2017年07月08日

精神科読本3「小学生のこころの発達」

精神科読本3『小学生のこころの発達』(2017年改訂版)
               『小学生のこころの発達』                      
T はじめに-不登校は病気か?-
 学校に行けない子どもたちは、少子化傾向が続く21世紀になっても、減少しません。1年間に50日以上の欠席をする小・中学生は13万人に上ります。高校生になるとさらに事態は深刻になり、年間11万人が中退するような時代を迎えました。そしてその原因も明らかにされることもなく、しかも具体的な対策を講ずることもないまま、毎年学校に行けない子どもたちが増えていっているのです。
 これまで不登校の原因として次の三点がいつも取り上げられてきました。もっとも多く俎上に上るのが、子どもに原因を求める説です。それは「最近の子どもたちはこころが傷つきやすくひ弱になった」といった声に代表される意見です。どうしてこんなひ弱な子どもになったのか、当然、原因は親の子育てに求められます。教育評論家からは「子どもの言いなりで厳しさが足りない」、「勉強ばかりを押しつけ伸び伸び育てていない」、「過保護で物を与えすぎ」、「父親不在」、「親子の情緒的触れ合いが少ない」と批判されます。
 三つ目が、いじめや先生の指導力の弱化を含めた学校現場の問題です。確かに、いじめや学校の風紀の荒廃が原因で不登校になる子どもも少なくありません。それは先生の権威がなくなったことと無関係ではないでしょう。先生に叱られた上に、誤解を受けて学校を休むようになった子どもを私は知っています。先生を統括する文部科学省の役人でさえが先生たちの指導力不足を指摘しています。さらには、戦後民主主義の平等教育を批判する人も少なくありません。しかしこれは学校現場だけの問題ではないのです。私たち日本人の特性の一つでもあるのです。日本人はいろいろな意味で突出する人間を嫌います。皆が平等であることが好きなのです。戦後、日本では平等を目標に90%の人々が中流意識を持つまでになりました。ここまでは日本は成功したのです。しかしそのつけは子どもたちに回ったといわざるを得ません。
 こうして論じてくると不登校の原因・成因はどこにあるのか藪の中をさ迷うことになってしまいます。親は子どもや学校側のせいに、子どもは学校や先生のせいに、先生は親やこどものせいに、いやいや社会そのものが変化してしまったのだ、といった具合に問題は一向に解決しません。
残念な事に、その後不登校の子どもたちが、その後どのような教育を受け、どのような社会参加をしていったのかを調査した報告はありません。文部科学省が早急に行なわなければならない課題なのではないでしょうか。さらに、文部科学省は不登校の原因を上記の三者の責任転嫁説に任せ、1992年に行われた教育改革を検証しないまま、2002年の4月からゆとり教育という改革を始めました。今後、ゆとり教育の検証をしっかり行って、2020年の教育改革へと進んでいってほしいですね。こうして考えてくると、文部科学省の責任もないとはいえません。
 2017年現在の不登校の問題は子どもの『発達障碍』が増加してきたことだと思います。いずれその原因は解明されるでしょうが、私はいくつかの要因が重なって増加したのではないかと思っています。精神科読本28『発達障碍」で取り上げる予定です。
 1.登校拒否から不登校
 今から50年ほど前にアメリカで「学校恐怖症」という概念が生まれました。母親と子どもの双方が登校という互いに離れざるをえない状況になると不安になって、学校に行けなくなる小学校低学年の子どもの一群がいることが報告されたのです。彼らは「学校恐怖症」と呼ばれ、10年後には10倍に増加し社会問題になりました。ケネディ大統領の時代のことです。1960年代には、高学年の子どもたちの不登校が増えて、「登校拒否」と呼ばれるようになりました。
 また登校拒否を起こしている子どもたちの中には、家が貧しくて教育を受けられない子ども、病気のために学校に行けなくなっている子どもも含まれていました。それで、イギリスで10年後の彼らの予後を調査したところ、決して悲観的なものではないという調査結果が発表されたのです。こうした事実から、イギリスで1970年代頃から「不登校」という言葉が使われるようになり、文部省も平成3年から「不登校」という用語を使い始めています。
