精神科読本11『パーソナリティ障碍とは何か?その1』
パーソナリティ障碍とは何か?その1
T.はじめに
「パーソナリティ障碍はこころ(精神)の病気なのですか?」という質問をしばしば受けます。主に患者さんのご家族が多いのですが、医療スタッフからも問われることがあります。「病気だとすると、どんな病気なのでしょうか」「他のこころの病気とどのような違いがあるのですか」という質問は答えるのが難しい。診察の合間に、「パーソナリティ障碍のパーソナリティってどういう意味ですか?性格のことですか?」と問われることも少なくない。
「以前通っていた先生には人格障碍と診断されたけど、パーソナリティ障碍と同じことと考えてよいのですか」「人格とパーソナリティって同じなことなの。パーソナリティはカタカナだし何となくイメージできるけど、人格の病気ってイメージするのは難しい」「パーソナリティが病むってどういうこと」「ウィルスか何かに感染してその人の人格、否パーソナリティが変わるということ。よく分からない!」という質問が次から次へと出てきます。
分かりにくいパーソナリティ障碍という病名(?)に関する疑問について、本小論では2回にわたって、分かりやすく解説し、その治療に関する私見を述べていきたいと思います。
U.こころの健康とは
パーソナリティ障碍を理解するのにこんな場面を想像してください。あなたAは入社して2年目。ある朝、就業前にギリギリで会社に着いて、廊下を急いでいたときに、向こうから部長Bがやって来ました。
1.とっさにAはBに挨拶をしたが、Bはそれに返すこともなくそのまま通り過ぎたとします。その時のAのこころの中に起きる考えや気分は?
@ Aは無視されたと思って腹が立った。そして、怒りは憎しみに増幅して、 「なんや、あの 人!」と吐き捨てた。
A Aは嫌われたと思って悲しかった。「私は価値のない人間だ」としょ気てしまった。朝から元気がなく なった。
B Aは挨拶を返してくれないBを不思議に思った。ちょっと動揺したが、「いつもは返してくれるのに、 Bさんどうしたんだろう」と思った。
2.次に、挨拶をする前に、以下のような行動をとったと仮定します。
C Aは緊張して挨拶ができなかった。いつもAは目上の者や権威者の前では
萎縮してしまうのだ。
D Aは顔を合わせるのを避けるために、角を曲がって歩く方向を変えた。
E Aは立ち尽くしてしまった。そしてBが先回りしている、Bはこうやっていつも僕に嫌がらせしている と考えた。
F Aは忙しそうにしているBを捉まえてしばし話し込んだ。
3.解説
こころが健康とは、一般的には健康な人の気分、考え、態度、そして行動が合理的でバランスがとれているということです。いつも決まって@とAの反応をしてしまうのは性格的に問題があると考えられます。Bは子どもの受験でピリピリしていて、挨拶どころではなかったかもしれないからです。@とAは主観的に判断し過ぎるきらいがあります。Bは、自分のこころに起きた主観を一時こころに抱えながらも、状況を振り返り何が起きたかを吟味する客観的能力を持っています。
状況は変わりますが、Cは緊張をこころに抱える力はあるけど、その緊張に振り回されて自由に行動することができません。Dに至っては、こころに不快な感情や考えが起きないようにBと会うのを回避してしまっています。いわば、行動に訴えたわけです。Eは、@からDよりも事態は深刻なのは理解できますね。現実にBが彼を嫌っていたとしても、客観的に彼と自分の関係を熟考する余裕を失くしています。Fは、今度は逆、仕事が始まったばかりで皆忙しいのに、Bを捉まえて話し込むのは礼儀に欠けていますね。
4.病態水準という考え方
さて、こころの健康とは主観と客観をバランスよく維持できる状態だと説明しましたが、要約すると、以下のように考えることもできます。ある人が健康かどうかを知るのに自分のこころの中の様子と外の世界をどのように認知・思考し、どんな関係を作りだすかを知ることだとまとめてよいと思います。
0)正常な水準:主観と客観のほどよいバランス
Bに対する慣習的な行動をとり、Bの行動をあれこれ想像できる。
1)神経症水準:こころの中に葛藤を抱える
私は嫌われているのかと悶々とする
2)境界例水準:葛藤を行動化する
Bとすれ違うのを回避
Bに対する怒りを行動で発散する
3)精神病水準:葛藤を外在化し現実検討能力がない
Bは先回りしたと疑う(妄想)
専門的にはパーソナリティ障碍とは、この1)と3)の境界の2)のこころの状態だと考えます。すなわち、こころに起きる様々な思いや感情を一時こころの中に抱えることができずに、それらを行動に移す、つまり怒りを顕わにする、不快な考えや感情を行動で現わすということです。瞬間的に行動に移すので、客観的に吟味することができないので学習することなく、同じ失敗を繰り返します。子どものこころの水準に近いので、未熟な反応と呼ぶこともあります。
V.DSM-5のパーソナリティ障碍
さて、パーソナリティ障碍の説明に入る前に、皆さんが首を傾げたくなる「パーソナリティ」という医学用語から説明したいと思います。ラジオを聞いていると「今日のパーソナリティは○○でした」と耳にすることがあります。この時のパーソナリティとは番組の司会と進行を行なう人という意味ですが、精神医学領域で使われるパーソナリティとは同じではありません。それでこのカタカナの「パーソナリティ」の精神医学用語の説明から始めたいと思います。
1.パーソナリティとは?
