2017年07月09日

精神科読本21「精神療法のはじまり」

精神科読本21「精神療法のはじまり」(2017年改訂版)
                 精神療法のはじまり
T.はじめに
 皆さんは精神科や心療内科で行なわれる治療にはどのようなものがあると思いますか?多くの方は、主治医との対話による治療、巷ではカウンセリングと呼ばれていますが、を思い浮かべることでしょう。それ以外に、クスリを使って不安やうつ症状を取り除く薬物治療、家族療法、集団精神療法、社会療法(ショートケア、デイケア、ナイトホスピタル)、作業療法、などがあります。
 カウンセリングとは、主治医にいろいろ困っていることを相談して専門的な知識や技術によって心理的問題を解消する治療法の一つですが、精神科では「精神療法」と呼ばれています。カウンセリングと精神療法はその起源は同じものですが、例えると、ポップスとロック程に違いがあります。もともとは日常生活で口ずさまれていた歌が宗教音楽へとして発展し、今日のクラシックからジャズ、ロック、フォーク、演歌、ポップスへと枝分かれしていったように、精神療法も様変わりしています。
 本シリーズでは、精神科の臨床でもっとも重要な「精神療法のはじまり」について解説していこうと思っています。今回は、今日の形になるまでの原始的な精神療法について述べる予定です。機会があれば、いずれ精神療法を科学的な学問へと進化させたフロイトの精神分析とその後の発展について述べたいと思います。
U.原始的精神療法
 21世紀に入って間もない頃だったと記憶しているのですが、九州のある地域で、少女に狐が憑いていると言って、その土地の霊能者から除霊のために棒で叩かれて亡くなるという痛ましい事件が起きました。この類の事件は耳新しいことではありません。エレンベルガーは世界各地の精神の病の起こり方と治し方を5つに分類して表1のようにまとめました(コピペみたいと批判されるかもしれませんが、本論の大部分がエレンベルガー著『無意識の発見』に依っています)。
 九州で起きた事件は3に示す考え方で、少女に狐が憑いたのでその狐を追い出すために少女の身体を叩くといったやり方は実は世界各地で行われる標準的な治療法でもあったのです。1970年代にメガヒットした『エクソシスト』という悪魔払いの映画も同列のものですし、良質のコーヒー豆の産地である南米のグアテマラでは、奥地のジャングルに行かずとも、今日でも原始的な方法で精神の病を治していると聞きます。平安時代の日本人は何よりも「祟り」を恐れていました。それを扱ったのが陰陽師です。21世紀の今日でも、沖縄のユタ、恐山のイタコ、さらには各地に伝わるシャーマニズムに基づく信仰があり、悩める者に心理的な救い、癒しをもたらしてくれています。これらは、今日の精神科で行なわれる精神療法の原始的な形と言えます。
  表1
        疾病説                     治療法
  1 病気とは病気という物体が身体に侵入したためである 病気という物体を摘出する

  2 霊魂が行方不明である           魂の所在を突き止め、招魂し、もとに納め戻す

  3 悪霊が侵入したためである         祓魔術をする。外部から侵入した悪霊を機械的に摘出                          除去する。悪霊を他の生物に移す
  4 タブーを破ったためである            告解(懺悔)し、神の怒りを鎮める