 不登校は外国でも見られます。ただ、日本の場合、学校に行かないと、まわりの大人たちが大騒ぎし学校に行くことを強制する点が他の国々と違います。日本では、学校に行かないと、「悪い子」もしくは「困った子」扱いを受け、学歴を中心にした狭い生き方を子どもに迫りました。「学校に行かないでどうするの」と言われた子どもたちは立場を失い、その結果、悲劇にも家庭内暴力が起きたのです。
 2.家庭内暴力
 開成高校生徒事件(1977年)、金属バット事件(1980)以来、青少年による「家庭内暴力」という語が社会問題化しました。家庭内暴力という現象はそれ以前にも見られ、精神医学的には終戦直後の報告があります。その報告は、彼らの特長を「親に依存していながら、同時に、親を攻撃する」「世間の人に対してはおとなしく、生活態度も消極的なのに、家族に対してだけ、怒りやすく、暴行や金銭要求をしたり、家財持ち出しなどをする」と述べ、彼らの社会不適応性が形成されたメカニズムは、既存の精神医学では解釈できないと疑問を投げかけました。それに一つの答えを与えたのが境界性パーソナリティ障碍(ボーダーライン)という概念です。以来、今日ではボーダーラインの近縁群として考えられ治療されるようになりました。
 不登校の子どもたちすべてが親に暴力を振るわけではありません。家庭内暴力を振るう子どもの特徴の一つに家庭の内と外での彼らの態度の豹変があります。彼らのほとんどが家では暴力の限りを尽くすのに、外では内気でおとなしい普通の少年という周囲の評価を受けているのです。まるで電気のスイッチの如く態度が変わるのです。そして家庭内暴力が起きる家庭環境を見ますと、父母と兄弟からなる核家族が大半で、中流程度の生活レベルをもち、父母の欠損している場合は少ない。普通の家庭です。普通の家庭に育った普通の子どもが、ある日学校に行かなくなり、親に暴力を振るうようになるのです。何故なのでしょう?
 3.不登校を生み出す家庭環境とパーソナリティ発達
 私は、中高生になって不登校⇒家庭内暴力⇒引きこもり青年になった子どもの治療から小学4年までの子育てがとても重要であることに気づかされました。
 というのは、彼らの多くが幼い頃から手のかからない「よい子」で育っていることです。「よい子」というのは二つの場合があります。一つは、母親の支配が強い余り、子どもが母親に従うしかない場合です。もう一つは、子どもが非常に早熟で周囲の雰囲気を敏感にキャッチしてしまう場合です。両方とも、家族の顔色ばかりを窺う「偽りの自分」を成長させてしまいます。元来、子どもは無邪気だが無慈悲なところがあるものです。ところが、「よい子」は自分に都合の悪いところは母親には見せません。「偽りの自分」だけを表に出すようになるのです。このように、周囲によい子の面ばかりが目だって成長すると、彼らのパーソナリティの中に、非常に気の利いた早熟な面と母親から離れると何もできないといった未熟さが同居することになります。その未熟さは、環境の変化、行事や催し事のたびに、自家中毒、原因不明の発熱、腹痛、頭痛、などの自律神経症状で小児科を受診したり、母子分離がうまく進まなかったり、他の園児たちの中に入れない形で現れるのです。指しゃぶりや爪かみが再び始まったりします。爪切りを使わない子どもはSOSです。
 そして次第に親の前での姿と家庭外での姿が乖離していくパーソナリティが育っていくことになります。このような問題を抱えた子どもを養育する環境に歪みがあると、たとえば両親の離婚や夫婦仲が悪くて緊張の強い家庭環境、喧嘩はしないけど互いに尊重しえない両親、など家庭内が複雑になると、心のなかに2つの自分を分裂させたまま成長して、家の内と外で正反対の態度を見せても、彼らはこのパーソナリティの矛盾を疑問に思わなくなります。そして思春期を迎えて自分を支えきれなくなって学校にいけなくなるのです。
 4.虐待を受ける子どもたち
 青年期になって、ボーダーラインやパニック症や過食症やリストカット症候群などの病気で精神科を訪れてくる人の中に、幼少期にそれも長期にわたって親から暴力を振るわれ、情緒的に無視されて育った子どもたちが、少なからずいます。1980年代後半から、アメリカを中心に欧米から「被虐待児」に関する報告が相続きました。当時、私は福岡大学病院でボーダーラインの臨床研究をしていましたが、虐待を受けたという患者の報告は少なく、むしろ支配という名の過保護や溺愛といった愛情過剰が問題でした。
