精神科読本13『鴎外と漱石に学ぶ』(2017年改訂版)
鴎外と漱石に学ぶ
T.フリータ―について
フリーター という言葉は、1980年代後半、アルバイト情報誌『フロム・エー』によって造られ、広められた言葉で、学校を卒業しても定職に就かずにアルバイトで生計を立てる若者たちを指します(小杉礼子著「フリーターという生き方」)。フリーターはなぜこんなにまで増えてきたのでしょうか。社会構造の変化もあるでしょうけど、若者の方にも問題がある気がします。読売新聞の人生案内(2004年9月15日付)に次のような相談がでていました。
1.読売新聞の「人生相談」のコーナーから
相談者は千葉の28歳の男性です。
28歳。無職の男性。大学在学中から20数種類アルバイトをしましたが、面白いと思えるものに出会えませんでした。大きな声と笑顔で挨拶とか掃除とかあれこれ強制させられるのは、不愉快でなりません。卒業後働いた会社は午前7時出勤とか、仕事がつまらないとか嫌なことが多くて身体がだるくて辞めてしまいました。現在はアルバイトをしたりしなかったり。働いていない時は母に生活の面倒をみてもらっており、申し訳なく思っています。サービス残業、リストラ、貧富差拡大等経営資本の論理がまかり通るのには納得がいきません。面接に行っても「今は何もしてないの?」と聞かれることが多く、不満に思います。資格試験の勉強をしていますが、労働が好きになれないと人生が充実しないわけで、それが悩みです。
随分前のNHKでフリーターの特集をしていたときに、フリーターの若者のあいだで「フリーター28歳定年説」が囁かれているということを知りました。ご存知ですか?フリーターをしていて28歳以上になったらもう正社員にはなれないということなんだそうです。フリーターのよい所は、時間の拘束がない、嫌ならいつでも辞められる、自分の好きなようにシフトを組んでもらえる、働いた金は自分が好きなようにできる、サービス残業もない、ということです。もちろん親が生活の面倒をみてくれているわけですけど。非常に気楽な仕事です。しかしここに落とし穴があるわけです。責任がない分、仕事の技術もステップアップしていかないのです。正社員で働いていれば、営業マンから内勤に移り、仕事のスキルスを覚えて収入も増えていく。ところが、フリーターをやっているといつまでも仕事人として誇りをもてないし、地位も給料も上がらない、というマイナス面があるわけです。フリーターはいつも働いているかというとそうではありません。働かない時期が半年から1年と結構長く続きます。そして再び働き始めては止めることをくり返すのだそうです。
2.夏目漱石の『坊ちゃん』と『それから』
働かない若者のはしりは、漱石の『坊ちゃん』の主人公です。坊ちゃんも父親が亡くなって、遺産を兄と分けたあと、その金でどう生活しようかと悩みます。文学をやるにも肌に合わない。幸い物理学校の前を通りかかって生徒募集の広告を見てそこに入学します。要するに坊ちゃんはアイデンティティがはっきりしないまま物理学校の前を通って、教師になって松山に赴任する、というわけです。松山に赴任して山嵐と仲良くなって赤シャツと古狸を懲らしめて1年くらいで学校を辞めちゃいます。問題は、坊ちゃんが学校を辞めたあとのことを漱石は書いていない。読者は赤シャツを懲らしめた坊ちゃんに溜飲が下がるのですが、よくよく考えると、坊ちゃんはその後どうなっているか?その答えは『三四郎』、『それから』の中にあるようです。三四郎も熊本から出てきたアイデンティティがはっきりしない若者です。
『それから』の主人公が坊ちゃんの将来像と考えたらよいかもしれません。主人公の代助は30歳になるのに一向に働こうとしない、裕福な家庭の高等遊民です。高等遊民とは大正時代に流行った言葉で、大学は卒業したが働かないで生活している青年のことです。『それから』のあらすじを簡単に述べます。
代助は、これまでに何度も縁談を断わり、書生と女中二人を雇い優雅な暮らしを続けている。そんな時に大学時代の友人、平岡が金を借りに来る。しばらくして、平岡の妻三千代が代助の元を訪れてくる。何度か三千代と会うたびに代助は、三千代を以前から好きだったことに気づく。代助は、親の勧める縁談を断わり、三千代に愛の告白をし、平岡に謝罪する。代助は密通を犯したんですね。漱石はこの小説を「密通小説」として世に出した。それは社会的に許されないことで、父と兄は怒り、経済的援助を打ち切られる。三千代は度胸がすわり平静でいるけど代助は落ち着かない。代助は書生に「僕はちょっと職業を探してくる」と言って外に出て発病するのです。
