精神科読本15「境界性パーソナリティ障碍」(2017年改訂版)
境界性パーソナリティ障碍
T 境界性パーソナリティ障碍とは
1.境界性Borderline(ボーダーライン)という用語について
ボーダーラインという医学用語が使われるようになったのはアメリカで精神分析が盛んになった1930年頃のことです。第二次世界大戦前のヒトラーのユダヤ人迫害にあって多くの著名な精神分析家がアメリカに亡命、移住してきたことによってアメリカの精神分析は発展しました。当時は、今日のように向精神薬は開発されていません。アメリカの精神科教授の8割を精神分析家が占め、市民にとっては精神分析治療を受けることが一つのステイタスになるほどでした。多くの人々が分析治療を受けに行きました。ところが、神経症の患者に精神分析治療(「自由連想」といって患者に頭に浮かぶことを報告させる)を施していると、治療が難しく、なかには状態が悪化して妄想状態を呈する患者が現れる、という報告が目立つようになりました。しかも、彼らを通常の対面法による精神科診察に戻すとその妄想状態が消失するのです。こうした神経症と精神病の境界という意味で彼らはボーダーラインと呼ばれました。
その後、ボーダーラインの研究は進み、ロールシャッハという心理検査のように、無構造のテストでは統合失調症的な反応が見られるのですが、それ以外の検査では健康者と同じような反応を示すこともわかってきました。状況によって示す反応が違ってくるのです。さらには、精神分析の発展とともに、アイデンティティ拡散(エリクソン)、偽りの自己(ウィニコット)、基底欠損(バリント)といった概念が提出されるに従って、ボーダーラインをパーソナリティ発達の問題として見る流れが定着してきたのです。
そして今日のボーダーライン論に大きな影響を与えたのは、1970年代のカーンバークによっては提唱されたパーソナリティ構造論(性格特性)です。この段階に至って、ボーダーラインは@精神病との境界、Aうつ病との境界、Bパーソナリティ構造としての「境界(ボーダーライン)」という流れが明らかになり、1980年に登場したアメリカ精神医学会のDSM−V(精神疾患の診断・統計マニュアル)によって境界性人格障碍という用語が精神分析家だけではなく広く精神科臨床で使用されるようになったのです。当時はBorderline Personality Disorderという診断名に「境界性人格障碍」という訳語を当てていました。しかしこの人格障碍という訳語が「人格に倫理的な欠陥があるような」響きを与えるために大変評判が悪く、2004年の「DSM−W‐TR」から「境界性パーソナリティ障碍」と改訂されました。
2.境界性パーソナリティ障碍(以下、BPDと記載する)とは何か
今日では、境界性パーソナリティ障碍では、以下のような特徴をもつ疾患として理解されています。
1)パーソナリティ障碍とは
これまでに、パーソナリティ(personality)という専門用語は、明治の頃に「人格」と訳され、その「人格」という和製漢語は一人歩きし、本来の意味からかけ離れてきたために、「人格障碍」という病名は様々な偏見と誤解を産みました。それではパーソナリティ障碍とは何なのか?DSM−W‐TRでは「長期にわたって、通常よりも偏りの多い、いくつかの性格傾向の目立つ状態であり、そのために自分自身や周囲の人々にマイナスの影響を与える」障碍で、パーソナリティ障碍をA、B、C群に大別して、全部で10種類のパーソナリティ障碍を定義しています。その中で、境界性パーソナリティ障碍はB群のパーソナリティ障碍に含まれ、その治療は難しい。
2)境界性パーソナリティ障碍の原因
原因はまだよくわかっていません。体質的要因を強調する学派や環境要因を重視する学派、その折衷派と3分されているのが現状です。以前の私は折衷派でした。体質的な要因を抱えて生まれた子どもがほどよい環境を得なかったことによるものと考えていました。以前の研究によると体質的要因としては、幼い頃から癇の強い子で非常な負けず嫌い、恥ずかしがり屋、音に非常に敏感、夜泣きが激しい、自家中毒を起こしやすい、母親と離れるとよく大泣きする、という体質の子どもである場合が多かった。なかには、逆に育てるのにほとんど手がかからないよい子もいますが、こうした普通の子よりも偏った性格傾向が母親からしばしば報告されたのです。こうした性格傾向に、両親が不仲で家庭のなかが常に緊張していた、父親の暴言や暴力がしばしば見られた、母親が病気でほどよい養育ができなかった、などの環境要因が子どものパーソナリティ形成に大きな影響を与えていくのだと考えていました。
