病では自分の考えが他者の説明によって訂正できないのがポイントになります。
 今回の話を要約すると,精神病とは@日常生活に支障を来たしていること,Aその原因が病気のせいではないと思っていること,Bその考えが訂正不能であること,の3点です。

U.パーソナリティ障害
 1.パーソナリティ障害personality disorder(PD)とは何か?
 DSM−Wの定義ではPDとは「その人の属する文化から期待されるものから著しく偏り,広範でかつ柔軟性がなく,青年期または成人早期に始まり,長期にわたって苦痛または障害を引き起こす,内的体験および行動の持続的様式」です。波線の部分は,違う文化圏ではPDと診断されることもされないこともあるということです。たとえば夏目漱石の『坊ちゃん』の例でそれを説明しましょう。
主人公の坊ちゃんは親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしています。小学校に通う頃には「弱虫」と囃されて二階から飛び降りて腰を抜かしたこともあります。その坊ちゃんが松山に教師として赴任して山嵐と共に様々な行動を起こします。最後には二人で赤シャツに暴力を振るって学校を去るのですが,読者は坊ちゃんの行動に喝采を送り,「赤シャツは最低!」と苦々しく思うことでしょう。小泉前首相が自民党の一部を抵抗勢力として政治を劇場化したことに対する爽快感に近いと思います。しかし赤シャツや校長の立場に立つと坊ちゃんほど扱いにくい人もいないのではないかと彼らに同情もします。漱石はその後を書いていないので私なりに想像すると,多分に坊ちゃんは東京に帰ってからも社会に適応できずに「貧乏もよし」と粋がっているでしょう。しかし,それもうまくいかなくなると,周囲や社会に反感を抱きつつ恨めしく生きていくことになるかもしれません。「坊ちゃん」とは子どものままということなのです。
 もっと分かりやすい定義が欲しいですね。精神科読本シリーズの文脈で説明しますと,その性格故に神経症や精神病の症状を部分的に持ち,社会不適応を起こす神経症を性格神経症と呼んでいました。この性格神経症が,アメリカ精神医学会のDSMに取り入れられてPDという概念に発展したのです
 PDとは「その人の性格の偏りのために生きていくのに悩み(社会不適応),かつ神経症と精神病の症状を部分的に持ち,時には周囲の者も大変困ることになる」疾病単位なのです。そしてPDは次の3つに分類できます。『坊ちゃん』の例で分かるように,@本人は困らなくても周囲が困る,A本人も周囲も困り果てる,B本人は困っているが周囲はそれほど困らない,の3タイプがあることです。@のタイプは「自分は困っていない」ので受診してきませんから臨床的にはA,Bのタイプが重要になります。坊ちゃんも何度となく社会不適応を繰り返していくと,自分の性格や行動に疑問を持つようになって苦悩し精神科クリニックを訪れる可能性もあるかもしれません。この分類は,「誰が困っているのか」という医療の現場に立った私のオリジナルです。
 2.パーソナリティ障害のタイプと精神病理
 ここでは彼らがどのように困っているのかについて説明しましょう。PDは,DSM−Wでは,認知,感情,対人関係,衝動の4領域で問題が発生し,3群の10型と分類不能型の計11型に分類されます。3群とはA群(=主に認知に偏りがある),B群(=感情の不安定さ),C群(=不安を避けようとする傾向が強い)で代表的なものを説明しましょう。
 A群の妄想性PDは他人が信じられなくて他人は絶えず自分を利用し危害を加える,または騙す人たちと考える心のクセが極端な人です。
 B群の自己愛性PDは,自分は優れた人間であって,他人は自分を称賛するために存在する,と考える人のことです。他人の心の痛みが分からないし,周囲から注目されないと傷つき,怒りで反応します。人生の成功者にしばしば見られるのが誇大型です。それとは逆に自分の誇大性を裏に隠し臆病で劣等感の強い,周囲の反応に過敏になっている敏感型もあります。
 B群の境界性PDはいろいろな領域における不安定性を特徴とします。対人関係,自己像,感情にわたって不安定性が認められ,心理的には見捨てられまいと必死の努力をし,日常の些細な他者との別れなどにも場にそぐわない怒りで反応します。その時に見捨てられる自分は悪い自分だと認知し,悪い自己を排除しようと自傷行為や自殺企図などが見られます。妄想的に反応し多重人格を呈することもあります。
