精神科読本17『社交不安症SAD』(2017年改訂版)
『社交不安症SAD』
T.社交不安症の定義
本論で扱う「社交不安症」はDSM−5のSocial Anxiety Disorderの訳語です。以前は社会不安障害と訳されていました。socialを社会と訳したことで原義の意味が曖昧なものになるために社交と訳されるようになったのです。先ずはSocietyの意味から説明していきましょう。
1.Society「社会」とは?
誰が“Society”を「社会」と訳したかを調べてみました。広辞苑には福地桜痴による翻訳語と出ています。訳語が成立した経緯について柳父章著『翻訳語成立事情』(岩波新書)を参考に説明しましょう。明治になって西欧語の翻訳が国家的規模で進められました。Symphony を「交響曲」と訳したのは夏目漱石です。Skyを「空」と訳したのは森鴎外です。それまではSkyを日本人は「天」と呼んで、Skyは先祖の霊や神々の住まう所でした。それが何もない「空」と訳されたわけですからびっくりですね。ところが、Societyに相当する日本語がなかったので、当時の知識人はSocietyをどう訳するのか、とても苦労したようです。福沢諭吉は、人間交際、交際、交わり、国、世人、などと訳しました。中には、世間、仲間、世俗、仲間会社、などと訳した人もいます。
オックスフォード英語辞典では、“Society”とは
1)仲間の人々との結びつき、とくに、友人同士の、親しみのこもった結びつき、仲間同士の集まり。
2)同じ種類のもの同士の結びつき、集り、交際における生活状態、または生活条件。調和の取れた共存という目的や、互いの利益、防衛などのため、個人の集合体が用いている生活の組織、やり方。
1)の意味は狭い範囲の人間関係を表していますが、2)の方は広い範囲の人間関係のことです。福沢諭吉は1)の意味で訳しているのが分かります。ところが2)の意味に相当する日本語がなかったのです。日本では、国や藩は身分として存在しているのであって、個人を単位とする人間関係がなかったからなのです。それで世間、世俗、仲間社会などと訳されたのです。社会という訳語は非常に曖昧なのです。福地は、「社会」と訳するときに、「社で人々が集い会う」という意味をこめました。「社」という言葉は、同じ目的を持った人々の集りや、その名前をさす使い方で、明治以前からありましたから、「社で会う」としたのではSocietyの意味を成していません。どう訳したらよかったのか。今なら「ソサイアティー」とでもカタカナで表記するのでしょうか。
一世紀を経て、「社会」という訳語は私たちの生活に定着してきました。しかしこのとは、Societyに相当するような現実が日本にも存在するようになったかというとそうではありません。それどころか、「社会に出る」、「社会が悪い」という言い方にあるように、世の中、世間を意味するほうに移ってきているのです。そうすると、「社会恐怖」は世の中が恐い、世間が恐い、という意味になるのです。これは本来のSocial Phobiaという意味からずーっと離れてきます。
2.社交不安症の定義
さて、DSM−5の社交不安症(SAD)の診断基準を見てみましょう。
A.他者の注視を浴びる可能性のある1つ以上の社交場面に対する、著しい恐怖または不安、例として、社 交的なやりとり(例:雑談すること、よく知らない人に会うこと)、見られること(例:食べたり飲んだ りすること)、他者の前で何らかの動作をすること(例:談話をすること)が含まれる。
B.その人は、ある振舞いをするか、または不安症状を見せることが、否定的な評価を受けることになると 恐れている(すなわち、恥をかいたり恥ずかしい思いをするだろう、拒絶されたり、他者の迷惑になるだ ろう)。
C.その社交的状況はほとんど常に恐怖または不安を誘発する。
注:子どもの場合、泣く、かんしゃく、凍りつく、まといつく、縮みあがる、または、社交的状況で話せ ないという形で、その恐怖または不安が表現されることがある。
D.その社交的状況は回避され、または、強い恐怖または不安を感じながら耐え忍ばれる。
E.その恐怖または不安は、その社交的状況がもたらす現実の危険や、その社会文化的背景に釣り合わな い。
F.その恐怖、不安、または回避は持続的であり、典型的には6ヶ月以上続く。
