2017年07月10日

精神科読本22「美味しく食べて若さを保つ食事療法」

精神科読本22「美味しく食べて若さを保つ食事療法」(2017年改訂版)
『美味しく食べて若さを保つ食事療法』
T.はじめに
 日本人の平均寿命が50歳を超えたのは戦後間もない昭和25年のことです。それから約60年を経た平成25年には女性87歳、男性80歳を超えました。喜ばしい話ですが、80歳を過ぎても皆がみんな元気だとは言い切れません。病気を抱え、不自由な生活を強いられている人の方が多いかもしれません。年老いて寝たきりになるのは、想像するに、さぞ辛いことでしょう。それに応えるように、分子生物学の隆盛によって不老不死を願う万人の願いを実現しようとしているのがアンチエイジングです。
老化現象は多細胞生物には付きものです。大腸菌のように1個の細胞でなりたつ単細胞生物は、細胞分裂によって自分のコピーを作成して種を残していきます。しかし、単細胞生物は環境の変化に適応できなくなる危険性が高いのが弱点です。そのために多細胞生物を作りました。多細胞生物はオスとメスを作って、遺伝子をシャッフルさせることによって環境の変化に適応し、遺伝子を残していこうとする戦略をとったのです。
 しかし多細胞生物にも弱点があります。私たち人間を形成している約60兆個の細胞は、どの細胞でも一生の間に分裂によって生まれ変わって新しくなっていきます。この細胞分裂を繰り返す回数に制限があるのです。6、7回の細胞分裂を繰り返すと、染色体の末端にあるテロミアの部分が短くなり、生を全うすることができなくなるように設計されているのです。一人の人間は死んでも環境に適応できるような遺伝子を残すのが種の保存法則だからなのです。スポーツ選手に短命が多いのは、若い頃から激しい運動をして細胞分裂を早めるからです。
だから不老不死は決して望めないのです。でも、元気な老いを迎えることは不可能ではないのです。本小論では、80歳を超えても元気に毎日を過ごせるようになるための現在の医学常識を紹介したいと思っています。ただ、今正しいと思われている医学常識が間違いだったということはよくあります。常に情報を正しく入手することも大切なことだと思いますので、新しい情報は伝えていこうと思っています。
U.血液中の糖質(グルコース)を過剰に増やさない
 元気で長生きするためには、病気をしないこと、適度な運動を心がけること、こころの健康を保つこと、そして食事療法がもっとも大切なことです。筋肉を増大させると、それは20年から30年は維持できると言われています。50代になったら一度筋肉アップを試みるのも寝たきりを防ぐ一つの方法です。
さて、食べ物の話に戻ります。食事療法でもっとも重要なのは、炭水化物をどれくらい摂取すると若さを保ち健康につながるか、ということです。タイトルの糖質(グルコース)とはブドウ糖のことです。主に食事から摂取された炭水化物が小腸で分解されてグルコースとして身体に吸収されます。吸収されたグルコースは主に身体のエネルギー源として利用され、余ったグルコースは中性脂肪になります。血液中のグルコースは常にある一定の濃度100r/dlを保っています。ですので、48kgの体重の人の血液中には糖質はわずかティースプーン1杯(4g)の量しかありません。60sの体重の人は5g程度です。だから食パンを一枚食べるだけで体の中のグルコースは急増するのです。
 食後は血糖値が高くなるけど、膵臓からインスリンが分泌されて主に肝臓、筋肉、脳に運ばれてエネルギー源として利用され、食間では常に100r/dlを維持しています。空腹時にご飯を食べる余裕がないときは、グルコースは肝臓から作られて常に一定の濃度を保っています。貯えた脂肪を燃やしてエネルギーにするので体重は減少します。ですので、甘いもの、たとえばコーヒーに角砂糖を1個(4g)入れて飲むと、血液中のグルコースの濃度はあっという間に約180r/dlになって、それをエネルギー源として消費しないと中性脂肪に作り変えられて皮下脂肪として貯蓄されます。砂糖4gは16カロリーに相当し、運動で燃やしてしまうには約5分間歩かないといけない。コンビニのおにぎりを1個食べると、身体の中では180カロリーのグルコースになるので、それを燃やすには1時間近く歩かないと中性脂肪になってしまう。
 このように、中性脂肪はグルコースから作られるので、血液中のグルコースを上げないように食事を摂ると太らないのです。たとえばカロリーの高いステーキを食べても、肉には炭水化物は多く含まれていないので、つまり中性脂肪になる率は少ないので、食べても太らないわけです。カロリー制限は考えなくてよいのです。
 1.血液中のグルコースを高くするものを制限する
GI値(グルコースインデックス)の60以下を摂るように心がけましょう。スマホで調べられますよ。通常よりも多めに食べて太らない食材はGI値20以下と覚えておきましょう。果物では苺、梨、桃、などです。果物でもスイカやパイナップルはGI値は高い。ミカンやリンゴはいいでしょうね。
 2.砂糖、でんぷんは控えましょう
 甘いもの:砂糖の入ったもの⇒ジュース、コーラ、アイスクリーム
   特に、トウモロコシから作ったブドウ糖果糖液糖は砂糖より性質が悪い。
   全てのお菓子とジュースや乳酸菌飲料などにも使われています。
   商品を買うときにラベルを調べてみよう。
 米:ご飯、おにぎり、すし、チャーハン(具が入っているのでご飯よりまし)
 小麦:パン、うどん、ソーメン、ラーメン、お好み焼き、パスタ、ケーキなど
 野菜:トウモロコシ、カボチャ、ニンジン
   トウモロコシは身体に優しいイメージがありますね。でも食べ過ぎてはいけません。というのは、アメリ   カでトウモロコシを作りすぎてメキシコに輸出して、トウモロコシから作った甘いブドウ糖果糖液糖を    じゃんじゃんメキシコ人に食べさせて、メキシコ人に肥満が増えて社会問題になっているのですよ。ニン   ジンは昔懐かしい独特の香りのするニンジンは健康に、特にがん予防には良いでしょう。最近の薄味で甘   いニンジンに糖質が多いので要注意です。グルメ番組ではしばしば美味しさの指数を「甘い」と表現しま   すね。「甘い」が美味しいの代名詞になっているのは注意報です。
 イモ類:ジャガイモ、サツマイモ、サトイモなど
   植物繊維の多いサツマイモやサトイモも多くは食べないこと。昔から石焼き芋は女性の敵でしたよね。塩   分が含まれている上に悪い油で揚げているポテトチップスは食べては駄目ですよ!
