精神科読本1『パニック症』(2017年改訂版)
『パニック症』
T パニック症panic disorderとは
パニック症とは、「客観的には発作を起こす人の状況や環境に危険が存在しないのに不安が生じ、同時に頻脈、動悸、発汗、胸痛、窒息感、呼吸促迫、めまい感、頻尿などの身体症状を伴い、非現実感(離人感あるいは現実感喪失)に襲われる病態」です。天災や事故に遭遇してパニックに襲われるのは当然のことですが、パニック症はそのような危険がないときに突然発作が生じるのです。そして、発作は何度か繰り返され、救急車を呼ぶなど、不安で一人になれなくなります。
二次的に、死の恐怖や自制心を喪失するのではないかという恐怖あるいは発狂恐怖が生じることがあります。自制心を喪失するとは、人前で意識を失うとかおろおろして慌てふためくといったように自分をコントロールできない状況に陥ることです。一度発作を経験すると、パニック発作を起こした場所に来ると、再び発作が起こるのではないかと不安になり(予期不安)、特定の場所が恐怖の対象となり、それを避けるようになることがあります。専門的には空間恐怖=広場恐怖と呼びます。空間恐怖には、@電車、バス、地下鉄、飛行機などの交通機関に乗ること。Aトンネル、橋、エレベーター、美容院や理髪店、歯科などの椅子、など狭い場所に閉じこめられること。B家に一人でいること、家から離れること、などがあります。
パニック発作の主な症状
身体症状
心臓がドキドキする、脈拍が速くなる、心拍数の増加、呼吸が浅くて速くなる、息が詰まる、胸の痛み、圧迫感、吐き気、腹部の不快感、下痢、めまいやぼんやり感、顔の火照りや寒気、手足のしびれ、頻尿
精神症状
不安で落ち着きがなくなる、予期不安、死の恐怖、発狂不安、自制心の喪失不安、人前で気を失う、下痢や吐き気を我慢できない、非現実感、自分が自分でないような感覚
U 病気の成り立ち
1 パニック症は女性に多い?
パニック症の原因は未だはっきりしていませんが、多種の要因が重なって起きると言われています。福岡大学医学部名誉教授の西園先生は対人関係における情緒的孤独感、先輩の長岡先生は甘え心を抑圧し外向きの自分を演じ過ぎる性格的要因を挙げています。アメリカ精神医学界の疫学調査ではパニック症の人には幼少期の対象喪失体験や虐待体験などがあると指摘しています。私は、不安を感じやすい体質を遺伝的に受け継いで、その不安を感じないように無理な生き方をするような性格が形成され、心理的および身体的ストレスや対人関係における孤独感、さらには破滅的な心理的状況に直面したときに発症するのではないかと考えています。
性差を見ますと、男性よりも女性に多い病気です。その比率は男性:女性=1:2と言われています。女性では思春期の始まりから増加していくという事実から、月経周期によって心理的および身体的に揺さぶられるのではないかと想像しています。さらに、女性の社会進出が進み、女性も男性と同じような仕事について夜は10時近くまで働いて帰る人が少なくありません。それは月経不順、疲労感、抑うつ感、などの症状となって現れてきます。このように現代の若い女性には心理的および身体的ストレスが男性よりも強く関与していると考えられます。
2 ストレスの関与
具体的にどのようなストレスがあるのかを考えて見ましょう。幼い頃に生命を脅かされるような体験や性的虐待を受けた人が成人した後にパニック症に罹ることがあります。もちろん、成人してからの激しいストレスに長期間曝されてパニック発作に見まわれる人もいます。アメリカのベトナム帰還兵で死に直面するような圧倒的なストレスにさらされた人にパニック症が多く見られたという報告もあります。最近では、外傷後ストレス障害(PTSD)の研究から、パニック発作と死に直面する体験や自己の存在を脅かすような体験が深く関わっていることが明らかになっています。
しかし、上記のような激しいストレスに遭わなかった人でパニック症に罹患した人もいるのも事実です。家族やごく親しい人が身体の病気に罹る、あるいは急死するなどといったことを契機に発病する人も見られます。ある会社員は同僚が過労からくも膜下出血で急死したのを契機に発病しました。父親の急死が引き金になった人もいます。また生活の変化や過労や長期の不眠症が原因になることもあります。特に、主婦に多いのは夫との情緒的孤独感です。一緒に生活しているのに、夫は仕事で帰りが遅い、不仲が続いている、などの場合は危険率が高まります。
しかしこのような心理的および身体的ストレスの状況下で必ずパニック症になるとは限りません。なぜある人はパニック症になり、別の人は他の病気(うつ病や心身症)になるのか?パニック症になりやすい人の特徴を見てみましょう。
3 どんな人がパニック症に罹りやすいか?
