2017年07月08日

精神科読本9「引きこもり青年について」

精神科読本9「引きこもり青年について」(2017年改訂版)
                『引きこもり青年について』
T.はじめに
 「引きこもり」の青年から話を聞きますと、彼らは遊んで暮らしてはいないことが痛いほどよく分かります。20歳過ぎても働かずに、テレビゲームに耽って、楽だろうと想像する人もいます。ぶらぶらと非生産的で何もしていないという意味では遊んでいますが、少なくとも彼らは生活を楽しんではいません。彼らは現実生活から遊離し、劣等感と挫折感に悩まされ、現実を逃げ回っているのです。プライドはずたずたに傷つき、魂の救いを仮想の空想世界に求めているわけです。しかしそれは空しさだけが残る試みです。自分の存在の確認ができません。「働きもせずに、一体、僕は生きていてよいのだろうか」、「何のために僕は生きているのだろうか」という自分に対する問いが彼らを苦しめつづけるのです。彼らをどのように理解し援助したらよいのか、私たちはスペードのエースをもっているのでしょうか。この問いに対する解決策が「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」というキーワードです。中島敦著『山月記』に出てくる言葉で、授業に出ているなら、高校生時代に国語の教科書で習っています。このキーワードは彼らと共有することができます。
U.中島敦の『山月記』より
『山月記』は唐代の伝奇小説『人虎伝』を素材にした物語で昭和17年に発表されました。ずい分前の物語が現代の若者の心理を知る手がかりになるのです。物語は主人公の紹介から始まります。
「主人公の李徴はたいへんな秀才で、若くして進士になったが性格が人を頼りにしない上に協調性に欠け、下級官吏を嫌って、役人生活をやめ詩人として名を得ようとした。彼は人と交わりを絶って、ひたすら詩作に耽ったが、文名は容易に揚がらず焦燥感と絶望感に駆られるようになった。数年後、妻子の衣食のため、再び地方の役人に戻ったものの、それは一方で詩業に半ば絶望したためでもある。しかも、かつての同輩はすでに遥か高位に出世しており、屈辱感・劣等感に苛まされる。ついに李徴は発狂、闇の中に姿を消してしまうのである」。
李徴はどこにも自分の自尊心を満たすことのできる場所を見出すことができずに、不満と苛立ちから発狂したわけですが、物語は、虎と化した李徴がかつての友人と出会い、草むらに身を隠したまま対談することになります。なぜ彼は自分の居場所を見つけることができなかったかを、友を相手に彼なりに分析するのです。以下に原文を引用します。
 「何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当たるいことが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて人との交わりを避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、嘗ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍すること潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」のである。
人間は誰でも猛獣使いで、「猛獣」を飼いならしながら生きなければならないのに、李徴は「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を「飼いならす」どころか「飼いふとらせた」結果、虎になったのです。せっかくの才能を「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」とのせいで磨くことができないで無駄にしてしまい、空費された過去を自嘲し、最後に山にかかる月に向かって咆哮、虎となって消えるのです。
 この下りは、幼い頃からあまり問題も起こさず、親の期待通りに育ってきた子どもが、ある日突然、学校に行かなくなり、そのまま家に引きこもり続ける青年の心理をよく描いています。思春期は自己愛のエネルギーが最大になる時期です。ですから、社会から離れて生活することは大変、苦痛を伴うことなのです。ここをしっかり押さえておくと、彼らの引きこもりの原因がわかり対応策も自然と生まれてきます。
V.不登校、家庭内暴力、そして引きこもり