 3.果物は種類を選ぶ
  巨峰は甘いので注意。スマホでGI値を調べよう。
  梨、リンゴ、ミカンなどは安心して食べてよいでしょう。甘いパイナップルは止めたほうが良い。食べるな  ら40以下にしましょう。
 4.ご飯やパンは野菜と一緒に食べると糖質吸収率が下がる 
  ご飯1杯よりも納豆ご飯1杯の方が糖質吸収率は落ちるので太りにくい。
  白ご飯よりも混ぜご飯やチャーハンの方が糖質の吸収率は落ちます。
  ご飯を食べたいときは、卵や納豆などを加えて一緒に食べるとよいです。
 5.過剰な血液中の糖質は老化現象の原因になる
  血液中に過剰にグルコースがあると、血液中のたんぱく質と結合してAGEという物質になって、皮膚や   血管などの老化を勧めます。肌のくすみやシミ、血管の動脈硬化はこのAGE物質が原因です。なので、血  液中にグルコースを増やさないことです。つまり、糖尿病にならないような食生活を心がけるといいでしょ  う。短期間に20s以上太った人の内臓脂肪は、そのままにしておくと冠動脈に動脈硬化を引き起こして心臓  病の原因になるので要注意です。
V.体によいアブラ(脂肪)を摂ろう
 脂肪にはコレステロールと中性脂肪の2つがあります。コレステロールは燃えないので運動をやっても減少することはありません。痩せるためには中性脂肪を燃やすことです。また、脂肪を摂っても炭水化物よりもカロリーは高いけど太らないと考えてよいでしょう。中性脂肪が皮下に蓄えられて、その結果太るのであって、コレステロールを多く含む卵を6個食べても脂肪として皮下に蓄えられることはなく身体の成分になります。コレステロールは女性ホルモンや皮膚や脳神経の細胞膜の原料に使われ、胆汁の原料にもなるので、脂肪として蓄えられることはありません。
 油は摂っても太ることはないのですが、最近の食品には悪い油が使われているのでその知識は得たほうが良いでしょう。
 1.悪い油
 健康によいと言われているオリーブオイルも古くなっては悪い油になります。だから、お得だからといって大量に購入することは避けて、こまめに新しいものを買うようにしたいものです。それと高温で処理する油も危険です。また揚げ物を使い古した油で揚げるのは危険です。その理由を説明しましょう。
サラダオイルは身体に悪いので使わないことです。常温で液体にするために、身体によいと言われていたリノール酸を高熱で処理するので身体に毒性をもつ油になります。ファーストフード店の油は何を使っていると思いますか。デパ地下のコロッケがサクサクしているのはなぜだと思いますか。企業努力で油を改良している会社もあります。インターネットで調べられるのでチェックするとよいと思います。某店のフライドポテトはプラスチックに似た構造の油を使うので、部屋の片隅に捨てておいても、カビも生えず、ゴキブリも口にしないので要注意です。
 次に悪いのがパーム油。菓子箱のラベルには食物油脂と表記されることが多い。家庭で使うことは少ないでしょうが、ほとんどのお菓子に使われています。フランスやベルギーのお菓子には使われなくなっていますが、日本では規制なしに使われています。いつまでもサクサク感を保つので、デパ地下の天ぷらやコロッケなどの業務用油として使われています。ビスケットがしけない理由もこのパーム油のお陰です。
 もっとも悪い油がトランス脂肪酸です。テレビなどで耳にしたことがあるでしょう。その代表はマーガリンとショートニングです。欧米ではマーガリンは禁止されていますが、日本では病院食や学校の給食にも平気で使われています。パン、ケーキ、ドーナツ、クッキーといった洋菓子類、スナック菓子、生クリームなどに含まれています。老化を促進させる油です。その結果、認知症へまっしぐら、です。
 2.良い油
 使ってよいのは、エクストラバージン・オリーブオイル、米油(米ぬか油)、エゴマ油、ゴマ油です。いずれも値段が高いのが欠点です。ただ、オリーブオイルは不良品が輸入される場合があるので、品質を調べる必要があります。先ず、色のついた瓶をつかっていること、ラベルを調べる習慣を身につけましょう。イタリア製とラベルに記載されていても不良品が紛れていることがあるようです。オリーブ油を買うときは、瓶詰の日付か輸入日が印刷してあるのがお勧めです。製造日を知るためには、酸度(Acidita:0.8以下)や過酸化物(Perossidi:20以下)の表示が参考になります。酸度が0.1〜0.2のものは香りもよく風味もあります。
 揚げ物にはオリーブオイルか米ぬか油を使うといいです。唐揚げも米ぬか油で揚げましょう。決して、サラダオイルを使わないことです。菜種油では、特にキャノーラ油は避けましょう。カナダ産の菜種油を家庭用に仕上げる段階で高熱処理しますので、ヒドロキシノネナールという毒が発生します。
それと、ラードは身体に悪いと言われてましたけど、サラダオイルよりはマシなので、避ける必要はありません。沖縄の人が長命なのは、ラード、海藻、豚肉、ゴーヤーを中心とする野菜を多く食べるからと言われていました。でも、最近はファーストフード店のモノを多く食し、サラダオイルを使うようになって長野県にその座を譲ってます。バターも食して大丈夫です。バターで太るのではなくてパンで太るということを頭に入れておきましょう。油は身体を温めて代謝を亢進するので安心して食べてください。寝る前にエゴマ油を大さじ1杯飲むと、腸内の善玉菌が増えて、お通じが良くなり、若い肌を手に入れます。エゴマ油は身体に吸収されるとDHAになり、脳の働きを良くし、血液をサラサラにして、肌の細胞壁の原料になるのでお勧めです。かつ、新陳代謝を高めるので体重を落とせます。イタリア人は毎朝オリーブオイルを大さじ1杯飲む習慣がありますが、寝る前がいいでしょうね。
W.食物繊維とビタミンや酵素をたっぷりとりましょう
 野菜と果物をしっかり食べましょうということです。もちろん、果物は果糖が含まれているので摂りすぎはいけません。ミカン1個、バナナ1本、リンゴ1個程度は身体に負担にはなりません。積極的に食べましょう。20歳過ぎると、身体の中の酵素は少なくなっていきます。食べ物で補充するしかないので、野菜や果物を摂りましょう。酵素を多く含んでいる食用の酢もいいですよ。糖尿病の人は果物に神経質になった方がよいかも。
野菜はしっかり食べましょう。野菜なら何でもボール一杯を食べるようにお勧めします。万能の野菜はブロッコリーです。便通にもよいし、認知症や癌防止にもなります。そしてキャベツを食べることをお勧めします。1週間に1玉を食べるように習慣化しましょう。ぶつ切りにしてポン酢をかけてモリモリ食べるといいですね。食前にキャベツを食べると、その後の糖質の吸収を低下させるのでお勧めです。特に、揚げ物を食べるときには必ずキャベツの千切りを食べるように習慣化してください。揚げ物では使う油と衣が身体に悪いので、あえて衣を外して食べるとよいでしょう。でも、それだとおいしくないので、衣を食べても野菜を多くとるように心がけて、食後にビタミンCを一杯摂ることをお勧めします。
 生野菜食べるときにマヨネーズを使うのは慎重にしましょう。自分で作ったマヨネーズなら安心でしょうけど、市販のマヨネーズはサラダオイルを使っているので要注意です。太る心配はしないでよいのですが、サラダオイルによる老化現象がボデーブローのように後になってこたえてきます。ドレッシングにはエゴマ油を用いるとよいでしょう。塩は控えめにしたいですね。癌細胞は塩分が好きなんですよ。
 大根は年中食べられるので、ご飯におろし大根を乗せて食べると糖質の吸収を低下させるので便利です。大根には水溶性と非水溶性の食物繊維がバランスよく含まれています。おでんの大根はおいしくて体にいいのでじゃんじゃん食べましょう。かつてテレビの『おしん』で大根飯を食べているシーンがありました。貧しい人が食べる大根飯というイメージでしたが、昆布と鰹節で出汁を取って炊いた大根飯はとても味わい深く、そして食物繊維も多くて糖質の吸収を抑えてくれるので身体にはとてもいいのですよ。大根と同じくらい重要な食材にコンニャクがあります。糖質ゼロで腸を掃除してくれるので安心して食べられます。 
 海藻は水溶性食物繊維と非水溶性食物繊維をバランスよく含んでいるので、みそ汁にワカメやアオサを入れるのはベターです。しかし、女性は海藻を男性ほど摂取しないほうがよいでしょう。甲状腺疾患になりやすいからです。みそ汁に入れたり、ときにモズクを食する程度にしましょう。焼きのりは葉酸が豊富なので大腸がんの予防になります。でも女性の場合、摂りすぎはいけないので、アボカド、ブロッコリー、キャベツ、レバー、枝豆などで葉酸を補うようにしましょう。アルコールを分解するのに葉酸を消費するので、酒飲みには大腸がんが多いのですよ。
X.発酵食品
 お勧めはぬか漬け、納豆、そしてキムチです。納豆は夕食後が良いですね。それも毎日食べるように習慣化してください。炭水化物を制限すると、小腹が空くので、食事の最後に納豆でお腹を膨らませると、寝ているときに腸内を整えてくれます。ヨーグルトやヤクルトも体にいいのですが、商品のラベルを見てください。ブドウ糖果糖液糖が必ず含まれているので、太りやすい原因になります。そして、ヨーグルトは牛乳を使って発酵させるので、この牛乳を控えるためにもヨーグルトは避けたいですね。牛乳はカルシウムが多く含まれているので、骨粗しょう症の予防になると言われているけど、実はそうではないんです。確かにカルシウムの吸収は良いのですが、すぐに腎臓から排泄されるので、ゆっくりカルシウム濃度を高める小魚の方がいいのですよ。牛乳をよく飲む北欧の人に骨粗しょう症が多いと言われています。