ところが研究を続けているうちに以下のような2タイプがあるような考えに落ち着いてきました。@より環境要因の強いタイプ、A体質的要因に環境要因が関与するタイプです。いずれにしても環境要因は重大な意義を持っています。環境要因のない症例はない、と言っても過言ではありません。それを説明するのによいケースがあります。2015年の日本精神神経学会で発表したのですが、幼少の頃から人目に晒されることに不安と恐怖を感じやすい子どもは、ほどよい養育環境が提供されないと、つまり両親の不仲や養育者による虐待、さらには教育現場での不適応やいじめが重なると、親密な関係を築けずに自己の確立が停滞するBPDが存在するのです。詳しくは臨床ダイアリー“静かなるBPD”を参照して下さい。さらには3歳以前の幼少期のトラウマによる愛着障碍が3歳以降のパーソナリティ発達を病的なものにする症例に多く出会い、臨床ダイアリー『ウィニコットの破綻恐怖について』で取り上げています。
さらに、学校教育も見逃せない問題です。特に、競争原理を排除した戦後民主主義教育と「いじめ」による仲間からの孤立は大きな問題です。ですから、単一の遺伝子が関与しているとか親の育て方が悪かったから病気になったという理解は正しくないのです。患者の多くは、こうした偏りを持ったパーソナリティのまま成長しているので、ライフサイクルの移行期、たとえば思春期から青年期、青年期から成人期への移行期に負荷される分離・個体化(親からの心理的・経済的自立)のストレスに対処することができずに発病するのです。
3)子どもの「こころ」の発達
a.小学生のこころ
子どもは10歳前後の前思春期から「自意識」が芽生えます。この頃から、子どもたちは他者の視点を通して自己を見るようになります。それは新しい世界を子どもにもたらす一方で他人が自分のことをどう見ているのか悩ませます。自分が他者よりも劣っているのかそれとも優っているのか、また過去の自身の考え方や行為を振り返り不安と緊張を孕むようになるのです。つまり恥・劣等感・不全感に悩まされるようになるのです。またこの時期は同性の仲間と徒党を組み、行動を共にすることを楽しむようになります。それだけに、この頃の仲間からの孤立は強い劣等感を抱かせるのです。虐待やいじめといったトラウマは自己否定に彩られた自己像(「私は悪い子」空想)を抱かせ自己を育む自己像を描けなくさせるのです。
b.中高生のこころ
中学生になると、子どもたちの精神的不調は目に見える形で周囲に気づかれるようになります。その一つが不登校や自傷行為です。中学生という時期は「共同体か自己か」という弁証法的な緊張関係の中で、つまり、自己の欲求を押し通すと共同体と衝突し、共同体の益を優先すると自己を失う、という矛盾を経験しながら成長していくので、現実世界が内的世界にとって侵害となることもありますし、内的世界が病理に彩られていると外的世界を客観的に見ることもできなくなる、という問題を孕んでいます。
中学生では外的世界の問題が高校生よりは大きく、男子では能力に関する優劣の問題、女子では級友との対人関係の問題がこころのトラウマになるという性差による違いはありますが、男女にかかわらずMicro Trauma(小さな心的外傷)の累積の影響は軽視できません。
逆に、高校生になると自己不全感が最も激しくなり、外的世界(環境)よりも内的世界の病理性が自殺を考える時に比重が大きくなります。気分障碍、統合失調症、摂食障碍、パーソナリティ障碍等が代表的な疾患である。対社会(家庭や学校)に対する反抗よりも自己破壊的になって自傷行為に走る者が増加しうつ状態を呈する者が増えるのもこの時期である。
c.18歳以降のこころ
さらに高校卒業後、大学進学や就職というアイデンティティの確立の段階へと入ると、「これが私だ」という回答を見出せるかどうかが課題になります。「普通であること」「何にでもなれる」という社会的自己の確立が困難になった現代社会では若者にとっては生きづらくなって、空虚感に彩られた抑うつ、アパシーになるのです。高校生と違ってこの時期の自己破壊的行為はいよいよ深刻なものになります。
4)性格傾向の特徴
それではどのようなパーソナリティの子どもとして成長していくのでしょうか。BPDの患者をうけもっていつも驚くのは、彼らの潜在能力が高いことです。絵がうまい、文章が天才的、踊りや話術に優れている、手先が起用、学力が高い、などはしばしば出会うことです。残念なことに、こうした能力を現実社会で発揮できないことが特徴の一つです。つまり、持っている能力を使いこなせずに社会適応レベルが低いのです。第二番目に、衝動に駆り立てられると我慢ができなくて、気持ちを上手にコントロールできないことです。三番目に、感情や対人関係が不安定であることです。機嫌が良いかと思っていると些細なことでいらいらしたり、怒りっぽいのです。ですから、友達や恋人に期待感や理想を抱きやすく、しかも落胆しやすい、といった特徴のために対人関係が不安定です。さらには、相手から利用され傷つけられやすく、逆に相手を責め、傷つけるなどの感情的な人間関係が特徴です。こうした性格傾向のために、自分らしさがわからなくなっている人が多いのです。先に述べたエリクソンのアイデンティティ拡散状態にあるのです。つまり、長期的な人生目標が定まらず、職業あるいは学業、個人生活の広い領域で停滞して、先に進むことができないでいるのです。