  5 呪術によるものである                対抗呪術を行う

V.メスメル(1734−1815)の登場
 1.どのような時代か
 上記の疾病の考え方と治し方は、暗黒の中世期では主流を占めていましたが、科学の発展とともに廃れていきます。21世紀の今日まで細々と受け継がれているのは、我々の心の奥に潜んでいる原始的思考の現れともいえます。この原始的精神療法から大きな発展をなしたのはメスメルの貢献によるものが大きい。
メスメルはモーツアルトが活躍した時代の人です。1768年、モーツアルトが12歳のとき、お金持ちの女性と結婚した商人メスメルは自邸で上演させるために一幕物のオペラの作曲をモーツアルトに依頼し、モーツアルトの最初のオペラが完成しています。
 2.メスメルの生立ち
 エレンベルガー著『無意識の発見』を参考にメスメルの生い立ちを追ってみましょう。1734年にドイツとスイスにまたがるコンスタンツ湖のドイツ領岸で生まれています。18歳でイエズス会神学校に入学し、32歳のときに「人体疾患に及ぼす惑星の影響について」という論文で学位をとっています。1767年貴族出身で富裕な未亡人と結婚し、ウイーンで内科系医師として開業。洗練された社交界の人となり、各種芸術のパトロンにおさまっています。モーツアルトの父レオポルトによると「庭は比較するもののない素晴らしさで、見事な並木道がいくつもあり、立派な彫像がこれまたいくつもあり、劇場が一つ、鳥小屋と鳩小屋が各々一つ、いちばんの高みには、見晴らしの東屋がある」とその豪奢な生活ぶりを語っています。
 3.磁気治療
 1774年(40歳):内科医だったメスメルは、27歳のエスターリーン嬢の治療を始めて、クリーゼと天体運動の周期との関連(と、彼は信じたのです)を発見しました。クリーゼとは英語のcrisisのドイツ語読みで、病状の「分利」を意味します。フランス語読みはクリーズで、文庫クセジュ『催眠と暗示』からその様子を描写してみましょう。
 クリーズの様子:目がうつろになり、のどが延びあがる。頭が倒れる。震える者あり、泣く者あり、笑う者あり、つばを吐く者あり、叫ぶ者あり、うめく者あり、息の詰まる者あり、めまいのする者あり、寝込む者あり、恍惚にひたる者あり、ひそかに激情をもつ者がある。それから叫び声、首しめ、ひきつけ運動、捻転、とんぼ返りが始まる。とくに女は飛び掛りあう。顔は赤らみ、あるいは青ざめ、形相を一変し、髪を打ちなびかせ、あるいはこめかみにまといつかせ、彼女らは抱き合ったり、押し合ったり、地上に転げたり、壁に頭をぶつけたがったりする。
 今日では、未解決の葛藤によって生じた情動が、言葉を発する以外のあらゆる出口を見つけてそこから飛び出そうとしている状態と理解できます。その出口が意識消失、自律神経や筋肉系への表出、あるいは言葉にならない呻き声、などなわけです。ホースの出口を狭めれば狭める程水の勢いも強いように、情動を抑圧すればするほど症状の出方も激しくなるのです。なぜ、抑圧するかというと、言葉で表出することが当時の「文化(常識)」では認められなかったからです。
 その頃、イギリスの医師ジェムス・グレイハムという人が磁石を用いて病気を治していました。磁気が神秘的な治癒力をもつとして、ロンドンに奇妙な神殿を建て、医療的に用いていたのです。胡散臭い話ですが、暗示や、催眠的なものが心因的な身体の不調に最初に用いられた最初の試みでした。
それでメスメルは、患者に鉄分を含む薬を飲ませて、磁石を胃と両足にあてがってみました。その時患者は、自分の身体の中を不思議な流体が足の方に向かって流れていく、と言って症状が消失したのです。磁石は動物磁気を強化し作用の方向性を与える補助手段に過ぎないのであって、自分の身体の中に蓄積していた流体(動物磁気)が患者に磁気的流れを生じた、とメスメルは考えました。「私は神秘的な流体すなわち動物磁気を身に帯びている」と直感したのです。モーツアルト作曲オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』では馬蹄型のメスメルの磁石でヒ素中毒を治すシーンが演じられます(この原稿も『コジ・ファン・トゥッテ』を聞きながら書いています)。
 1776年には「惑星の影響について」という小冊子を刊行して、「人間はすべて星の影響の下にあり、この影響は宇宙をみたす磁気を帯びた液体(エーテル)のたえざる流れによって働き、われわれの内部でこの液体がある調和と均衡を保つことによって、われわれは種々の病から守られる」と考えました。メスメルは、この液体の不均衡が種々の病を惹起すると考え、磁気術は患者との接触により、またはある距離を隔てて患者の体内へこの磁気を帯びた液体をより多く流れ込ませたり、またはこれを患者の身体から外へ流れさせたりすることによって必要なバランスを回復させる、と考えたのです。
 記録によると、メスメルが指を触れるだけで痛みを感じ、ある者は声が出なくなったといいます。磁気がかからない患者がいることも知っていて、その際には「自分の医者にかかれ」と言ったそうです。メスメルは磁気術者と患者とのあいだに「交流=ラポールrapport、磁気術師からの被術者への意思の流れを意味する」の存在を発見していたのです。特に最初に治療をする場合には、身体接触を必要としました。メスメルは患者とのあいだにラポールを得るためにさまざまな手法を用いました。たとえば、自分の両膝を患者の両膝に押しつけたり、患者の両親指と自分のそれをこすり合わせたりしました。人間に磁気をかける方法は、直接法と間接法の二つがあって、直接法は術者が背を北に向け、被術者に面して膝を付き合わせ、目を見合わせて腰掛けます。接触の仕方はいろいろ自由に任せました。間接法では磁気を集める小さな鉄棒やガラス棒を用いました。また術者があらかじめ木やピアノに磁気をかけておくことも行いました。ピアノの音が磁気を運ぶと考えられたのです。
 1775年、カトリック神父のエクソシスト(悪魔祓い師)ガスナーとの対決で勝利しました。理性を重視した啓蒙主義が後押しした結果でもあるのですが、メスメルも「ガスナーは決してハッタリ屋ではなく、ただそれと知らずに動物磁気で患者たちを治していただけだ」と感想を述べています。
評判を得たメスメルは盲目の音楽家である少女パラディの治療を担当することになりました。彼女は極めて才能ある音楽家で皇后自らの保護を受けていました。磁気をかけられて目が見えるようになるのですが、医学委員会は「患者は、メスメルが目の前にいる時だけ目が見える、と言い張る」と指摘し、メスメルと両親とのあいだが急速にまずくなって再び目が見えなくなりました。精神科読本4で解説しましたように、眼科的には異常はないのですが、心理的葛藤によって目が見えなくなることをヒステリー症状と言います。メスメルは治すことが出来なくて落胆しますが、一度は見えるようになったのに最後は治療失敗に終わった理由について「目が見えるようになると女帝からの恩恵を受けられなくなる」と、20世紀の精神分析で明らかになる「疾病利得抵抗」についても気づいていました。
 4.ウイーン医学界の冷たい反応とパリへの旅立ち
 1778年(33歳)ウイーンでの評判がガタ落ちしたメスメルはパリに発ちました。同じころ、フィリップ・ピネルもパリにやって来ました。ピネルはフランス革命時代の1793年にビセートルで長年鎖につながれていた精神障害者を解放したことで有名な人です。パリは国王ルイ十六世と皇后マリー・アントワネットの統治下にあって、政府は不安定、国家財政は破滅寸前でした。
メスメルの診療所はパリでも繁盛しました。そのため患者数の増加に合わせて、一度に多人数に施す集団治療を始めました。これが有名なバケー(磁気桶)です。
 部屋の中央に高さ45pの容器があり、この磁気桶の周りに約20人が座ります。人数分の磁気桶の小孔に直角に曲がった鉄棒を入れ、鉄棒の先を患者の身体に宛がいます。桶の周りに患者が座り、メスメルが近づくと患者は発作を起こすのです。野外では磁気化した大木を使って貧しい人達用の野外集団療法を始めました。木が磁気化することはありえない話ですので、他の医師たちはインチキ医者だといって非難しました。
1784年、ルイ十六世は審査委員会をつくって弟子のデスメロンに磁気治療の実験をおこないました。委員会は「磁気流体なるものが物理的に存在する証拠は全然見当たらなかった。ただ、治療効果が全然ないとまでは言えなく、それは想像の力に帰せられた」と結果を発表しました。さらには、磁気化された女性患者は男性磁気師に対して性的魅力を及ぼすために派生する危険性もあるという報告も追加されました。素晴らしい指摘です。ルイ 十六世が委員会をつくった背景には、素人療法家のなかで患者と性的関係をもつに至る者がいたからです。