パーソナリティとは英語のpersonalityを翻訳するのに適切な日本語がなかったためにカタカナで表記されました。精神科読本17『社会恐怖(社交不安障碍)』の章でも説明しましたが、明治になって西欧語の翻訳が国家的規模で進められました。その時、Societyという概念を表わす日本語がなかったので、「社会」と訳されました。同じように、personalityという英語もどう訳してよいか当時の人たちは苦慮しました。その時の様子を紹介しましょう(臨床精神医学:2004年4月号)。
「Personalityの訳語は、明治14(1881)年に哲学者の井上哲次郎が人品と訳したのが始まりである。その後、明治23年になってようやく人格という用語が登場する。『哲学会雑誌』にイギリスのマインド誌の論文を紹介する中でpersonalityを心理学の用語として「人格」と訳したのである。・・・・・その後、人格という訳語が広まったのは井上の影響が強かった。人格は漢字を使った日本語の造語(和製漢語)であるが、人格の「格」の意味は、春の芽の発育する姿から出たもので、「まっすぐに」という意味から、「至る」「正しき」という意義が出てくる。それが、品格同様、人格という言葉から出る道徳的ニュアンスである。そのために、personality disorderを人格障碍と訳すと、人格が倫理的に異常を来しているという響きを周囲に与えるために、誤解が生まれやすいのである。」
人格という訳語が独り歩きしてもともとの意義が曲げられたために、人格障碍と訳すると、倫理的な異常な人物と解釈されるようになり、その誤解を少なくするためにカタカナでパーソナリティ障碍と表記するようになったのです。パーソナリティが人格という意味ではなくて、あくまでも精神医学用語である、ということを押さえて、はじめの質問に答えていきましょう。
2.パーソナリティ障碍は病気なの?
「ほんとうの法華経入門」(ちくま新書)で解説されていた喩えを使いますが、この喩えは精神分析を興したフロイトの神経症公式にも通じる考え方です。法華経の公式では果=因+縁と考えます。どういうことかと言いますと、大雨が降り続けると地盤が緩み山崩れの危険性が高くなります。地盤が緩んでいる(縁)と少雨(因)でも地崩れ(果)が発生するように、精神症状の発生もパーソナリティ構造が緩んでいると些細な刺激で症状が発生するのです。パーソナリティ障碍とは地盤が緩んだ状態と考えてよいかと思います。この地盤が緩んでいる状態は幼少期からの環境要因ともともとの気質的要因が縄を編むように複雑に絡み合って形成されます。ですから、パーソナリティ障碍はストレス因がなければ至って健康なのですが、他の人にとってストレスにならないようなことが本人にとってはパーソナリティ全体を揺るがすようなストレス因になるのです。ですからパーソナリティ障碍とはパーソナリティ構造が病的なのです。
3.パーソナリティ障碍とは?