5)その他の特徴
BPDは明らかに女性に多い。75%は女性です。有病率はアメリカの報告によると、一般人口の約2%です。1980年に生まれた子どもは158万人なので、このうち約3万人がBPDと診断されることになります。精神科外来診療所に受診する患者の約10%、精神科入院患者の20%と見積もられています。わが国での多施設による研究はありませんが、当院では、総患者数の5%、外来通院患者の10%は境界性パーソナリティ障碍です。この数はイタリアの報告と同じです。
6)経過
多くの文献で、10代後半から20代にかけて症状が現れ、30−40代になると症状は緩和されると言われています。米国の精神科医マクグラッシャンはチェストナットロッジ病院に90日以上入院した患者の平均15年後の社会的適応度と精神・行動症状について追跡調査をおこなっています。それによりますと、以下のような5段階で予後を示しています。
回復群(結婚して子どもを育てる):16%
働いて活動的な社会生活を送る:37%
中等度の改善(半分の期間で働いている):26%
軽度回復(1/4の期間を入院、1/5の期間で働いている):16%
慢性群(3/4の期間で入院、社会的に孤立):5%
さらに、ほぼ半数の患者が子の親として生活していたことが明らかになりました。しかしこの疾患の自殺率は10年間で約10%と高い値を示していました。また、長期の予後を見ると、10年以内よりも20年前後で改善率が上がっているうえに、うつ病と同程度の適応を示していたことも分かっています。
また、オースティン・リッグ・センターの退院後平均14年後の社会適応を見てもうつ病と同程度の適応を示しています。また、ストーンの調査では、1/3の患者が回復しています。退院して10−15年が経過した頃から徐々に社会適応性が高まり、症状も緩和しているのです。1/2の女性患者と1/4の男性患者が親密な対人関係を築けるようになっていたと報告されています。1/2から3/4の患者がフルタイムの仕事を持っていたのですが、残念なことに、自殺率は9%程度あります。
要約すると、BPDは治る病気で、わが国の多くの精神科医が家族に「治らない」と悲観的なのは短期予後の結果なのです。
U 境界性パーソナリティ障碍の臨床像
1.DSM-5の診断基準
ここでは、最新のアメリカ精神医学会が出しているDSM-5の診断基準を紹介します。境界性パーソナリティ障碍の臨床像は、
対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で、成人早期までに始まり、種々の状況で明らかになる、以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。
(1)現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努
力
(2)理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式
(3)同一性の混乱:著明で持続的な不安定な自己像または自己意識
(4)自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質乱 用、無謀な運転、むちゃ食い)
(5)自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し
(6)著明な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2〜3時間持続し、2〜3日以上持続することはまれ な、エピソード的に起こる強い不快気分、いらだたしさ、または不安)
(7)慢性的な空虚感
(8)不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、 取っ組み合いの喧嘩を繰り返す)
(9)一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状
