2017年07月09日

精神科読本20「ヒステリーという病」

精神科読本20「ヒステリーという病」(2017年改訂版)
ヒステリーという病
T.ヒステリーとは?
 今回は長いあいだ温めていた『ヒステリー』について解説します。ヒステリーを抜きに「こころの病」を語るのは画竜点睛を欠く、と言っても過言ではありません。私たち人間は自分の想像を超える事態に遭うと、それを解決できないこととして判断を保留することが苦手です。誰かのせいに、あるいは人間の能力を超えた神や悪魔のせいにしたがるものです。ヒステリー者もそうでした。中世期のヨーロッパでは魔女狩りに遭って火炙りの刑といった残虐な扱いをされてきたのです。
 モーツアルトのオペラ『コジ・ファン・トゥッテ』(1790)の第一幕の終わりに偽のヒ素を飲んで死んだふりをする若者に医師に扮したメイドが磁気治療を施すシーンがあります。当時、ヨーロッパで流行していた磁気治療を風刺のきいた芸に仕立てたようです。直に磁気治療は催眠による効果だと明らかになっていくのですが(精神科読本21『精神療法のはじまり』を参照)、ヒステリーはフランスの神経学者シャルコーらによって解明され、ヒステリー症状は暗示によって出たり消えたりするということが明らかになりました。フロイトはウイーンに戻り、ヒステリーの暗示説を精神医学に取り入れてヒステリーの催眠治療に没頭したのですが、催眠術がそれほど得意ではなかったために、暗示を捨てて意識下の中でおこなう自由連想法を編み出して精神分析を起こしました。
 そしてフロイトは、ブロイアーと共著で『ヒステリー研究』(1895)を世に出しました。モーツアルトのオペラから約100年後です。その内容については精神科読本25『外傷後ストレス障碍PTSD』で詳しく説明しますが、ヒステリーの原因を幼少期の性的外傷体験に求めたのです。フロイトが活躍した20世紀になってようやくヒステリー症状を科学的に扱う時代が到来したのです。
U.ヒステリー症状について
 私が研修医1年目の冬、ある男子高校生Z君の外来治療を担当することになりました。内科、脳神経外科から紹介された患者さんで原因不明の「左眼の視角異常に始まる左頭部痛、全身脱力による失立・失歩、意識消失を伴う左半身の痙攣」といった一連の発作が主訴でした。彼の母親は私の心因説に疑問を抱き、霊媒師にお祓いをしてもらったら「子どもの症状は、父親が誤って山の神様の石塚を踏んだ祟り」だと言うのです。いつの時代になっても理解できない現象に出くわすと誰かのせいにしたがるものです。霊媒師は彼の母親の気持ちを読んで「父親が山の神様の石塚を踏んだ祟り」だと言って父親のせいにしたのです。
 さて、話は変わりますが、ヒステリーを治せないと精神科医としては一人前とは言えません。ヒステリー者の症状は周囲の関心と注目を強烈に引くので、治すとヒーロー、治せないと悲惨な結果が待ち受けています。加えてヒステリーは若い女性に多く医療関係者にとって好き嫌いの激しい病気の一つです。ヒステリー者に陰性感情をもつ人たちは「症状はわざとしている」と仮病扱いする人も少なくありません。特に同性の看護師にはとても評判が悪い。一方、若い精神科医はヒステリーの症状の成り立ちに魅了されると同時に、巻き込まれて収拾がつかない状態になることもあって、好きか嫌いに分かれます。関わる者を好きか嫌いに二分するヒステリー症状はどんなものなのでしょうか。ヒステリー症状は男性にも起きますし、ヒステリーが嫌われる理由は、実はヒステリー性格の中のBad Hysteria(DSM−5では演技性パーソナリティ障碍に相当)なのであって、ヒステリー症状を呈する人たちが必ずしも嫌われやすいわけではありません。
 1.ヒステリー症状とは
 ヒステリー症状は一般的に転換型と解離型に分類されますが、臨床的には両者が混在するものが多い。アメリカ精神医学の診断基準DSMでも二分して記載されていますが、ヒステリー者は状況によって転換症状や解離症状を呈する人が多いのです。DSM−5では、身体に現れる転換型症状は9章「身体症状症Somatic Symptom Disorder」に、意識が変容する解離型症状は8章「解離症群Dissociative Disorders」にそれぞれ投げ入れられています。