そして磁気はサロンの遊びになっていきました。こうした新参の磁気術師たちは、クリーズと愛情転移を誘発すると、それに対して何らかのアクティング・アウトで応えました。このような事実は警察の知るところとなり、貴族階級と市民階級の良俗を損なうものとなったのです。先のピネルも興味津々とバケーに2ヶ月ほど通い、「その結果ちょっとした艶事があったよ。理性を失っていくと、私も夫人たちに磁気術というなかなか魅力のある操作を一寸したくなる」と皮肉っています。
 こうしてメスメルは1785年にパリから逃亡し忘れられていきますが、メスメルがはじめた運動は弟子のピュイゼギュールに受け継がれていきました。
W.ピュイゼギュールと新メスメリズム
 1.ピュイゼギュール:磁気睡眠=人工的夢遊病の発見
 1784年:パリを去ったメスメルのあと、貴族であるピュイゼギュール候がある発見をしました。下男の息子ラースという23歳の農民は喘息を患っていました。磁気をかけると、不思議な形のクリーズを示しました。他の患者のように痙攣や運動錯乱もなく、逆に、一種奇妙な睡眠に入ったのです。この状態は通常の覚醒状態よりさらに意識が明晰でした。声を出して喋り、いろいろな質問に答え、普段よりずっと頭の回転がよくなったのです。すなわち、寝入っているのだがなお活動性は残っていて、術者の命令に従って行動できるという状態が、起こりうることを発見したのです。興味深いことに、クリーズが終わるとクリーズのときの記憶を覚えていません。そして術をかけるにはなにも直接身体に触れる必要はなく、見つめるとか、身振りで示すとか、意思を伝えるとかするだけで十分だということが分かったのです。他の患者にも試してみて数人に成功を収めました。彼らの中には、この状態に入ると自分の病気を自分で診断し、今後の経過を予見し、自分の治療法を決定する能力を見せたのです。患者は増え集団治療もおこなうことになりました。
新式の治療法は二つの特徴がありました。一つは、後にブレイドが「催眠」となづけた現象です。一見覚醒状態で、磁気術者とラポールを持ち、命ぜられるままに実行し、クリーズ終了後は完全健忘を残す。第二は、一部の患者が示す透見性です。奇蹟的治癒は至るところで模倣されました。ピュイゼギュールの新式磁気術は急速に広まりました。彼は講義のなかで以下のように語っています。
「私は信じています。私の中に一つの力の存在するのを。この信念から発するのです。私がこの力を使おうという意思のことです。動物磁気の原理全部は二語の中に集約されます。信じよ、そして意思せよ、です」
 2.メスメリズムの拡散
 フランス革命後、動物磁気学はフランス・ドイツで発展します。
 1)フランス:1850年代に絶頂期を迎え、その後衰退していく。 
 ドゥルーズは、ピュイゼギュールのもっとも高名な弟子です。人工的に引き起こされた夢遊病中に生じる諸現象を正確に記録し、いわゆる超自然的現象に懐疑的で、磁気術には種々の危険があると警告しました。彼も性愛的な問題は避けられないと断言しました。ドゥルーズは自分の行なう磁気術に対してとても冷静でその限界もわきまえていました。その著書の中で「私は磁気術によってすべての病気が治るなどとは少しも考えない。むしろ、磁気術で治るのはごくわずかの病気でしかないこと、治癒せず軽快するだけである場合が実に多いこと、磁気術はときには有害でもありうることを確信している」と記載しました。しかも治療機序について「治療効果を上げるために必要な条件は、磁化される者が何もせず、何も考えないこと、つまり受動的であるということである」と述べているくだりは優れた観察者でもあります。
 1813年:ポルトガル人の司祭ファリア師(ナンシー学派の祖)は治療者からは特別な力は出ておらず、すべては患者の精神のなかでおきると主張しました。技術面での改革としては、患者を眠らせるために視線を一つの対象に固定させる方法(後にブレイドが用いる)と言語的暗示を与える方法(リエボーがおこなった)があり、ファリア師は命令口調で「眠りなさい」、ついで「目覚めなさい」と命じました。この頃には、夢遊病(催眠)状態に導くやり方が定式化したのです。
 2)ドイツ
 磁気術をドイツはロマン主義の影響もあって受け入れました。大学にメスメリズムの講座が設けられたほどでした。
 詩人で医師でもあるケルナーは、ボツリヌス菌による食中毒を記載した最初の人ですが、12歳のときに磁気術師に神経症を治してもらいました。祓魔術と磁気術の混合法で憑依や夢遊病やいわゆる超自然現象に関心を持っていました。
 1826年彼は患者フリーデリケ・ハウフェと出会います。彼女は子どもの頃から幻視や予感があった。学校には行かなかったので読むものと言えば聖書と賛美歌だけでした。19歳のときに両親が愛していない男と婚約させました。その日はたまたま崇敬する説教者が埋葬される日でもあったのです。葬式のあいだに、彼女は“目に見えるままの世界に関しては死に”、“内面の人生”が始まりました。彼女は現実と空想という二つの世界を解離させたまた生きることになるのです。その後彼女は病気になり、痙攣、全身硬直、出血、発熱を呈して、医師も民間治療者も治すことができなくなって、ケルナー医院に運ばれてきました。磁気(つまり催眠)状態の中で彼女は多重人格、ポルターガイストと同じような行動をとりました。千里眼は誰も知らない言葉で喋ったと言います。
しかし1850年以降は、実証主義、科学的合理主義のもとで磁気術の影響は急速に遠のいていきました。
 3)イギリス
 1840年から1850年のあいだにスコットランド人外科医ブレイドの活躍もあって発展しました。磁気術の手業は不必要で代わりに患者の視線を輝く物体に固定させるという技法を用いました。そして催眠術hypnotismというより適切な術語を作り、医学サークルに受け入れさせました。外科医アザンは麻酔の代わりに催眠術を用いました。しかし、より確実性の高いクロロフォルムの出現で、催眠麻酔の流行は終わりを告げ、ブレイドの研究は廃れていくことになります。そして、イギリスでも催眠術は廃れていきましたがカラーセラピーや植物セラピーへと受け継がれて、現在に至っています。
 4)アメリカ:心霊術の勃興
 アメリカにもメスメリズムは広がりました。ヒステリー性運動麻痺を磁気術で治したりすることが公衆の前でおこなわれました。しかしアメリカではもう一つの流れもありました。
1620年、分離派ピューリタンと言われているピルグリムファーザーズ(巡礼)がメイフラワー号でアメリカのケープゴッドへ移りました。そして、アメリカ独立戦争が1775年から1783年にかけて起こり、新国家の指導者は国定宗教をどれにするか悩みました。1791年、全国民に信教の自由を認めるという国家憲法が成立し、多数の信教派が出現しました。
 1840年から1850年にかけてのアメリカ合衆国は、人口こそ2000万人程度でしたが、国民は精力的で、大多数が小さな街区(ブロック)に住んでいました。牧師も教会員も宗派から宗派への改宗が頻繁で、小宗派(セクト)が多数生じました。
 1848年、心霊科学(スピチュアリズムspiritualism)が興りました。事の始まりはニューヨーク州のハインズヴィルという村で事件が起きた事件がきっかけです。以下に、『無意識の発見』から引用します。
3年間空き家になっていた貸家に1847年12月、フォックスという家族が入居してきました。住み始めるとすぐに、物をたたくような音が地下室や寝室で鳴るようになったといいます。ラップ音と言います。さらには子どもたちが冷たい手で顔をなでられたり、家具を動かすような音が聞こえたりもするようになりました。1848年3月、いつもの音に加え、窓の戸が激しく鳴った。妹のケイトが音のするほうに向かって、「お化けさん、私のするようにしてごらん」と指を鳴らしました。するとそれにあわせて同じ数の音が返ってきました。姉のマーガレットが同じようにして、手を4回叩いた。やはり4回返ってきました。それを見ていた母親が「10、数えてみて」と言うと、ラップ音が10回返ってきました。さらに娘の年を尋ねると都市の数だけのラップ音が鳴った。いろいろ質問するとすべてに答えたと言います。それから隣の住民も加わって12、13人で同じような問答がおこなわれました。アルファベットを順に読み上げて途中でラップ音を鳴らすと言うことを誰かが考え出して、それで様々な質問をしていきました。その結果名前を聞き出すことができて、霊と交信するための暗号システムまで発明されました。
 音の主は、31歳の男性で、前にこの家を借りていた人に5年前の0時に殺されました。首を切り落とされ、その翌日の夜、地下室3メートルの深さに埋められたのです。この事件は新聞に載り、あっという間にヨーロッパにも広まりました。地下水が噴出して首は見つからなかったのですが、夏の乾燥期に再び発掘がおこなわれ毛髪や頭蓋骨が見つかりました。この新運動を最初に支持し、積極的に動いた人たちの中にメスメリストたちの姿があったのです。この心霊術の動きは1852年にはヨーロッパにまで広がっていきました。