さらに、漬物の塩分も控えめにしたいので漬物よりも納豆を勧めます。キムチも優れた発酵食品です。ラベルに調味料として何を使っているかを調べて食べるようにしてください。
それと乳製品は牛乳を使うので腸が汚れる危険性が高いのが気になります。牛乳は育ち盛りの子どもには優れた食品ですが、40歳を超すと、無理にとらないほうが良いでしょう。チーズも乳製品なのでほどほどに。というのは、牛乳は癌細胞の分裂を増加させる因子が含まれているので、予防のためにも少量飲んで、カルシウムは野菜や果物、そして小魚で補うほうがよいでしょう。
Y.たんぱく質は安心して食べよう
 油ギトギトの牛肉は太るイメージがあるでしょう。でも、実際はそんなに太りません。肉に添えられているジャガイモやパンなどが肥満の原因なのです。
良質のたんぱく質は卵です。卵は黄身のコレステロールと白身のたんぱく質から成ります。卵は1日に5,6個食べても太らないし、コレステロールの心配もありません。コレステロールは細胞膜やホルモンや胆汁の原料になるのでそれほど気にすることはありません。ゆで卵ダイエットが以前流行ったように、卵の油とたんぱく質ではカロリーが高い割には太らないのです。悪いのは、炭水化物を減らして、たんぱく質だけを食するという方法が悪かったのです。必ず、このようなやり方ではリバウンドします。
 青魚に含まれるDHAやEPAは身体に必要なのでしっかり食べましょう。そして、大豆製品が最高のたんぱく質になります。枝豆は納豆、豆腐に次ぐ良質のたんぱく質だと考えてよいでしょう。肉、魚、大豆の3つをバランスよく食べましょう。たんぱく質は腸で分解されてアミノ酸になって身体に吸収されます。そのアミノ酸を使ってたんぱく質を合成し人間は生きているのです。遺伝子の命令はこのたんぱく質で伝えられます。そして細胞膜や軟骨に欠かせないコラーゲンもたんぱく質から作られます。老化現象はこのコラーゲン不足も原因の一つです。
 それではコラーゲンはどうやって作られるでしょうか。アミノ酸を数珠つなぎにつないで作るのですが、その時に、ビタミンCが必要なのです。ですので、アンチエイジングにはビタミンCをたっぷりとる必要があります。コラーゲンは細胞の壁を作るのに欠かせません。コラーゲンが含まれている細胞はしっかり立方体を維持しますが、少ないとひしゃげた細胞になって、皮膚に張りがなくなり、ぶよぶよしてくるのです。ビタミンCは4時間で分解されるので、ドラッグストアで購入してちょこちょこ飲んでくださいね。1か月もすると、肌のシミは薄くなり、肌のつやもよくなってきます。
Z.紫外線を避けること
 これは女性であれば常識。ところが、まったく紫外線を浴びないのも健康に悪い、ということも知っておきましょう。1日に15分程度は外出時に紫外線に当たることを勧めます。紫外線はビタミンDを作るのに必要ですからね。骨を丈夫にしてくれます。また15分程度の紫外線を肌に活気を与えてくれるので、買い物や散歩程度は問題ありません。15分以上歩くときは、サングラスはかけた方がいいでしょう。還暦を過ぎるころから白内障になる危険性が高くなります。でも、白内障になっても、硝子体がビタミンCを含んでいることから積極的に大量のビタミンCを摂ると白内障の進行をストップしてくれます。
[.実際の食事療法
 さー、これから実践編です。おいしく食べて健康になりましょう。
 1.日頃の食生活を見ましょう
 1日に何度食事をしていますか。もし、3度食べているのであれば、その内の1回は炭水化物を抜きましょう。2度だったら、その内の1回は炭水化物を半分に減らしましょう。そして減らした炭水化物の代わりにたんぱく質と野菜を食べましょう。
 2.具体的には
 朝食:パンと牛乳と目玉焼き/みそ汁にご飯と焼き魚だったら、
    ⇒パン/ご飯を止めて、目玉焼きと野菜ジュース。小腹がすくならGI値20以下の果物で補いましょ      う。野菜ジュースは市販のものでいいですよ。私の朝食は野菜ジュースだけです。時々、野菜ジュー     スとともにカゴメのラブレを飲みます。それで昼食までお腹が空くことはありません。
 昼食:いつものように食べましょう。ご飯や麺類を食べることが多いでしょうね。野菜と一緒に食べるか、あ    るいは最初に野菜を食べて最後に炭水化物としましょう。
 夕食:野菜をバリバリ食べることから始めましょう。甘いトマトは感心しません。その次に、たんぱく質、発    酵食品を食べます。最後にご飯を軽くいっぱい食べて終わり。それも納豆ご飯にするとよい。卵料理は    お勧めです。食べる順番も重要ですよ。炭水化物は最後に食べましょう。この時に、上に述べたことを    頭に入れて食しましょうね。小腹が空きそうだったら、野菜やたんぱく質で補いましょう。この時期、    鍋物がベストでしょうね。野菜をたっぷり食べて、肉、魚、豆腐でお腹を満たしましょう。最後のうど    んやちゃんぽんは控えます。最後に、ナッツ類を一つかみ食べて終了。クルミやアーモンドがいいで     しょう。
 3.注意事項
 @ リバウンドの危険性が高くならないように1ヶ月で2s以上体重を落とさないことを守りましょう。
 A お腹が空いても甘いものや炭水化物を避けてGI値20程度の果物やナッツ類を食べる。
 B 麺類は1週間のうちにご褒美として1、2回食べるようにすること。
    ⇒禁止するとよくないです。食事は楽しくおいしく食べましょう
 C 冷たいものは避けること。ビールはとりあえず小コップに一杯だけにする。
 D アルコールは飲みすぎないように。日本酒やビールは糖質が多いので、飲むときは焼酎か赤ワインかウィ   スキー。
   ⇒ロックは止めてお湯割りがいいでしょう
    氷で身体を冷やすと新陳代謝が低下して脂肪を増やすように身体が反応します。
   ⇒葉酸を補うためにレバー、ブロッコリー、キャベツ、のり、枝豆がベター。
   ⇒アルコールが肝臓で分解されてアセトアルデヒドになり、口の中に分泌されて舌癌や喉頭癌や食道癌の    原因になるので、寝る前にきちんと歯を磨いて、舌をきれいにして寝るように心がけましょう。
 
 以上、ネットなどで新情報を得て、おいしく食事しましょう。昨日、正しいと言われたことが明日には悪い、と言われることがよくあります。常に、新しい情報を得るように、勉強してくださいね。最後に適度な運動は続けましょうね。週に2、3日は30分以上の散歩を心がけましょう。では、健闘を祈ります。
posted by 川谷大治 at 10:46| Comment(0) | 日記

2017年07月09日

精神科読本21「精神療法のはじまり」

精神科読本21「精神療法のはじまり」(2017年改訂版)
                 精神療法のはじまり
T.はじめに
 皆さんは精神科や心療内科で行なわれる治療にはどのようなものがあると思いますか?多くの方は、主治医との対話による治療、巷ではカウンセリングと呼ばれていますが、を思い浮かべることでしょう。それ以外に、クスリを使って不安やうつ症状を取り除く薬物治療、家族療法、集団精神療法、社会療法(ショートケア、デイケア、ナイトホスピタル)、作業療法、などがあります。
 カウンセリングとは、主治医にいろいろ困っていることを相談して専門的な知識や技術によって心理的問題を解消する治療法の一つですが、精神科では「精神療法」と呼ばれています。カウンセリングと精神療法はその起源は同じものですが、例えると、ポップスとロック程に違いがあります。もともとは日常生活で口ずさまれていた歌が宗教音楽へとして発展し、今日のクラシックからジャズ、ロック、フォーク、演歌、ポップスへと枝分かれしていったように、精神療法も様変わりしています。
 本シリーズでは、精神科の臨床でもっとも重要な「精神療法のはじまり」について解説していこうと思っています。今回は、今日の形になるまでの原始的な精神療法について述べる予定です。機会があれば、いずれ精神療法を科学的な学問へと進化させたフロイトの精神分析とその後の発展について述べたいと思います。
U.原始的精神療法
 21世紀に入って間もない頃だったと記憶しているのですが、九州のある地域で、少女に狐が憑いていると言って、その土地の霊能者から除霊のために棒で叩かれて亡くなるという痛ましい事件が起きました。この類の事件は耳新しいことではありません。エレンベルガーは世界各地の精神の病の起こり方と治し方を5つに分類して表1のようにまとめました(コピペみたいと批判されるかもしれませんが、本論の大部分がエレンベルガー著『無意識の発見』に依っています)。