 私の研修医時代のZ君の症状を再度見てみましょう。彼は授業中に教壇に立つ先生の顔だけが見えなくなるという症状から始まりました。そのうち、「左眼がチカチカし出して、左頭部の頭痛が起こり」、急に全身の力がなくなり、立つことも歩くこともできなくなって、心配した教師やクラスメートの前で「急に左半身のみが痙攣し出して、周囲の問いかけにも反応しくなった」と言います。保健室に運ばれて、しばらくして意識が戻るのですが、痙攣していた時のことは全く記憶にないと説明しました。
 彼の症状はDSM−5の解離症群と身体症状症の二つが存在します。発症状況は学校の授業中です。解離反応を引き起こすような直接的なストレスは現実にはありません。治療の過程で明らかになったのは、進学校に入学したものの学業成績が芳しくないことと、親元を離れた寮生活で勉強しなくなって親の期待に応えられなくなった、という心の中で起きている葛藤状況でした。
 それでは、ヒステリー症状の説明に入りましょう。
 1)身体に現れる転換症状(DSM−5の翻訳では変換症と訳されています)
  運動機能や感覚機能には何ら問題ないのに異常が起きる症状です。例えば、脱力や麻痺、異常な動き(振戦、ジストニア運動、ミオクローヌス、歩行障碍)、嚥下症状、発話症状(失声症、ろれつ不良など)、けいれん発作、知覚麻痺または感覚脱失、特別な感覚症状(視覚、嗅覚、聴覚の障碍)などがあります。
 2)意識変容を主体とする解離症状
 (1)解離性同一症:いわゆる体重人格と呼ばれる症状のことです。解離性同一症には憑依型もあります。私は若い頃、朦朧としている患者に「あなたは誰ですか」と問うと「(本名の)W子」、「悪魔」、「預言者」と答えて、それ以上質問すると「神様、私と結婚してください」と混乱した症例を治療したことがあります(自著『思春期と家庭内暴力』に収録)。解離性同一症者には以下に説明する解離性健忘が出現します。
 (2)解離性健忘:過去の記憶が限局的、選択的、あるいは全般的に忘れ去られ想起することができない健忘症である。一般的には“記憶喪失症”と言われる病態です。
 (3)離人感・現実感消失症:これらの症状はとても苦痛で「カプセルの中にいる」「自分が自分でない」「自分がない」「生きている実感がない」などと患者は苦悩します(臨床ダイアリー14『ウィニコットの破綻恐怖について』を参照)。
 2.ヒステリー症状には意味がある
 フロイト(Freud)はヒステリーの研究から精神分析を編み出し、その過程で独自の神経症論を打ち立てました。それはアメリカの自我心理学へと受け継がれ、フロイトの精神分析はその後の神経症論に大きな影響を与えたのです。フロイトは「(神経症の)諸症状には、夢および失策行為と同じように無意識的な意味があり、神経症の症状を呈している当人の生活と関連がある」と述べて神経症を体系化しました。例えば、思春期に多い失立・失歩というヒステリー症状には「自立したくない」という無意識の心があります。Z君の左半身の痙攣発作は、「僕の中に母親にとって自慢の良い子である右半身」と「母親の影響を受けないで自由に生きたい左半身」の両者が葛藤状況で発生しました。母親から離れて寮生活を送るZ君はのびのびと学校生活を送る一方で、成績が急降下して母親の期待を裏切る悪い自分を左半身に投影して、発作中右手で左半身を叩くという動作が見られたのです。
 3.ヒステリーという用語について
 ヒステリーについて解説する本小論なのに、今日の精神科臨床ではヒステリーという医学用語を使うことはありません。というのは、ヒステリーという用語に対する先入観と偏見、単症状性の古典的ヒステリーが減少し代わって多彩な症状をもつ多症状性ヒステリーが増加したという時代背景、さらにはヒステリーという用語のもつ多義性(ヒステリー神経症、ヒステリー性格、ヒステリー精神病などを指す)、ヒステリー性格が必ずしも転換症状や解離症状を示すとは限らないこと、神経症の診断学が意味論から症候論への移った(DSM−Vの登場)こと、などが大きな理由です。日常用語で使うヒステリーとは、「ヒスをおこす」「あの人はヒステリックだから」と軽蔑的なニュアンスが強く、精神医学用語とは全く違った使われ方をします。