仕事をしていない若者が無理に働こうとすると代助のようなノイローゼにかかることがあります。一見すると普通の青年と何ら変わりません。どこにも異常が見られないから親は「何故働かないの?」と責めるわけですけど、彼自身は自分が世の中でやっていけないことはうすうす気づいています。社会化されていないパーソナリティ、辛抱したり我慢したり出来ない精神的弱さというのは彼らが一番よく知っているんです。それは、人に言えないことなので隠すしかないんですね。もしくは合理化するわけです。たとえば、代助は次のように働かないことを合理化します。平岡との対話の中で
「何故働かない」「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に言うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ」「僕はいわゆる処世上の経験程愚なものはないと思っている。苦痛があるだけじゃないか。・・・パンに関係した経験は、切実かもしれないが、要するに劣等だよ」と仕事をする人を見下すのです。・・・彼を味方する仲のよい兄嫁は「それ御覧なさい。あなたは一家族中悉く馬鹿にしていらっしゃる」と痛いところを突く。
代助は自分の弱さを認めず、働いている人を馬鹿にしているんですね。これは無職引きこもり青年の言葉と同じです。何故働かないのか?先ほどの読売新聞の「人生相談」の若者もそうですよね。サービス残業・リストラ・貧富差拡大など経営資本の論理がまかりとおるのは納得がいかないと代助と同じことをいっています。大正時代の若者と今の若者と全然変わらない。変わったのは、こういうフリーターが増えてきたことなんです。毎年50万人の働かない若者が出てくるのが今の日本。坊ちゃんは、古い封建社会に楯突いて学校を辞めていくんですが、これからどうやって社会に出て行くのか。漱石に問いたいところです。
3.森鴎外の『かのやうに』
森鴎外の高等遊民は漱石のそれとは違います。漱石は無鉄砲なところが特徴ですが、鴎外の描く引きこもり青年は意気地がない。鴎外自身が若い頃、侍の子にしては意気地のない青年だった。鴎外はドイツに留学して若い女性エリスと恋仲になって帰ってきます。彼女は鴎外を追っかけてくるんですが、鴎外はその彼女に対して責任を取らない。友達にお金を借りてそれでドイツに帰してしまいます。それも、自分ではせずに友達にさせます。ちょっと卑怯な男ですね鴎外は。若かったから許せるのでしょうけど、鴎外は『舞姫』を書いた後に、それを友達に読んで聞かせているんです。どんな気持ちで読んだのでしょうか。文学的には成功したかもしれないが、人間的には夏目漱石みたいなすがすがしさ、清らかさがないような気がします。鴎外は小説『かのように』で洋行帰りの主人公に次のように語らせています。
主人公は、東大の歴史科を卒業し親の金で洋行し、帰国後は働こうとしない引きこもり青年です。以下は絵描きの友人との会話で、友人はこう言います。
「それでは、僕の描く絵には怪物が表れているからいい。君の書く歴史には怪物が現われてくるからいけないというのだね」。怪物というのは、本音とかそういうことなんですね。彼の葛藤を明らかにしていくくだりの中で主人公はこう言います。「まあ、そうだ」。友達は「意気地がないね。その怪物が現れたらどうなるのだ?」と聞きます。主人公は「危険思想だと言われる。それも世間がかれこれ言うだけなら奮闘もしよう。第一父が承知しないと思うのだ」、「いよいよ意気地がないね。そんな葛藤なら僕は解決しちまっている。僕は絵描きになる時に親父が見限ってしまった。現に高等遊民として取り扱るのだ。君は、歴史家になるというのをお父さんが喜んで承知した。そこで大学も卒業した。洋行も僕のように無理をしないで気楽にした。君は今までの葛藤を繰り延べしているのだ」と鋭く解釈する。「僕が5、6年前に解決したことを君は今好きなように歴史を書けばいいじゃないか」と言うと、お父さんが怖いと言うのですね。それで主人公は最後に「正直に真面目にやろうとすると八方塞になる職業を僕は不幸にして選んだのだ」と言うところで終わっています。
これは森鴎外の半自叙伝でもあるわけです。森鴎外は侍の子として生まれ、東大に入って軍医になった。小説家と三足の草鞋を履いているんですね。一方、夏目漱石は侍の子ではないが、町人と侍の中ぐらいの地位だったけど、帝国大学の英語の教授の職を捨てて朝日新聞に入社したわけですね。非常に無鉄砲というか潔いというか。一方森鴎外は、ずるずると三足の草鞋を履き続けるのですね。森鴎外と夏目漱石の二人は、現代の若者の特徴をよく捉えていると思います。親を乗り越えられないのが森鴎外。無鉄砲で口は達者なんだけど自分の弱さを認めようとしないのが漱石です。
