2017年07月09日

精神科読本16「フリーター・ニートからの脱出」

精神科読本16『フリーター・ニートからの脱出』(2017年改訂版)
               フリーター・ニートからの脱出
T はじめに
 2004年4月現在、正社員として働いていない若者が450万にも上るといわれています。彼らのなかで対人関係に悩みをもつ者、劣等感からうつ状態に陥っている者、学校に行けないことで親子関係が悪化している者、自分に自信を失い家に引きこもっている者、さらには将来の自分の姿が見えなくなった者が精神科クリニックを受診してきます。
今日は、彼らから学んだことを話そうと思っています。そして不登校や引きこもり青年の心理を理解し、その手立てを考え、これ以上不登校や高校中退を増やさないためにはわれわれ大人は地域の一員として何ができるのかを一緒に考えてみたいと思います。
U 「働くこと」とは?
 「働くこと」についてこんな話があります。長く学校に行けなくなっていたある女子中学生は私の「大人はどうして働くの?」という質問に「税金を払うために」と答えました。「働く」とは、稼いだ金で税金や年金を納めることなのであって、何も自分が生活するためだけではないというのです。確かにその通りだと感心した覚えがあります。憲法にもあるように成人した後は働いて税金を納めないといけないわけですね。
 1.フリーターについて
 本題に入って、フリーターという言葉は、1980年代後半、アルバイト情報誌『フロム・エー』によって造られ、広められた言葉で、学校を卒業しても定職に就かずにアルバイトで生計を立てる若者たちを指します。フリーターはなぜこんなにまで増えてきたのでしょうか。小杉礼子さんの『フリーターという生き方』に、気になる調査結果が出ています。1990年3月に中学校を卒業した若者から正社員離れが進み、未就職のまま仕事をしないで引きこもっている若者やフリーターになる若者が増加し、何と95年3月に中学を卒業した者は9年後には3人に1人は仕事をしていないかフリーターをしているのです。現在30歳前後の若者から正社員離れが進み、現在25歳の若者の3人1人は正社員でない、というのです。
 フリーターを主観的な観点から分類したものが『フリーターという生き方』の中に出てきます。第一は、職業的選択を先延ばしするために、フリーターなったタイプで「モラトリアム型」と呼ばれます。「やりたいことが見つからないから」とか「とりあえず進学するよりじっくり考えたかった」などの理由でフリーターを選んだ人たちです。第二は、「夢追い型」で、バンドやダンスなどの芸能関係の仕事やケーキ職人を目指してフリーターになった人たちです。第三は、「やむを得ず型」で、文字通り本人の希望とは裏腹に周囲の事情でフリーターになった人たちです。就職試験に失敗したとか親の会社の倒産で進学を諦めた人たちです。
 次に、フリーターを選んだ理由を見ると、「自由・気楽」志向からがもっとも多い。フリーターは、時間の拘束がない、嫌ならいつでも辞められる、自分の好きなようにシフトを組んでもらえる、働いた金は自分が好きなようにできる、サービス残業もない、という理由です。もちろん親が生活の面倒を半分はみてくれています。しかしここに落とし穴があるのです。フリーターから正社員に変わる者は、学校を卒業して6、7年経つとその8割近くが正社員になっています。その理由は「正社員の方がトク」とか「年齢的に落ち着いたほうがよい」がほとんどです。「やりたいことが見つかった」という人は非常に少ない。フリーターは、責任がない分、仕事の技術が身につかないのです。正社員で働いていれば、営業マンから内勤に移り、仕事のスキルスを覚えて収入も増えていく。ところが、フリーターをやっているといつまでも仕事人として誇りをもてないし、地位も給料も上がらない、というマイナス面があるわけです。フリーターの若者のあいだで「フリーター28歳定年説」が囁かれています。フリーターをしていたら28歳以上になったらもう正社員にはなれないよってことなんだそうです。
 フリーターを辞めて正社員に変わる人は8割いますが、残り2割はフリーターや引きこもりを続けています。どういう人たちが多いのかといいますと、学校を中退した人たちです。1980年生まれのうち中卒で1万人、高卒で13万人、短大卒で5万人、大卒で15万人、合わせて34万人が学校卒業後、進学も就職もしていない。これに高校中退の12万人、短大中退の1万人、大学中退の4万人を合わせると51万人が将来の見通しもないまま社会に出ているのです。驚くべき数字です。
 2.青年とは何か?