パーソナリティ障碍とはパーソナリティ構造が緩んだ状態なので、患者特有のストレスがかかると「パーソナリティが機能しない」という状態が起きるのです。このことを説明するために、アメリカ精神医学会が2013年5月に出版した「DSMー5」のパーソナリティ障碍の定義を引用しましょう。
「パーソナリティ障碍とは、その人の属する文化から期待されるものより著しく偏った内的体験および行動の持続的パターンであり、それは幅広い領域で柔軟性に欠け、思春期もしくは成人早期に起こる。そしてそれは、長期にわたって主観的な苦悩をもたらすと同時に健康を損ない、他の精神障碍に由来しないもの」。
分かりにくい内容ですね。「挨拶」の喩えで説明しましょう。挨拶を返して貰えなかったAが@の反応のように立腹したと仮定します。ここは世界一礼儀正しいと言われている日本です。入社間もないA君が上司Bに腹を立てるというエピソードは著しく偏った反応だと考えられます。いつもB君は挨拶を返してもらえないことに腹を立てるとすると、尊大で傲慢な性格故に、他者は自己を称賛するために存在するとさえ考えているかもしれないですね。
この内的体験と行動の持続的パターンが会社だけでなく、同僚や知人との間でも繰り返されて、そのこころのクセを変えることができないとすると、常にA君は「なぜ僕は馬鹿にされないといけないのか」と、怒ってばかりいることでしょう。こころの中は怒りが充満し少しも面白くない。怒りをコントロールできないと、人や物に当たり、夜は眠れなくなり、飲み過ぎて二日酔いを繰り返すかも知れません。遂には高い確率で会社を辞めることになるでしょう。
このような病的なパーソナリティ特性が長期にわたって苦悩と障碍impairmentを引き起こすときにパーソナリティ障碍と診断されるのです。それ故に、様々な精神障碍を引き起こしやすい、柔軟性のないパーソナリティ特性をもっている人と理解できます。彼らは自分のこころの中に起きた出来事にも環境にも柔軟に適応することが苦手ですので、将来の自己像が描けなくて、対人関係で悩み、とても生き辛い人たちなので、自殺を考えることも多く、落ち込みやすく、夜も眠れずに悶々とした生活を送る人が多いのです。
ここで気になる個所があります。発症が「思春期もしくは成人早期」というところです。私の臨床経験では、発症はもっと早くから起きているという印象を持っていましたので、ずいぶん前になるのですが、境界性パーソナリティ障碍のパーソナリティ発達を調べたことがあります(第86回日本精神神経学会総会シンポジウム「境界例の病理と治療』鹿児島、1990.)。
結果は、上記に記した病態水準で説明しますと、精神病水準の患者さんは思春期以降から突然、パーソナリティ機能不全に陥り、神経症水準の場合は幼稚園から小学校低学年の間は問題の発生は少ないけど、幼少期と思春期で様々な問題が発生し、境界例水準で幼少期から思春期以降までずっといろいろな問題が発生しているという事実でした。このことは、パーソナリティ障碍の患者さんは幼少期からパーソナリティ発達の問題を抱えながら成長しているということを表わしていると思います。
4.DSM-5のパーソナリティ障碍の定義
早速、2013年にアメリカ精神医学会が出した「精神疾患の診断・統計マニュアルDSM-5」のパーソナリティ障碍の定義を見てみましょう。前評判では、DSM-W-RTから大きな改訂があるという噂でしたが、DSMのパーソナリティ障碍の診断は以下のような方向で進めていきます、という代案を参考資料(付録)として載せていますので、各障碍については「パーソナリティ障碍とは何か?その2」で説明することにします。
1)DSM‐W‐TRからDSM−5へ
専門的なことは抜きに説明しますと、DSM‐V以来、複数の診断項目の中から数個以上の項目を満たすカテゴリー診断は、シンプルで十分なトレーニングを積まなくても誰でも使える診断法でした。非常に簡易で便利なので、インターネットで調べて自分もパーソナリティ障碍ではないか?と不安になって相談に来られる方も少なくありません。本体の英語版は分厚く読み応えがあるので、次第に敬遠されて、臨床の場では専ら持ち運び便利なコンパクトサイズのポケット版が重宝がられました。
その上、DSM診断では併発する障碍が多いのも欠点です。代表的な境界性パーソナリティ障碍を例に説明しますと、種々の不安障碍、気分障碍、解離性障碍、摂食障碍、睡眠障碍、一過性の精神病障碍など、を七夕の短冊のように併発するのです。これでは何を目標に治療したらよいのか患者さんも困るでしょう。しかもパーソナリティ障碍の症状は出たり消えたり、時間と場所によって別の病的な部分が出現し、状況に左右されるので、診断が医師によって違うことが少なくないのです。DSMで診断すると、「私は]先生にはパニック障碍、Y先生にはうつ病、Z先生には境界性パーソナリティ障碍と診断されました。一体、私は何なのですか?」という事態になるのです。