症例を出して説明を加えるとわかりやすいのですが、プライバシーを保護するためにそれはできません。その代わりに、皆さんの知っている人物を紹介することでBPDの全体像を描くことにします。古くは、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデン・コールフィールドや作家の「太宰治」を想像するとよいでしょう。映画ではメル・ギブソンが演じる『リーサル・ウェポン』の主人公マーティン・リッグスや、日活映画の浅丘ルリ子演じる『女体』の主人公がそうです。この映画はとても優れた作品ですが、熱烈なルリ子ファンでないときっと観たことがない映画だと思います。このようにBPDは文学や映画の主人公になることが多いのです。他には、古い映画になりますが、ロバート・デニーロ主演の「タクシードライバー」やダイアン・キートン主演の「ミスター・グッドバーを探して」の主人公がBPD です。このようにBPD は周囲に大変な迷惑をかける人たちではありますが、なんとも言えない人間的魅力にあふれた人たちでもあります。
2.川谷の分類:BPD2型
この2型は社会適応能力、発症の仕方と治り具合から見た分類です。精神状態は安定すると速やかに社会に出て働くケースと、なかなか社会に出ていくのが困難なケースの2タイプです。その研究結果は2012年の第108回日本精神神経学会のシンポジウムで発表しました。
1)退行型BPD
半年〜2年間の治療で安定し社会に出ていく予後良好のタイプです。発症する前は曲がりなりにも社会に適応してきた人たちです。完全主義あるいは負けず嫌いといった性格の人たちが現実生活で傷つき、行き詰まった結果退行し、BPDの診断基準を満たすような状態を呈するのです。恋人や配偶者といった人間関係、職場での二進も三進も行かない状況、学校での「いじめ」による孤立が原因の主なものです。薬物治療よりも環境調整を図り、自身の性格を見直すことで改善します。回復すると、こころに不快な感情や葛藤を行動に移すのではなく、悩みながら(抱えながら)問題解決を図れるようになります。
2)発達停滞型BPD
およそ2年間の外来治療、時には緊急の入院治療などを経ながら、状態は安定しますが、社会に出ていくのが困難なタイプです。中には部分的に症状を持つ者もいます。退行型BPDと違って、幼少の頃から社会適応に困難さを持っています。それを私は「ボア(bore)」と呼んでいます。BPDの主要な症状である「見捨てられ不安」に近いものですが、「ボア」は心身反応を伴うので、あえて新しい用語を設けました。その特徴は以下のようになります。
1.3歳の頃から「ボア(bore)」見られます。
母親が傍にいると元気な普通の子どもなのですが、母親が視界から見えなくなると目に輝きが無くなり、退屈、無気力といった具合に元気が無くなります。活発に遊んでいたのに急に元気が無くなるのです。お母さんの前では何時ものように元気なので近所のおばさんたちに気づかれることが多い。
2.生理的変化:過剰睡眠、だるさ、過食が見られ、一日中寝込んだりします。
3.精神的変化:空虚で無気力な状態。
4.行動的変化:上記の1、2、3の状態はとても不愉快でどうしようもできない状態なので、それを打開するための「行動化」が見られます。飲酒、薬物乱用、買い物、過食、万引き、喧嘩、セックス・・・等で精神を高揚させるのです
治療では「行動化」が患者にとっては自己治療的であることを認識し、患者が「行動化」の意味を理解できるように援助し、「ボア」を治療の最終ターゲットにします。
V 境界性パーソナリティ障碍の治療
アメリカにおけるBPD の治療は1990年代の医療改革マネージド・ケア・システムによって入院治療から外来治療へ、そして外来治療は精神分析を中心とした個人精神療法の時代からケース・マネージャーのもとで多種多様な治療法が並行しておこなわれるマルチプル・トリートメント(多種多様な治療)がスタンダードです。私が精神科医になった1980年当時のアメリカにおけるBPD治療は入院治療が主流でした。しかも多くの患者が長期入院治療を受けていました。ドルが強かったときはそれだけの費用を払えていたのですが、ドルが次第に弱くなるにつれて、保険会社が費用を出すのを渋るようになりました。そして1990年代に入って、保険会社は支払った分の医療効果を査定するようになり、それはマネージド・ケア・システムと呼ばれる医療改革へとつながったのです。現在では、提供する医療サービスが確かなエビデンスを持っていないと保険会社へ医療費を請求できなくなっています。そのために、多くの病院で入院治療から外来治療へと大きな変換が行われたのです。
とは言え、治療の内容がお粗末なものになったわけではありません。それはうらやましい内容です。たとえば、ニューヨークのある病院の外来治療プログラムを見ますと垂涎ものです。一人の患者に数多くの医療スタッフが関わり、治療も薬物治療だけではなく、1回50分の対話による精神療法が週に3回以上行われ、さらには集団精神療法、デイケア治療、家族療法といった治療や就業の斡旋といった社会療法まで手厚く行われているのです。しかも働き出した患者のためには仕事の始まる朝あるいは仕事がすんだ夕方に治療が行われるように準備されているのです。しかもこのような治療がうまく進展しているかを保険会社のケア・マネージャーが査定しているのです。