G.その恐怖、不安、または回避は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な 領域における機能の障害を引き起こしている。
H.その恐怖、不安、または回避は、物質(例:乱用薬物、医療品)または他の医学的疾患の生理学的作用 によるものではない。
I.その恐怖、不安、または回避は、パニック症、醜形恐怖症、自閉スペクトラム症といった他の精神疾患 の症状では、うまく説明されない。
J.他の医学的疾患(例:パーキンソン病、肥満、熱傷や負傷による醜形)が存在している場合、その恐 怖、不安、または回避は、明らかに医学的疾患とは無関係または過剰である。
具体的に、不安を引き起こす状況として以下のようなものがあります。
大勢の人の前、目上の人、異性、交際、スピーチ、朗読、談話、電話、会食(同じテーブルで食する)、視線(人から見られる)、正視(視線を合わせる)、思惑(グループの中で皆を白けさせるのではないかと危惧する)
そして不安は身体に現れます。
赤面、表情(顔が引きつる)、吃音、震え(手や声)、発汗、硬直(身体が固まる)、嘔吐、意識喪失、頻尿、便意、尿閉(公衆便所で排尿できない)。
以上を恐れるのです。
結果的に社会に出るのが恐くなるのでしょうが、社会を恐れているのではないことがはっきりしたと思います。「人と会う、接するのが恐い」というのが社交不安症の基本病態なのです。ここに訳語の問題点があるのです。
3.社交不安症の有病率など
1)有病率
アメリカの報告ではSADの生涯有病率10%以上(3〜13%)です。うつ病の発病率に匹敵します。ここで疑問を感じた人は勘が鋭い方です。アメリカ人は陽気でゼスチャー交じりによく自己主張する人たちではなかったのか。われわれ日本人のように恥ずかしがり屋で内気な人間が社会的問題になるくらいに多いのか、と。ある研究では「人前で話したり行動したりすることに対する強い恐怖を20%の人が報告していたが、社会恐怖と診断できるほどの障害または苦痛を体験しているのは、約2%に過ぎなかった」と明らかにしました。たとえば、「最近、人の目が気になるのよね」とこぼす人にチェックリストをあげて、評価してみると意外と高かったりすることがあるのですね。だからといって病気だとは限らないのです。
2)経過
SADは「典型的には10台半ばで発症するが、小児期に対人関係の制止や人見知りの形で現れることが時にある」。「経過は持続性の場合が多い。期間としては一生続く場合が多いが、成人期に障害の重症度が弱まったり、寛解することもある。障害の強さは、生活上のストレス因子や要求に伴って変動することがある。例えば、デートをすることを恐れていた人が結婚をして社会恐怖が消え、配偶者が亡くなった後に再びそれが現れるということもある」と説明しています。対人関係の質によって不安が強まったり弱まったりするということなんですね。当たり前の話なのですが、このことは治療のところで再び問題にしますので記憶しておきましょう。
U.わが国の対人恐怖症とDSM-5の社交不安症(SAD)
アメリカ人にこんなにナイーブで神経質な人がいるとは思わなかった、と思った人もいたでしょうね。私たち日本人であれば、SADは医者でなくても「対人恐怖症」と診断できるポピュラーな病気です。昔、電信柱に「赤面恐怖は治ります」と書かれた広告をよく目にしました。今日でも、朝刊に「対人恐怖症はこうして治す」といった本の紹介を目にします。それでは私たちにとってポピュラーな「対人恐怖症」はSADと同じ病気なのか違う病気なのか、について説明しましょう。
1.わが国の対人恐怖症の研究
1960年に東京慈恵医大の精神科教授森田正馬先生は『神経質の本態と療法』を出版しました。その中に、対人恐怖症のことを述べています。「赤面恐怖とは、人前で自分の顔の赤くなることを苦にするもので、つまり自分は、気が小さくて、恥ずかしがり屋である、こんなことでは一人前の立派な人間になることは出来ないと悲観し、苦悩する」、「自ら人前を気にすることを恐怖する(強迫)」と描写しています。そしてこの病気は森田療法で治癒すると主張し実践したのです。対人恐怖とは社会が恐いのではなくて人前を気にすることだと定義しているのです。1972年には名古屋大学グループによる研究が報告されました。笠原先生らは『正視恐怖・体臭恐怖―主として精神分裂病との境界例について』を出版し、わが国の青年が経験する対人恐怖を4型に分類し、その分類は広く使用されました。
