2017年07月08日

精神科読本5「心身症ー心療内科」

精神科読本5「心身症―心療内科」(2017年改訂版)
                   『心身症―心療内科』 
T 心身症とは何か
 私事で恐縮するのですが、6歳の頃、私はハゼの木にまけて顔全体に湿疹ができたことがありました。従弟と2人で山に入ってハゼの木を切ったのが原因でした。1週間ほどで治りましたが、6年後の12歳の夏、再びハゼまけにかかりました。この時、ハゼの木に触った覚えがはっきりしなかったので、不思議に思いました。すると、親戚のおばさんから「ハゼまけはハゼの木の下を通るだけでもかかる」という信じがたいことを聞かされたのです。その言葉は私のこころに残りました。この疑問に応えてくれたのが大学時代に読んだ池見酉次郎先生の『心療内科』という本でした。池見先生は、昭和36年に九州大学医学部に精神身体医学(心身医学ともいう)の研究所を設立し、38年には心療内科(精神身体医学の臨床講座)へと発展させ、わが国で最初に心身医学をおこした人です。大学4年生の夏休みに九大の心療内科を訪れて1週間の研修を受けたのは楽しい思い出になっています。
 私は大学を卒業して精神科を専攻したのですが、不登校の子どもたちの治療をしているときに、再び心身症に興味を持つようになりました。不登校の子どもたちに心因性の発熱や虫垂炎(いわゆる“盲腸炎”)の既往が多いことに気づいたのです。それも、虫垂炎にかかる時期を訊ねると、夏休みに入る直前や行事が済んでホッとしたときという返事が返ってきました。それで虫垂炎に関する論文を集めました。その時に外科医である小坂先生の『がっかり盲腸』という古い論文に出合ったのです。従来、虫垂炎は「非文明国に少なく都会に多く田舎に少ない」と言われていました。小坂先生は、昭和28年に虫垂炎の発症と精神的緊張の関係に注目して「虫垂炎は精神的緊張の弛緩するときに起こしやすい」と発表しました。それが毎日新聞で報道されて『がっかり盲腸』という言葉が有名になったのです。私は大学では教わらなかった心身医学の領域に興味を持つようになって『日本心身医学会』に入りました(現在、送られてくる学会誌を置くスペースがなくなったのを契機に退会しています)。
 しかしこの心身症という言葉は誤解も多い専門用語です。本小論では精神と身体の関係を教えてくれる『心身症』について分かりやすく説明し、皆さまが少しでも身体とこころの仕組みについて理解し、健康維持に役立てれば幸いです。
 1.歴史と概念
 「病は気から」と言います。病気は病の気と書くのに、多くの方が「気の病」は本当の病気でなくて、「身体の病」だけが本当の病気のように考えがちです。作家の夏樹静子の『椅子が怖い』では如何に身体の痛みがストレスに由来することに抵抗するかが詳しく述べられています。意外にも医師や看護婦と言った医療に携わる人たちのなかにストレス要因を軽視する人が少なくありません。
このような風潮に果敢に挑戦したのがフロイトです(精神科読本4「神経症」を参照)。フロイトは、身体はどこにも悪いところがないのに「歩けなかったり」,「目が見えなくなったり」,「声が出なくなったり」する身体症状に精神的原因(無意識の葛藤)があることを発見したのです。それまではヒステリー症状は「嘘の病気」とか「気のせい」とか見捨てられていました。それを究明したのがフロイトなのです。
 ところがフロイト以前の西洋医学では、明治以降のわが国においてもそうなのですが、身体現象と精神現象は別個のものと考えられ研究されてきました。精神現象にまつわる領域は科学という合理性を追求する学問から問題にされませんでした。たとえ小児科医や町医者が「身体の症状が暗示で良くなる」と熟知していても、学問として扱われることはなかったのです。その二つの領域を統合させて研究したのがフロイトの精神分析学です。精神分析では「精神と身体は本質的には一体である」と考えます。ハラハラしたり,驚いたとき「胸がどきどきする」ことは誰でも経験します。精神分析では、精神的原因によって身体症状が起きることを『身体化』と呼びます。このとき病者にとって、身体症状のみに関心が向き、原因である精神的なストレスが意識から排除されている点が重要なのです。つまり、「心身症の発症過程は、原因となった精神的なものが意識から遠ざけられ、身体症状のみに関心が向く」ことにあるのです。例を挙げてみましょう。
