2017年07月08日

精神科読本10「不登校の対応について」

精神科読本10『不登校の対応について』(2017年改訂版)
不登校の対応について
T.はじめに
 私が精神科医になった1980年は境界例、思春期やせ症、登校拒否、家庭内暴力がすでに話題になっていました。入院している病棟で容易にリストカットを繰り返す少女が出現し始めたのもこの頃です。少し遅れて過食症が外来を受診してくるようになりました。これらの病態はいずれも1970年代後半から精神科臨床の場で注目を集めてきたものばかりです。
 戦後生まれの若者の精神病理と言ってよいかと思います。それから遅れること10年後に引きこもり青年が登場してきました。マスコミなどで「引きこもり120万人」と騒がれたのは1995年頃のことです。現在も不登校の数は、少子化にもかかわらず、一向に減少する気配がありません。小中学生の不登校は年に12、13万人、高校中退は毎年12万人にも上る数字は不気味です。というのは、彼らが将来の引きこもり青年になるからです。
不気味なのは不登校や高校中退の若者だけではありません。たとえば1980年生まれの子どもたちは平成26年には35歳前後になりますが、彼らの3人に1人は定職に就いていないと言われています。1980年生まれの若者の数は157万人ですから、約50万人が定職についていない勘定になります。
 さて、小・中学校で登校拒否になった子どもたちの多くが将来引きこもり青年へと成長していくわけですが、私たちはこの事実から眼を逸らすわけにはいかない。子どもたちに一体何が起きているのでしょうか。本小論では、精神科臨床でしばしば出会う登校拒否や引きこもりの臨床経験からその手立てについて述べようと思います。
U.症例
 1.A子(プライバシーを守るために修正を加えています。)
 母親に連れられて受診してきた中1の女の子に「どのように困っているのですか」と、受診理由を問うと、母親の方が「学校に行けないので、行けるようになればと思って」と口を開きました。彼女は小学校5年生から学校を休みがちで、小6は友達ができて通えたのですが、中1の秋の運動会が終わってから再び学校に行けなくなったといいます。登校拒否の原因を母親なりに想像すると、もともと走ったりする競争が大嫌いなのと友達とのトラブルが原因だったようです。母親が車で学校まで送るのですが、車の中でお腹が痛くなって車から降りられなかったこともしばしばで、母親は「無理に行かせないほうがいいですかね」と訊ねてきました。私は「車に乗るということは学校に行きたい気持ちもあるのでしょう。しかし、いざ車を降りて学校の門をくぐる段階になると、自分の思いとは別に登校をストレスに感じる心もあるようですね」とコメントしました。そして「学校に行けなくなっている子どものほとんどが、内心では強く学校に行きたいと思っているようですよ」と彼女の心理を代弁すると、彼女は眼を合わせて頷いていました。
 彼女は幼い頃から人見知りが強く雷や火事をとても怖がる子どもでした。夜泣きや癇癪で育てるのに手のかかる子どもだったらしく、5歳のときには熱性けいれん、爪噛みは中学生になった今でも続いているといいます。習い事は彼女が嫌がって通っていません。その理由を彼女は新しい環境になじむのに時間がかかるからと低い声で説明していました。
 治療は週に1回母親同席面接を続けていきました。彼女は何事にも自信がなかったと語りました。そして、いろいろなことに不安が起きるといいます。「眠れない時に火事や地震や事件があったらどうしよう、自分に降りかかってくるのではないか、窓に鍵がかかっていないかどうかすごく不安になってくる」という話を語り、学校という存在が恐怖の対象になっていることが分かりました。不安の対象が担任の先生であったり、学校そのものであったり、友達関係であったりすることが語られるようになりました。
 数ヶ月後、挨拶する彼女の声の清々しさに「あなたは野球場のウグイス嬢かアナウンサーになれると思うよ」とコメントすると、彼女は顔を真っ赤にして照れていました。そして、遅れている勉強は家庭教師に見てもらうようになりました。あるとき彼女は詩を書いてきました。今は学校に行けないがいずれは自分も学校に通えるようになって「自分を誇れる」ようになるという内容の詩です。