V 若者のこころを知るキーワード;『臆病な自尊心』と『尊大な羞恥心』
代助と現代の働かない青年とは共通点があることは先に述べたとおりです。どんな所が似ているかというとある種の性格的な欠損があるということです。欠損とは社会化されていないパーソナリティということです。2番目にそれは社会状況(日露戦争に日本が勝利した)の中に原因を探ることができるということ。江戸から明治に移った時に「欧州に追いつけ追い越せ」といって日本人はがんばった。そして明治の規範というのが儒教だった。儒教の骨格は、有用な人・社会に役立つ人を求めているわけですね。ところが、代助とか先ほどの鴎外の主人公は、高等遊民で無用な人たちです。しかし、世のため人のためという私的な利害がない生き方は、時に危険な思想にもなりかねません。私的なものと公的なものとが無制限に結びついていくと、軍国主義に走る危険性があると丸山昌男は言っていますが、『それから』の時代には、そういう社会的状況があったわけです。3番目に自己愛の病理が隠されている。これが大きな問題だと思います。先ほど言った性格的な欠損というか、なかなか大人になりきれない、社会化されない、自分を社会に出せない問題につながっていきます。
1.代助のパーソナリティ:「親に頼っていながら親を否定する」
再び、代助に登場してもらいます。代助は闘いを諦めているんですけど経済的に父の財を頼りながら儒教かぶれの父を否定する。否定はするが父親を乗り越えられない。これが性格的な欠点ですね。自己愛の傷つきを守ろうとするんですね。そして、自分の弱さを直視できず「世間が悪いんだ」と「働くのは意味がない」とかそんなこと言うわけですね。これが、自己愛的な人の考え方、非常に自己中心的なんです。このような自己愛人間がどのようにして育ったかを見てみましょう。
代助は子どもの頃は、非常な癇癪もちで、とても臆病です。思春期には家庭内暴力も起こしています。ところが、大学を出た後は、癇癪はぱたりと止みます。家庭内暴力を振るう子どももね、暴力を振るった後は別人のように大人しくなって非常にいい子になるんですね。どっちが本当の自分の息子なのか親御さんはわからん。暴力を振るった後は、普段の息子に戻ってしまう。非常に物分りがよくて優しい子どもなのにいったんキレルと獣のようになってしまう。
代助もその傾向が少しあるわけですね。非常に癇癪もちなんです。漱石は代助に「有用な人」を大事にする儒教が大嫌いだと語らせている。代助は「自分は人のために役に立てないんじゃないか」という怯えに気づいているってことなんですね。彼自身は、地震が怖くて不安症でもある。同時に、代助は自分自身の容姿にうっとりしているところがある。
「彼は歯並びの好いのを常に嬉しく思っている。肌を脱いで綺麗に胸と背を摩擦した。・・・代助はそのふっくらした頬を、両手で両三度撫でながら、鏡の前にわが顔を映していた」
と言った具合に、代助は旧時代の日本を通り越えた人物でもあります。しかし、経済的には父と兄を頼っていて、その二人を軽蔑もしている。頼っていながら嫌う。このような心のあり方は青年期の特徴であって、若いから許されるのでしょう。30歳になったら許されない。ですから、代助は大人になりきれていないのです。いつまでも青年を続けている。働かない青年に共通の心の構造、代助はモラトリアム人間なのです。
2.社会化とは何か
われわれが、社会で生きていく「社会化」って何かといったら、やはり現状を、困難を乗り越えるためには自分が変化しないといけないということです。自分が変わらないといけないのに代助も鴎外の青年も今の無職青年もみんな、周りに変わってもらいたいと思っています。自分が変革することを恐れているのです。自分が変わらないと困難を乗り切れないのに社会のせいにしたり他の家族のせいにしたり自分が変わることを恐れている人なのです。社会はどんどん変化していって本人は置いてきぼりにされている。働かない若者もフリーターも変わらないんですね。