 心霊術師が導入した自動書字は心理学者の無意識を知る手がかりとなりました。心霊術は人間の心理を知る手がかりを心理学者や精神病理学者に与えるきっかけともなったのです。つまり、心への接近方法を与えたわけです。ナンシー学派やサルペトリエール学派が起きたのもこうした動きによるものでした。
 ところが、それから56年後の1904年11月23日に、地下室の壁の奥から、身体の骨と行商人用のブリキの荷物入れが発見されました。これがボストン・ジャーナルをはじめとした新聞に報じられ、死後の霊が地上にいることを研究する心霊科学が始まった事件となったのです。
 余談ですが、私も若い頃自動書字の経験があります。ある患者さんにメモ紙を渡して、お家の様子を説明してもらっている内に彼女の様子が急変し、ぶつぶつと独り言を言いながら、メモ紙にある文章を書き綴っていったのです。その内容が、彼女が私に伝えたいけど口にすることが許されない内容だったのです。
 今日の自由世界と違って、当時は、倫理的・慣習的に口にすることが許されないことが多かったのでしょう。ですので、病んでいる人の本音(意識されない無意識のこころ)を自動書字によって知ることで、言い換えると言葉にすることで患者さんの葛藤が明らかになり、症状として流れていた精神エネルギーが自由になって症状がなくなっていたわけなのです。
X ナンシー学派とサルペトリエール学派
 1.ナンシー学派
 1860年−1880年代は、磁気術と催眠術は悪評にまみれた時代。
 リエボーは、そのなかであえて公然と催眠術を20年間も無料でおこなったので、インチキ医者で馬鹿だと批判されました。
 ベルネームは、ナンシー学派のリーダーで、リエボーの奇蹟的治療の噂を聞いて弟子
入りしました。この高名な内科の教授の行動は一つの事件でした。ベルネームはリエボーの業績を医学界にひろく紹介しました。ちょうどシャルコーが催眠術に関する論文をアカデミーに発表した直後で、彼は「催眠はヒステリーに特有のものではなく、暗示の結果だ」と主張してシャルコーに反対しました。被暗示性を“観念を行動に変形する適正”と定義し、人間がすべて持っている性質で、ただ程度の差があるだけだ、と考えました。しかし時とともに催眠術を使わなくなり、催眠術によって得られるような効果は覚醒状態における暗示でも得られると主張するようになりました。ナンシー学派はこの心理的プロセスを「精神療法psychotherapy」と呼びました。
 やっと精神科医の対話による治療、すなわち「精神療法」という用語が産声を上げたのです。その中には暗示、説得、是認、指示、忠告、支持、解釈、などといった技法内容が含まれますが、基本にはこの暗示を成立させる患者と医師との間の「信頼感」が重要です。転倒して泣いている子どもを母親は抱えあげて、「痛い痛いの飛んでいけ」と唱えると、痛みは和らいで子どもは泣き止みます。この子どもの母親への信頼が暗示の始まりなのです。逆に言うと、信頼の置けない主治医から「大丈夫」と言われても安心できないのは必然的なことですね。
 2.サルペトリエール学派
 シャルコーは1825年にパリに生まれました。36歳のとき転機が訪れます。彼はサルペトリエール病院の一つの病棟の医長に指名され、ここでてんかん患者の痙攣を模倣するヒステリー患者の観察をおこなって、1878年に催眠術研究に着手したのです。その成果は1882年にアカデミーに発表されました。「催眠状態は嗜眠、カタレプシー、夢中遊行の三段階を経て展開する」と主張して、アカデミーに催眠術を受け入れさせたのです。外傷性麻痺についての研究のなかで、麻痺を催眠下で消失させたり、催眠にかかりやすい患者を選んで、「あなたの腕は、目が醒めかけのときに私が背中をポンと叩くと途端に麻痺するでしょう」と暗示をかけました。背中を叩かれた途端に患者は外傷後麻痺と同じ形の麻痺を起こしたのです。シャルコーは催眠術の現象はヒステリーに悩む者においてのみ惹き起こされ、それ自体異常性の現われであると考えました。この点でナンシー学派から非難されることになります。
 1893年、シャルコーの死んだ年には催眠研究は衰退を見せはじめました。催眠療法は患者の尊厳を損なう治療法だという非難の波が押し寄せたのです。暗示でさえ、それが患者の人格の自動的な部分、したがって劣った部分に働きかけるという理由で咎められました。その先鋒はかつてベルネームの弟子のデュボアで、彼は暗示を非道徳で危険だとみなし、暗示の代わりに「説得」を用いて、説得は患者の意思に呼びかける、理性的な手法だと主張しました。しかし、感情によって生まれる信頼の雰囲気がなければ、つまり患者に自信をもたらす情動の助けがなければ、精神療法は可能でないというデジュリーヌの見解もありました。
Y.日本では
 江戸時代中期から後期にかけての精神疾患の治療は一部の漢方医たちが精神病の診断や治療に取り組み始めました。と同時に蘭学が流入し、オランダ医学書から多くの精神科的病名や症状名が翻訳され紹介された時代でもあります。中でも神経症の治療については、和田東郭(1744−1803)の「移精変気」が有名です。和田は摂津高槻の人で、癲狂(狂気)を癲と狂とに分けました。癲の広義のものは、神経症、小児驚、てんかん、居眠り病、狭義精神病を含んでいました。症状が生起し消退する疾患の総称が「癇」です。狭義の癇は肝疾ともいい、現今の精神神経症、ヒステリー、神経質に相当します。狂は狭義の精神病にあたります。癇に対して和田は、一種の説得療法、移精変気の術、睡眠療法(おおいに運動させて、疲れたところに、温めていた酒を飲ませて、熟睡させる)、薬物治療、灸を用いました。それを徹底して活用したのが東北白石の医師今泉玄佑です。今泉は嘉永3年(1850年)に『療治夜話』を著し、その中で独自の「移精変気」の法を述べました。移精変気とは、精神を移し変え、心気を変え改める、ということです。「心に迷いを生じたために病気になることがある。その迷いをつきつめ、それを患者に分からせて迷いを解き、病気を治す方法が移精変気の法である」という考え方はとても今日的です。
 症例:59歳の大工の後家。8人の子どものうち7人を流行病で次々に亡くし、残った1人も病気でなくなったばかり。それ以来、めっきり弱り、鬱々と思い悩み、身の不幸を嘆いては泣いていた。毎日、「死にそうだ」と言っては騒ぎ、食欲もない。呼ばれて診察した和田は「このようなことで騒ぎたてるとは、何たる愚か者か」と一喝した。一喝して、自分の病気に向けていた注意を転向させた。すると患者はそれまで閉じていた目を開けた。すかさず、「生死は皆、天命である。人間は遠からず死ぬことに決まっているのだが、その決まったことにうろたえ、騒ぐものではない。病気になるのは祖先の恩を忘れ、わがままに自分の気を迷わすからなるのだ」と言い聞かせた。その結果、症状は消失したのです。
Z.現代
 その後、催眠術の末裔たちは、再び20世紀になってトランスパーソナル心理学としてアメリカで登場します。トランスパーソナル心理学は、1960年アメリカ西海岸で誕生しました。トランス心理学のトランスはtrans越えるという意味で、トランス(没我的な恍惚状態)状態のtranceとは違います。スピリチュアリティspiritualityと現代心理学の統合を目指す心理学です。人間存在を全体的な存在として、とりわけそのスピリチュアルな側面を重視します。アイデンティティや自己感覚が宇宙大に拡張していく、神秘体験などのトランスパーソナルな体験の価値を積極的に認めていくのです。エクスタシー、至高体験、神秘体験、超越体験やシャーマニズムを再評価するので、科学からはどんどん離れて行くので医療の領域では行なわれません。
催眠術から離れて今日の精神療法の土台を作ったフロイトは、その内容については精神科読本30『フロイトの精神分析』で述べる予定ですが、心霊現象を思考の全能の所産とみなし、この思考の全能はアニミズムや原始的な心性によるもので、この原始的な心性を合理的な自我と知性によって乗り越えなければならないと考えました。1921年のキャリントン宛の手紙には「心理現象を非科学的であるとか、信じるに足りないものであるとか、ひいては危険なものであるとして、頭から否定することも非科学的である。ただ、私はこの領域にはまったくの素人なので、臨床家として発言する柄ではない。それだけに、心霊術とは縁もゆかりもない精神分析と、このまだ未制服の学問分野とを峻別することが私にとって重要である」と、精神分析を科学として扱っていこうとする強い主張が窺えます。