 九州で起きた事件は3に示す考え方で、少女に狐が憑いたのでその狐を追い出すために少女の身体を叩くといったやり方は実は世界各地で行われる標準的な治療法でもあったのです。1970年代にメガヒットした『エクソシスト』という悪魔払いの映画も同列のものですし、良質のコーヒー豆の産地である南米のグアテマラでは、奥地のジャングルに行かずとも、今日でも原始的な方法で精神の病を治していると聞きます。平安時代の日本人は何よりも「祟り」を恐れていました。それを扱ったのが陰陽師です。21世紀の今日でも、沖縄のユタ、恐山のイタコ、さらには各地に伝わるシャーマニズムに基づく信仰があり、悩める者に心理的な救い、癒しをもたらしてくれています。これらは、今日の精神科で行なわれる精神療法の原始的な形と言えます。
  表1
        疾病説                     治療法
  1 病気とは病気という物体が身体に侵入したためである 病気という物体を摘出する

  2 霊魂が行方不明である           魂の所在を突き止め、招魂し、もとに納め戻す

  3 悪霊が侵入したためである         祓魔術をする。外部から侵入した悪霊を機械的に摘出                          除去する。悪霊を他の生物に移す
  4 タブーを破ったためである            告解(懺悔)し、神の怒りを鎮める

  5 呪術によるものである                対抗呪術を行う

V.メスメル(1734−1815)の登場
 1.どのような時代か
 上記の疾病の考え方と治し方は、暗黒の中世期では主流を占めていましたが、科学の発展とともに廃れていきます。21世紀の今日まで細々と受け継がれているのは、我々の心の奥に潜んでいる原始的思考の現れともいえます。この原始的精神療法から大きな発展をなしたのはメスメルの貢献によるものが大きい。
メスメルはモーツアルトが活躍した時代の人です。1768年、モーツアルトが12歳のとき、お金持ちの女性と結婚した商人メスメルは自邸で上演させるために一幕物のオペラの作曲をモーツアルトに依頼し、モーツアルトの最初のオペラが完成しています。
 2.メスメルの生立ち
 エレンベルガー著『無意識の発見』を参考にメスメルの生い立ちを追ってみましょう。1734年にドイツとスイスにまたがるコンスタンツ湖のドイツ領岸で生まれています。18歳でイエズス会神学校に入学し、32歳のときに「人体疾患に及ぼす惑星の影響について」という論文で学位をとっています。1767年貴族出身で富裕な未亡人と結婚し、ウイーンで内科系医師として開業。洗練された社交界の人となり、各種芸術のパトロンにおさまっています。モーツアルトの父レオポルトによると「庭は比較するもののない素晴らしさで、見事な並木道がいくつもあり、立派な彫像がこれまたいくつもあり、劇場が一つ、鳥小屋と鳩小屋が各々一つ、いちばんの高みには、見晴らしの東屋がある」とその豪奢な生活ぶりを語っています。
 3.磁気治療
 1774年(40歳):内科医だったメスメルは、27歳のエスターリーン嬢の治療を始めて、クリーゼと天体運動の周期との関連(と、彼は信じたのです)を発見しました。クリーゼとは英語のcrisisのドイツ語読みで、病状の「分利」を意味します。フランス語読みはクリーズで、文庫クセジュ『催眠と暗示』からその様子を描写してみましょう。
 クリーズの様子:目がうつろになり、のどが延びあがる。頭が倒れる。震える者あり、泣く者あり、笑う者あり、つばを吐く者あり、叫ぶ者あり、うめく者あり、息の詰まる者あり、めまいのする者あり、寝込む者あり、恍惚にひたる者あり、ひそかに激情をもつ者がある。それから叫び声、首しめ、ひきつけ運動、捻転、とんぼ返りが始まる。とくに女は飛び掛りあう。顔は赤らみ、あるいは青ざめ、形相を一変し、髪を打ちなびかせ、あるいはこめかみにまといつかせ、彼女らは抱き合ったり、押し合ったり、地上に転げたり、壁に頭をぶつけたがったりする。
 今日では、未解決の葛藤によって生じた情動が、言葉を発する以外のあらゆる出口を見つけてそこから飛び出そうとしている状態と理解できます。その出口が意識消失、自律神経や筋肉系への表出、あるいは言葉にならない呻き声、などなわけです。ホースの出口を狭めれば狭める程水の勢いも強いように、情動を抑圧すればするほど症状の出方も激しくなるのです。なぜ、抑圧するかというと、言葉で表出することが当時の「文化(常識)」では認められなかったからです。
 その頃、イギリスの医師ジェムス・グレイハムという人が磁石を用いて病気を治していました。磁気が神秘的な治癒力をもつとして、ロンドンに奇妙な神殿を建て、医療的に用いていたのです。胡散臭い話ですが、暗示や、催眠的なものが心因的な身体の不調に最初に用いられた最初の試みでした。
それでメスメルは、患者に鉄分を含む薬を飲ませて、磁石を胃と両足にあてがってみました。その時患者は、自分の身体の中を不思議な流体が足の方に向かって流れていく、と言って症状が消失したのです。磁石は動物磁気を強化し作用の方向性を与える補助手段に過ぎないのであって、自分の身体の中に蓄積していた流体(動物磁気)が患者に磁気的流れを生じた、とメスメルは考えました。「私は神秘的な流体すなわち動物磁気を身に帯びている」と直感したのです。モーツアルト作曲オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』では馬蹄型のメスメルの磁石でヒ素中毒を治すシーンが演じられます(この原稿も『コジ・ファン・トゥッテ』を聞きながら書いています)。
 1776年には「惑星の影響について」という小冊子を刊行して、「人間はすべて星の影響の下にあり、この影響は宇宙をみたす磁気を帯びた液体(エーテル)のたえざる流れによって働き、われわれの内部でこの液体がある調和と均衡を保つことによって、われわれは種々の病から守られる」と考えました。メスメルは、この液体の不均衡が種々の病を惹起すると考え、磁気術は患者との接触により、またはある距離を隔てて患者の体内へこの磁気を帯びた液体をより多く流れ込ませたり、またはこれを患者の身体から外へ流れさせたりすることによって必要なバランスを回復させる、と考えたのです。
 記録によると、メスメルが指を触れるだけで痛みを感じ、ある者は声が出なくなったといいます。磁気がかからない患者がいることも知っていて、その際には「自分の医者にかかれ」と言ったそうです。メスメルは磁気術者と患者とのあいだに「交流=ラポールrapport、磁気術師からの被術者への意思の流れを意味する」の存在を発見していたのです。特に最初に治療をする場合には、身体接触を必要としました。メスメルは患者とのあいだにラポールを得るためにさまざまな手法を用いました。たとえば、自分の両膝を患者の両膝に押しつけたり、患者の両親指と自分のそれをこすり合わせたりしました。人間に磁気をかける方法は、直接法と間接法の二つがあって、直接法は術者が背を北に向け、被術者に面して膝を付き合わせ、目を見合わせて腰掛けます。接触の仕方はいろいろ自由に任せました。間接法では磁気を集める小さな鉄棒やガラス棒を用いました。また術者があらかじめ木やピアノに磁気をかけておくことも行いました。ピアノの音が磁気を運ぶと考えられたのです。
 1775年、カトリック神父のエクソシスト(悪魔祓い師)ガスナーとの対決で勝利しました。理性を重視した啓蒙主義が後押しした結果でもあるのですが、メスメルも「ガスナーは決してハッタリ屋ではなく、ただそれと知らずに動物磁気で患者たちを治していただけだ」と感想を述べています。
評判を得たメスメルは盲目の音楽家である少女パラディの治療を担当することになりました。彼女は極めて才能ある音楽家で皇后自らの保護を受けていました。磁気をかけられて目が見えるようになるのですが、医学委員会は「患者は、メスメルが目の前にいる時だけ目が見える、と言い張る」と指摘し、メスメルと両親とのあいだが急速にまずくなって再び目が見えなくなりました。精神科読本4で解説しましたように、眼科的には異常はないのですが、心理的葛藤によって目が見えなくなることをヒステリー症状と言います。メスメルは治すことが出来なくて落胆しますが、一度は見えるようになったのに最後は治療失敗に終わった理由について「目が見えるようになると女帝からの恩恵を受けられなくなる」と、20世紀の精神分析で明らかになる「疾病利得抵抗」についても気づいていました。
 4.ウイーン医学界の冷たい反応とパリへの旅立ち
 1778年(33歳)ウイーンでの評判がガタ落ちしたメスメルはパリに発ちました。同じころ、フィリップ・ピネルもパリにやって来ました。ピネルはフランス革命時代の1793年にビセートルで長年鎖につながれていた精神障害者を解放したことで有名な人です。パリは国王ルイ十六世と皇后マリー・アントワネットの統治下にあって、政府は不安定、国家財政は破滅寸前でした。
メスメルの診療所はパリでも繁盛しました。そのため患者数の増加に合わせて、一度に多人数に施す集団治療を始めました。これが有名なバケー(磁気桶)です。
 部屋の中央に高さ45pの容器があり、この磁気桶の周りに約20人が座ります。人数分の磁気桶の小孔に直角に曲がった鉄棒を入れ、鉄棒の先を患者の身体に宛がいます。桶の周りに患者が座り、メスメルが近づくと患者は発作を起こすのです。野外では磁気化した大木を使って貧しい人達用の野外集団療法を始めました。木が磁気化することはありえない話ですので、他の医師たちはインチキ医者だといって非難しました。