1群:青年期に一時的に見られるもの
2群:恐怖症段階にとどまるもの
3群:関係妄想性を帯びているもの(重症対人恐怖)
4群:前統合失調症症状、統合失調症回復期にみられるもの
3群を「重症対人恐怖」と呼んで、「自分の視線や体臭が他者を不快にしたり傷つけたりすることを恐れる病態」と定義しました。そして1977年に、北海道大学の山下格先生は、対人恐怖症を「相手に不快な印象を与えたくない、嫌われたくないという願い、そして自分が相手を不快にさせ、嫌われるという恐れである。それは本人の基本的な対人態度に関連するものである」と考えました。そして緊張型対人恐怖と確信型対人恐怖(自己臭や醜貌恐怖が妄想的に確信される)の2型に分類したのです。笠原先生の2群と山下先生の緊張型対人恐怖がDSM−5のSADに相当します。しかし当時、日本で研究された対人恐怖症という疾病概念は日本独自の文化に根ざしたもので欧米にはないと見向きもされなかったのです。
やがてDSM−VからSADが注目を浴びてくるのですが、笠原先生の3群や山下先生の確信型対人恐怖はDSM−Wでは文化結合症候群の1つとして“Taijin−Kyoufusho”(TKS)と呼ばれ、身体醜形障害あるいは妄想性障害身体型と診断されました。または、SADの他者影響型(offensive type)とも呼ばれ、通常のSADとは区別されているのです。それは、通常のSADは、単に「周囲に見られているかもしれない」ことを過剰に心配するのが定義だからです。
ポイント@
わが国の対人恐怖症の軽症型がDSM−5のSADで重症型が身体醜形障害あるいは妄想性障害身に分類される。
V.社交不安症の原因と治療
日本の文化に根ざしたものと考えられていた対人恐怖症なのですが、実は欧米人にもその軽症型が高い率で存在していることがわかりました。そして日本では、その原因を性格論に帰着しましたが、アメリカではSADの原因は性格ではないときっぱり否定しています。詳しく議論する余裕がないのですが、これは治療に関する考え方にまで及ぶ大きな問題でもあります。
1.社交不安症の原因
遺伝的要因と環境的要因の二つが複雑に関与している、ということは多くの人に受け入れられています。
1)遺伝的要因
近親者がSADを発症すると近親者の発症リスクが5%から16%に増加するという報告があります。遺伝子レベルでの研究も盛んに行われています。ある人が不安になったときに、その不安をどう処理するかは、脳の不安の処理システムによることが大きいわけですから、親の体質の影響を抜きにしては考えられないでしょう。その傾向を性格と呼んでも構いません。たとえば、人前で緊張すると赤面する体質の人とそうでない人がいるように、赤面する人の方がSADになりやすいでしょう。
2)環境的要因
遺伝的要因よりも影響が大きいのは環境的要因でしょう。家庭環境、養育態度、同胞順位などが関与しています。環境的要因に関する研究はわが国の独断場なのですが、残念なことに英語の論文にしていないので海外ではあまり知られていません。環境的要因について説明しようとするなら、もう二部ほど必要になるほどわが国の研究は豊富なのです。遺伝的要因と環境的要因によってSADになりやすい性格が形成されていきます。性格の中に甘えの抑圧や二重性が見出されます。これが、あるできごとをきっかけに意識に上ったときに不毛の思考の連鎖が生じ、発症するのです。
3)私の注目するミラーニューロン
20年前の1997年のことです。私の患者さんの赤ん坊が8ヶ月になったばかりでした。母親の診察時に抱かれていた赤ん坊は私の方をじっと見ていました。私はお返しに舌で音を出してみせました。それに赤ん坊が興味を示したので、何度も私は舌を鳴らしました。すると驚いたことにその赤ん坊は私と同じように口を開けて自分の舌を鳴らすしぐさをし始めたのです。思想家ロジェ・カイヨワは「生物はその環境の中で自分が虜になったものになる」と考察しています。野うさぎは冬には白い毛に生え変わり、夏には茶色になります。ウサギが意識してそんなことをしているのかどうかは分かりませんが、環境の一部に成り変るのは事実です。フランスの精神分析家のラカンは1936年に赤ん坊の鏡像段階論を発表しました。赤ん坊は未熟児で産まれるので、自分の未熟さにどう対応するのかが生きるために重要になってくると考えたのです。ラカンは「赤ん坊は自分自身の外部イメージに自己同一視する」と結論しました。未熟児で生まれた赤ん坊は自分が目にする対象(多くは養育者)を模倣することで身体の新しいコントロールの仕方を学ぶというのです。優れた見解ですね。