参考文献
1.フロイト:『精神分析運動の歴史について(1914)』日本教文社、1969.
2.アンリ・エレンベルガー:『無意識の発見上(1970)』弘文堂、1980.
3.L.シェルトーク、R.ド・ソシュール:『精神分析学の誕生―メスメルからフロイトへ―(1973)』岩波書店、1987.
posted by 川谷大治 at 15:06| Comment(0) | 日記

精神科読本20「ヒステリーという病」

精神科読本20「ヒステリーという病」(2017年改訂版)
ヒステリーという病
T.ヒステリーとは?
 今回は長いあいだ温めていた『ヒステリー』について解説します。ヒステリーを抜きに「こころの病」を語るのは画竜点睛を欠く、と言っても過言ではありません。私たち人間は自分の想像を超える事態に遭うと、それを解決できないこととして判断を保留することが苦手です。誰かのせいに、あるいは人間の能力を超えた神や悪魔のせいにしたがるものです。ヒステリー者もそうでした。中世期のヨーロッパでは魔女狩りに遭って火炙りの刑といった残虐な扱いをされてきたのです。
 モーツアルトのオペラ『コジ・ファン・トゥッテ』(1790)の第一幕の終わりに偽のヒ素を飲んで死んだふりをする若者に医師に扮したメイドが磁気治療を施すシーンがあります。当時、ヨーロッパで流行していた磁気治療を風刺のきいた芸に仕立てたようです。直に磁気治療は催眠による効果だと明らかになっていくのですが(精神科読本21『精神療法のはじまり』を参照)、ヒステリーはフランスの神経学者シャルコーらによって解明され、ヒステリー症状は暗示によって出たり消えたりするということが明らかになりました。フロイトはウイーンに戻り、ヒステリーの暗示説を精神医学に取り入れてヒステリーの催眠治療に没頭したのですが、催眠術がそれほど得意ではなかったために、暗示を捨てて意識下の中でおこなう自由連想法を編み出して精神分析を起こしました。
 そしてフロイトは、ブロイアーと共著で『ヒステリー研究』(1895)を世に出しました。モーツアルトのオペラから約100年後です。その内容については精神科読本25『外傷後ストレス障碍PTSD』で詳しく説明しますが、ヒステリーの原因を幼少期の性的外傷体験に求めたのです。フロイトが活躍した20世紀になってようやくヒステリー症状を科学的に扱う時代が到来したのです。
U.ヒステリー症状について
 私が研修医1年目の冬、ある男子高校生Z君の外来治療を担当することになりました。内科、脳神経外科から紹介された患者さんで原因不明の「左眼の視角異常に始まる左頭部痛、全身脱力による失立・失歩、意識消失を伴う左半身の痙攣」といった一連の発作が主訴でした。彼の母親は私の心因説に疑問を抱き、霊媒師にお祓いをしてもらったら「子どもの症状は、父親が誤って山の神様の石塚を踏んだ祟り」だと言うのです。いつの時代になっても理解できない現象に出くわすと誰かのせいにしたがるものです。霊媒師は彼の母親の気持ちを読んで「父親が山の神様の石塚を踏んだ祟り」だと言って父親のせいにしたのです。
 さて、話は変わりますが、ヒステリーを治せないと精神科医としては一人前とは言えません。ヒステリー者の症状は周囲の関心と注目を強烈に引くので、治すとヒーロー、治せないと悲惨な結果が待ち受けています。加えてヒステリーは若い女性に多く医療関係者にとって好き嫌いの激しい病気の一つです。ヒステリー者に陰性感情をもつ人たちは「症状はわざとしている」と仮病扱いする人も少なくありません。特に同性の看護師にはとても評判が悪い。一方、若い精神科医はヒステリーの症状の成り立ちに魅了されると同時に、巻き込まれて収拾がつかない状態になることもあって、好きか嫌いに分かれます。関わる者を好きか嫌いに二分するヒステリー症状はどんなものなのでしょうか。ヒステリー症状は男性にも起きますし、ヒステリーが嫌われる理由は、実はヒステリー性格の中のBad Hysteria(DSM−5では演技性パーソナリティ障碍に相当)なのであって、ヒステリー症状を呈する人たちが必ずしも嫌われやすいわけではありません。
 1.ヒステリー症状とは
 ヒステリー症状は一般的に転換型と解離型に分類されますが、臨床的には両者が混在するものが多い。アメリカ精神医学の診断基準DSMでも二分して記載されていますが、ヒステリー者は状況によって転換症状や解離症状を呈する人が多いのです。DSM−5では、身体に現れる転換型症状は9章「身体症状症Somatic Symptom Disorder」に、意識が変容する解離型症状は8章「解離症群Dissociative Disorders」にそれぞれ投げ入れられています。
 私の研修医時代のZ君の症状を再度見てみましょう。彼は授業中に教壇に立つ先生の顔だけが見えなくなるという症状から始まりました。そのうち、「左眼がチカチカし出して、左頭部の頭痛が起こり」、急に全身の力がなくなり、立つことも歩くこともできなくなって、心配した教師やクラスメートの前で「急に左半身のみが痙攣し出して、周囲の問いかけにも反応しくなった」と言います。保健室に運ばれて、しばらくして意識が戻るのですが、痙攣していた時のことは全く記憶にないと説明しました。
 彼の症状はDSM−5の解離症群と身体症状症の二つが存在します。発症状況は学校の授業中です。解離反応を引き起こすような直接的なストレスは現実にはありません。治療の過程で明らかになったのは、進学校に入学したものの学業成績が芳しくないことと、親元を離れた寮生活で勉強しなくなって親の期待に応えられなくなった、という心の中で起きている葛藤状況でした。
 それでは、ヒステリー症状の説明に入りましょう。
 1)身体に現れる転換症状(DSM−5の翻訳では変換症と訳されています)
  運動機能や感覚機能には何ら問題ないのに異常が起きる症状です。例えば、脱力や麻痺、異常な動き(振戦、ジストニア運動、ミオクローヌス、歩行障碍)、嚥下症状、発話症状(失声症、ろれつ不良など)、けいれん発作、知覚麻痺または感覚脱失、特別な感覚症状(視覚、嗅覚、聴覚の障碍)などがあります。
 2)意識変容を主体とする解離症状
 (1)解離性同一症:いわゆる体重人格と呼ばれる症状のことです。解離性同一症には憑依型もあります。私は若い頃、朦朧としている患者に「あなたは誰ですか」と問うと「(本名の)W子」、「悪魔」、「預言者」と答えて、それ以上質問すると「神様、私と結婚してください」と混乱した症例を治療したことがあります(自著『思春期と家庭内暴力』に収録)。解離性同一症者には以下に説明する解離性健忘が出現します。
 (2)解離性健忘:過去の記憶が限局的、選択的、あるいは全般的に忘れ去られ想起することができない健忘症である。一般的には“記憶喪失症”と言われる病態です。
 (3)離人感・現実感消失症:これらの症状はとても苦痛で「カプセルの中にいる」「自分が自分でない」「自分がない」「生きている実感がない」などと患者は苦悩します(臨床ダイアリー14『ウィニコットの破綻恐怖について』を参照)。
 2.ヒステリー症状には意味がある
 フロイト(Freud)はヒステリーの研究から精神分析を編み出し、その過程で独自の神経症論を打ち立てました。それはアメリカの自我心理学へと受け継がれ、フロイトの精神分析はその後の神経症論に大きな影響を与えたのです。フロイトは「(神経症の)諸症状には、夢および失策行為と同じように無意識的な意味があり、神経症の症状を呈している当人の生活と関連がある」と述べて神経症を体系化しました。例えば、思春期に多い失立・失歩というヒステリー症状には「自立したくない」という無意識の心があります。Z君の左半身の痙攣発作は、「僕の中に母親にとって自慢の良い子である右半身」と「母親の影響を受けないで自由に生きたい左半身」の両者が葛藤状況で発生しました。母親から離れて寮生活を送るZ君はのびのびと学校生活を送る一方で、成績が急降下して母親の期待を裏切る悪い自分を左半身に投影して、発作中右手で左半身を叩くという動作が見られたのです。
 3.ヒステリーという用語について
 ヒステリーについて解説する本小論なのに、今日の精神科臨床ではヒステリーという医学用語を使うことはありません。というのは、ヒステリーという用語に対する先入観と偏見、単症状性の古典的ヒステリーが減少し代わって多彩な症状をもつ多症状性ヒステリーが増加したという時代背景、さらにはヒステリーという用語のもつ多義性(ヒステリー神経症、ヒステリー性格、ヒステリー精神病などを指す)、ヒステリー性格が必ずしも転換症状や解離症状を示すとは限らないこと、神経症の診断学が意味論から症候論への移った(DSM−Vの登場)こと、などが大きな理由です。日常用語で使うヒステリーとは、「ヒスをおこす」「あの人はヒステリックだから」と軽蔑的なニュアンスが強く、精神医学用語とは全く違った使われ方をします。