 C群の回避性PDは引きこもり青年に見られるタイプです。周囲から低く評価される,拒絶される,批判されるのではないかと怯えて対人接触を避けて引きこもっている人たちです。
 C群の依存性PDは世話を受けようと他者にしがみつき,他者の援助なしには十分に働くこともできません。ですから,日常生活で他の人たちからのありあまるほどの助言と保証がなければ何一つ決められません。また自分が依存している人たちに自分の意見を述べることができなくて,自分が間違っていると考えてしまいます。しかし周囲の支持を得ると仕事もしっかりやり通すことができるのです。その他にもシゾイドPD,失調型PD,反社会性PD,演技性PD,強迫性PDなどがあります。
 3.パーソナリティ障害者の相談
 上記のようにパーソナリティ障害の患者さんは自分の能力に応じた社会的適応がうまくいきません。そのために多くは自分に自信を失いうつ状態を呈しています。それ故に彼らの相談に乗る第一歩は「どうされましたか」「どのように困っているのですか」と問うことから始まります。そして彼らの訴える心理状態に波長を合わせ,心理的な苦痛や自分や周囲を困らせる言動を妥当性のあることだと受け止めていきます。赤シャツの立場に立つ限り坊ちゃんは救いを求めてこないでしょう。
この妥当性は以下の事実が裏づけになっています。彼らの多くが先祖から受け継いだ気質のために彼らを養育する親もまた失敗を重ねます。たとえば短気で神経質,加えて優柔不断であると育てる親の方も大変です。その上に両親の離婚や虐待,情緒的無視など,彼らの生い立ちは悲惨なために対人関係で数々のトラウマを負っていることが多いのです。ですから相談の第一歩は彼らを受容することから始まるのです。
その上で彼らに葛藤を引き起こしている現実生活の諸問題の解決を図るようにサポートするのです。次に,彼らのパターン化された内的あるいは外的問題の処理の仕方を「それで困っているのですね」と指摘し変化を与えることも可能です。たとえば,妄想性PDには「○さんを信じられなくて心配で夜も眠れなかったのですね」と。境界性PDには「感情的になったために○さんとの関係がギクシャクしたんですね」といった具合に,最後に彼らの苦しみにポイントを置いて指摘できるのです。
 要約すると,@彼らの考えや感情を妥当性のあるものとして受けいれ,A共感や理解を示すことで心理的にサポートし,B彼らの社会不適応パターンを傷つけることなく指摘することで悪いパターンを避けるようにできるのです。

V.ライフサイクルと精神疾患
 孔子は「15歳で学問に志し,30になって独立した立場を持ち,40になってあれこれ惑わず,50になって天命をわきまえ,60になって人のことばがすなおに聞かれ,70になると思うままにふるまっても道を外さないようになった」と自分の一生を節目で考えました。この考え方は精神医学を理解するのにもとても役立ちます。というのは,私たちは,直線的に成長するのではなく,人生の節目で一気に成長し,時には危機に遭遇することが多いからです。精神疾患にはある年代で現れやすい疾患があります。そのことを以下のような節目で述べていきます。
 1.10歳の「自我の芽生え」と「魔の中2の2学期」
 この二つの時期は私が臨床で大切にしている子どものこころの発達段階です。前者は,子どもの脳が世界を時間軸のなかで自分と世界とを関連づけて見ることを可能にします。10歳以前は,嫌なことがあっても「今鳴いたカラスがもう笑う」とけろりとしているのですが,10歳を過ぎると出来事は長期記憶されるようになり,なかなか忘れることができなくなるために,長いあいだ子どものこころを苦しめることになるのです。
後者は,性的な自分と社会的な自分の統合を試される時期で,それに高校受験が重くのしかかってくる時期です。中1の課題は,新しい環境の変化についていけるかどうかですが,中2の2学期はもっと心理・社会的な問題で,パーソナリティ発達と深く関わっています。これら二つの時期には家庭環境の変化を少なくすることが親の努めになります。対人関係の躓きと自己の能力の限界に直面して不登校やリストカットや摂食障害やPDの前兆が始まります。