そしてラカンの発表から60年後の1996年にある事件が起きました。イタリアの脳神経の研究者によって猿の前頭葉にミラーニューロンが発見されたのです。人間では言語に関するブローカ野の周辺で見つかりました。ミラーニューロンとは、他人の行動を見て自分も行動している気分になるニューロンの集まりのことです。最初は模倣段階なのですが次第に脳は共感能力(心の成り立ち)へと発達していきます。最初は相手のふりを模倣することから相手になりきることを学んでいくのです。日本では幼い頃から「相手の身になって考えること」を徹底して教え込まれます。一方、欧米では生きていくために自分を主張することを教えられます。この「相手のことを考える」ということは共感能力の獲得につながり、それによって以心伝心のコミュニケーションが出来るようになっていきます。
もしそれが何らかの原因で妨害されたとしたら対人関係に支障が発生するでしょう。遺伝的要因や環境的要因がそれです。その時期と程度とによってある人の場合は自閉症になり、ある人の場合は対人恐怖症やうつ病になりやすい体質や性格になるのだと思います。SAD の患者は自分が環境の一部になれなくて、自分だけが浮いてしまうと恐れているものです。この鏡像段階にSAD の原因がある、というのが私の基本的な考えなのです。冬になっても茶色のままの野うさぎを想像してください。このことは自尊心と強く関連しています。
ポイントA 私の考えではSADの原因は幼少期の鏡像段階にある。
2.社交不安症の治療
さて、SADの治療に移りましょう。アメリカの治療指針では薬物治療を第一に考えています。それは今日の生物学的研究の成果でもあります。
1)「箸(ハシ)」の理論
U‐1で紹介した森田教授は対人恐怖症の患者の心理を見事に説明しています。
ある大学生が学生食堂でクラスメートと昼食を摂っていました。その時、彼は自分の箸の持ち方が皆と違っていることに気づきました。彼の箸の持ち方が幼児のそれに近かったのです。彼は瞬時に箸を置いて具合が悪いと言ってそれ以上食べるのを避けました。そして翌日からは箸を持たないで済むカレー、チャーハン、パスタ類を食べるようになった。ところが、フォークやスプーンばかりだと自分が箸を使えないことがバレルのではないかと思って、遂には皆と一緒に昼食を摂るのを避けるようになったのです。避けることで恥掻かないで済みますが、今度はテーブルを挟んで食事していることを避けているのではないかと考えて、学校に出てくることすら怖くなったのです。
森田教授は、「彼の失敗は箸の持ち方を治すのではなく隠そうとしたことにある」と看破しました。昔から「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」と言います。この箸の理論は社交不安症の人たちに「恥」の問題がひそんでいるということを教えてくれます。恥掻くことを恐れる心理がますます不安を高めるのだと森田教授は説明したのです。
2)生物学的研究と薬物治療
SADでは線条体のドパミンD2受容体結合性の低下とドパミン再取り込み部位の減少、セロトニン機能の低下、海馬−扁桃体の活動性の上昇をセロトニン放出増加が減弱することによって不安・恐怖を減少させる、という研究が報告されています。問題は上記の事態が何によって引き起こされたのかということなのですが、現段階では分かっていません。わが国の対人恐怖症の研究はその先を行っているので、今後生物学的研究とわが国の対人恐怖症の考え方のドッキングがあると面白い学説が生まれるのではないかと思います。