以上の理由から精神科臨床ではヒステリーという用語は消滅しました。でも、ステリー症状が消えたわけではありません。21世紀の私たちにヒステリー現象が教示するものは多大なものがあると信じています。それが、20世紀後半から起きた解離性障碍への注目です。1970年頃より解離性同一症(多重人格)やPTSD(心的外傷後ストレス障害)が注目されるなかで再び「ヒステリー」は装いを新たに精神科医の関心を引くことになったのです。それは、フロイトが初期に見出し、後に破棄することになったヒステリーの心的外傷論の見直しだったのです。
V.ヒステリー症状の対応と治療
 ヒステリー症状への対応について述べますが、ヒステリー性格と演技性パーソナリティ障碍については別の機会に譲ることにします。
 従来、精神療法を学ぶ初心者にとってヒステリーは好都合な症例であると言われてきました。ヒステリーは治療者の影響を受けやすく、容易に転移神経症を起こすからです。逆に、治療者への不満・不安が治療を複雑にし、泥沼化させる原因にもなるのですが、神経症の成立過程を知る上でヒステリーから多くのことを学んだのです。
 1.精神分析的視点
 先ほど述べましたように、精神分析的には「神経症症状には無意識的な意味がある(象徴的な意味)」とべました。この考えをよくあらわしているのが転換症状です。症状は、運動系、感覚系、などに現れ、実にさまざまな症状があります。その無意識的意味とは、たとえば、失立失歩は「自立したくない」、失声は「(不快な事態を招くようなことは)話したくない」、視力障害は「(現実を)見たくない」などのように、「手に負えない観念は、身体的な何ものかに変換されることによって、その興奮の総体が無害なものに変えられているのです」(Freud,1984)。身体現象は意味深い「身体言語」で、それは心的葛藤の代償的満足(反動形成)なのです。そして患者は、病気をすることで現実の苦痛から逃れることができるのです(疾病逃避)。
 1)基本的な心構え(環境か心的葛藤か)
 フロイトは、人間は幼児期のこころの発達において、ある特定の発達段階で問題が生じると、その段階特有の心的葛藤と防衛パターンを形成すること(固着)、そして後年類似の困難に遭遇したとき、その段階の自我状態ないしは対象関係の水準に退行することを見出しました。「自我は、一般的に表現すれば、危険、不安、不快を避けるために種々の手段を用いる(防衛機制)。・・・・・自我の発達過程において、その選ばれた防衛機制は、自我のなかに固着し、その性格の規則的な反応様式となって、その人の生涯を通じて、幼児期の最初の困難な状況に類似した状況が再現されるたびに反復される」(Freud,1937)のです。この反復という現象がとても重要になってきます(臨床ダイアリー「トラウマと反復強迫」を参照)。
転換症状は心的葛藤を刺激し苦痛をもたらす現実からの逃避という側面を意味するので、その対応には、葛藤の解消や環境調整が大切になります。小児や思春期のように自我の未熟性のために現実的問題を解決できないでいる場合、強い不安、興奮を鎮静化するための薬物治療や現実から隔離する意味で入院治療を選ぶとか、実際に困っている現実問題を解決するために環境調整をおこなうことで症状の改善を見ることが少なくありません。特に、現実問題で反応性に発症した場合、不安、興奮が強く、ときに昏迷状態に陥ることがあるので、入院治療のなかで治療者が代理自我の役割を担い、支持的かつ受容的な介入が必要になってきます。成人例の場合も基本的には同じ対応が求められます。ただ、後述するように、入院治療の選択には大きな問題があります。
環境調整は、発病した状況を詳しく聴くことから始まりますが、ヒステリー者から得られる情報は断片的で非常に主観的なものです。患者の言い分は症状のなかに意味深く隠されているからです。そのため、患者の症状と患者を取り巻く関係者から情報を得ることで発病に至ったストーリーが完成されることがしばしばあります。そのストーリーの内容はヒステリー者の葛藤状況の再現でもあります。こうしたストーリーを考慮した上で、(本人よりも主に環境に対して)教育的かつ指示的な介入がおこなわれることが望ましいのです。
 職場や学校、そして家族などの関係者と会うときは、その必要性を患者に十分に説明し、同意を得ることは言うまでもありません。なかには、重要な関係者であればあるほど患者は葛藤的になり、一時的に症状が悪化することがあります。その際、症状の動揺を見ながら、同席で会う方が望ましいでしょう。また、ヒステリー者は多くを語らなくても「治療者は発病に至った状況から救出してくれる」という救済願望(幻想)を抱いていることが多い。そのため、状況の説明をできるだけ言葉で詳しく話すように励ますことが大切です。このような現実的な対応は、患者の幻想に巻き込まれることなく、中立性を保つことにも役立ちます。