アメリカのBPDに関する研究は着実に積み重ねなれ、その研究データには圧倒されます。たとえば、アメリカ精神医学会が2001年に提出したBPDの治療ガイドラインは過去約30年に亙るBPDの論文(MEDLINEで1562本、PsycINFOで2460本)をもとに作られています。わが国ではアメリカのような基礎データ、特に患者を集団で見る臨床データを持っていません。私はかつて福岡大学病院を受診した108名の境界例や24例の自験例について生活史、家族歴、家系内精神科疾患の発現、性差、治療構造、治療転帰、などについて調査したことがあります。その調査結果で皆さんの参考になるところを述べますと、私が治療に当たった自験例では治療開始後4年が経過すると患者の75%は改善し、それは母親との同居生活のなかで安定する、という結果が明らかになりました。それはBPD治療のプランを考える際に非常に参考になります。BPDは女性患者が多いので、同性の母親との関係で安定するのです。わが国でも個人精神療法に優れた精神科医は少なくないのですが、アメリカの研究論文の質と量には脱帽せざるを得ないのが現状です。
わが国では2002年4月からやっと「治療ガイドライン作成」のための厚生労働省の班研究(通称:牛島班)が始まり、その成果は牛島定信編『境界性パーソナリティ障碍〈日本版治療ガイドライン〉』(金剛出版)にまとめられています。
以下の治療は当院における試みの一部です。
1)精神科医による診察
私の基本的治療スタイルは治療への情熱と治療の限界性を常に意識しながら治療するストーン流のやり方です。そしてその実践は治療の柔軟性に重きを置いています。この柔軟性がマネージメントでもっとも重要な点だと考えています。通院回数、環境調整、他の治療法の組み合わせ、などの治療プランを患者(彼/彼女)と話し合っていく過程が治療の中心になります。患者は主治医との間で受け入れられるとそこに関係性が芽生えてきます。治療の妨げになる問題行動や不安定性は関係性の歪みとして現れ、私はそれをホールディングし、ときに情緒的に対峙し、人と安心して付き合えるような関係性を育てていくのです。
2)薬物治療
薬物治療はこれまで補助的に使用してきました。しかし最近の向精神薬の発展により、薬物治療は捨てたものでないような気がしています。BPD患者は思春期から青年期にかけて発症することが多く、この時期の患者の病態は複雑かつ動揺しやすいので、使用する薬物もいろいろなものが使われます。抗不安薬は基本的には使わないようにしています。坑うつ剤も使用しますが、効果の程度は非定型抗精神病薬に劣ります。
3)ATスプリット治療(精神療法)
ATスプリット治療とは、主治医がマネージメント(管理)をおこない、精神療法を心理士が担当する治療のやり方です。アメリカではスタンダードなやり方でスプリット治療と呼ばれています。アメリカのように多くのスタッフによる治療は更なる不安を招く場合があるので、主治医である私とだけの診察で十分な人もいます。
4)集団精神療法
集団精神療法は今後期待される治療法の一つです。私の経験では、重症のBPDの治療が成功するかどうかの鍵は、一部の患者にとっては、デイケアを含めた集団療法に参加できるかどうかにあると考えられます。
5)環境調整は特に重要です。枚数の制限があるために詳しく述べることができないのですが、クリニックにおける家族相談を含めた環境調整の比重は大きいのです。私の経験ではBPD患者は孤独に耐えられないので、治療のある時期に自我を支える治療的環境を整えることが行動化や悪性退行を少なくできるのです。
6)就労への援助
パーソナリティの社会化が進まずに年齢だけ増えて、病状が落ち着いたときは20代後半というのは、あまりにも辛い現実です。現実という高い壁をどうやってく乗り越えたらよいのか。そのために川谷医院では2015年1月から就労支援A型「ドンマイ」を併設し、就労を応援しています。
W まとめ
境界性パーソナリティ障碍の用語の由来、臨床像から治療までをアメリカのそれを参考にしながら述べてきました。治療は大変根気のいるものですが、長期予後を見ますとそれほど悲観的ではないことが分かってもらえたのではないかと思います。当院での治療においていろいろな疑問や不満がありましたら遠慮なく申し出てください。私たちの治療をさらに引き上げることにつながるでしょうし、治療の成功を引き寄せることになると思っています。
参考文献
川谷大治:牛島定信編『境界性パーソナリティ障碍〈日本版治療ガイドライン〉』.金剛出版、2008.
2017年07月09日
精神科読本15「境界性パーソナリティ障碍」
posted by 川谷大治 at 13:29| Comment(0)
| 日記
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