1784年、ルイ十六世は審査委員会をつくって弟子のデスメロンに磁気治療の実験をおこないました。委員会は「磁気流体なるものが物理的に存在する証拠は全然見当たらなかった。ただ、治療効果が全然ないとまでは言えなく、それは想像の力に帰せられた」と結果を発表しました。さらには、磁気化された女性患者は男性磁気師に対して性的魅力を及ぼすために派生する危険性もあるという報告も追加されました。素晴らしい指摘です。ルイ 十六世が委員会をつくった背景には、素人療法家のなかで患者と性的関係をもつに至る者がいたからです。
そして磁気はサロンの遊びになっていきました。こうした新参の磁気術師たちは、クリーズと愛情転移を誘発すると、それに対して何らかのアクティング・アウトで応えました。このような事実は警察の知るところとなり、貴族階級と市民階級の良俗を損なうものとなったのです。先のピネルも興味津々とバケーに2ヶ月ほど通い、「その結果ちょっとした艶事があったよ。理性を失っていくと、私も夫人たちに磁気術というなかなか魅力のある操作を一寸したくなる」と皮肉っています。
 こうしてメスメルは1785年にパリから逃亡し忘れられていきますが、メスメルがはじめた運動は弟子のピュイゼギュールに受け継がれていきました。
W.ピュイゼギュールと新メスメリズム
 1.ピュイゼギュール:磁気睡眠=人工的夢遊病の発見
 1784年:パリを去ったメスメルのあと、貴族であるピュイゼギュール候がある発見をしました。下男の息子ラースという23歳の農民は喘息を患っていました。磁気をかけると、不思議な形のクリーズを示しました。他の患者のように痙攣や運動錯乱もなく、逆に、一種奇妙な睡眠に入ったのです。この状態は通常の覚醒状態よりさらに意識が明晰でした。声を出して喋り、いろいろな質問に答え、普段よりずっと頭の回転がよくなったのです。すなわち、寝入っているのだがなお活動性は残っていて、術者の命令に従って行動できるという状態が、起こりうることを発見したのです。興味深いことに、クリーズが終わるとクリーズのときの記憶を覚えていません。そして術をかけるにはなにも直接身体に触れる必要はなく、見つめるとか、身振りで示すとか、意思を伝えるとかするだけで十分だということが分かったのです。他の患者にも試してみて数人に成功を収めました。彼らの中には、この状態に入ると自分の病気を自分で診断し、今後の経過を予見し、自分の治療法を決定する能力を見せたのです。患者は増え集団治療もおこなうことになりました。
新式の治療法は二つの特徴がありました。一つは、後にブレイドが「催眠」となづけた現象です。一見覚醒状態で、磁気術者とラポールを持ち、命ぜられるままに実行し、クリーズ終了後は完全健忘を残す。第二は、一部の患者が示す透見性です。奇蹟的治癒は至るところで模倣されました。ピュイゼギュールの新式磁気術は急速に広まりました。彼は講義のなかで以下のように語っています。
「私は信じています。私の中に一つの力の存在するのを。この信念から発するのです。私がこの力を使おうという意思のことです。動物磁気の原理全部は二語の中に集約されます。信じよ、そして意思せよ、です」
 2.メスメリズムの拡散
 フランス革命後、動物磁気学はフランス・ドイツで発展します。
 1)フランス:1850年代に絶頂期を迎え、その後衰退していく。 
 ドゥルーズは、ピュイゼギュールのもっとも高名な弟子です。人工的に引き起こされた夢遊病中に生じる諸現象を正確に記録し、いわゆる超自然的現象に懐疑的で、磁気術には種々の危険があると警告しました。彼も性愛的な問題は避けられないと断言しました。ドゥルーズは自分の行なう磁気術に対してとても冷静でその限界もわきまえていました。その著書の中で「私は磁気術によってすべての病気が治るなどとは少しも考えない。むしろ、磁気術で治るのはごくわずかの病気でしかないこと、治癒せず軽快するだけである場合が実に多いこと、磁気術はときには有害でもありうることを確信している」と記載しました。しかも治療機序について「治療効果を上げるために必要な条件は、磁化される者が何もせず、何も考えないこと、つまり受動的であるということである」と述べているくだりは優れた観察者でもあります。
 1813年:ポルトガル人の司祭ファリア師(ナンシー学派の祖)は治療者からは特別な力は出ておらず、すべては患者の精神のなかでおきると主張しました。技術面での改革としては、患者を眠らせるために視線を一つの対象に固定させる方法(後にブレイドが用いる)と言語的暗示を与える方法(リエボーがおこなった)があり、ファリア師は命令口調で「眠りなさい」、ついで「目覚めなさい」と命じました。この頃には、夢遊病(催眠)状態に導くやり方が定式化したのです。
 2)ドイツ
 磁気術をドイツはロマン主義の影響もあって受け入れました。大学にメスメリズムの講座が設けられたほどでした。
 詩人で医師でもあるケルナーは、ボツリヌス菌による食中毒を記載した最初の人ですが、12歳のときに磁気術師に神経症を治してもらいました。祓魔術と磁気術の混合法で憑依や夢遊病やいわゆる超自然現象に関心を持っていました。
 1826年彼は患者フリーデリケ・ハウフェと出会います。彼女は子どもの頃から幻視や予感があった。学校には行かなかったので読むものと言えば聖書と賛美歌だけでした。19歳のときに両親が愛していない男と婚約させました。その日はたまたま崇敬する説教者が埋葬される日でもあったのです。葬式のあいだに、彼女は“目に見えるままの世界に関しては死に”、“内面の人生”が始まりました。彼女は現実と空想という二つの世界を解離させたまた生きることになるのです。その後彼女は病気になり、痙攣、全身硬直、出血、発熱を呈して、医師も民間治療者も治すことができなくなって、ケルナー医院に運ばれてきました。磁気(つまり催眠)状態の中で彼女は多重人格、ポルターガイストと同じような行動をとりました。千里眼は誰も知らない言葉で喋ったと言います。
しかし1850年以降は、実証主義、科学的合理主義のもとで磁気術の影響は急速に遠のいていきました。
 3)イギリス
 1840年から1850年のあいだにスコットランド人外科医ブレイドの活躍もあって発展しました。磁気術の手業は不必要で代わりに患者の視線を輝く物体に固定させるという技法を用いました。そして催眠術hypnotismというより適切な術語を作り、医学サークルに受け入れさせました。外科医アザンは麻酔の代わりに催眠術を用いました。しかし、より確実性の高いクロロフォルムの出現で、催眠麻酔の流行は終わりを告げ、ブレイドの研究は廃れていくことになります。そして、イギリスでも催眠術は廃れていきましたがカラーセラピーや植物セラピーへと受け継がれて、現在に至っています。
 4)アメリカ:心霊術の勃興
 アメリカにもメスメリズムは広がりました。ヒステリー性運動麻痺を磁気術で治したりすることが公衆の前でおこなわれました。しかしアメリカではもう一つの流れもありました。
1620年、分離派ピューリタンと言われているピルグリムファーザーズ(巡礼)がメイフラワー号でアメリカのケープゴッドへ移りました。そして、アメリカ独立戦争が1775年から1783年にかけて起こり、新国家の指導者は国定宗教をどれにするか悩みました。1791年、全国民に信教の自由を認めるという国家憲法が成立し、多数の信教派が出現しました。
 1840年から1850年にかけてのアメリカ合衆国は、人口こそ2000万人程度でしたが、国民は精力的で、大多数が小さな街区(ブロック)に住んでいました。牧師も教会員も宗派から宗派への改宗が頻繁で、小宗派(セクト)が多数生じました。
 1848年、心霊科学(スピチュアリズムspiritualism)が興りました。事の始まりはニューヨーク州のハインズヴィルという村で事件が起きた事件がきっかけです。以下に、『無意識の発見』から引用します。
3年間空き家になっていた貸家に1847年12月、フォックスという家族が入居してきました。住み始めるとすぐに、物をたたくような音が地下室や寝室で鳴るようになったといいます。ラップ音と言います。さらには子どもたちが冷たい手で顔をなでられたり、家具を動かすような音が聞こえたりもするようになりました。1848年3月、いつもの音に加え、窓の戸が激しく鳴った。妹のケイトが音のするほうに向かって、「お化けさん、私のするようにしてごらん」と指を鳴らしました。するとそれにあわせて同じ数の音が返ってきました。姉のマーガレットが同じようにして、手を4回叩いた。やはり4回返ってきました。それを見ていた母親が「10、数えてみて」と言うと、ラップ音が10回返ってきました。さらに娘の年を尋ねると都市の数だけのラップ音が鳴った。いろいろ質問するとすべてに答えたと言います。それから隣の住民も加わって12、13人で同じような問答がおこなわれました。アルファベットを順に読み上げて途中でラップ音を鳴らすと言うことを誰かが考え出して、それで様々な質問をしていきました。その結果名前を聞き出すことができて、霊と交信するための暗号システムまで発明されました。