 しかし、そうした薬物治療や環境調整だけでは問題解決を見ない場合があります。幼少期のエディプス葛藤が現実問題で揺さぶられて発症した場合です。その場合、精神分析療法や精神分析的精神療法のよい適応となります。パーソナリティ障碍を合併している場合は、その治療過程で技法的な工夫を必要とするのは言うまでもありません。
 2)治療構造の設定(外来か入院か)
 次に、ヒステリー症状の対応で問題になるのは、病気をすることで得た二次性の疾病利得です。特に入院治療の場合がその危険性が高い。ヒステリー症状は、他の疾患と違って、目に見える形で現れるので、入院治療の場合、そのドラマティックな症状が周囲の関心を惹き、二次的疾病利得を招きやすいのです。それは治療者の熱心さにもかかわらず治療に抵抗するので、治療者がヒステリー症状にのみ関心を持ちすぎると、上述したように治療者は「英雄になるか敗者になるか」のどちらかです。
 ヒステリーの治療では、治らない患者に治療者は傷つき、患者を拒絶し、治療は泥沼化する危険性が待っているのです。ヒステリーは現実の心的外傷が発病の契機になっているので、治療者は症状の消失に心を奪われないことが大切です。現実問題が解決を見ないとなかなか症状は治らないし、治っても症候移動syndrome shiftすることがあります。しかも症状を形成している心的葛藤が、治らないという形で治療者患者関係に転移されると、事態は深刻な状態になります。
 そのため、ヒステリー症状の入院治療には慎重な対応が求められるのです。基本的には外来通院治療が第一選択です。よほどの理由がない限り、つまり症状のために通院が不可能であるとか家族との感情的対立がある場合などです、入院治療は避けるべきです。また疾病利得抵抗が生じないような治療の設定が求められます。患者は、「発病に際して家族や学校、勤務先とのあいだに現実的葛藤を引起こしていることが多く、しばしば治療によって、離婚、別居、退学、転校、退職などの現実問題を治療者にもちかけてくることがある。しかし、原則としてそれらのこと自体が神経症的解決法であることが多いので、治療がすむまでは、現在の環境を変えないで治療に入ることを約束しておくことが必要」(西園)なのです。
 3)精神療法の治療過程
 ヒステリー者の心的葛藤に焦点を当てた治療(精神分析や精神分析的精神療法)が適応になるときのポイントは、患者に心に起きること(感情や観念)をできるだけ詳しく言葉にするように励まし、中立性を心がけながら治療を進めていくことです。治療は、症状の意味を含んでいる無意識過程を患者に意識化させることになるのですが、はじめは表層から、ないしは意識内容から扱い、無意識内容へと深めていくことが求められます(洞察療法)。とは言え、上述したように症状にのみ焦点を当てた治療に専念過ぎると、疾病利得抵抗が強化され、陰性治療反応が起きる危険性があるので、環境に適応できないでいる苦痛に焦点を当てた治療を心がけることが大切です。その過程で、発病の契機が幼児期の葛藤の再現であることが理解されるようになるのですが、それは治療者患者関係を通してはじめて患者には生き生きと体験されるのです。こうして患者は、症状の背景にはエディプス・コンプレックスが抑圧されていることを学ぶのです。
2.行動療法
 行動療法は精神分析のアンチテーゼとして登場しました。精神分析はヒステリーを治療モデルに研究され発展してきたのに対して、行動療法は恐怖症や強迫神経症を治療モデルにしています。そして精神分析が「症状には無意識的意味がある」と考えるのに対して、行動療法では「症状には意味がない」と考えます。治療機序も、精神分析が洞察を求めるのに対して、行動療法では行動の変化を求めます。ヒステリー症状は環境(発病状況や周囲)を症状で支配しようとする力動が働くために、症状に焦点を当てた行動療法は不向きだと思います。このように、両者には理論的にも治療機序的にも大きな違いがあり、ヒステリーは行動療法の適応にならないと言えるでしょう。
※本小論は、朝倉書店『実践精神療法事典』に投稿したものに修正・加筆したものです。


posted by 川谷大治 at 14:15| Comment(0) | 日記