 私は、不登校から家庭内暴力へと発展する引きこもり青年の個人精神療法(カウンセリングの類)から、彼らの引きこもり形成過程を以下のように考えるようになりました。彼らの多くが中学生の頃に不登校になります。その多くのきっかけは自尊心(自己愛)の傷つきが主な原因です。部活の柔道で下級生に投げ飛ばされた、野球の試合中に監督からバンドを命じられた、クラスメートにからかわれた、クラス担任に誤解を受けた上に侮辱された、成績が思うように伸びない、などです。それは、周囲には些細なことのように思えるのですが、彼らにとっては人格を根底から揺さぶる問題に発展するのです。しかし彼らは何故自分が不登校をしているのかよく説明できません。立ち直った頃に説明できるのです。
 存在感の希薄さは耐えがたく、学校を休むようになると、両親から「学校に行かないでどうするの」と追い立てられます。学校に通わせようとする親に「家庭内暴力」を振るうようになり、傷ついた万能感が復活するのです。このとき、暴力を振るうときの人格は、弱い親を殴る強い自分(→万能感溢れる強い自分)と強い自分に殴られる弱い親(→存在の無い弱い自分)に分裂しています。この分裂は現実生活での自己愛の傷つきを否認し万能的に修正しようとする試みなのです。気に食わないと家族に容赦なく暴力を振るい、自分の劣等感と無力感に身を曝すのを避けるために彼らは家に引きこもる。しかしそれで彼らの痛みが消えるわけではない。かといって現実に身をさらけ出すには臆病すぎるので李徴と同じような苦しみを味合うことになる。家庭内暴力の際に見られた人格の分裂現象は、次第に臆病な自尊心という虎を飼い太らせ、虎の自分と人間である自分との分裂現象に変わっていくわけなのです。この引きこもりを可能にするのが、嫌なことを回避する技術をおぼえたこと(親の養育と社会の風潮が関与)と、それを支える便利な生活とテレビゲームなのです。
W.不登校は病気なのか? 
 先に、引きこもり青年の予備軍は不登校だと述べました。不登校は精神科的な病気なのかどうかを説明しようと思います。不登校は病名ではありません。平成3年に文部省が学校を長期休んでいる子どもにたいしてつけた言葉です。子どもの不登校にはうつ病や統合失調症が潜在している場合があります。筆者の経験では不登校の子どもの30%にうつ病が隠れているような印象をもっています。ですから、不登校が長引く場合は、児童・思春期専門の精神科医に相談することが大切になってきます。また、上記の病気を併発していなくても不登校の子どもには精神科的援助が必要になる場合があります。かなり、追い込まれているわけですから、二次的にうつ状態に陥る子どもがいるからです。
X.引きこもり青年へのアプローチ
 引きこもりに発展すると対応は難しくなるので、不登校段階での対応が大切になってきます。以下に、日頃ご家族にアドバイスしていることを述べることにします。
 @なぜ学校に行きたくないのか子ども自身がよく説明できないので、子どもを「どうして学校に行かないの」と追い詰めない。原因探しをしていると、不登校がいじめや学校問題、さらには親子関係へとすり変わり、不毛の議論へと発展し、子どもの心をサポートできなくなります。少なくとも、2、3週間は不登校を保証し、休養させる。すると子どものほうから、取り残される不安や焦りが強まり、学校に行く、学校をやめる、通信教育を受ける、などの言葉を発するようになります。このとき親は、学校を止めたいという子どもの言葉に挑発されない、学校に行くという言葉を手放しで喜ばないことが重要です。自尊心の傷つきの理解に努め、言葉の真意を汲むことが大切です。このような対応の中で、休養しても疲れがとれないでいる場合、うつ病や分裂病が潜在しているときがあるので、思春期を専門とする精神科医の診察が必要になります。子どもが受診に抵抗する場合は家族だけでも精神科を訪れるとよいでしょう。その際、「本人が来ないと治療できない」という精神科医には見切りをつけ、専門医を紹介してもらうことです。家族の相談のみで十分に対応可能なケースもあるからです。また、家庭内暴力を振るう子どもの家系にはうつ病が高率に見られ、抗うつ薬が奏効するケースがあるので精神科受診を躊躇しない方がよいでしょう。