 3年生になってクラスには入れなかったのですが、学校に顔を出すようになりました。5月の修学旅行には私の後押しもあって参加することになりました。参加した感想を彼女は「クラスメートが自分に気を使ってくれるのが嬉しかったけど、気を使われている自分が情けない」と語りました。自分が然るべき人間でないことを愁いえているわけです。それでも修学旅行に行けたことは自信につながったようで、診察のときには「がんばっています。勉強も前より興味が湧いてきました」と明るくなってきました。
 さらには、家庭教師に来てもらって、秋には家庭教師に質問ができるようになったと報告しました。彼女は「年上の人に質問ができるようになりました。前は言えなかったんです。口答えしていると思われているのではないか、嫌われるのではないかと怖かったんです」と嬉しそうに報告しました。この家庭教師に対する態度や感情は、実は父親に向けられているものと同じで、家庭では父親に丁寧な言葉でないと話ができない、ということが明らかになってきました。「お父さんにはなぜかしら緊張するんです」と彼女は何度も首を傾げていました。
 そして3月の卒業式を迎えることになりました。その1ヶ月前に彼女は「もう一度中学生をやり直したい。中学の勉強はほとんどやってないし、このまま高校には進みたくない」と相談してきていました。私にはその考えが素晴しいことに思えたので、高校受験を失敗したために1学年下の私たちと中3をやり直した先輩のことを彼女に話しました。彼女は私に勇気付けられて担任に自分の思いを相談しました。すると担任は「お前はそれでよいのか」と言って卒業することを強く勧めたのです。私は「それは先生の間違い。大人はあなたに中学教育を受けさせる義務がある」と説明して、再び、担任に相談するように勧めました。
彼女の思いが通じて、中学2年を再びやり直すことになりました。しかし、2学期から腰砕けになって、母親から「自分で決めたことなのに」と責められる一幕もありましたが、それに言い返すことができるようになったのが印象的でした。彼女の学力は上がり、入学試験を受けて高校に進学することができたのです。その後、元気に高校にも通い、治療も終わりました。
 2.症例のまとめ
 1)精神科診断を含めて
 精神科診断は「学校恐怖症」になると思います。彼女はもともと臆病なところがあって、苦手な運動会が終わった中1の秋から学校に通えなくなっています。母親は原因をあれこれ探します。しかしこれといって母親を納得させるものはありません。そのため、強引に車に乗せて、登校刺激をしました。しかし今度は、身体反応のために、彼女は車から降りることができません。スクールカウンセラーにも相談しましたが、埒が明かないために、当院を受診することになったのです。
 私の対応は、彼女が何を恐れているのかをはっきりさせ、怖気づいたこころに自信を持たせることを治療の目標にしました。そのためには、彼女のニーズを汲み取り、彼女にこちらが合わせる必要があります。つまり、学校に行かせようとするのではなく、行けなくて情けない気持ちで一杯になっていることを理解するのです。
そのことを彼女との間で話題にして、両親にすまない気持ちでいること学校に通えない自分に情けなくなっていることを母親に理解してもらうことが、母親同席面接の治療で重要なことになりました。
そして、登校拒否の子どもの治療の中でもっとも重要なことは、彼らが学校に通いたい気持ちが強いことと、それが叶わないために空想の中で自分を膨らませていること、その反面、現実社会にとても臆病になっているという事実です(中島敦の「臆病な自尊心」)。
 私の理解と共感によって、彼女は、自信を取り戻しました。2年生になって学校の門をくぐるようになったのです。その時の臆病な心をいろいろな形で彼女は表現してくれました。一方で、遅れている勉強にも家庭教師をつけて手をつけるようになりました。そして修学旅行にも参加しました。教室には入れないけど彼女は少しずつ元気になってきたのです。そして大人に対する緊張が「自己主張=口答えになっていると思われる」ことが原因であることがわかったのです。反抗する自分を認めるようになったのです。
 2)登校拒否と日本人