ところが、川谷医院を開業した1997年から治療に当たったボーダーラインの患者たちから「虐待を受けた」と報告されることがしばしばありました。中には、継父や親戚から性的外傷を受けた子どもたちもいました。そしてネグレクトを受けた人たちも少なくなかったのです。
 こうした子どもたちは、親を悪く思う代わりに自分を悪く思うのが特徴の一つです。「親が自分に暴力を振るうのは自分が悪い子だから」と思うのです。また、親を神格化し、「自分は生きる資格がない」といった他者と自己の認知障害が起きるのです。現実を客観的に捉えることができずに、歪んで自分が悪いように見てしまうのです。ですから、「お母さんがいないと自分は社会で生きていけない」と独立心が育ちにくくなり、いつまでも親元を離れることができなくのるのです。彼らの自己評価はとても低く、治療を受けると「先生に迷惑をかけてしまうだけ」と言って、治療を受けることに葛藤的になりやすいものです。
 今日では、心的外傷後ストレス障害として概念化されているので、皆さんもきっとご存じのことでしょう。また、子どもに暴力を振るう親自身も幼い頃に親から虐待を受けていることが多いのです。
U 今、小学生の子どもたちに何が起きているか
 1.こころの発達ライン:自我の芽生えと思春期
 先に、不登校にならないような子どもに育てるには小学校4年生までの情緒発達が大切であると述べました。ここではどのようなことに注意すると将来子どもが不登校にならないようなこころになるかを述べてみたいと思います。
 小学校時代は精神分析学的に潜伏期といわれます。これは子どもが幼稚園時代の父・母の三者関係を体験した後の、精神的にもっとも安定しスポンジのように知識を吸収する時期なので潜伏期と呼ばれます。この安定期は小学4、5年の「自我の芽生え」の時期で終わりを告げます。この時期と思春期まっただ中の中学2年の2学期は魔の時期です。たいていこの時期に子どもたちは不登校になります。この時期が大切なのは、それまでの自分本位の自分作りから世界を意識した自分作りが始まるからです。この時期に家庭内外で問題が生じると、子どもは自分のこころの世界に没頭するか、他人を意識しすぎる子どもになります。ある中学1年の女の子は肩こりと頭痛に悩まされていました。聞きますと、「自分がない」と言うのです。相手に合わせてばかりいるので自分がないのです。どんなに疲れていても、嫌われるのが嫌で友達の誘いを断りきれないと言います。
 子どものこころを破壊するような家庭環境
皆さまが子どもにしてあげることは成長に必要な家庭環境でしょう。家庭内暴力や登校拒否の多くが普通の中流家庭の子どもに多いのです。しかし、普通といっても暖かい、ぬくもりのある家庭とはほど遠い家庭も少なくありません。子どもを虐待する家庭や離婚寸前の家庭がそうです。家庭崩壊は小学生の子どもには直ぐには大きな影響を与えません。思春期に入って子どもが第二次性徴と受験に翻弄される頃にその影響が現れはじめ、高校生位になって子どものこころの問題として現れます。高校生になると片親の家庭に育った子どもの受診が増えてくるのです。その大半が離婚家庭です。当院を受診する思春期から青年期の子どもたちの半数は両親が離婚しています。思春期にある子どもを心理的に支えるのが如何に母親一人では難しいかを事実は示しています。離婚しないようにして下さい。どうしても離婚するのであれば、魔の小学4、5年生と中学2年の2学期は避けて下さい。できれば、この時期は転校も控えた方がよいくらいです。
 2.どのような母親の態度が望まれるか
 1)ボキャブラリーの多い家庭
 ボクシング・チャンピオンの「浪速の辰吉」の子育てがとても面白い。彼があるテレビ番組でインタビューを受けていました。そばで子どもが指をくわえて彼にもたれかかっています。辰吉は自分の子どもに対して「ちゃんと自分の口で言いなさい。黙っていては分からない」と叱りつけました。子どもはインタビューに用意されていたジュースを飲みたがっていました。辰吉もそれは以心伝心で分かります。母親であれば、「もう子のこったら」とか何とかごまかしながら、さっとジュースを子どもに差し出すところでしょう。しかしそれは家庭外では通用しません。言葉で自分の意志を相手に伝えたりすることは、同じ家族の一員であれば無用のものかも知れないけど、それは家庭外では甘えに繋がるのです。内と外とのコミュニケーションの違いを辰吉は子どもに教えているのです。この役割が父親に課されたものなのでしょう。