気質的に不安への過敏さとネガティブ感情はパニック症に罹りやすいと言われています。私の臨床経験では、過去や現在のストレス以外にパニック症になりやすい性格傾向と体質がある、と考えています。性格傾向としては、真面目でひたむき、人と意見が衝突すると自分の方が折れるような他者配慮的な人に多いようです。また完璧主義で自分に厳しい女性や、男気を重視する男性といったような、内面の依存性を抑圧する人が罹りやすいようです。
また、パニック症に罹りやすい体質には、もともと幼い頃から消化器が弱いとか人前で上がりやすい、といった自律神経が敏感な人にも多いようです。そのため、パニック症の患者さんには幼いころ車酔いしやすい人が多い。遺伝的に親や兄弟にパニック症がいるとそうでない人よりはパニック症に罹りやすいのも事実です。
4 自律神経が敏感であるとは
自律神経は文字通り神経自体が自律的に身体の生命維持を行っています。自律神経には交感神経と副交感神経の二つがあります。私たちの身体はこの二つの自律神経によってバランスよく調整されています。
交感神経は「闘いの神経」です。人間が活動するときに作動します。闘いに備えて血液中にアドレナリンが分泌されます。アドレナリンの作用によって、心臓の鼓動が速くなり、血液を筋肉に多く送ります。筋肉以外の血液を心臓に戻すために、内臓はその活動を休止します。また皮膚の表面の毛細血管が収縮して皮膚の表面の血液は心臓に戻り、皮膚の表面は冷たくなります。武者震いも起きます。口も渇き、眼の瞳孔はよく見えるように広がります。手や足が滑らないように手掌や足の裏には汗をかきます。交感神経が優位だと仕事はバリバリやりますが、過労を引き起こし癌になりやすいと言われています。
一方、副交感神経は交感神経とはまったく反対の「休憩の神経」です。食べたものを消化・吸収するために血液は胃や腸に流れ、脳や筋肉に流れる血液は少なくなります。交感神経がアドレナリンに対して副交感神経はアセチルコリンが分泌されます。いわゆる癒しのホルモンです。そのため、少し眠気も起きます。皮膚の表面の毛細血管は拡張し皮膚の温度は暖かくなります。「ゆったり、癒し」の副交感神経が優位な人に長命が多い理由は、ウィルスやガン細胞を退治するリンパ球が増えるからだと言われます。
このように、パニック症の身体症状は、休憩しているときに突然交感神経が作動し「闘い」に備えた状態になることなのです。アドレナリンは闘いの状況以外にも「怒り」や「恐怖心」に駆られたときにも分泌されます。パニック発作後に二次的に生じる恐怖心がアドレナリンを分泌させ、交感神経を作動させます。心拍数の増加、口はカラカラに渇き、呼吸は速くかつ浅くなり、身体や手足は震え、多量の汗をかくのです。なかには、トイレに行きたくなる人もいます。
V 治療
1 診断
パニック症に悩む人がどれくらいいるのかはっきりした統計はないのですが、かなりの頻度で起こります。あるアンケート調査では「100人に0.5人から2.5人がパニック症に罹った経験をもつ」と答えたという報告があります。他科では「心臓神経症」「自律神経失調症」「メニエル症候群」などと診断され、治療されることがあります。特に、救急で受診することがあるので、「特に、異常がない。気のせいだ」と言って医療機関に相手にされず、適切な治療を受けずに帰される経験をした人も少なくありません。なかには「心配し過ぎ」、「騒ぎ過ぎ」などと言われ、傷ついた人もいるでしょう。ですから、治療の第一歩は正しく診断されることになります。
身体の病気でパニック症に近い病態を示す疾患についても注意が必要です。たとえば、心臓病や甲状腺機能亢進症などです。
2 病気の理解
上記に説明しましたように、パニック症は種々の原因が考えられます。ストレスと体質が重なって起きるのであって、ただ単に心理的なものだけでなく、まして性格の弱さに起因するものではありません。むしろこの病気に罹ったことで気が弱くなり、過度に心配性になることがあります。「気のせい」などと言われると、自分が弱いせいだと思いこむ人もいるでしょう。だから先ず、正しく診断され、次に病気の理解が大切になってくるのです。同時に、家族や職場の人々への教育、指導も大切になってきます。妻や夫から「誤解される」ことほど辛いことはありません。ますます無理をして病気を長引かせることになります。
3 実際の治療
1)薬物治療
@ SSRI:SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)はパニック症の第一選択薬です。わが国では1997年から臨床で処方されるようになりました。2017年6月現在パロキセチン(商品名:パキシル)とフルボキサミン(商品名:ルボックス、デプロメール)、セルトラリン(商品名:ジェイゾロフト)エスシタロプラム(商品名:レクサプロ)の4種類です。SSRIは脳神経のシナプス間隙のセロトニンの量を増やすことで不安や抑うつ感を軽減させる薬で、パニック症にはパロキセチン、セルトラリンが保険適用の薬です。副作用は吐き気などの消化器症状や頭痛、眠気などです。高齢者にも安心して使用できる薬です。ただ、急に薬を中止するとめまいや吐き気などの離脱症状が見られることがあるので徐々に減量していきます。