 問題は中学卒業の前に起こりました。この問題はとても重要なことです。彼女は中学をもう1年間やり直したいと思ったのに、それを担任から「お前はそれでよいのか」と拒まれたのです。なぜ担任は「お前はすばらしい」と言えなかったのか。ここに日本人の欠点が如実に現れているような気がします。登校拒否の子どもが中学を卒業させられるときに複雑な思いをするであろうことは皆さんも理解できるでしょう。彼らは誰一人として胸を張って卒業していないのです。学力も皆よりも遅れているし、何よりも挫折感でいっぱいで、そのような心理状態で高校に入ってやる気が起こるわけはないのに、教育者も親もその道を勧めるのです。それもあって毎年12万人の高校生が中退していくのです。
 登校拒否になる子どもたちはもともと完璧主義でコミュニケーションが苦手な人たちが多いようです。自分の理想とする姿を追い求めて現実と理想の隔たりに苦しむ者、周囲の期待を取り入れて自分を見失っている者、集団に馴染めない者、対人恐怖などの不安症状に苦しむ者、誇りが高すぎて孤立している者、皆プライドが高くて「現実の自分」を否定しているのが特徴です。
 現実生活に挫折しているので自信が持てないでいるのです。中学はみんなと一緒に卒業はしたいけれども、それに見合うだけの自分を獲得していないので、自信を持てないで悶々としているのです。大人たちは形式を優先し、彼らの劣等感に目をつぶっています。これは悪しき員数主義です。なぜ彼らに「このまま卒業してよいと思うのか」と直面化してやらないのか?なぜ、嘘っぱちの人生を歩ませようとするのか?このような疑問が起きることから彼らの支援が始まるのではないかと思います。努力しないのに報われるはずはありません。そのことを彼らは十分に分かっているのですが、そのことを口にする勇気がないのです。
V.登校拒否と引きこもりの理解と援助について
 症例から学んだことを踏まえて、これからは、一般的な登校拒否と引きこもりの理解と援助について私の考えを説明しようかと思います。
 1.登校拒否の援助
 (1)本当は学校に通いたい気持ちが強いことを理解する
 まず、登校拒否の子どもと接したときの治療的姿勢は彼らの心理に合わせることです。学校に行けないあるいは学校に行くのを拒否している彼らはわれわれと同じ土俵にいないことを理解することから援助は始まります。どういうことかといいますと、私たち大人は、教育を受けることの大切さを十分に理解していますが、彼らはそれよりも学校に通うことの負担のほうが大きいので学校を避けようとしているのであって、この時点で同じ土俵に立っていないのです。このことを認識していないと、自分たちの土俵に上がらない彼らを、「甘ったれている」「楽な道を歩こうとしている」「根性なし」「最近の子どもたちにはあきれる」といって批判するだけに終わってしまいます。批判されてこころを開く子どもはいないでしょう。つまり、登校拒否の子どもと接したときの私たちの治療的姿勢は徹底して彼らの心理に合わせることに尽きるのです。
 ただ「行きたくないのなら学校には行かないでいいのよ」とでたらめなことを言ってはいけません。学校に行かなかったら、そして十分な教育をうけなかったら、将来自分で自分の道を切り開いていける人間に成長しないということは目に見えています。登校拒否の子どもに、なぜ「学校に行かなくていい」というごまかしを言うのだろうか私には分かりません。彼らと対峙するのが怖いのでしょうか。学校教育も家庭教育も子どもが大人になるのに必要なことなのです。
 次にいよいよ登校拒否の原因が何なのかを考える段階に移ります。いよいよというのは治療初期に原因探しをしてはいけないということです。学校に行けなくてプライドはズタズタに傷ついているのに、原因探しをされると、さらに臆病になっていくからです。登校拒否の原因は彼らの口から語らせることが大原則です。先走りして原因をあれこれ言うのは彼らの口封じにつながります。「鉄は冷めてから打て」です。登校拒否の原因は男子と女子で違いがあります。男子に多いのは能力の限界に気づいて万能感が傷つくこと、それは学業成績やクラブ活動などで多いのですが、それが原因で学校に行かなくなります。他方、女子の場合は、それに加えて友達との関係がうまくいかないといった問題が追加されます。努力しても成績が上がらないという現実は彼らを焦燥の炎の中に陥れることは知っておくとよいでしょう。