 ケースは高血圧で苦しむ40歳代の女性です。彼女は不登校から家庭内暴力を振るうようになった高校生の男の子のお母さんです。高血圧に加えて,肩こり、頭痛、のぼせ、胸の圧迫感、などの身体の不調を伴っていました。父親は仕事にかこつけて子どもの問題は母親に押しつけました。1年後、息子さんが私の治療を受けるようになった頃のお母さんの心身の状態は最悪でした。私は母親の健康状態が気になりいろいろ質問をしました。その過程で、彼女はこの1年間、ほとんど夜が眠れないでいることが分かりました。私は睡眠導入剤を処方しました。直ぐに不眠症は治り、それだけでなく1ヶ月もしないうちに頑固な高血圧までがわずか1錠の睡眠薬で改善されたのです。それまでかかっていた内科医には、日頃の苦労は口にせず、ただ身体の訴えのみされていたと言います。
 フロイト以後、その後の心身医学の研究をリードしたのは、1930年代から40年代にかけてのアメリカの精神分析医たちでした。ドイツでフロイトの直系の心身医学に打ち込んでいたアレキサンダーは、ナチスの迫害にあい、その研究の場をアメリカに求めました。アレキサンダーはシカゴ精神分析研究所において共同研究者たちとともに、高血圧、消化性潰瘍、便秘といった身体の病気に対する精神分析治療を行いました。最初は、ヒステリーにおいて無意識的情動がどのようにして身体症状に転換されるかなど、神経症における心身相関が研究されました。次いで、消化性潰瘍や喘息など、身体疾患でありながら、その発症や経過に特有の心的葛藤やパーソナリティー、その他の心理社会的要因が密接に関連している身体疾患、いわゆる心身症が研究されるようなったのです。しかし薬物治療が進んだ現在,喘息はステロイドの吸引剤で症状がよくコントロールされるようになって呼吸器を専門とする心療内科医が少なくなっているのも事実です。
 2.心身症とは
日本心身医学会は1991年の「心身症の治療方針」の中で、心身症を「心身症とは身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的ないし機能的障害が認められる病態をいう。ただし神経症やうつ病など、他の精神障害に伴う身体症状は除外する」と定義しています。末松弘行教授は「胃潰瘍の三分の一ないしは、再発の際の心理社会的ストレスを考えると、三分の二ぐらいケースが心身症として対応したほうがよいと思われる」と述べています。
代表的な心身症に以下の病気があります。
 本態性高血圧、気管支喘息、過換気症候群、胃潰瘍、潰瘍性大腸炎、潰瘍性大腸炎、心因性嘔吐症、拒食症、過食症、糖尿病、肥満症、片頭痛、筋緊張性頭痛、慢性蕁麻疹、円形脱毛症、慢性関節リウマチ、チック、眼瞼けいれん、インポテンス、メニエール症候群、咽喉頭異常感症、耳鳴り、心因性視力障害、月経困難症、更年期障害、心因性発熱、舌痛症、などです。
 よく耳にする病気ばかりです。近代医学が「精神」と「身体」を別個のものとして考えたために、古くから言い伝えられてきた「病は気から」という視点を無くした医師が増えたのです。元来、内科の先生は「心ある内科医」でしたが、次第に「心を見ない内科医」になり、フロイトの登場で従来の「心ある内科医」に戻ることができたのです。言い方を換えると、身体だけでなく心も重視する心身症の専門家や心療内科医がいるということは、精神を排除する身体だけを学問の対象にするといった医学が存在することにもなります。皮肉なことです。
 ところがうつ病の患者は心療内科をしばしば訪れます。心療内科医もうつ病患者の治療を引き受けています。でも,精神科医である私の立場から言いますと,うつ病は精神科医に診てもらうほうがベターではないかと思います。軽症うつ病から中等度のうつ病の場合,心療内科でも十分な治療を受けられますが,精神病を伴う重症の場合は精神科医の方がよいと思います。具体的には,うつ病では心気妄想(実際に自分の身体に異常が起きていると妄想を抱く),微小妄想(自分の存在や価値はまったくないと妄想する),罪業妄想(自分は罪深くて罰せられて当然の人間だと妄想する)を持っていることがあり,しかも更年期のうつ病では自殺の危険性が高く,心療内科では管理上困難なことがあるからです。
U ストレスと病気:病は気からとは本当か
 この心身医学の波はいろいろな医学領域に波及していきました。サイコネフロロジー(精神腎臓病学)という学問があります。わが国には約10万人の透析患者がいます。透析患者は週に3、4回、それも1回4時間ほど、透析を受けないと生命を維持できません。透析を受ける人にとってはかなりのストレスになります。また、幸運にも腎移植が叶えられても、他人の腎臓を移植されることへの罪悪感や葛藤が新たなストレスになりかねません。こうした問題を扱うのがサイコネフロジーなのです。