A 抗不安薬:SSRIが登場する前はベンゾジアゼピン(BZD)系抗不安薬が第一選択薬でした。なかでもアルプラゾラム(商品名:コンスタン、ソラナックス)は大規模な他施設共同の国際研究も行われ、その有効性も確かめられています。抗不安薬はパニック発作に対して速効性があるので急性期の人に使用されます。たとえば、症状のために仕事に行けない、買い物ができない、など日常生活に支障を来たし、そのために仕事を辞めないといけないとか、歯の治療ができなくて虫歯を放置せざるを得なくなっているなどの場合は早く症状を落ち着かせたいものです。
副作用は、眠気やふらつきなどです。また、長期連用すると、常用量依存という厄介な副作用が出現します。BZD系抗不安薬の常用量依存とは「本来の症状は改善したものの、服用を中止すると離脱症状が生じるため断薬できない病態」のことです。離脱症状のために中止ができない“静かな依存”なので、生活にも困らないために長期連用・依存形成の危険性が起きるのです。ただ、常用量依存を形成していても、減薬は可能ですので心配いりません。
アルプラゾラムは即効性があり、急性期には、1日に3回毎食後アルプラゾラム(0.4r)1錠ずつ服用します。そして1週間後、効果がなければ増量していきます。パニック発作が抑制され、広場恐怖がないかもしくは消退し日常生活が改善されたら(おおよそ3ヶ月もあれば達成できます)、その後は常用量依存を避けるためにSSRIへと切り換えていきます。
B 抗うつ薬:イミプラミン(商品名:トフラニール)を慎重に増やしながら50〜150r服用すると、発作は抑制され、空間恐怖にも効果があります。抗うつ薬特有の副作用(口の渇き、便秘、立ちくらみ)があるので、主治医の診察をこまめに受けながら服用することをお勧めします。使用量は、うつ病の場合よりも少量でよく、1日10rを初回量として服用し、それから慎重に漸増します。イミプラミンは抗不安薬のような依存性のないのが長所です。頻度は少ないのですが、イミプラミンの副作用でそわそわして落ち着かなくなることがありますので、主治医には効果や副作用についてよく相談することが必要です。
C その他:スルピリド(商品名:ドグマチール、ミラドール)は、体質的に消化管が弱い人にも効果があります。食欲を高め、気分を晴れ晴れする作用もあります。副作用は、月経不順や乳汁分泌です。更年期障害と重なった場合などには効果的です。ただこの薬も長期連用すると、常用量依存が形成されて止めるのに注意が必要です。そのためには長期連用を避けることが大切になります。
2)精神療法
薬物治療と並行してもっともポピュラーに行われているのが支持的精神療法です。一般的に精神科医によって行われている面接(診察)と考えて下さい。支持的精神療法では、患者さんの訴えをよく聞き十分受け入れることから始まります。次いで、パニック症の症状、原因、治療法および今後の見通しなどについての説明。薬物治療とその副作用についての説明。不安への対処法や日常生活で留意することなど。さらには、ストレス解消法について説明があります。家庭ないしは職場でのストレスが明らかになれば、休養、入院を勧めたり、家族や職場への介入を図る環境調整が行われます。支持的精神療法を行い、それで改善されないようであれば、特別な治療法として精神分析療法や認知行動療法があります。
私は若い頃は薬物を用いずに精神分析療法で治していました。ケースは38歳のサラリーマンで妻が実父の癌の看病で1ヶ月間家を空けていた間に発症しました。週に1回50分の対話による治療で、彼は症状の背景に甘えたいという欲求があることを自己洞察することで病気を克服できました。彼は本音の自分(依存的な自分)と建前の自分(性に厳格で責任感が強い)とのギャップが大きく、妻に本音をこぼせる様になって楽に生活を送ることができるようになりました。
当院では主治医による医学的管理の下で行う臨床心理による精神分析的心理療法の二人による治療(専門用語でATスプリット治療と呼びます)を行うことができます。
4 日頃注意することについて
病気を理解しても、中には病気になった自分に腹を立てる方が多いのが病に悩む人の特長です。それは好ましくありません。病気に対して宣戦布告するべきでしょう。「発作を起こそう」と思っても発作は起きないものです。万一発作が起こったら、深く息を吸い込んで、ゆっくり呼吸することも症状の軽減につながることがあります。手っ取り早いのはアルプラゾラムを1錠服用することです。また手で口を覆うと楽になることがあります。中には気をそらす(注意をそらす)ことが効果的な場合もあります。たとえば、音楽を聴く、誰かに電話する、体を動かす(足でリズムをとる)、ガムを噛む、その場を離れてトイレに行く、といった方法も効果的です。
症状が治まったら、発作のことから意識を遠ざけるために、すぐに別のことを考えるようにすることも手助けになります。また、外出時に傘を持ち歩くことが不安の軽減につながった方もいました。いずれにしろパニック発作は長時間続くことはありません。問題は、恐怖心がアドレナリンを分泌させ、交感神経を作動させることにあるのです。アドレナリンが分泌されなくなると発作は治まるのです。いざという場合に備えて、頓用の薬を処方してもらってお守りにするのも一つのアイデアです。また、コーヒーやアルコールは適量を超えないように激しい筋肉運動には注意して下さい。
2017年07月08日
精神科読本1「パニック症
posted by 川谷大治 at 14:39| Comment(0)
| 日記
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