 (2)主観的万能感を復活させる
 このように、彼らの立場に合わせ、プライドを尊重する姿勢を続けていると、彼らの多くが自分のことを分かってもらったという安堵感が生まれると同時に、もう一度、自分も以前のようにやれるのではないか、という主観的万能感が復活するのです。しかしそれは現実に根ざしたものではないので、彼らのこころは揺れ動きます。彼らの元気さは仮初のものなのです。
 中には思い立って登校しようとする子どもも現われます。親もその姿に拍手を送るのですが、この時期は「待った」をかけたほうが無難です。小学低学年の児童かあるいはいじめなど現実問題が登校拒否の原因でなければ、2、3ヶ月は登校を見送ったほうがよい。その時に登校刺激しないことを親にも学校関係者にも理解させておくほうがよいのです。早すぎる試みは、かつて体験した挫折の不安を呼び起こすか、実際に現実に失敗するものなのです。待っている間に、彼らは自慢話をするようになります。提示した症例は私に「詩」をプレゼントしました。それに主治医が関心と興味を示すと、いろいろな形でこのような主観的万能感に満ち溢れて元気になるのです。そして遅れている勉強をどうするかを一緒に考えることも重要になってきます。この段階をクリアしない子どもは次の段階には進めません。
 (3)いよいよ主観的万能感を現実化させようとする。
 さて、学期が変わり、新学期になります。遅れている勉強の対策に腰を挙げるようになった子どもたちは、実際に登校を開始し始めます。ここからが精神科医の腕の見せ所です。精神科医には薬物治療という強い味方がいます。彼らの不安を軽減し、登校に負担がかからないようにしてあげることが可能なのです。それでも、くじけそうになってくる者もいます。その時に、主治医に依存的になって「どうしたらよいか」と治療者を万能視する者と、挫折して治療に通わなくなる者が現われます。この「どうしたらよいか」という問いは、子どもが自身の万能感を捨てて他者にその代理を求めてくるとても重要な現象です。そのとき主治医は彼らをなんとしてでも登校させようと欲望は持ってはいけません。彼らの治療のポイントは登校よりも、登校拒否の原因となった万能感の傷つきにあるからです。子どもっぽい万能感から身の丈にあったものへと移行するのを援助することにあるからです。この過程を辿ると、遅くても小学生は中学校で、中学生は高校に入ってから順調に成長していくのです。
 2.引きこもり青年の理解と援助
 さて、幼児的な万能感に支えられて引きこもりを続けている若者の援助に話題を移しましょう。以上の過程を辿れずに、高校を中退し、長い引きこもりに入っている若者の援助です。結論ははっきりしています。男性の場合は予後が悪く、女性の場合は何とか社会に参加していけます。それはなぜか?女性の場合は友達が救ってくれるけど、男性の場合はその友達を拒否するからです。
 (1)『臆病な自尊心』の引きこもり青年
 ここで働かない青年、夏目漱石の『それから』の主人公代助に登場してもらいましょう。主人公の代助は、30歳になるのに、一向に働こうとしない裕福な家庭の高等遊民です。これまでに何度も縁談は断って、書生と女中2人を雇い、優雅な暮らしを続けています。
代助は非常な癇癪もちで臆病な子どもでした。思春期に父親と取っ組み合いの喧嘩をしますが、学校を出た後は、癇癪はぱたりと已んで、大人しくなります。そして彼は「有用な人」を重視する儒教が大嫌いな人間に成長します。彼自身は地震が怖くて、不安性です。また毎朝鏡の前で自身の容姿を愛でる、そういう意味では旧時代の日本を乗り越えた人物でもあります。しかし、経済的には父と兄に頼り、その父と兄を軽蔑もしているのです。その彼が兄嫁との対話で次のようなことを吐きます。
 代助:「僕は所謂処世上の経験呈愚かなものはないと思っている。苦痛があるだけ
じゃないか」。「パンに関係した経験は、切実かもしれないが、要するに劣等だよ」
嫂:「それ御覧なさい。あなたは一家族中悉く馬鹿にしていらっしゃる」