また、サイコオンコロジー(精神腫瘍学)では、ストレスと免疫機能の研究が進みました。病名告知に関する医師の責任性、告知を受けた患者の精神的ショックの問題、死を迎えた患者やその家族への対応、などについて研究を重ねています。その中で、それぞれの患者の心を支えてきたものが再評価されてきています。死を迎えた人には「痛みを抑える、過去をほめる、身体をさする」ことが欠かせないと言われています。また癌の自然治癒が精神と免疫機能との関連で究明されてきています。笑いはNK細胞(ナチュラルキラー細胞のことで癌細胞を殺す能力を持つリンパ球)の活性を高め,癌になるのを防いでいます。たとえ癌になってもNK細胞がやっつけてくれるわけですから,日ごろから笑いのある家庭は長生きが多いのです。
 このように病気とストレスは、切っても切れない関係なのです。アメリカのホームズとレイという心理学者たちは人間にとって何がどれくらいのストレスになるかを研究しました。ストレスの第T位は配偶者の死亡 100です。第2位以下は次の通りです。2位離婚73、3位配偶者との別居65、4位刑務所に入所・服役生活63、5位家族の一員の死亡63、6位自身のけが・病気53、7位結婚50、8位失業47・・・。このようなストレスに遭うと,ストレスに負けないように人間の身体は緊張し,交感神経優位になります。身体はアドレナリンを分泌させてストレスに対応しようとするのです。ところが同時に,身体の防衛システムである白血球にも変化が現れます。細菌をやっつける顆粒球が増加し,癌細胞をやっつけるリンパ球(NK細胞)が減少するのです。つまりストレス→交感神経優位→癌細胞が増加する下地を準備するようになるのです。交感神経の優位な人はいつも活動的で積極的です。ぼんやりしていません。ですから癌で亡くなる人の多くが,「あんなにバリバリ仕事していたのに」と惜しまれることが多いのです。ですから,癌にならないためには,副交感神経優位の状態を心がけたらよいのです。モーツアルトを聴き,ゆったりする時間を作ると,アセチルコリンが分泌されて,副交感神経が優位になるのです。
 逆に,アトピー性皮膚炎や花粉症で悩んでいる人たちは,副交感神経が優位になっています。つまり免疫機能が高まっているのです。癌にはなりにくいのですが,いろんな抗原に過剰反応してしまいます。ですから,ここでは副交感神経を緩め,交感神経を緊張させたほうがよいのです。飽食を止めて腹八分の食事を心がける,30分程度は太陽に当たり紫外線を浴びて皮膚を緊張させる,適度な運動を心がけてアドレナリンを分泌させるとよいのです。
 また,ストレスになる心理・身体・社会的問題は個人によってばらつきがあります。連れあいを失って後を追うように急死する人がいるかと思えば、逆に生き生きとその後の人生を送る人がいるのも事実です。ストレスは人によって違うし、ストレスは必ずしも病気の原因にはなりません。とすると、どのような人が心身症になりやすいのでしょうか。
V どのような人が心身症にかかりやすいか
 精神科読本2「うつ病」でも触れましたが、胆嚢疾患にかかっている人にはしばしば抑うつの傾向が認められます。また太った人は快活で躁うつ病と親和性があるとも言われます。心身症にかかりやすい性格傾向も研究されてきました。夏目漱石は胃潰瘍が原因で亡くなりました。夏目漱石は『我輩は猫』のなかで自分自身を次のように描写しています。「彼は胃弱で、皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活発な徴候をあらわしている。そのくせ、多飯を食ふ」。このような人は私たちの回りに結構います。彼らはよく胃薬を飲んでいます。何がストレスになっているのか、その対処方法を身につけると薬代が助かるかも知れません。この胃潰瘍も今日では,交感神経が優位な人に多いことが分かってきています。
 心身症にかかりやすい性格や心的葛藤について研究を始めたのは上記のアレキサンダーです。特に、母子関係と心身症の関連について研究しました。アメリカの心臓学者のフリードマンは心筋梗塞になりやすい人の行動を分析しました。タイプA行動パターン(執着性格)と言われています。その特徴は、
1、言葉が早口で、語気も荒く、家族や部下にもあたり散らすことが多い
2、食事のスピードが早く、食後ものんびりすることが少ない
3、相手の話し方が遅いときや、前を走る車が遅いとイライラする
4、時間に追われている感じが強い
5、同時に二つ以上のことを並行しておこなう
6、自分や他人の行動を質より量で評価することが多い