子どもがこころの内を言葉にすることを「励まし」「待つ」ことは養育上とても重要です。言葉で意志表示をするように躾けるのです。先ず手始めに、帰ると、「酒、風呂、寝る」と簡単にすます父親の躾から始めまるのが良いでしょう。ボキャブラリーの多い家庭は楽しくなります。
 2)「文字通り」の人間にならない
 子どもは親を安心させようとして、また喜ばそうとして嘘をよくつきます。その嘘は多分に空想ごとが多いのです。しかし子どもの空想話を真に受けてしまって、子どもの空想を台無しにしてしまう母親がいます。子どもの言葉を真に受けて「文字通り人間」にならないことが大切です。子どもの矛盾する気持ちを許さない神経質な親もいます。子どもが「大きくなったら弁護士になる」と言ったとき、「この前は野球の選手になると言ったよ」と言って彼の想像の世界を破壊してしまうのです。ときには、「あなたはこの前こういった、あなたは嘘つきだ」と、子どもに罪悪感を押しつける神経質な母親もいます。母親に子どもの矛盾する気持ちやいろいろな空想を受け入れるゆとりがないのです。子どもの成長はこの母親のゆとりから始まるのです。その母親のゆとりの中で子どもは空想と現実の世界を自由に行き来して世界を広げていくのです。
 3)いじめ、登校拒否
 自分の子どもがイジメにあったらどうしましか。私たちは災難に遭うと「日頃の行いが悪かったから」と考えがちです。特に、いじめの問題は家庭の外で起きたことです。親が直接解決してあげられません。そのため、ついつい親は自分の子どもの傷つきを癒すのではなく、「あなたが悪い」と子どもを叱りつけることで、自分が子どもに何もしてあげられない無力感をごまかそうとするこころの働きが起きます。何もしてあげられなくても、子どものこころに耳を傾けることはできるのです。無力感に打ちひしがれている子どもの側にいて孤独を癒す、言葉にならない感情を言葉にするのを励ますのです。子どもの問題を解決してあげようと思わず、側にいて子どもが心の内を言葉にできるようにしてあげて下さい。そうすると、いつの間にか子どもが自分一人で解決するものなのです。
 4)子どもの独立とは何か
 子どもはさまざまな身体症状や不適応反応を起こします。こうしたいろいろな身体症状や不適応を引き起こす誘因の一つに思春期の性の問題があります。月経や精通のはじまり、そして異性との交際は、本来は子ども自身が抱えていかねばならない問題です。ところが、子どもが思春期に入り大人びていくと、その姿が親の思春期体験と葛藤を刺激し、子どもの情緒発達を妨げるような家庭内緊張を生む場合が生じて、子どもの問題が親の問題に発展することがあります。
 それは、ある時には、子どもが成長して自分の部屋が欲しいと言い出すときに表面化します。ある少年が「母親が心の中に侵入してくる」と訴えました。「(母親が)勝手に部屋に入ってくる」と言うのです。「勝手に部屋に入らないで」と彼が言うと、彼の母親は「親に隠し事をするようなことをしているの」と彼の独立宣言を悪いことと位置づけて彼の独立を阻むというのです。個室はあった方がいいのです。しかし問題は、鍵をつけないで、緊急の事態が起こったら親はいつでも子どもの部屋に入るが、そうでないときは決して入らないという約束を親が守り通すことが大切なのです。簡単に壊れそうなルールを守る力が子どもにできてくると、子どもは悪いことをしても反省するようになります。大人が見本を示すことです。子どもの領域を尊重することが「切れない」子どもに成長することに繋がり、たとえ悪いことをしても反省し自分を向上させるような子どもになるのです。子どもが罪悪感を持つようになることが子どもにとっての情緒的成長なのです。しかし、先ほどのお母さんは罪悪感を子どもに押しつけるだけです。それでは子どもは成長しません。子どもが悪いことをして、それを反省し、もう二度としないようにと自分に決意するまでには時間が必要なのです。親は子どもの気持ちが熟するまでの時間を保証することが大切なのです。そうすると子どもは成長します。よその子を怪我させたり、いじめたりした場合、親はじっくり反省する時間と場所を与えたらよいのです。
posted by 川谷大治 at 15:29| Comment(0) | 日記
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