以上の理由から精神科臨床ではヒステリーという用語は消滅しました。でも、ステリー症状が消えたわけではありません。21世紀の私たちにヒステリー現象が教示するものは多大なものがあると信じています。それが、20世紀後半から起きた解離性障碍への注目です。1970年頃より解離性同一症(多重人格)やPTSD(心的外傷後ストレス障害)が注目されるなかで再び「ヒステリー」は装いを新たに精神科医の関心を引くことになったのです。それは、フロイトが初期に見出し、後に破棄することになったヒステリーの心的外傷論の見直しだったのです。
V.ヒステリー症状の対応と治療
 ヒステリー症状への対応について述べますが、ヒステリー性格と演技性パーソナリティ障碍については別の機会に譲ることにします。
 従来、精神療法を学ぶ初心者にとってヒステリーは好都合な症例であると言われてきました。ヒステリーは治療者の影響を受けやすく、容易に転移神経症を起こすからです。逆に、治療者への不満・不安が治療を複雑にし、泥沼化させる原因にもなるのですが、神経症の成立過程を知る上でヒステリーから多くのことを学んだのです。
 1.精神分析的視点
 先ほど述べましたように、精神分析的には「神経症症状には無意識的な意味がある(象徴的な意味)」とべました。この考えをよくあらわしているのが転換症状です。症状は、運動系、感覚系、などに現れ、実にさまざまな症状があります。その無意識的意味とは、たとえば、失立失歩は「自立したくない」、失声は「(不快な事態を招くようなことは)話したくない」、視力障害は「(現実を)見たくない」などのように、「手に負えない観念は、身体的な何ものかに変換されることによって、その興奮の総体が無害なものに変えられているのです」(Freud,1984)。身体現象は意味深い「身体言語」で、それは心的葛藤の代償的満足(反動形成)なのです。そして患者は、病気をすることで現実の苦痛から逃れることができるのです(疾病逃避)。
 1)基本的な心構え(環境か心的葛藤か)
 フロイトは、人間は幼児期のこころの発達において、ある特定の発達段階で問題が生じると、その段階特有の心的葛藤と防衛パターンを形成すること(固着)、そして後年類似の困難に遭遇したとき、その段階の自我状態ないしは対象関係の水準に退行することを見出しました。「自我は、一般的に表現すれば、危険、不安、不快を避けるために種々の手段を用いる(防衛機制)。・・・・・自我の発達過程において、その選ばれた防衛機制は、自我のなかに固着し、その性格の規則的な反応様式となって、その人の生涯を通じて、幼児期の最初の困難な状況に類似した状況が再現されるたびに反復される」(Freud,1937)のです。この反復という現象がとても重要になってきます(臨床ダイアリー「トラウマと反復強迫」を参照)。
転換症状は心的葛藤を刺激し苦痛をもたらす現実からの逃避という側面を意味するので、その対応には、葛藤の解消や環境調整が大切になります。小児や思春期のように自我の未熟性のために現実的問題を解決できないでいる場合、強い不安、興奮を鎮静化するための薬物治療や現実から隔離する意味で入院治療を選ぶとか、実際に困っている現実問題を解決するために環境調整をおこなうことで症状の改善を見ることが少なくありません。特に、現実問題で反応性に発症した場合、不安、興奮が強く、ときに昏迷状態に陥ることがあるので、入院治療のなかで治療者が代理自我の役割を担い、支持的かつ受容的な介入が必要になってきます。成人例の場合も基本的には同じ対応が求められます。ただ、後述するように、入院治療の選択には大きな問題があります。
環境調整は、発病した状況を詳しく聴くことから始まりますが、ヒステリー者から得られる情報は断片的で非常に主観的なものです。患者の言い分は症状のなかに意味深く隠されているからです。そのため、患者の症状と患者を取り巻く関係者から情報を得ることで発病に至ったストーリーが完成されることがしばしばあります。そのストーリーの内容はヒステリー者の葛藤状況の再現でもあります。こうしたストーリーを考慮した上で、(本人よりも主に環境に対して)教育的かつ指示的な介入がおこなわれることが望ましいのです。
 職場や学校、そして家族などの関係者と会うときは、その必要性を患者に十分に説明し、同意を得ることは言うまでもありません。なかには、重要な関係者であればあるほど患者は葛藤的になり、一時的に症状が悪化することがあります。その際、症状の動揺を見ながら、同席で会う方が望ましいでしょう。また、ヒステリー者は多くを語らなくても「治療者は発病に至った状況から救出してくれる」という救済願望(幻想)を抱いていることが多い。そのため、状況の説明をできるだけ言葉で詳しく話すように励ますことが大切です。このような現実的な対応は、患者の幻想に巻き込まれることなく、中立性を保つことにも役立ちます。
 しかし、そうした薬物治療や環境調整だけでは問題解決を見ない場合があります。幼少期のエディプス葛藤が現実問題で揺さぶられて発症した場合です。その場合、精神分析療法や精神分析的精神療法のよい適応となります。パーソナリティ障碍を合併している場合は、その治療過程で技法的な工夫を必要とするのは言うまでもありません。
 2)治療構造の設定(外来か入院か)
 次に、ヒステリー症状の対応で問題になるのは、病気をすることで得た二次性の疾病利得です。特に入院治療の場合がその危険性が高い。ヒステリー症状は、他の疾患と違って、目に見える形で現れるので、入院治療の場合、そのドラマティックな症状が周囲の関心を惹き、二次的疾病利得を招きやすいのです。それは治療者の熱心さにもかかわらず治療に抵抗するので、治療者がヒステリー症状にのみ関心を持ちすぎると、上述したように治療者は「英雄になるか敗者になるか」のどちらかです。
 ヒステリーの治療では、治らない患者に治療者は傷つき、患者を拒絶し、治療は泥沼化する危険性が待っているのです。ヒステリーは現実の心的外傷が発病の契機になっているので、治療者は症状の消失に心を奪われないことが大切です。現実問題が解決を見ないとなかなか症状は治らないし、治っても症候移動syndrome shiftすることがあります。しかも症状を形成している心的葛藤が、治らないという形で治療者患者関係に転移されると、事態は深刻な状態になります。
 そのため、ヒステリー症状の入院治療には慎重な対応が求められるのです。基本的には外来通院治療が第一選択です。よほどの理由がない限り、つまり症状のために通院が不可能であるとか家族との感情的対立がある場合などです、入院治療は避けるべきです。また疾病利得抵抗が生じないような治療の設定が求められます。患者は、「発病に際して家族や学校、勤務先とのあいだに現実的葛藤を引起こしていることが多く、しばしば治療によって、離婚、別居、退学、転校、退職などの現実問題を治療者にもちかけてくることがある。しかし、原則としてそれらのこと自体が神経症的解決法であることが多いので、治療がすむまでは、現在の環境を変えないで治療に入ることを約束しておくことが必要」(西園)なのです。
 3)精神療法の治療過程
 ヒステリー者の心的葛藤に焦点を当てた治療(精神分析や精神分析的精神療法)が適応になるときのポイントは、患者に心に起きること(感情や観念)をできるだけ詳しく言葉にするように励まし、中立性を心がけながら治療を進めていくことです。治療は、症状の意味を含んでいる無意識過程を患者に意識化させることになるのですが、はじめは表層から、ないしは意識内容から扱い、無意識内容へと深めていくことが求められます(洞察療法)。とは言え、上述したように症状にのみ焦点を当てた治療に専念過ぎると、疾病利得抵抗が強化され、陰性治療反応が起きる危険性があるので、環境に適応できないでいる苦痛に焦点を当てた治療を心がけることが大切です。その過程で、発病の契機が幼児期の葛藤の再現であることが理解されるようになるのですが、それは治療者患者関係を通してはじめて患者には生き生きと体験されるのです。こうして患者は、症状の背景にはエディプス・コンプレックスが抑圧されていることを学ぶのです。
2.行動療法
 行動療法は精神分析のアンチテーゼとして登場しました。精神分析はヒステリーを治療モデルに研究され発展してきたのに対して、行動療法は恐怖症や強迫神経症を治療モデルにしています。そして精神分析が「症状には無意識的意味がある」と考えるのに対して、行動療法では「症状には意味がない」と考えます。治療機序も、精神分析が洞察を求めるのに対して、行動療法では行動の変化を求めます。ヒステリー症状は環境(発病状況や周囲)を症状で支配しようとする力動が働くために、症状に焦点を当てた行動療法は不向きだと思います。このように、両者には理論的にも治療機序的にも大きな違いがあり、ヒステリーは行動療法の適応にならないと言えるでしょう。
※本小論は、朝倉書店『実践精神療法事典』に投稿したものに修正・加筆したものです。