薬物治療の第一選択薬はSSRIです。欠点は効果発現が遅い(6〜8週目)こと、少なくとも1年以上の使用を必要とすること、薬を止めると再発しやすいので、長期にわたって使用しないといけないといけないことです。アメリカの研究によると薬物治療の効果は50%程度だといわれています。残り50%は芳しい効果を挙げていません。とするとどうしましょう。
3)精神療法
SADの治療には精神療法があります。森田療法と精神分析療法がありますが、精神分析療法では古典的な方法だと治療中断が多く治療的工夫を必要とします。アメリカでは認知行動療法が盛んに行われ、日本にも輸入されて関連書物も数多く出版されています。ネットで社交不安症の精神療法とキーワードを打つと認知行動療法が出てきます。
いずれも時間と治療費の制限があります。川谷医院では2つの治療様式を用意しています。1つは1回50分の精神療法を臨床心理士に担当してもらって薬物治療を精神科医が行うやり方で、ATスプリット治療と呼びます。これだと経済的負担が軽くなります。もう1つは通常の精神科診察の中で精神科医が薬物治療を行いながら精神療法的面接を行うやり方です。これで十分に良くなる方もいます。ただ精神分析療法のような自分探しの面白さ、その後の物事の考え方や感受性の変化は少ないかもしれません。
アメリカの一般的な治療法は、SADを弱気で内気で神経質な性格のせいではなくて、生物学的に考えていこうとします。あくまでもアメリカ人は内気、引っ込み思案といった内向的な性格のせいにはしたくないのです。それで、人間の心をシナプス次元で考え、薬物治療を行っていくのです。一方、わが国では、弱気で内気な性格と強気で傲慢な性格の二重性、森田療法では精神交互作用、精神分析では甘えの抑圧、にその病因を求め、治療に当たってきました。このような考えを医学教育のなかで教える精神科教室が少なくなったこともあって、最近の精神科医はアメリカ的思考に傾いてきています。要は患者さんのニーズにあったアプローチを行うことでしょう。
先のDSM−5の説明の中で「人間関係の質によって不安が強まったり弱まったりする」ということの重要性を指摘しておきました。この人間関係の質を治療者である私との関係と置き換えて考えて見ましょう。私との関係が安定し、信頼関係によって安心感が得られるのであれば、不安は軽減され、SADの症状も軽くなるでしょう。治療関係が安定するためにはセラピストと患者さんはどのような努力をするとよいでしょうか。最後に、精神療法(セラピー)を成功させる秘訣を以下に述べておきましょう。
1.セラピスは誠実に患者さんの話に耳を傾ける。患者さんは恥ずかしいことやつまらないと思うことに思わぬ宝物が見つかることがあるので、あらかじめ考えた話よりもその場その場で思うつくままに話すことが治療に役立つことがある。
2.症状がセラピストとの間で起きたときに治療の展開が見られるので、治療を中断させないこと。一時的に悪くなるときは治療の展開が起きる可能性が大きい。
3.セラピストに分かってもらえない、助言をしてくれない、あるいはセラピーに異議を見出せないと感じたときにはそのことを心にしまうのではなくて、言葉にして伝えてみること。
4.不安の対処の仕方は脳のシナプスレベルで調整されているので、薬物治療も捨てがたい。
5.セラピストとの関係に似た対人関係が診察以外の場でも起きることがあるので、対人関係に注目してみること。そのときに誰が悪いという犯人探しをしない。
6.そのパターンを知ることで自我が自由になり偏った考え方から脱出することが出来るようになる。
7.セラピストとの関係の中で、自分が大切にしてきたもの、つまり誇りに気づき、「純なこころ」に触れることが出来たら治療は終わりです。
X.まとめ
駆け足で社会恐怖(社交不安症SAD)を説明してきました。饒舌で要領を得ない文章でくたびれたのではないかと心配しています。読み直すと、あれも書きたいこれも書きたいと欲が出てくるのですが、例えば内沼先生の『対人恐怖の人間学』にも触れたかったし、森田先生が発見した「純なこころ」にもっとページをとりたかったのですが、欲はいけません。これで終わりにします。
2017年07月09日
精神科読本17「社交不安症SAD」
posted by 川谷大治 at 13:51| Comment(0)
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