社会化は小学校に上がって始まります。どんな自己中心的な子どもも友達ができて友達のために生きようと利他主義の精神が灯ります。しかし、小学校の4年生前後の自我の芽生えの時期に傷つくと劣等感と羞恥心が強い子になります。この時期に、いじめにあうとか両親が離婚するなどの環境の変化に巻き込まれたりすると、自己の傷つきから回復できません。そして、中学校に上がります。小学校が2、3校集まって一つの中学校になりますね。初めて会う友達もできるわけです。そして5月か6月に運動会が開かれます。小学校の時は結構走るのが速かったのに、他の小学校から来た子に負けるとか、そういうことがあるわけですね。自尊心を傷つけられるわけですね。で、自分に自信がある子であれば、「よーし、次はがんばるぞ」と言って、2年生になった運動会では1ヶ月前から「今度こそ負けんぞ」と走る練習をするわけです。ところが『臆病な自尊心』を持っている子というのは、走る練習ができないんです。要するに「100メートルを15秒で走っていたのが、稽古して14秒で走れるようになる」という自分に対する信頼感がないんです。練習したって速く走れるようになれない、と諦めてしまう。「練習して負けたらどうしよう」と傷つくことを恐れて練習することが出来ないんです。
この『臆病な自尊心』はいろんな領域で顔を出すんですね。たとえば、縄跳びをしていて二重跳びができない。隣のB子さんは30回跳んだ。自分も頑張ってやればいいのにそれが出来ない。なぜならば「自分は稽古したってやれない」って最初から諦めている。ですから「自分に信頼が置けない子」を『臆病な自尊心』」あるいは「自分が傷つくことを非常に恐れている子ども」と言うんです。2年生の運動会では、緊張と腹痛で学校に行けなくなるんですね。それで運動会を休む。学校の成績が伸び悩む。悔やんで学校に行けなくなるのです。いわゆる「魔の中2の2学期」です。
運動会になると元気になる男の子がいます。勉強はさっぱりだけども「走りでは誰にも負けんぞ」みたいな誇りを持っています。しかし今の子どもたちは、何に誇りがあるかというと、みんなの中で笑いを取ったりみんなの前で笑わせたりとか、そういう人気者にならないとクラスに居場所がないのです。中途半端な能力や才能だと返って嫌われます。今の大学で一番人気があるのが「人間関係学科」とか「人間コミュニケーション学科」とか「心理学科」とか、コミュニケーションの学科ですね。他者とコミュニケーションを取れるのが自分の存在価値になっているんです。それに迎合する大学もどうかなーと思うんですけど。コミュニケーションは小学校の間で充分だと思うんですね。なのに、笑いを取ったり人間関係を円滑にできるように心理学を一生懸命勉強しようとする。なんか雲をつかむような話ですね。今の若い人たちは、自分に自信が無いし自分に信頼感がもてない。正社員として働いて責任をとるとかその中で働いて失敗しても成長させるという根気・我慢強さ、そういうたくましさがだんだんなくなってきたわけです。あまり若者の悪口を言ったから罰があたりそうですが、これが現実なんですね。こうなったのは、何故なのか?
3.模範になれるか今の大人たち
端的に述べるなら、現代の大人のふがいなさが原因ですね。最近の三面記事を眺めてみると子どもを殺したりする親、三菱自動車のリコール事件、外国産の牛を国産牛と偽って市場に出したりする大人、ポイ捨てする運転手、井戸水を温泉と偽ったり。昔は、「お天道様が見ているよ」だったのが、今は「ばれなかったら何してもいい」。そこまで人間は落ちてきたかという所まで落ちている。「ばれなかったら何してもいい」というのがわれわれ大人にある。何でだらしない大人になったのか。一本芯が通らなくなったのは、社会の変化と教育に原因があるんじゃないかと思うのです。
江戸時代の子どもは家の「後継ぎ」として大事にされました。家の子ども、村の子どもというわけですね。長男が後を継ぎます。次男・三男は、剣術で有名になってどこかの養子に行くしかなかった。人格円満、算術に優れている、と何か自分の良さをアピールして養子に行くしかなかったわけです。養子に行けないと、居候で長男のところにお世話になるしかなかったわけですね。農民も町民も一緒ですね、後継ぎとしての子どもです。家を後継ぐというのが大事だったんです。それが明治になって、「国家の子ども」という考え方になった。国も教育するようになりました。学校教育と家庭教育ですね。二本立てでいこうと。
4.学校教育と家庭教育
学校教育と家庭教育とがあって、その狭間がずっと続いたんですね。昭和12年に柳田国男が「平凡と非凡」という講演をおこなっているんですけど、日本の教育の中にはその狭間がずっとあると指摘している。国は「非凡な子ども」を育成しようとするのですが、家庭では「勉強なんかしないでよい。家のことをしろ」と「平凡な子ども」を求めたのです。ところが今は、学校は保護者に合わせて教育をせずに、家庭は自己中心的な子どもを養成するだけで、教育は「塾」に任せられている。しかしその「塾」の多くは試験の点数を上げるための教育であって、人間育成の教育からは離れている。