 音の主は、31歳の男性で、前にこの家を借りていた人に5年前の0時に殺されました。首を切り落とされ、その翌日の夜、地下室3メートルの深さに埋められたのです。この事件は新聞に載り、あっという間にヨーロッパにも広まりました。地下水が噴出して首は見つからなかったのですが、夏の乾燥期に再び発掘がおこなわれ毛髪や頭蓋骨が見つかりました。この新運動を最初に支持し、積極的に動いた人たちの中にメスメリストたちの姿があったのです。この心霊術の動きは1852年にはヨーロッパにまで広がっていきました。
 心霊術師が導入した自動書字は心理学者の無意識を知る手がかりとなりました。心霊術は人間の心理を知る手がかりを心理学者や精神病理学者に与えるきっかけともなったのです。つまり、心への接近方法を与えたわけです。ナンシー学派やサルペトリエール学派が起きたのもこうした動きによるものでした。
 ところが、それから56年後の1904年11月23日に、地下室の壁の奥から、身体の骨と行商人用のブリキの荷物入れが発見されました。これがボストン・ジャーナルをはじめとした新聞に報じられ、死後の霊が地上にいることを研究する心霊科学が始まった事件となったのです。
 余談ですが、私も若い頃自動書字の経験があります。ある患者さんにメモ紙を渡して、お家の様子を説明してもらっている内に彼女の様子が急変し、ぶつぶつと独り言を言いながら、メモ紙にある文章を書き綴っていったのです。その内容が、彼女が私に伝えたいけど口にすることが許されない内容だったのです。
 今日の自由世界と違って、当時は、倫理的・慣習的に口にすることが許されないことが多かったのでしょう。ですので、病んでいる人の本音(意識されない無意識のこころ)を自動書字によって知ることで、言い換えると言葉にすることで患者さんの葛藤が明らかになり、症状として流れていた精神エネルギーが自由になって症状がなくなっていたわけなのです。
X ナンシー学派とサルペトリエール学派
 1.ナンシー学派
 1860年−1880年代は、磁気術と催眠術は悪評にまみれた時代。
 リエボーは、そのなかであえて公然と催眠術を20年間も無料でおこなったので、インチキ医者で馬鹿だと批判されました。
 ベルネームは、ナンシー学派のリーダーで、リエボーの奇蹟的治療の噂を聞いて弟子
入りしました。この高名な内科の教授の行動は一つの事件でした。ベルネームはリエボーの業績を医学界にひろく紹介しました。ちょうどシャルコーが催眠術に関する論文をアカデミーに発表した直後で、彼は「催眠はヒステリーに特有のものではなく、暗示の結果だ」と主張してシャルコーに反対しました。被暗示性を“観念を行動に変形する適正”と定義し、人間がすべて持っている性質で、ただ程度の差があるだけだ、と考えました。しかし時とともに催眠術を使わなくなり、催眠術によって得られるような効果は覚醒状態における暗示でも得られると主張するようになりました。ナンシー学派はこの心理的プロセスを「精神療法psychotherapy」と呼びました。
 やっと精神科医の対話による治療、すなわち「精神療法」という用語が産声を上げたのです。その中には暗示、説得、是認、指示、忠告、支持、解釈、などといった技法内容が含まれますが、基本にはこの暗示を成立させる患者と医師との間の「信頼感」が重要です。転倒して泣いている子どもを母親は抱えあげて、「痛い痛いの飛んでいけ」と唱えると、痛みは和らいで子どもは泣き止みます。この子どもの母親への信頼が暗示の始まりなのです。逆に言うと、信頼の置けない主治医から「大丈夫」と言われても安心できないのは必然的なことですね。
 2.サルペトリエール学派
 シャルコーは1825年にパリに生まれました。36歳のとき転機が訪れます。彼はサルペトリエール病院の一つの病棟の医長に指名され、ここでてんかん患者の痙攣を模倣するヒステリー患者の観察をおこなって、1878年に催眠術研究に着手したのです。その成果は1882年にアカデミーに発表されました。「催眠状態は嗜眠、カタレプシー、夢中遊行の三段階を経て展開する」と主張して、アカデミーに催眠術を受け入れさせたのです。外傷性麻痺についての研究のなかで、麻痺を催眠下で消失させたり、催眠にかかりやすい患者を選んで、「あなたの腕は、目が醒めかけのときに私が背中をポンと叩くと途端に麻痺するでしょう」と暗示をかけました。背中を叩かれた途端に患者は外傷後麻痺と同じ形の麻痺を起こしたのです。シャルコーは催眠術の現象はヒステリーに悩む者においてのみ惹き起こされ、それ自体異常性の現われであると考えました。この点でナンシー学派から非難されることになります。
 1893年、シャルコーの死んだ年には催眠研究は衰退を見せはじめました。催眠療法は患者の尊厳を損なう治療法だという非難の波が押し寄せたのです。暗示でさえ、それが患者の人格の自動的な部分、したがって劣った部分に働きかけるという理由で咎められました。その先鋒はかつてベルネームの弟子のデュボアで、彼は暗示を非道徳で危険だとみなし、暗示の代わりに「説得」を用いて、説得は患者の意思に呼びかける、理性的な手法だと主張しました。しかし、感情によって生まれる信頼の雰囲気がなければ、つまり患者に自信をもたらす情動の助けがなければ、精神療法は可能でないというデジュリーヌの見解もありました。
Y.日本では
 江戸時代中期から後期にかけての精神疾患の治療は一部の漢方医たちが精神病の診断や治療に取り組み始めました。と同時に蘭学が流入し、オランダ医学書から多くの精神科的病名や症状名が翻訳され紹介された時代でもあります。中でも神経症の治療については、和田東郭(1744−1803)の「移精変気」が有名です。和田は摂津高槻の人で、癲狂(狂気)を癲と狂とに分けました。癲の広義のものは、神経症、小児驚、てんかん、居眠り病、狭義精神病を含んでいました。症状が生起し消退する疾患の総称が「癇」です。狭義の癇は肝疾ともいい、現今の精神神経症、ヒステリー、神経質に相当します。狂は狭義の精神病にあたります。癇に対して和田は、一種の説得療法、移精変気の術、睡眠療法(おおいに運動させて、疲れたところに、温めていた酒を飲ませて、熟睡させる)、薬物治療、灸を用いました。それを徹底して活用したのが東北白石の医師今泉玄佑です。今泉は嘉永3年(1850年)に『療治夜話』を著し、その中で独自の「移精変気」の法を述べました。移精変気とは、精神を移し変え、心気を変え改める、ということです。「心に迷いを生じたために病気になることがある。その迷いをつきつめ、それを患者に分からせて迷いを解き、病気を治す方法が移精変気の法である」という考え方はとても今日的です。
 症例:59歳の大工の後家。8人の子どものうち7人を流行病で次々に亡くし、残った1人も病気でなくなったばかり。それ以来、めっきり弱り、鬱々と思い悩み、身の不幸を嘆いては泣いていた。毎日、「死にそうだ」と言っては騒ぎ、食欲もない。呼ばれて診察した和田は「このようなことで騒ぎたてるとは、何たる愚か者か」と一喝した。一喝して、自分の病気に向けていた注意を転向させた。すると患者はそれまで閉じていた目を開けた。すかさず、「生死は皆、天命である。人間は遠からず死ぬことに決まっているのだが、その決まったことにうろたえ、騒ぐものではない。病気になるのは祖先の恩を忘れ、わがままに自分の気を迷わすからなるのだ」と言い聞かせた。その結果、症状は消失したのです。
Z.現代
 その後、催眠術の末裔たちは、再び20世紀になってトランスパーソナル心理学としてアメリカで登場します。トランスパーソナル心理学は、1960年アメリカ西海岸で誕生しました。トランス心理学のトランスはtrans越えるという意味で、トランス(没我的な恍惚状態)状態のtranceとは違います。スピリチュアリティspiritualityと現代心理学の統合を目指す心理学です。人間存在を全体的な存在として、とりわけそのスピリチュアルな側面を重視します。アイデンティティや自己感覚が宇宙大に拡張していく、神秘体験などのトランスパーソナルな体験の価値を積極的に認めていくのです。エクスタシー、至高体験、神秘体験、超越体験やシャーマニズムを再評価するので、科学からはどんどん離れて行くので医療の領域では行なわれません。
催眠術から離れて今日の精神療法の土台を作ったフロイトは、その内容については精神科読本30『フロイトの精神分析』で述べる予定ですが、心霊現象を思考の全能の所産とみなし、この思考の全能はアニミズムや原始的な心性によるもので、この原始的な心性を合理的な自我と知性によって乗り越えなければならないと考えました。1921年のキャリントン宛の手紙には「心理現象を非科学的であるとか、信じるに足りないものであるとか、ひいては危険なものであるとして、頭から否定することも非科学的である。ただ、私はこの領域にはまったくの素人なので、臨床家として発言する柄ではない。それだけに、心霊術とは縁もゆかりもない精神分析と、このまだ未制服の学問分野とを峻別することが私にとって重要である」と、精神分析を科学として扱っていこうとする強い主張が窺えます。

参考文献
1.フロイト:『精神分析運動の歴史について(1914)』日本教文社、1969.