 「モラトリアム人間」とは精神分析家の小此木先生が現代の青年の心理を知るキーワードとしてエリクソンから拝借した言葉で、社会に出るのを先送りしている若者のことです。現代ほど社会的責任を先送りにしている時代が長くなった時代はありません。いつまでも子どもから大人への移行期である青年期が長くなっているのです。かつて青年期はなかったというと皆さんはびっくりされるかと思いますが、本当です。初潮と精通が始まったらもう大人になる資格を得て結婚していたのです。結婚して部族を絶やさないようにすることが大人の使命だったのです。江戸時代は15歳で元服しました。それが現在では、25歳の若者の3人に1人が正社員として働いていないのです。
 それは平均寿命が延びたこととも無関係ではありません。日本人の平均寿命が50歳を越えたのは昭和22年のことです。当時の日本人の女性の生き方は、中学を出ると働いて20歳で結婚。22歳で最初の子どもを産み、40歳まで数人の子どもを出産。夫が50前に亡くなって長男が後を継いで、自分も数年後にはあの世に行く、という生き方が平均的でした。嫁姑の争いも数年辛抱しとけばよかった。
 しかし現在は、女性の平均寿命は約85歳です。それに合わせてか現在の子供はなかなか結婚しません。結婚適齢期の男性の45%、女性の50%しか結婚していないのです。いつまでも親になるのを先延ばししているのです。フリーターから正社員に変わる契機の一つに結婚があります。アルバイトの収入だけでは家庭は成り立たないからです。ですから、結婚しない人が増えたと言うことは「モラトリアム人間」が増えたと言うことでもあるのです。逆に言うと、結婚しないということは、親にはならないということでもありますから、いつまでも子どものままと言い換えてもいいかもしれません。やはり、フリーターの増加は社会の激しい変化に合った動きと言えるのかも知れません。
 3.「大人になること」=「社会化」とは何か
 社会という言葉は、明治時代に欧米の文化を輸入していたときのSocietyの翻訳語です。Societyにぴったりの日本語がなかったので苦心して造られたといいます。日本では人々が集うところは神社の境内なので、「神社で会う」という意味で社会という言葉が造られたのです。われわれが社会で生きていくということの中に、人と出会うという意味が含まれているのですね。ですから、「社会化」って何かといったら、人と会う、つまり人との連携をもち、社会の一員として居場所を見つけることだと思います。
 ところが現代社会はどんどん変化していっています。一寸一休みする余裕もありません。すぐに置いてきぼりにされてしまいます。学校を休んでいると、再び学校に出て行けなくなります。社会に受け入れられないのではないか、人とうまくやっていけるだろうか、自信を失くしているのです。自分に自信を失い、社会に居場所をなくしている人に必要なものはなんでしょうか。一に「友だち」です。「友だち」は人と人とを結びつける「利他の心」を灯してくれます。そして第二に、外界への興味・関心だと思います。友だちと会おうとしない場合はどうしたらよいでしょう。人と人とが関わることの楽しさを思い出させるとよいと思います。そのためには、親が変わらないといけないのではないでしょうか。友だちと会うのを避けて一人の世界に閉じこもっていると特殊な心理状態に陥ってしまい、その殻を破るのは大変な作業だということを理解することが大切になってきます。
 4.新しい言葉「ニート」について
 社会に居場所がないと、つまり人との出会いがなくて引きこもっていると、ますます社会に出ることが困難になって行きます。「臆病な自尊心」が芽生え、肥大化していって社会から引きこもってしまうのです。この「臆病な自尊心」が肥大化する前に何とか彼らが社会との接点を持てるような試みがないか、という視点を持った意味の言葉が最近よく使われるようになった「ニート」という言葉です。
 「ニート」は、英語の“Not in Education、 Employment、 or Training”の頭文字(NEET)からきています。イギリスでも「ニート」は問題になっています。意味は、働こうとしていない、学校にも通っていない、仕事に就くための専門的な訓練も受けていない、若者たちのことです。その姿は、引きこもり青年に似ていますが、ニートのすべてが引きこもっているわけではありません。またイギリスのニートと日本のニートはまったく違っています。