話が脱線してしまいました。話を元に戻します。「国家の子ども」が大正・昭和になると「家庭の子ども」になるんですね。戦後どうなったかというと「私の子ども」になっていきます。夫婦が離婚するときに、母親は「この子は私のもの」と叫ぶんです。「あなたは仕事ばっかりして何もしていないじゃない、この子は私のものよ」。人間が「モノ」になっちゃったんですね。そうなったら、子どもはお母さんの子どもだから大人になれないのは当然だと思いませんか?20歳になっても子ども。30歳になっても子ども。子どもは、母親の目にかなう子どもであればいい。いつまでも子どもでいい。フリーターで親の世話になっても何ら恥じることはない。こうなったのは、社 の変化とともに「私の」子どもになっちゃったからだと思うんです。
こうみてくると、若者には非はないわけです。親に非があるかというと親も社会変化の中で価値観が変わっていったわけですから親のせいにばかりはできない。みなさん寺脇研氏をご存知ですね。『ゆとり教育』を推進した文部省の次官です。寺脇研氏はある本でこう書いています。不登校になった子どもを持つ親に「学校に行かないことを正しい決断だと言ってやりなさい」といっているんです。正しい決断かどうかは、10年後20年後なってみないとわからないのに。彼も迎合していますね。不登校の子と会えば子どもの肩を持つ。親御さんと会えば親御さんの肩を持つ。教育関係の人と会えば高飛車に出る。一貫性がないんです。そして『ゆとり教育』を散々突き上げられたら責任も取らずに逃げ出したんです。「不登校は正しい決断だ」と、こんなことを一番偉い人が言ったら社会はどうなります。文部次官が文部科学省は必要ないと言っているようなものです。中学校・高校にも行っていない子どもがどうやって社会の中で生きていけると思いますか?「あなたが学校に行かないという決断は大変な問題だ」と寺脇氏は何故言わなかったのか。著書を数冊ほど読んでみましたけど、この人には日本の教育は任せられないと思いました。まあ、ここでこんなこと言っても仕方ないですが。
今日の働かない若者、そしてフリーターの若者は小中学校の頃に不登校を経験し、高校中退した人に多いんです。日本のトップが悪いからこのような状況になったのでしょうか。日本のトップを育てたのはその親であり、当時の教育や社会状況にも責任があるわけですから、犯人を求めると藪の中に入り込んでしまいます。しかし一つだけ許せないことがあります。昭和50年に「落ちこぼれ」という言葉が流行り、マスコミは一斉に「詰め込み教育」を批判しました。批判に弱い文部省のトップは「ゆとり教育」へと流れを変えていきました。そして今や、マスコミは「日本の子どもの学力が低下した」と騒ぎ立てているのです。もともと「ゆとり教育」は豊かな人間性を育てるために、外国産の牛を国産牛と偽らないような大人に育つような「心の教育」を選んだのですから、学力は目をつぶってよいわけです。このようにマスコミがある断片だけを捉えてニュースとして垂れ流すのはもう止めて欲しいと強く思います。
W さいごに
大学を卒業した学生の何割がフリーターになるのでしょうか?フリーターを長く続けていると、いつかは正社員として会社は雇わなくなります。フリーターはいろんな面で損をします。ところが親は、フリーターをしてくれていたら、「仕事してくれている」と安心する。親は子どもが半分自立してくれたらいいんですね。フリーターで半自立。半分は自分のお世話になっている。子どもは「私のもの」ですから手元に置いときたいのです。自分の元から離れないで自分のお世話になり、かつ、半分アルバイトしてもらう。これを求めるわけですから子どももずーっとその状態を続けちゃうわけです。ですから、大学4年間の中でこの問題が解決できるのでしょうか。そのためには、学校の先生と学生のパーソナリティのぶつかり合いが大切だと思うんです。どこかでぶつからないと学生は先生の心の豊かさを内在化できないと思います。迎合だけして、コンパしてコミュニケーションごっこするよりは、もっともっとぶつかってもらわないと。そうしないといつまでも大人になれない子どもが増えていくんじゃないかなと思うわけです。
2017年07月09日
精神科読本13「鴎外と漱石に学ぶ」
posted by 川谷大治 at 13:09| Comment(0)
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