 2.「17歳」の問題
 作家の庄司薫は『狼なんかこわくない』の中で17歳を「この時代の『男の子』というのは,まことに始末におえない。まず彼は,たとえ表面的には激しい自己嫌悪や荒々しい絶望を示そうとも,実はまだこの現実の中で試したことのない,漠然とした,そしてそれだからこそ大きな夢を抱いている」と述べています。
つまり,若さという可能性を最も自然に漠然と抱えているのが17歳なのです。可能性があるということは,それが漠然であるからこそ,非常に危険な年頃なのです。可能性の芽がつぶされると,自尊心の病理が露わになってきます。そしてそれは自己愛的憤怒と呼ばれるもので,底の尽きない泉のように憎しみを大きくさせていきます。特に,完璧主義の青年にとっては,17歳は人生という舞台から降りるか(不登校・引きこもり),あるいはそこに留まりつつ非現実的な空想を膨らませるか(統合失調症),逃げるか戦うか,脳の奥深いところで葛藤が起きているのです。
 この時期の対応は,彼らを否定することなく,しかも彼らの苦悩にも手を差し出さないことです。以上のように,引きこもりの問題点は,現実を離れることで自分の可能性と限界について学ぶ機会を失うことにあるのです。
 3.決断の時期,30歳〜35歳
 孔子も述べているように,人生の決断の時期です(山本七平)。内面の自己の確立を社会的に達成しようとする人生の一大転機が訪れる時期です。逆の言い方をするなら,決断するまでは,迷い・不安の中で生活していることにもなります。女性であれば30歳までには結婚して子どもを産みたいと望みます。男性だと「俺はこのままでよいのか」と決断を迫られます。という理由で,30歳前後は不安障害や気分障害が増えてきます。
この時期の対応は,流れを絶たないようにすることです。この流れは他人にはもはや止められないものだからです。と言っても,幼い頃の親子関係や無意識の葛藤がその流れを邪魔し翻弄することがあるので,自分を気づかせる精神分析的なアプローチが役に立つでしょう。精神分析の手助けは,無意識に光を当てて,自分の自然な流れを発見する過程になります。
 4.40の厄年
 今でも博多の「若八幡」には多くの人が訪れます。不惑の年は,あれこれ悩まない,ということですが,どこかで無理が身体に現れる時期なのです。本当は悩み多い年なのかもしれません。現代人からこの悩みを開放するのは,己に由るという意味の「自由」を勝ち取ることになります。漫画『釣りバカ日誌』の主人公「浜ちゃん」のように,物事にとらわれない境地に達すると病気もしないのでしょうが,「自由」を履き違えると,勝手気ままだと周りが迷惑します。この微妙な問題には座禅か精神分析的アプローチが手助けしてくれます。
 5.「50肩」に悩む中高年
 と言っても,寄る年には敵いません。50になるとあちこちにガタが出てきます。その代表が「50肩」です。心理相談の時に,この身体の問題に触れることはとても大切になると思います。「もはや自分は若くない」という身体の不安が心理に微妙な影を残すからです。悩みは身体から来ていることもあります。女性であれば閉経の年です。ようやく身体から開放される年なのですが,変わりに様々な身体面の衰えが襲ってくる時期です。この時期の身体の衰えをカバーするのが夫婦やパートナーといった人間関係なのです。心理的対応は身体と対人関係に焦点を当てるとよいと思います。この時期で重要な疾患は更年期うつ病でしょう。他のうつ病よりも病態は深刻です。
 6.70の癌死
 60歳の還暦が無事終わって,男がバタバタと死に追いやられる時期です。一方,女性は活気づく年です。多少膝が痛くてもあちこちの観光地を歩き回る女性の元気なこと。余りにも70歳が元気なので,「年金の食いつぶし」と揶揄されるくらいです。この時期の悩みは身体の病気から発生するものが大半ですので,身体医との信頼関係に癒されることになります。人生の先輩から学ぶという姿勢と対人関係がひどく病気に関与しているという視点が重要かと思います。いよいよ,老いやパートナーの死による気分障害や認知症が増えてきます。

本小論は,「福岡いのちの電話」の会報誌に4回シリーズで掲載されたものを加筆・修正したものです。
posted by 川谷大治 at 13:58| Comment(0) | 日記