 この新しい言葉によって古い引きこもりは脇へ追いやられ始めています。いいことなのかどうかは分かりませんが、一つ言えることは、「引きこもり」という言葉には「社会に出て行かないのは本人の自己責任」という響きが感じられますが、「ニート」からはその責任の一端は社会の側にもあるので、受け入れ側の変革も必要だという響きを感じます。「引きこもり」の時代には、マスコミが当事者をテレビに引っ張り出して視聴率を稼いでいましたが、何ら解決策を講じようとはしなかったのに対して、「ニート」の場合は、彼らがなぜ社会に出て行けないのかをバックから応援しようという姿勢が感じられます。
 雇用・能力開発機構という国の独立行政法人によってヤングジョブスポットが全国各地で設置されています。履歴書の書き方から、就職面接の受け方まで、多面的な援助をしています。こうした動きは「引きこもり」の時代には見られなかったと思います。ただ、ニートや引きこもりの若者が単純に職業の知識や情報を欲しているかというとそうではないようです。やはり、社会での自分の居場所がない、つまり他者とのつながりのなさをもっとも嘆いているようです。どう人とつながりを持てるかという視点が彼らの援助には必要になってきます。
V 不登校と引きこもり青年への手立てと予防
 1.登校拒否と家庭内暴力の出現
 今の若者の問題が表面化したのは1970年代後半の登校拒否と家庭内暴力が社会問題化した辺りではないでしょうか。その前に、受験戦争が度々マスコミに取り上げられ、1968年には高石友也の『受験生ブルース』が大ヒットしました。そして1975年には、落ちこぼれを「詰め込み教育」のせいにしてマスコミが文部省を散々叩いていたことは皆さんの記憶に残っていることでしょう。文部省はゆとり教育へと進んで行ったのです。その前の1960年代は、村から大都市への人口の大移動が始まり、日本は経済大国を目指してまっしぐらに走っていた時期です。以来、少しの停滞もなく、一気に現在の状態に陥ってしまったのです。この30年間で何が失われたのでしょうか。そして何が求められているのでしょうか。社会ともっとも近いところで仕事をしている私たちに重たくのしかかってきています。
 エコノミストの丸山俊は彼の著書『フリーター亡国論』のなかで「若者の3人に1人が社会に出て行けない」と述べています。その理由を臨床の観点から考えますと、思春期および青年期の患者が自己中心の世界から脱却して利他の世界に移行できない、からではないかと私は考えています。自己中心の世界とは何でも自分の思い通りになる全能感の世界のことです。若い頃には誰もが自己中心の世界に浸り、夢想し、夢を膨らませ、そして現実に傷つき、悩み、次第に身の丈にあった自分を社会の中で築いていくものです。身の丈にあった生活というのは、別の言い方をするなら、妥協すると言うことです。競争と妥協は社会化への第一歩です。サリヴァンは児童期の学校教育にその始まりがあると主張しました。児童期は子どもが現実に社会人となる時期であって、友達と出会い、友達を大事にすることから自己中心性から脱却できるようになる、と言っています。しかし、世界は自分の思い通りにはならないことを知るだけでは妥協の道は達成されません。その後、10数年以上をも必要とします。この時期が思春期・青年期です。その長さが現代では途方もなく長くなってきているのです。
 2.不登校と引きこもりへの援助
 自分に自信のない子どもは社会の変化についていけません。努力するとそれだけ自分が成長すると自分を信じているとよいのですが、自分を信じていないと努力することが怖くなってきます。そのために、小学校から中学校、中学校から高校、高校から大学あるいは働いている社会への移行期に自分を問われ、変化していくことについていけないのです。ここに不登校と引きこもりの手だてと予防が隠されています。
まずわが子が学校に行かなくなったらどうしたらよいかを、私の考えていることをお話したいと思います。子どもが学校に行かなくなったら、先ず、大人になる前に問題が明らかになったと胸をなでおろしてください。次に、子どもさんが男の子であれば競争に負けてプライドが傷ついていると推測してください。競争にはいろいろありますが、多くは子どもがもっとも自信を持っていた領域です。勉強、スポーツ、クラスの人気者、いろいろあります。そのどれかの領域で自分を誇れることができなくなって自分に自信を失ってしまい、傷つくのを怖れて学校を避けていると考えてよいと思います。女の子であれば、友達関係が第一位で、自分の能力に関することが次に来ます。しかし女の子は大体が予後はよいので安心していていいです。学校に行かなくなっても友達が救ってくれますので、親は喧嘩しないように子どもの心をそっとするだけでよいと思います。中には泣き崩れるお母さんがいます。泣かないで子どもを信頼していたらよいと思います。