7、貧乏ゆすりなどの落ちつかない癖がある
8、朝早くから夜遅くまで、また休日でも仕事をすることが多い
9、責任感が強いと他人からよく言われる
 このようなせっかちな人は日本にも多くいます。アドレナリンがどんどん分泌されている人たちと言い換えることもできます(交感神経優位)。彼らにこそ,ゆっくり食事をさせ,α波を増やす心地よい音楽が必要かもしれません(副交感神経優位)。モーツアルトのピアノ協奏曲21番と23番の第2楽章を聴かせたいものです。
またシフニオスが提唱するアレキシサイミアalexithymiaという概念はとても重要です。アレキシサイミアとは「心の内に起きる感情を言葉にすることが欠如している」人たちという意味です。この概念は、1967年に精神科医シフニオスによって導入されました。彼は、心身症の患者に精神分析治療を施していると、感情表出が拙い、夢を語らない、連想が進まない、自分の心の内に起きる感情に出会うと憤りを感じる、患者の一群に気づいたのです。自分の心の内に起きている感情や考えを認識し言葉にすることができない状態です。
 このアレキシサイミアは、心身症、依存症、心的外傷後ストレス障害の状態にある患者にしばしば見られる認知様式や感情の混乱です。例えば、心身症を患うと、精神・身体の危険信号に注意を払わず、平然とした様子をしており、時には姿勢が固く無表情な場合があります。彼らは、過剰適応型人間、特有な母子関係、良い子、手のかからない子、世話型人間とも言われます。人に何か頼まれても「イヤ」とは言わず、不平も不満も言わないわけですから、彼らは回りから「とてもいい人」と言われています。回りに迷惑をかける人たちは心身症にはなりにくいのかも知れません。
 このことはアメリカを中心とした乳幼児精神医学の分野でも研究が進んでいます。テイラーは次のような考えを提出しています。幼い頃に子どもが欲求不満や不安に陥ったときに養育者がその感情を読み取りケアしていく過程で失敗があったときにアレキシサイミアの特徴である「感情を言葉で伝える」能力が育たないというのです。そのために言葉で感情を調節することができなくなるのです。たとえば,赤ん坊がぬれたおしめが不快で泣いているときに,母親が「濡れたままにしておいてごめんなさいね」と言葉をかけることで,赤ん坊の不快な気持ちを言葉にすることで感情を調節する能力が育つのです。黙っておしめを交換されたら,心地よくなっても,その体験が内在化されることに繋がらないのです。ですから深い感情を言葉にして母親に伝える能力が育たないのです。
W 心身症の治療
 心身症の治療を担っているのは『心療内科』と呼ばれる内科の先生です。心療内科医になるためには、身体医学に加えて幅広く心理学を学び、そしてその訓練を受けることから始まります。そこでは、先ほど説明しました「身体化」のメカニズムを熟知し、心理・社会・生物学的な視点をもつようになることが欠かせません。言い換えると、「人間をよく知ること」になります。しかし、特別の訓練を受けなくても立派な心療内科医が世間にはいます。名医と言われる先生たちです。ある患者を幼い頃からよく知っているホームドクターもそうでしょう。患者が、どのような環境に育ち、ストレスが加わるとお腹を壊しやすい体質であるといったその人の身体について熟知し、また彼を育てた両親の価値観や育児状況をも把握し、彼がどのような人生を歩いてきたかに関心と暖かいまなざしをもつ、ホームドクターなら立派な心療内科医なのです。ところが、現代の社会ではホームドクターがその役割を担っていません。というのは、多くの方が生まれた土地を離れることを余儀なくされますし、ホームドクター自身が社会の変動についていけない現状があるからです。
 心身症の治療方法には心理面接(精神療法)と薬物療法が代表的です。精神療法は特別の訓練を受けた医師や心理士によって行われます。精神療法では治療者との心の触れ合いが大切です。それに基づいた信頼関係の上で患者は心にため込んだことを話すことで心が洗われ(カタルシスと言います)、自分の性格や病気の原因について洞察することができます。また、自律神経訓練法やヨガを用いた心身のリラクゼーションも行われます。

参考文献:成田善弘『心身症』 講談社現代新書、1993.
     安保徹『免疫革命』 講談社インターナショナル,2003.
posted by 川谷大治 at 16:17| Comment(0) | 日記
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