2.アンリ・エレンベルガー:『無意識の発見上(1970)』弘文堂、1980.
3.L.シェルトーク、R.ド・ソシュール:『精神分析学の誕生―メスメルからフロイトへ―(1973)』岩波書店、1987.
posted by 川谷大治 at 15:06| Comment(0) | 日記

精神科読本20「ヒステリーという病」

精神科読本20「ヒステリーという病」(2017年改訂版)
ヒステリーという病
T.ヒステリーとは?
 今回は長いあいだ温めていた『ヒステリー』について解説します。ヒステリーを抜きに「こころの病」を語るのは画竜点睛を欠く、と言っても過言ではありません。私たち人間は自分の想像を超える事態に遭うと、それを解決できないこととして判断を保留することが苦手です。誰かのせいに、あるいは人間の能力を超えた神や悪魔のせいにしたがるものです。ヒステリー者もそうでした。中世期のヨーロッパでは魔女狩りに遭って火炙りの刑といった残虐な扱いをされてきたのです。
 モーツアルトのオペラ『コジ・ファン・トゥッテ』(1790)の第一幕の終わりに偽のヒ素を飲んで死んだふりをする若者に医師に扮したメイドが磁気治療を施すシーンがあります。当時、ヨーロッパで流行していた磁気治療を風刺のきいた芸に仕立てたようです。直に磁気治療は催眠による効果だと明らかになっていくのですが(精神科読本21『精神療法のはじまり』を参照)、ヒステリーはフランスの神経学者シャルコーらによって解明され、ヒステリー症状は暗示によって出たり消えたりするということが明らかになりました。フロイトはウイーンに戻り、ヒステリーの暗示説を精神医学に取り入れてヒステリーの催眠治療に没頭したのですが、催眠術がそれほど得意ではなかったために、暗示を捨てて意識下の中でおこなう自由連想法を編み出して精神分析を起こしました。
 そしてフロイトは、ブロイアーと共著で『ヒステリー研究』(1895)を世に出しました。モーツアルトのオペラから約100年後です。その内容については精神科読本25『外傷後ストレス障碍PTSD』で詳しく説明しますが、ヒステリーの原因を幼少期の性的外傷体験に求めたのです。フロイトが活躍した20世紀になってようやくヒステリー症状を科学的に扱う時代が到来したのです。
U.ヒステリー症状について
 私が研修医1年目の冬、ある男子高校生Z君の外来治療を担当することになりました。内科、脳神経外科から紹介された患者さんで原因不明の「左眼の視角異常に始まる左頭部痛、全身脱力による失立・失歩、意識消失を伴う左半身の痙攣」といった一連の発作が主訴でした。彼の母親は私の心因説に疑問を抱き、霊媒師にお祓いをしてもらったら「子どもの症状は、父親が誤って山の神様の石塚を踏んだ祟り」だと言うのです。いつの時代になっても理解できない現象に出くわすと誰かのせいにしたがるものです。霊媒師は彼の母親の気持ちを読んで「父親が山の神様の石塚を踏んだ祟り」だと言って父親のせいにしたのです。
 さて、話は変わりますが、ヒステリーを治せないと精神科医としては一人前とは言えません。ヒステリー者の症状は周囲の関心と注目を強烈に引くので、治すとヒーロー、治せないと悲惨な結果が待ち受けています。加えてヒステリーは若い女性に多く医療関係者にとって好き嫌いの激しい病気の一つです。ヒステリー者に陰性感情をもつ人たちは「症状はわざとしている」と仮病扱いする人も少なくありません。特に同性の看護師にはとても評判が悪い。一方、若い精神科医はヒステリーの症状の成り立ちに魅了されると同時に、巻き込まれて収拾がつかない状態になることもあって、好きか嫌いに分かれます。関わる者を好きか嫌いに二分するヒステリー症状はどんなものなのでしょうか。ヒステリー症状は男性にも起きますし、ヒステリーが嫌われる理由は、実はヒステリー性格の中のBad Hysteria(DSM−5では演技性パーソナリティ障碍に相当)なのであって、ヒステリー症状を呈する人たちが必ずしも嫌われやすいわけではありません。
 1.ヒステリー症状とは
 ヒステリー症状は一般的に転換型と解離型に分類されますが、臨床的には両者が混在するものが多い。アメリカ精神医学の診断基準DSMでも二分して記載されていますが、ヒステリー者は状況によって転換症状や解離症状を呈する人が多いのです。DSM−5では、身体に現れる転換型症状は9章「身体症状症Somatic Symptom Disorder」に、意識が変容する解離型症状は8章「解離症群Dissociative Disorders」にそれぞれ投げ入れられています。
 私の研修医時代のZ君の症状を再度見てみましょう。彼は授業中に教壇に立つ先生の顔だけが見えなくなるという症状から始まりました。そのうち、「左眼がチカチカし出して、左頭部の頭痛が起こり」、急に全身の力がなくなり、立つことも歩くこともできなくなって、心配した教師やクラスメートの前で「急に左半身のみが痙攣し出して、周囲の問いかけにも反応しくなった」と言います。保健室に運ばれて、しばらくして意識が戻るのですが、痙攣していた時のことは全く記憶にないと説明しました。
 彼の症状はDSM−5の解離症群と身体症状症の二つが存在します。発症状況は学校の授業中です。解離反応を引き起こすような直接的なストレスは現実にはありません。治療の過程で明らかになったのは、進学校に入学したものの学業成績が芳しくないことと、親元を離れた寮生活で勉強しなくなって親の期待に応えられなくなった、という心の中で起きている葛藤状況でした。
 それでは、ヒステリー症状の説明に入りましょう。
 1)身体に現れる転換症状(DSM−5の翻訳では変換症と訳されています)
  運動機能や感覚機能には何ら問題ないのに異常が起きる症状です。例えば、脱力や麻痺、異常な動き(振戦、ジストニア運動、ミオクローヌス、歩行障碍)、嚥下症状、発話症状(失声症、ろれつ不良など)、けいれん発作、知覚麻痺または感覚脱失、特別な感覚症状(視覚、嗅覚、聴覚の障碍)などがあります。
 2)意識変容を主体とする解離症状
 (1)解離性同一症:いわゆる体重人格と呼ばれる症状のことです。解離性同一症には憑依型もあります。私は若い頃、朦朧としている患者に「あなたは誰ですか」と問うと「(本名の)W子」、「悪魔」、「預言者」と答えて、それ以上質問すると「神様、私と結婚してください」と混乱した症例を治療したことがあります(自著『思春期と家庭内暴力』に収録)。解離性同一症者には以下に説明する解離性健忘が出現します。
 (2)解離性健忘:過去の記憶が限局的、選択的、あるいは全般的に忘れ去られ想起することができない健忘症である。一般的には“記憶喪失症”と言われる病態です。
 (3)離人感・現実感消失症:これらの症状はとても苦痛で「カプセルの中にいる」「自分が自分でない」「自分がない」「生きている実感がない」などと患者は苦悩します(臨床ダイアリー14『ウィニコットの破綻恐怖について』を参照)。
 2.ヒステリー症状には意味がある
 フロイト(Freud)はヒステリーの研究から精神分析を編み出し、その過程で独自の神経症論を打ち立てました。それはアメリカの自我心理学へと受け継がれ、フロイトの精神分析はその後の神経症論に大きな影響を与えたのです。フロイトは「(神経症の)諸症状には、夢および失策行為と同じように無意識的な意味があり、神経症の症状を呈している当人の生活と関連がある」と述べて神経症を体系化しました。例えば、思春期に多い失立・失歩というヒステリー症状には「自立したくない」という無意識の心があります。Z君の左半身の痙攣発作は、「僕の中に母親にとって自慢の良い子である右半身」と「母親の影響を受けないで自由に生きたい左半身」の両者が葛藤状況で発生しました。母親から離れて寮生活を送るZ君はのびのびと学校生活を送る一方で、成績が急降下して母親の期待を裏切る悪い自分を左半身に投影して、発作中右手で左半身を叩くという動作が見られたのです。
 3.ヒステリーという用語について
 ヒステリーについて解説する本小論なのに、今日の精神科臨床ではヒステリーという医学用語を使うことはありません。というのは、ヒステリーという用語に対する先入観と偏見、単症状性の古典的ヒステリーが減少し代わって多彩な症状をもつ多症状性ヒステリーが増加したという時代背景、さらにはヒステリーという用語のもつ多義性(ヒステリー神経症、ヒステリー性格、ヒステリー精神病などを指す)、ヒステリー性格が必ずしも転換症状や解離症状を示すとは限らないこと、神経症の診断学が意味論から症候論への移った(DSM−Vの登場)こと、などが大きな理由です。日常用語で使うヒステリーとは、「ヒスをおこす」「あの人はヒステリックだから」と軽蔑的なニュアンスが強く、精神医学用語とは全く違った使われ方をします。