 問題は男の子です。昔だったら、将来の我が家を背負っていく息子が学校に行かなくなったら大変なことでしたが、最近では親の老後を見るのは息子ではなくてお金なので、多少は心配も少なくなっています。でもその金をフリーターの息子に食いつぶされたら老後はありません。それよりも心配なのは息子の将来でしょう。データーは冷酷な答えを出しています。男の子が将来、無職引きこもり青年になっていくのです。深刻に考えてください。子どもが自分で問題解決の方向に向かう気配があるまでは親は動かないほうがよいのです。決して焦ってあっちこっちに連れて行かないようにしてください。自分たちが育てた息子です。何とか自分で解決するだろうと信頼してください。
 それでも動こうとしないようであれば、次の手を打ってください。社会から遠ざかっていると、プライドは人一倍高いくせに傷つくことに非常に臆病になってきます。この「臆病な自尊心」を理解することです。そして自分が学校で生活していく自信がない、ということを誰にも言えないでいる苦しみを分かってあげてください。できれば、そういう弱音を吐ける友達がいたら助かるかもしれません。彼は友達の力を借りて成長するでしょう。そのような弱音を吐ける場所、時間を保証するのが親の仕事です。作家で元東京都知事の石原慎太郎は高校時代に学校に行けなくなったとき、美術の先生の家にはよく顔を出したといいます。なぜなら、美術の先生は絵が得意な石原都知事に一言も学校のことは口にしなかったからだそうです。何をしたかと言うと、「石原よ、この絵はすごいぞ」と美術雑誌を出して見せては芸術を語ったそうです。この姿勢が苦しむ若者を救い出すのです。
それでも誰とも会おうとしないのであれば、次の手を打つ必要があります。親の方が子どもととことん胸を開いて話ができるような準備をしてください。学校に行くか、引きこもりから脱出するかは本人の意思にかかわっているので、親が変わらないと子どもは決して動きません。ですから、自分の子どもをどんな子どもになって欲しいと思って育ててきたのか、そのために自分たちは子どもに何をしてきたのか、子どもの傷つきを恐れる臆病さは自分たちのコンプレックスと関係していないか、を夫婦でよく話し合ってみてください。不登校はある日突然発生しますが、その準備には長い月日が経っているものです。それも家庭内の親子関係や時代背景や幾つもの要因が複雑に絡んでいるものです。そして決して原因探しに明け暮れないようにしてください。自分たちでもよくわからない問題を子どもも悩み苦しんでいるのです。私は彼らの治療をしていて、それがかなり根の深いものであることを知りました。親が自分の困難さを責めるのではなく一緒に考えてくれる存在であると子どもが認知したら必ずや子どもは社会に出て行けるようになると思います。
 3.不登校と引きこもりを増やさないためには私たちに何ができるか
 方略はたった一つです。それは小学校教育の重要さを再認識することです。特に、自我の芽生えの小学校4年生までに、子どもたちがスポンジのように知識を吸収し、しかも精神的にもっとも安定した教育にもっとも適した時期であるかを再度認識することです。この時期を逃したら教育は他には望めません。どんな教育かというと、もうお分かりですね。競争で負けてもへこたれない、自分の弱さを受け止めるタフな心の子どもになるように教育することです。男の子であれば運動や勉強や喧嘩、女の子であれば友達関係や勉強や容姿に関することでしばしば傷つきます。それにへこたれないタフな心はどうして育つかというと、小学校4年までにとことん競争させることにあるのです。競争と妥協は子どもを成長させます。