posted by 川谷大治 at 14:15| Comment(0) | 日記

神科読本19「リストカットの理解と対応」

精神科読本19『リストカットの理解と対応』(2017年版)
                リストカットの理解と対応
T.はじめに
 平成9年5月開業からの9年間で当院を受診した自傷行為者は180例(男24,女156)います。この中にはピアスや刺青やタバコによる火傷は含まれていません。鋭利な刃物や鋏などで身体を傷つける患者が対象です。そのなかで小学校高学年から22歳までの間に自傷行為するようになった者は130例です。思春期は一般に12歳から22歳までの年齢枠なのですが,精神医学の臨床的知見から10歳前後からとする研究者は少なくありません(笠原ら)。そのため本論では,10歳前後のケースから選びました。この130例を分析し,思春期の自傷行為をどのように理解し支援するかについて私見を述べることにしましょう。
U.川谷医院を受診した自傷行為患者の特徴
 思春期に自傷行為を行う者のすべてが医療機関(精神科や心療内科や小児科)を受診するとは限りません。精神科を受診するものは氷山の一角です。そのために本論では,当院を受診された自傷患者の特徴と正確に表現したいと思います。以下に,私の経験した自傷行為患者130例の分析を述べることにしましょう。
 1.性差,生活史などの特徴
男女差は女性が圧倒的に多い。112例(88.2%)を女性が占めています。10歳から自傷を始めるものは2人と少なく,多くは中・高生から始めています。
彼らの生い立ちを見ると,幼少期に車酔いが30%,手のかからないよい子15%,母子分離の困難13%,爪噛み・指しゃぶり10%が見られています。
学童期に入ると,10歳前後の自我の芽生えの頃から内省的に悩み始めるものが22%,過剰に明るく振る舞い「よい子」であろうとするものが10%に見られます。と同時に,いじめや両親の離婚や虐待16%などの環境側の問題が増え,こうした個人の外と内で約半数に問題が見られるようになります。
そして中学校に入ると全例が悩み始めます。すなわち,不登校,自傷行為,精神疾患の罹患,非行,いじめなどの問題が急増し,特に不登校は彼らの半数が経験し,高校中退は35%にも達します。しかも思春期の人格形成を促す家庭環境は破綻し,家庭崩壊は25%,虐待30%という数字は悲惨な家庭環境を窺わせます。さらに,3人に2人は境界性パーソナリティ障害(BPD)と診断されました。
 2.緊張の強い家庭環境や不登校や高校中退がもたらすもの
家庭環境が複雑で緊張に満ちていたり,学校でいじめにあったり,登校できなかったりすると,子どもの心にどのような影響を与えるでしょうか。
 1)10歳の「自我の芽生え」と「魔の中2の2学期」
 この二つの時期は私が臨床で大切にしている子どものこころの発達段階です。前者は,子どもの脳が世界を時間軸のなかで自分と世界とを関連づけて見ることを可能にします。大人の脳になるのです。10歳以前は,嫌なことがあっても「今鳴いたカラスがもう笑う」とけろりとしているのですが,10歳を過ぎると出来事は長期記憶されるようになり,なかなか忘れることができなくなるために,長いあいだ子どものこころを苦しめることになります。この時期に家庭が楽しくない,学校でみんなとうまくやれない,能力面で劣等感に悩まされると,「自分は駄目な子」「自分は悪い子」空想を抱くようになります。「両親の仲が悪いのは私のせい」と考えることによって家庭で生き延びようとするのです。
後者の「中2の2学期」は,性的な自分と社会的な自分の統合を試される時期で,それに高校受験が重くのしかかってくる時期です。中1の課題は,新しい環境の変化についていけるかどうかですが,中2の2学期はもっと心理・社会的な問題で,パーソナリティ発達と深く関わっています。対人関係の躓きと自己の能力の限界に直面して不登校や自傷行為や摂食障害やパーソナリティ障害の前兆が始まります。学校に通えなくなると,自分がどれほどの人物なのかを分からなくなるので,現実離れした空想的な自己像のなかで生活するようになり,ますます学校に通えなくなるという悪循環を形成していくのです。
 2)「17歳」の問題
 作家の庄司薫は『狼なんかこわくない』の中で17歳を「この時代の『男の子』というのは,まことに始末におえない。まず彼は,たとえ表面的には激しい自己嫌悪や荒々しい絶望を示そうとも,実はまだこの現実の中で試したことのない,漠然とした,そしてそれだからこそ大きな夢を抱いている」と述べています。つまり,若さという可能性を最も自然に漠然と抱えているのが17歳なのです。可能性があるということは,それが漠然であるからこそ,非常に危険な年頃なのです。可能性の芽がつぶされると,自尊心の病理が露わになってきます。そしてそれは自己愛的憤怒と呼ばれるもので,底の尽きない泉のように憎しみを大きくさせていきます。特に,完璧主義の青年にとっては,17歳は人生という舞台から降りるか,あるいはそこに留まりつつ非現実的な空想を膨らませるか,逃げるか戦うか,脳の奥深いところで葛藤が起きているのです。
以上のように,引きこもりの問題点は,現実を離れることで自分の可能性と限界について学ぶ機会を失うことにあるのです。そのために,彼らの健康な自尊心が育ってきません。この点は,彼らの対応を考える上でしっかり押さえておきたいところです。
V.自傷行為患者の三タイプ
 自傷行為の対応について述べる前に彼らを心理・対人関係・性格傾向から3タイプに分類すると理解がより深まるので,それを紹介することにしましょう。先ほども述べましたように,自傷行為患者の3分2は境界性パーソナリティ障害を中心とするパーソナリティ障害なので治療がとても難しくなります。逆の言い方をするなら,パーソナリティ障害を合併していない,一過性に見られる自傷行為は対応も簡単だということですので,ここで詳しく述べる必要もありません。そのため,BPDの治療が自傷行為者の対応にも役立つのです。
 1型:「偽りの自己」群=「手のかからないよい子」
このグループの患者さんの特徴は,生まれつき周囲の空気を読み,瞬時にそれに合わせることが上手な人たちです。俗にいう「手のかからないよい子」。幼い頃から自分のことよりも他人を優先して生活しています。爪噛みなどの神経症的習癖が見られることがありますが,幼少期のあいだはたいした問題となることはありません。習い事や塾にも自ら希望して通います。問題が起きるのは小学校4年生の自我の芽生えの時期で,患者さんは内省的になり,自分について深く考えるようになります。端的に言うと「私は自分がないのではないか」と悩みだすのです。それでも大半の者は見かけ上は何事もなく小学校を卒業します。しかし,魔の中2の2学期を前に混乱を来たすのです。器用貧乏で高校中退が多いのも特徴の一つで自傷行為や摂食障害を伴うことが多い。治療にはよく反応しますが,周囲への過剰適応で疲れ果てて治療中断に陥りやすいことを知っておくことが大切です。精神療法(対話療法)のよい適応になります。
 2型:中核群=「トルネード」
 BPDの「不安定さ」が特徴です。幼少の頃から夜驚,癇癪持ち,落ち着きのない子として育ち,発達過程で様々な問題が露呈しています。母子分離が難しく幼稚園や保育園でみんなの中に入れない,運動会や学校行事などのときにしばしば発熱や腹痛などの自律神経症状が発現する,対人恐怖や不安症状が小学生の頃に起きる(早熟現象),などです。思春期になると,その不安定さはいろいろな領域で現出します。対人関係,将来の自己像,気分,社会適応,などで自分が何者であるのか混乱し始めるのです。
文字通り「トルネード」のような人たちなので,彼らに関わるい人は吸い込まれては放り出されます。そして,トルネード同様,同じ場所に居続けることができません。剣道部に入ったかと思うと,バイクの無免許運転で補導されたり,生徒会に入ったかと思うと酔っ払って学校に来たり,時には殴り合いの喧嘩まで引き起こしかねない。そして中学校から学校に通えなくなる者が多いのです。トルネードのような外見とは裏腹に内心は臆病で寂しがり屋です。常に「他者から見捨てられるのではないか」と不安に圧倒され,「嫌われまい」として必死です。何よりも孤独が苦手で,一人で居ることができないのが特徴です。
治療は患者さんの先を行かず,半歩遅れて,患者の起こした現実問題の後片付けという気持ちで一つ一つ丁寧に当たっていく過程が成熟への道になります。問題が発生したときは,環境を調整するなど,患者さんの問題行動を否定しないで,「辛かったね」とねぎらいます。情動興奮はたいてい2週間内には収まり,意外と患者さんは状況を把握し冷静に自分の行動について反省することがあるからです。治療は決して焦らず,現状打破を考えず,半歩遅れてついていくことに尽きます。
 3型:乖離やマイクロ精神病群=「自爆」
 このグループの人たちは周囲との関係に症状が現れるのではなく,患者さん自身が混乱し自爆するような恐怖を持っています。幼少期の虐待などの悲惨な体験を持ち,自我機能が脆弱で外的刺激によって,現実状況を正しく認識することができなくなり,被害的に現実を認知し,辛い現実状況から目を背けるために意識を失ってしまうことが多い。しばしば自分の意識が飛んでしまうと訴えます。外見はおとなしい人たちに見えるのですが,心の中は嵐のように混乱しています。自分の心の中で起きる不安はどこに逃げても追いかけてくるので,意識を乖離することで自分の心を守ろうとしているのでしょう。
 治療の中でも自傷行為が繰り返され乖離症状が頻発します。家庭内の揉め事の原因は自分にあるという信念に近い空想(「自分は悪い子」)を持ち,しかも完璧主義の性格のために,学校でのいじめ体験や仲間に入れないなどの適応の失敗から自尊心が傷つきやすい状況にあります。治療は薬物治療を中心に治療を進めるほうがよい。感情表出が苦手なので,精神療法は無理には行わずに,私は状態の改善と社会適応に治療の焦点を置くようにしています。患者さんは現実生活で起きる不安を溜め込み,他者との間でそれを問題解決できない点があるので,治療の中でそれを学ぶことを援助するのが治療になります。                     W.自傷行為の理解と支援・かかわり方
 以上,説明してきたことを念頭に置いて自傷行為患者との関わり方について述べましょう。自分を傷つける人たちは自尊心感情が傷つきやすい状況にあるので,関わることでさらに事態を混乱させる事だって起こりうるので扱いは難しいものです。
 1.学校・家庭で自傷行為を知ったときの対応
 1)第一段階:共感と理解を示すために「なぜ切ったの」と問わない
 自分の子どもが自傷行為をしていることを知ったとき,あるいは見つけたときには,彼らが「何に困っているのか」を訊ねることから理解と支援は始まります。「どうして切ったの?」とその理由を聞くのではなく,「どのように困っているの?」と彼らの辛い心理状態を理解しようという姿勢を示すことが関わり方のポイントです。この問いの違いは,自傷行為に対する支援のなかで最重要項目なので詳しく述べることにします。この「なぜ」と問う方法は洞察を求めることで思考の広がりを持たせるやり方の代表的なものの一つです。しかしこの問い方は,彼ら自身が自傷行為を行ったことで自責的になっているので,「責められている」「叱られている」という反応を起こしやすくします。つまり,彼らの「私は悪い子」空想を大きくすることにつながるのです。彼らの自傷行為がコミュニケーションの意味を持っている場合は,「なぜ」という問いは威力を発揮すると推測されますが,その問い方は難しい。なぜなら,自傷行為者の心のなかには,「叱る人=切る人」と「悪い私=切られる手首」の二人がセットで住みついているからです。そのために,「なぜ切るの」という問う方が「切る」役の片棒を担がされ,自傷行為者は「叱られる=切られる手首」を演じてしまうのです。そのために,「なぜ」と質問する側の心の中には加害者の意識はないと思っていても,つい非難がこめられてしまうのです。
 2)第二段階:主観的万能感の復活
 次に,彼らのニーズを直感的に読み取ることで第二段階に入ります。たとえば,彼らの心理,つまり「自分は普通でない」「友達とうまく行かない」「成績が思うように伸びない」「家庭が面白くない」などに触れるのです。彼らはそのことで悩み,自傷行為に及んでいることが多い。彼らの無力感・絶望感・不安感に触れることが大切なのです。自傷行為の裏にあるこれらの気持ちに触れられてはじめて,萎びてしまった「誇り」を取り戻すことができるのです。このニーズを読み取る能力が「錯覚の世界=主観的万能感」を一時作り,その錯覚が比較的長びくという体験が健康な自己の発達の基盤となります。その期間は少なくとも半年以上は必要です。このような体験なしには彼らは救われないし,自己に触れられるからこそ気持ちが回復するのです。半年以上の期間が過ぎないと,立ち直っても,一回の現実の挫折で元の木阿弥になってしまいます。
 3)第三段階:幻滅と脱錯覚化過程―劇化dramatizationと謝罪
 援助は第3段階に移ります。長い関わりの中で私たちも失敗することがあるでしょう。彼らに理解・共感できなかったりすることが起きるものです。ところが,私たちの失敗を彼らは自分のせいにすることで私たちとの関係を修復しようとするクセがあります。つまり,両親の仲が悪い原因は,あるいは親に虐待を受けたりする理由は「私が悪い子だから」と思っていたのと同じように,過去の環境側の養育の失敗を自分のせいにしようとするのです(再演=劇化)。その瞬間に,私たちの失敗を取り上げることで,つまり,それを演じることplayingによって彼らの凍結した『自己肯定』感情に温もりを与えることができるのです。たとえば,面接の夜などに自傷行為をしたと知ったときに,「あなたが私に心配かけまいとして,元気を装っていることに気づかなかったので,辛くなったのね」と理解を伝えるのです。このようにして信頼関係が構築されると,現実の困った問題を語り始め,自傷行為といった解決方法を捨てて,成熟した人間関係のなかで心理的問題を解決できるようになり,現実の人間関係にも変化が見られ始め,立ち直っていくのです。
 2.「自分を傷つけないように約束して」と言わないことの重要性
 「切らないように」と言われて,それを守れないのが自傷行為者の自我の脆弱性なので,無理に約束を取り付けようとしないことはとても大切です。約束して安心するのは私たち環境側であることを押さえておくべきで,決して彼らが約束したことによって救われるのではありません。自分でも悪いことだと分かっているので「私のために先生が本気で向き合ってくれた」とポジティブになることもあるのですが、約束の後も彼らはまた現実の嵐の中で生活しないといけません。約束した時には,自傷行為に走らないように「傷つける以外にどうしたらよいのか」を提供するか,あるいは環境を調整しないといけません。
もし「切るな」と言われて,もしそれを守れなかったら,自傷行為者はどう考えるでしょうか。申しわけない気持ちと自己否定感情で畏縮しているに違いありません。なかには,挑戦的に反撥する人もいるかも知れません。また,何度も何度も自傷をされると,周りも腹が立ったり,あきれたり,突き放してしまいたい気持ちになるかもしれません。つい叱り飛ばして,自己嫌悪感を強めることになるかもしれません。このような泥沼に陥らないためにも私は「約束」を取り付ける代わりに,彼らの困ったことを理解し,現実問題を一緒に解決する道を模索することを勧めるようにしています。                                        
X.まとめ
 以上,思春期における自傷行為(自傷行為)を理解するために私の130例の自験例の分析結果について述べ,その結果を踏まえて自傷行為を知ったときの対応について私の見解を述べてきました。自傷行為者は女性に多く,緊張に満ちた家庭環境の中で「自分が悪い子」空想のなかで成長し,思春期に入って不登校,自傷行為,様々な精神症状や問題行動を起こし,自分に誇りを持てずに,傷つきやすい心理状況にあります。そのために,彼らを理解し支援する態度は,彼らが「どのように困っているのか」を理解しようとする姿勢が欠かせないし,彼らの自傷行為の裏にある無力感・絶望感・不安に触れることが彼らの誇りの復活には欠かせないこと,それでも彼らを理解できないことが起きるが,その瞬間こそが彼らが成長に必要なときなのである,ことを説明してきました。

本論は,『児童心理』2006年8月号臨時増刊に投稿したものを、思春期の子どもに関わる家族や学校関係者向けに大幅に修正・加筆したものです。
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精神科読本18「精神医学が分かる講座」