以上の理由から精神科臨床ではヒステリーという用語は消滅しました。でも、ステリー症状が消えたわけではありません。21世紀の私たちにヒステリー現象が教示するものは多大なものがあると信じています。それが、20世紀後半から起きた解離性障碍への注目です。1970年頃より解離性同一症(多重人格)やPTSD(心的外傷後ストレス障害)が注目されるなかで再び「ヒステリー」は装いを新たに精神科医の関心を引くことになったのです。それは、フロイトが初期に見出し、後に破棄することになったヒステリーの心的外傷論の見直しだったのです。
V.ヒステリー症状の対応と治療
 ヒステリー症状への対応について述べますが、ヒステリー性格と演技性パーソナリティ障碍については別の機会に譲ることにします。
 従来、精神療法を学ぶ初心者にとってヒステリーは好都合な症例であると言われてきました。ヒステリーは治療者の影響を受けやすく、容易に転移神経症を起こすからです。逆に、治療者への不満・不安が治療を複雑にし、泥沼化させる原因にもなるのですが、神経症の成立過程を知る上でヒステリーから多くのことを学んだのです。
 1.精神分析的視点
 先ほど述べましたように、精神分析的には「神経症症状には無意識的な意味がある(象徴的な意味)」とべました。この考えをよくあらわしているのが転換症状です。症状は、運動系、感覚系、などに現れ、実にさまざまな症状があります。その無意識的意味とは、たとえば、失立失歩は「自立したくない」、失声は「(不快な事態を招くようなことは)話したくない」、視力障害は「(現実を)見たくない」などのように、「手に負えない観念は、身体的な何ものかに変換されることによって、その興奮の総体が無害なものに変えられているのです」(Freud,1984)。身体現象は意味深い「身体言語」で、それは心的葛藤の代償的満足(反動形成)なのです。そして患者は、病気をすることで現実の苦痛から逃れることができるのです(疾病逃避)。
 1)基本的な心構え(環境か心的葛藤か)
 フロイトは、人間は幼児期のこころの発達において、ある特定の発達段階で問題が生じると、その段階特有の心的葛藤と防衛パターンを形成すること(固着)、そして後年類似の困難に遭遇したとき、その段階の自我状態ないしは対象関係の水準に退行することを見出しました。「自我は、一般的に表現すれば、危険、不安、不快を避けるために種々の手段を用いる(防衛機制)。・・・・・自我の発達過程において、その選ばれた防衛機制は、自我のなかに固着し、その性格の規則的な反応様式となって、その人の生涯を通じて、幼児期の最初の困難な状況に類似した状況が再現されるたびに反復される」(Freud,1937)のです。この反復という現象がとても重要になってきます(臨床ダイアリー「トラウマと反復強迫」を参照)。
転換症状は心的葛藤を刺激し苦痛をもたらす現実からの逃避という側面を意味するので、その対応には、葛藤の解消や環境調整が大切になります。小児や思春期のように自我の未熟性のために現実的問題を解決できないでいる場合、強い不安、興奮を鎮静化するための薬物治療や現実から隔離する意味で入院治療を選ぶとか、実際に困っている現実問題を解決するために環境調整をおこなうことで症状の改善を見ることが少なくありません。特に、現実問題で反応性に発症した場合、不安、興奮が強く、ときに昏迷状態に陥ることがあるので、入院治療のなかで治療者が代理自我の役割を担い、支持的かつ受容的な介入が必要になってきます。成人例の場合も基本的には同じ対応が求められます。ただ、後述するように、入院治療の選択には大きな問題があります。
環境調整は、発病した状況を詳しく聴くことから始まりますが、ヒステリー者から得られる情報は断片的で非常に主観的なものです。患者の言い分は症状のなかに意味深く隠されているからです。そのため、患者の症状と患者を取り巻く関係者から情報を得ることで発病に至ったストーリーが完成されることがしばしばあります。そのストーリーの内容はヒステリー者の葛藤状況の再現でもあります。こうしたストーリーを考慮した上で、(本人よりも主に環境に対して)教育的かつ指示的な介入がおこなわれることが望ましいのです。
 職場や学校、そして家族などの関係者と会うときは、その必要性を患者に十分に説明し、同意を得ることは言うまでもありません。なかには、重要な関係者であればあるほど患者は葛藤的になり、一時的に症状が悪化することがあります。その際、症状の動揺を見ながら、同席で会う方が望ましいでしょう。また、ヒステリー者は多くを語らなくても「治療者は発病に至った状況から救出してくれる」という救済願望(幻想)を抱いていることが多い。そのため、状況の説明をできるだけ言葉で詳しく話すように励ますことが大切です。このような現実的な対応は、患者の幻想に巻き込まれることなく、中立性を保つことにも役立ちます。
 しかし、そうした薬物治療や環境調整だけでは問題解決を見ない場合があります。幼少期のエディプス葛藤が現実問題で揺さぶられて発症した場合です。その場合、精神分析療法や精神分析的精神療法のよい適応となります。パーソナリティ障碍を合併している場合は、その治療過程で技法的な工夫を必要とするのは言うまでもありません。
 2)治療構造の設定(外来か入院か)
 次に、ヒステリー症状の対応で問題になるのは、病気をすることで得た二次性の疾病利得です。特に入院治療の場合がその危険性が高い。ヒステリー症状は、他の疾患と違って、目に見える形で現れるので、入院治療の場合、そのドラマティックな症状が周囲の関心を惹き、二次的疾病利得を招きやすいのです。それは治療者の熱心さにもかかわらず治療に抵抗するので、治療者がヒステリー症状にのみ関心を持ちすぎると、上述したように治療者は「英雄になるか敗者になるか」のどちらかです。
 ヒステリーの治療では、治らない患者に治療者は傷つき、患者を拒絶し、治療は泥沼化する危険性が待っているのです。ヒステリーは現実の心的外傷が発病の契機になっているので、治療者は症状の消失に心を奪われないことが大切です。現実問題が解決を見ないとなかなか症状は治らないし、治っても症候移動syndrome shiftすることがあります。しかも症状を形成している心的葛藤が、治らないという形で治療者患者関係に転移されると、事態は深刻な状態になります。
 そのため、ヒステリー症状の入院治療には慎重な対応が求められるのです。基本的には外来通院治療が第一選択です。よほどの理由がない限り、つまり症状のために通院が不可能であるとか家族との感情的対立がある場合などです、入院治療は避けるべきです。また疾病利得抵抗が生じないような治療の設定が求められます。患者は、「発病に際して家族や学校、勤務先とのあいだに現実的葛藤を引起こしていることが多く、しばしば治療によって、離婚、別居、退学、転校、退職などの現実問題を治療者にもちかけてくることがある。しかし、原則としてそれらのこと自体が神経症的解決法であることが多いので、治療がすむまでは、現在の環境を変えないで治療に入ることを約束しておくことが必要」(西園)なのです。
 3)精神療法の治療過程
 ヒステリー者の心的葛藤に焦点を当てた治療(精神分析や精神分析的精神療法)が適応になるときのポイントは、患者に心に起きること(感情や観念)をできるだけ詳しく言葉にするように励まし、中立性を心がけながら治療を進めていくことです。治療は、症状の意味を含んでいる無意識過程を患者に意識化させることになるのですが、はじめは表層から、ないしは意識内容から扱い、無意識内容へと深めていくことが求められます(洞察療法)。とは言え、上述したように症状にのみ焦点を当てた治療に専念過ぎると、疾病利得抵抗が強化され、陰性治療反応が起きる危険性があるので、環境に適応できないでいる苦痛に焦点を当てた治療を心がけることが大切です。その過程で、発病の契機が幼児期の葛藤の再現であることが理解されるようになるのですが、それは治療者患者関係を通してはじめて患者には生き生きと体験されるのです。こうして患者は、症状の背景にはエディプス・コンプレックスが抑圧されていることを学ぶのです。
2.行動療法
 行動療法は精神分析のアンチテーゼとして登場しました。精神分析はヒステリーを治療モデルに研究され発展してきたのに対して、行動療法は恐怖症や強迫神経症を治療モデルにしています。そして精神分析が「症状には無意識的意味がある」と考えるのに対して、行動療法では「症状には意味がない」と考えます。治療機序も、精神分析が洞察を求めるのに対して、行動療法では行動の変化を求めます。ヒステリー症状は環境(発病状況や周囲)を症状で支配しようとする力動が働くために、症状に焦点を当てた行動療法は不向きだと思います。このように、両者には理論的にも治療機序的にも大きな違いがあり、ヒステリーは行動療法の適応にならないと言えるでしょう。
※本小論は、朝倉書店『実践精神療法事典』に投稿したものに修正・加筆したものです。


posted by 川谷大治 at 14:15| Comment(0) | 日記