 例えば、朗読を勧めるのもいいでしょう。最新の脳科学の知見によると、小学校4年生までは単純な知識の暗記にもっとも適しているのと、目の記憶よりも耳の記憶の方が心に残るからです。そうやって知識を詰めこんでいくと、自分が成長していくのが手にとるように分かるので、後に劣等感に苦しまない心が育つのです。あるいは縄跳び、一輪車乗り、カルタとり、クラブ活動などの運動などで子どもたちを互いに競い合わせるのもいいでしょう。今はなくなりましたが地区の相撲大会、文化祭、何でもよいのです。そこで1回でも立派な成績を修めると一生の宝物になりますし、へこみそうなときに励みになります。習字でもそろばんでもよいのです。かつて自分が得意だったことを子どもに教えるのもよいかもしれません。
 しかし困ったことに、最近では、小学校1、2年生で自我の芽生えが始まる子どもが出てきました。そんな子どもは小学校1年生から学校に行かなくなります。その多くは母親から離れることに不安を感じる子どもなので、そのときは専門家の援助が必要になるかもしれません。
子どもの成長には何も子どもだけに責任があるものではありません。環境側にも失敗はあるものです。私たち大人が常時立派であったかと言うとそうではありません。子育てのなかで何度も失敗を繰り返してきました。子育ては失敗の連続だったではありませんか。ひょっとするとこの失敗が子どもをタフな子にしたのかもしれません。自分の子どもの成長を見ながらよく育ってくれたと子どもに感謝するのは私だけではないでしょう。ですから、私たち大人の環境側のほどよい失敗も子どものエネルギーになると考えるのも一つの戦略ではないか、競争と失敗がタフな子どもを育てるのではないかと思うのです。
W さいごに
 社会に居場所を見出せない若者たちはこれからどこに行こうとしているのでしょうか。余計なお世話かもしれませんが、彼らの前途は厳しいと言わざるを得ません。このような状況を招いたのは、学校と家庭教育と平成不況に原因があることははっきりしています。不登校で満足に中学校教育を受けていなくても15の春にはトコロテン式に中学校を卒業させられます。なぜ中学校教師は「このまま卒業するのはよくないよ」と言ってあげられないのでしょうか。親から「あなたの好きなようにしなさい」と育てられると、仕事をしない人になるのは分かりきったことです。また、フリーターという言葉で中高年の解雇を見合わせて若者にアルバイトの生活を強いるように、社会全体が煽ってきたことは忘れてはいけないことです。
 親たちは自分の子どもが社会で人と関わっていくのに必要な心の準備ができていないことに気づくべきでしょう。そのことに眼をつぶり、「働け、学校に通え」と言っても、彼らを追い込むだけです。そして子どもがアルバイトを始めると問題がさも解決したかのように錯覚しているのです。フリーターはいろんな面で損をします。親は遊んでいるよりアルバイトでもいいから働いて欲しいと思っているので、フリーターとして仕事してくれていると安心します。子どもが半分自立してくれたらいいんですね。フリーターで半自立。半分は自分のお世話になっている。子どもは「私のもの」ですから手元に置いときたいのが親心でしょうか。自分の元から離れないで自分のお世話になり、かつ、半分アルバイトしてもらう。これを求めるわけですから子どももその状態を続けちゃいます。これでは何の解決にもなりません。
 今日は、日々の臨床から学んだことをもとにお話してきました。小学校4年生までの教育が重要で、子どもは学校教育の中で競争と妥協を経験して、傷ついてもへこたれないタフなこころと友達を大切にする「利他の心」を育てていきます。しかし、残念なことにわが子が学校に行けなくなって、長く学校社会から遠ざかっていると「臆病な自尊心」という心理状態に陥り、なかなか社会に居場所を見出せなくなってきます。この状況を救うのは友達であり、社会で人と人とを結びつける「利他の心」であることを話してきました。そのためには、私たち大人が変わらないといけません。どうか中学校を卒業するときに、「もう一度中学校をやり直しては」と言ってみてください。どんな答えが子どもから返ってくるのか楽しみですね。

本小論は、平成17年1月20日に佐賀県の唐津市で講演したものを修正・加筆したものです。唐津市の唐津地区精神保健福祉大会「ひまわりフェスタ」は34回を迎え、『不登校・引きこもりと現代社会』とうタイトルで講演をしました。それに、平成17年6月9日に熊本県の熊本県青少年育成県民会議で『ニート・フリーターからの脱出』という題で講演したものを追加しました。
posted by 川谷大治 at 13:35| Comment(0) | 日記
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