 A親はあなた任せにならないこと。子どもの不登校を解決するのは子ども本人であること。決して教育機関でも医療機関でもありません。親にできることは何もないと言ってよいくらいです。せいぜい出来て、苦しんでいる子どもの心を援助するくらいです。家族が社会から孤立しないように勇気を出すことも大切です。父親も仕事を切り上げいつもより早く家に帰るようにすることも必要です。このような両親の対応で立ち直る子どもは多いのです。また、教育の場を失うことで子どもは焦り、無力感から些細な理由で暴力を振るうようになることがあります。親子関係が上手く機能し十分に休養が取れると、学校に戻る時期が来ます。そのとき、現実的な方向づけや登校刺激のタイミングは難しいのですが、失敗をおそれずに互いに話し合える関係を維持するように努めることが大切になってきます。
 さて、このような対応にもかかわらず引きこもりが続いた場合はどうするか、です。
 B大切なことは彼らの自尊心の回復です。そのためには、子ども自身の個人精神療法(1対1で行なわれるカウンセリングの類)や集団精神療法が必要になってきます。また、彼らの多くが抑うつ状態に陥ることが多いので、なかには薬物治療で気分を改善させ、将来への不安と焦りを軽減させることも必要になります。専門的な援助の場を家族が保証すると同時に、家族も彼らの自尊心の傷つきに理解を深めることが重要です。すると、子どもが常識ではなかなか理解できない神経質さや臆病さの故に、社会から引きこもっていることがわかるようになります。このことは多くの家族が薄々感じていたことでもあります。ここまで来ると回復過程の半分まできたことになります。あとは、彼らの変化を褒めることに尽きます。そして失敗したら励まさずにそっとしてあげることです。子どもの方から話をしていたときに励ましたらよいでしょう。励ましが早すぎると、家庭内暴力や自殺企図が見られることがありますので注意してください。
 次に、子どもと一緒に社会について考えてみてください。「社会」という言葉の語源は、「お祭りの日に神社に村人が一同に集まる」という意味です。皆が顔を会わせると意味です。何も働くことだけが社会復帰ではありません。社会復帰は家庭で家族が顔を会わせることから始まるのです。叱ってばかりいないで子どもと顔を会わせる機会を作ることが大切です。この努力を家族はする必要があります。そして次に、遅れた教育を受けさせることが大切になってきます。「教育」の意義は、大きくなってから一人で生活できるようになるのに必要なことを学ぶことにあります。今の学校教育ではこのことが忘れられています。十分に話が進むと、後は子どもに任せていた方が結果は明るいことが多いようです。幼い頃、得意だったことをやり始めて引きこもりから脱出したケースもいました。
 最後に、引きこもりには長期の対応が必要になってきますが、それだけに親も子供も社会から置いてかれる不安が強くなります。それだけに、家族が先ず社会から孤立しないようにしてください。
Y.当院での試み
 当院では3つの治療プログラムを用意できます。最初に、当院を受診されたら診断確定のために問診と心理検査を3、4週にわたって行います。問診では、幼少期からの生い立ちを中心にお聞きし、持って生まれたパーソナリティ特性と家庭や学校の環境要因を明らかにしてパーソナリティ発達を力動的に把握していきます。その過程で必要ならロールシャッハテストを行い、社交不安症や発達障害などの症状評価尺度を用いて現在症を客観的に評価します。
 言語表現能力の豊かな人には@対話によるカウンセリング(専門的には心理療法と呼びます)を提供します。人と親密な関係を築くのが苦手な人のためにはしばらくのあいだ主治医の診察を定期的に続けながら、オーダーメイドの治療プログラムを一緒に作成していきます。長いあいだの引きこもりのためにうつ状態があればA薬物治療を行うこともあります。引きこもりの方の中には小学生の頃から社交不安症で苦しんでいる方が少なからずいますので、対人緊張を軽減するための薬物治療を選択する場合があります。最後に、社会に出ていく準備のために、B社会心理療法のショートケアや集団精神療法、さらには併設している就労支援A型施設“ドンマイ”(川谷医院のホームページからアクセスできます)への導入へと繋げていきます。ドンマイで2年ほど働いたら次にスタッフと一緒に社会参加を模索していきます。
 以上、当院では心理療法、薬物治療、心理社会療法の3つを組み合わせた治療プログラムを提供し、社会参加が可能になることを目標にしています。
posted by 川谷大治 at 21:30| Comment(0) | 日記
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