2)DSM-5のパーソナリティ障碍代案
DSM-Wの批判に答えてDSM‐5では何が変わったか。いろいろな症状を生み出すパーソナリティ構造、つまり地盤が緩んだパーソナリティ構造を見ていこうという野心が見えます。しかし、煩雑過ぎて使えないのです。
クライテリアは表1の通りです。
表1
A.パーソナリティ機能(自己/対人関係)の中等度以上の障碍
自己:同一性identityと方向性self-direction
対人関係:共感empathyと親密さintimacy
B.一つあるいはそれ以上の病的パーソナリティ特性
5つの広いドメインと25の特性ファセット
陰性感情、脱愛着、敵対、脱抑制、サイコティシズム
C.柔軟性がなく幅広い範囲で見られる
D.思春期or成人早期から長期に亘って見られる
E.他の精神疾患で説明できない
F.物質or身体疾患の直接的な生理学的作用でない
G.発達段階or社会文化的環境を考慮して正常でない
AとBの項目が様変わりしています。そしてパーソナリティ機能、病的パーソナリティ特性という耳慣れない用語が眼に飛び込んできます。やはり人格機能、病的人格特性とは訳せない。倫理的響きを少なくするためにもカタカナでパーソナリティと使わざるを得ないですね。
パーソナリティ障碍の定義はパーソナリティ特性の適応性が逸脱しているので、正常との間で、またパーソナリティ障碍の各型の間でも区別できない融合したものなので、正常および病的パーソナリティ機能のすべての面を包括しないといけません。その基本的な次元の一つが今回採用された5つのドメインになります。
それではパーソナリティ機能personality functioningとは何なのか。定義によると、「情緒的に親しくなるその関わり方を形成する自己と他者の認知モデル」のことです。ですからパーソナリティ機能を診断することは、自分のことをどのように考えて生きていこうとしているのか、そして他人とどう接しているかを見ていくわけです。
それを表2に示す境界性パーソナリティ障碍を例に説明しましょう。DSM-W-TRでは9項目の症状の中から5つ(またはそれ以上)を満たせばよかったのに、DSM-5ではクライテリアAとクライテリアBをともに満たさないといけません。基準はより厳しくなったし、どの程度健康を損なっているかの基準もまた別に併記されています。1と2が自分に関する項目で、3と4が人との関わり方になります。
クライテリアBは病的パーソナリティ特性を診断します。パーソナリティ特性とは、その人の行動様式、感情の表出、認知の仕方、そして思考過程が、特性が明らかになりうる時間と状況を越えて比較的一貫している持続パターンのことです。そのパーソナリティ特性が柔軟性にかけ不適応をもたらし、かつ重大な機能的障碍もしくは主体的苦悩を引き起こす時に病的パーソナリティ特性と診断されるのです。病的パーソナリティ特性は、表2の様な5つの広いドメインと25の特性ファセットで見ていきます。
表2
陰性感情:不安、うつ気分、罪意識/恥、心配、怒り
脱愛着:回避
敵対:自己中(操作性、不正直、誇大性、注意を引く、冷淡、敵意)
脱抑制:快楽を求め、衝動的行動(学習しない、結果を考えない)
サイコティシズム:精神病的な思考と行動
W.さいごに
パーソナリティ障碍とは何か?という質問に答えてきました。親から貰った素因が成長過程でさまざまなトラウマを重ねた結果、パーソナリティ発達が歪められ、停滞するのをパーソナリティ障碍と考えるようになりました。パーソナリティ発達の過程で、虐待や対象喪失体験、両親の不仲による家庭内の緊張、小学4、5年生の自我の芽生えの時期のイジメや転校による学校生活からのドロップアウトと高校中退、長続きしない仕事といった出来事がパーソナリティ発達の成熟を妨げ、未熟なパーソナリティ構造のまま身体だけが大人といった不均衡をもたらすと考えています。そのために、治療は、未熟なパーソナリティ構造の成熟化が重視されます。治療は、「生きなおし」を重視する外来治療が中心になります。
参考文献
1.牛島定信編(2008):『境界性パーソナリティ障碍〈日本版治療ガイドライン〉』、金剛出版.
2.川谷大治(2004):境界性人格障碍の現在.臨床精神医学33(4);405−412.
3.牛島定信(2012):パーソナリティ障碍とは何か.講談社現代新書2180.
2017年07月08日
精神科読本11「パーソナリティ障碍とは何か?その1」
posted by 川谷大治 at 21:46| Comment(0)
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