そんなときに、大学時代の友人平岡が金を借りに来ます。しばらくして、平岡の妻三千代が代助のもとを訪ねてくるようになります。何度か三千代と会うあいだに代助は三千代に愛の告白をするのです。それは社会的に許されないことなので、父と兄は怒り、代助は経済援助を打ち切られます。三千代は度胸が据わり平静でいられるのですが、代助は落ち着きません。代助は書生に「僕は一寸職業を探してくる」と言って外に飛び出して発症するところで物語は終わります。漱石はその時の代助の心理状態を「焦りの炎は真っ赤に代助の頭を焦がす」と描写しました。
 このように働くことを否定していた代助が働く気になるのは、愛する三千代のためなのです。ここに引きこもり青年やニートの青年の立ち直るきっかけがあるのではないかと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。
 (2)引きこもりからの脱出:脱自己中心性
 彼らが立ち直るきっかけは様々ですが、恋愛・結婚、祖父母や親の死、など自己中心性からの脱却が必要になります。登校拒否や引きこもり青年の多くが自己中心の世界に住んでいます。いやそうではない、彼らは周囲の空気を読み、他者配慮的な生き方をしている者も少なくないのではないかという疑問をもたれる方もいるでしょう。しかしよくよく考えると、彼らの他者配慮性は保身のためのものであって、誰かのために自分を犠牲にすることではないようです。
 この脱自己中心性は前思春期の発達課題です。子どもたちは家庭では自分が中心だったのに学校社会ではみんなと同じ扱いをされるという試練に直面します。その自己愛の傷つきを癒し屈折したこころを開放させるのが友だちの存在です。何らかの理由で友だちを作れなかった子どもたちは10歳前後の「自我の芽生え」の時期に傷つき、彼らを傷つける社会を回避するようになるのです。幼児的万能感を頼りにしている長期引きこもりの青年には友だちとの会見でさえが苦痛をもたらします。それは精神科に通うことを拒否する理由の一つになります。
 この幼児的万能感の扱いが治療の要になります。登校拒否の対応と同じように、こちら側が彼らに合わせることから治療は始まります。引きこもりは心理的にとても辛い状況にあるということをとことん聞いていくのです。その過程で彼らは主観的万能感を膨らませていくのです。ただ主観的万能感を膨らませた後の「僕は思っているほどの人物ではなかった」という脱錯覚化過程が治療の結果を左右します。
ある35歳の引きこもり青年が私のもとを訪ねてきました。「それまでの精神科医は自分の希望の薬を出してくれなかったが、先生はよく話を聞いてくれた」と主観的万能感が復活し、自動車免許をとり、両親を阿蘇のドライブに誘い、そしてアルバイトを経験して、37歳の時に正社員として働くようになりました。ところが、どうあがいても年収200万円しか稼げなかったのです。
 たとえ立ち直ったとしても、ポスト工業社会の到来後、支配的になった経済様式ニューエコノミーによって、労働生産性が高い仕事と低い仕事の間に分断が生じた今日の社会では、教育も満足に受けていない彼らにとって、ワーキング・プアという年収100万円以下の少ない額しか稼げないのです。賃金の安い仕事しか彼らには用意されていないのです。努力が報われないという現状が彼らの前に立ちふさがっているのです。また、たとえ賃金のよい仕事が供給されたとして、果たしてどれだけの者がその仕事をやり遂げることができるでしょうか。ここに努力が報われない社会という過去の傷つきが再現されるのです。「それでよし」と考えることができるなら社会では生きて行けますが、収入の少なさは決定的です。
W.まとめ
 これまで登校拒否と引きこもりの精神力動と対策について述べてきました。登校拒否は何とか援助できるが、長期の引きこもりに対しては、心理レベルを超えた社会的問題が大きな壁になって、彼らの立ち直りを不可能にしていることを指摘しました。残念ながら、教育を満足に受けていないために劣等感と幼児的万能感のジレンマにある引きこもり青年にとっては、立ち直ったとしても「努力すれば報われる社会」が幻想であることを再び身に沁みて体験することになるのです。悲観的な話ですけどそれが彼らの現実なのです。
posted by 川谷大治 at 21:36| Comment(0) | 日記
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