精神科読本18『精神医学が分かる講座』(2017年改訂版)
神医学がわかる講座
 精神医学はみなさんが想像するほど難しいものではありません。どなたでも理解できる,とっつきやすい学問です。それは皆さんが日頃経験していることを治療の対象にしているからでもあります。しかも治療するかどうかの線引きも難しいものではありません。日常生活に支障を来たしているかどうかがポイントになります。たとえば、インフルエンザが流行する時期になると手洗いが奨励されます。この手洗いが短時間で止められなくなると生活にも支障を来しますので強迫症状と診断されるのです。それでは精神医学講座を始めていくことにしましょう。
T.精神病とは何か?
 世界保健機関WHOの出している精神疾患の診断マニュアルICD−10では,精神病を次のように定義しています。「幻覚,妄想,激しい興奮と多動,うつ病や不安によらない深刻な長期の社会的引きこもり,著明な精神運動抑制,緊張病的行動といった明らかな異常行動の存在を示すために用いる。」
中に含まれる疾患には器質性脳疾患,統合失調症,短期反応性精神病,感応性精神病,精神病像を伴う躁うつ病,などがあります。
 漢字が多くてイメージできない人もいるかも知れません。福岡大学名誉教授の西園先生は精神病を「自分で自分を守れない人」と分かりやすく説明してくれました。自分の目を箸で突き刺した人がいます。その理由を訊ねると「眼を突き刺せ」と聞こえてきたからと説明しました。声が「幻覚」であれ,現実の誰かの声であれ,疑うこともなく命令にしたがったのであれば,その人はひどく心が壊れていると想像できます。しかし,友だちと仲違いした少女が自分の意志でリストカットを行なったからといって、彼女が精神病を患ったために「自分を守れなくて自分を傷つけた」とは言えません。
英国の小児科医で精神分析家のDr.ウィニコットは、相手の話に「共感できなければ,その人はひどい病に罹っている(精神病)」と教えました。ある小児科医は,自分が予防接種した女の子に副作用が出たために,自責の念に駆られ,食事も出来ないほどに落ち込んでいました。この話を聞いたあなたは「なんて患者さん思いの先生なのでしょう」と,彼の話に同情・共感できるでしょう。しかしこの話が,十数年前の出来事としたらどう思われますか。「えっ!いつからそのことを悩むようになったのですか」と訊ねると思います。1ヶ月前から予防接種の事故のこと思い出して悩み出したと知ったら,彼が何かひどい病に罹っているのではないかと推測すると思います。もはや彼の訴えに共感できなくなっているからです。
ところが,Dr.ウィニコット説で説明不可能な事態も実はあるのです。判断する側の者がある価値観に固まっていたとすると,相手の話に共感できないことが発生するからです。たとえば,「親からもらった身体を大切にする」という考えに固まっているとリストカットの心理は理解・共感できないでしょう。
どこで線を引いたらよいのかますます混乱してきました。そのような人には私は次のように説明するようにしています。「日常生活に支障を来たしているにもかかわらず,自分はおかしくない,周囲がおかしいと訴えるとき,周囲の者とのあいだで理解がずれている場合が精神病を患っているときです」。先に例としてあげた強迫症状の場合、手を洗わないとウィルスが付着していると不安なのであって、自分がおかしな心理状態に陥っていることは気づいているので、精神病ではありません。
つまり,精神病では,異常は自分の心に起きているのではなくて,外に原因があると感じる心のことなのです。もっとも判断が難しい例は,嫉妬妄想に苦しむ人たちの話です。彼/彼女の話を聴いていると,本当の話のように聞こえてきて,彼/彼女の相手が不義理をしているように思えてくるのです。精神病だと診断するには、自分が考え過ぎだとは思っていないということと、相手が不義理をしていないという事実がないといけません。彼/彼女を嫉妬妄想と診断するのはとても難しいのです。
うつ病は精神病なのかどうか
うつ病や躁病はそれ自体では精神病には入らないということはしっかり押さえておくべきでしょう。30年以上前はうつ病も躁うつ病も精神病の一つでした。60歳以上の精神科医ならうつ病は精神病だと主張すると思います。こうなったのはアメリカ精神医学会が出版した精神疾患を分類するマニュアル(DSM-V)の影響があります。アメリカではうつ病の症状を羅列し、5項目あるいはそれ以上を満たすなら大うつ病性障害major depressive disorder(MDD)と呼んで,次に精神病を伴うか伴わないかと分類するのです。うつ病にメジャーもマイナーもないのですが。私が若い頃は、躁うつ病やうつ病の中には誇大妄想やその反対の微小妄想,罪業妄想が認められることが多く、精神病の範疇だと教えられました。
 ところが,臨床的にはうつ病と紛らわしい「うつ状態」があります。慢性疲労症候群や最近増加傾向にある「ITうつ病」が代表的です。どちらも仕事のオーバーワークと仕事の行き詰まりが原因です。ところが,両者とも「自分の元気のなさや疲れ」を自覚しているにも関わらず,自分の能力のせいにしがちです。「それは病気のせいではなく,自分の怠慢によるものだ」と自覚している会社員がいると仮定します。同僚も彼の妻も彼の「落ち込み」を認めているとします。しかし,元気のない理由が病気から来るものなのか,自分の怠慢のせいと考えるかで食い違いが見られます。私の定義によると,彼は精神病を患っていることになります。しかしその自覚は専門家から「鬱のために自分のせいだと判断されるのですよ」と説明されると,安心して治療を受けるようになる程度(訂正可能)であるなら,うつ病ではなくなります。そのときは軽症うつ病と考えてよいでしょう。精神病では自分の考えが他者の説明によって訂正できないのがポイントになります。
 今回の話を要約すると,精神病とは@日常生活に支障を来たしていること,Aその原因が病気のせいではないと思っていること,Bその考えが訂正不能であること,の3点です。

U.パーソナリティ障害
 1.パーソナリティ障害personality disorder(PD)とは何か?
 DSM−Wの定義ではPDとは「その人の属する文化から期待されるものから著しく偏り,広範でかつ柔軟性がなく,青年期または成人早期に始まり,長期にわたって苦痛または障害を引き起こす,内的体験および行動の持続的様式」です。波線の部分は,違う文化圏ではPDと診断されることもされないこともあるということです。たとえば夏目漱石の『坊ちゃん』の例でそれを説明しましょう。
主人公の坊ちゃんは親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしています。小学校に通う頃には「弱虫」と囃されて二階から飛び降りて腰を抜かしたこともあります。その坊ちゃんが松山に教師として赴任して山嵐と共に様々な行動を起こします。最後には二人で赤シャツに暴力を振るって学校を去るのですが,読者は坊ちゃんの行動に喝采を送り,「赤シャツは最低!」と苦々しく思うことでしょう。小泉前首相が自民党の一部を抵抗勢力として政治を劇場化したことに対する爽快感に近いと思います。しかし赤シャツや校長の立場に立つと坊ちゃんほど扱いにくい人もいないのではないかと彼らに同情もします。漱石はその後を書いていないので私なりに想像すると,多分に坊ちゃんは東京に帰ってからも社会に適応できずに「貧乏もよし」と粋がっているでしょう。しかし,それもうまくいかなくなると,周囲や社会に反感を抱きつつ恨めしく生きていくことになるかもしれません。「坊ちゃん」とは子どものままということなのです。
 もっと分かりやすい定義が欲しいですね。精神科読本シリーズの文脈で説明しますと,その性格故に神経症や精神病の症状を部分的に持ち,社会不適応を起こす神経症を性格神経症と呼んでいました。この性格神経症が,アメリカ精神医学会のDSMに取り入れられてPDという概念に発展したのです
 PDとは「その人の性格の偏りのために生きていくのに悩み(社会不適応),かつ神経症と精神病の症状を部分的に持ち,時には周囲の者も大変困ることになる」疾病単位なのです。そしてPDは次の3つに分類できます。『坊ちゃん』の例で分かるように,@本人は困らなくても周囲が困る,A本人も周囲も困り果てる,B本人は困っているが周囲はそれほど困らない,の3タイプがあることです。@のタイプは「自分は困っていない」ので受診してきませんから臨床的にはA,Bのタイプが重要になります。坊ちゃんも何度となく社会不適応を繰り返していくと,自分の性格や行動に疑問を持つようになって苦悩し精神科クリニックを訪れる可能性もあるかもしれません。この分類は,「誰が困っているのか」という医療の現場に立った私のオリジナルです。
 2.パーソナリティ障害のタイプと精神病理
 ここでは彼らがどのように困っているのかについて説明しましょう。PDは,DSM−Wでは,認知,感情,対人関係,衝動の4領域で問題が発生し,3群の10型と分類不能型の計11型に分類されます。3群とはA群(=主に認知に偏りがある),B群(=感情の不安定さ),C群(=不安を避けようとする傾向が強い)で代表的なものを説明しましょう。
 A群の妄想性PDは他人が信じられなくて他人は絶えず自分を利用し危害を加える,または騙す人たちと考える心のクセが極端な人です。
 B群の自己愛性PDは,自分は優れた人間であって,他人は自分を称賛するために存在する,と考える人のことです。他人の心の痛みが分からないし,周囲から注目されないと傷つき,怒りで反応します。人生の成功者にしばしば見られるのが誇大型です。それとは逆に自分の誇大性を裏に隠し臆病で劣等感の強い,周囲の反応に過敏になっている敏感型もあります。
 B群の境界性PDはいろいろな領域における不安定性を特徴とします。対人関係,自己像,感情にわたって不安定性が認められ,心理的には見捨てられまいと必死の努力をし,日常の些細な他者との別れなどにも場にそぐわない怒りで反応します。その時に見捨てられる自分は悪い自分だと認知し,悪い自己を排除しようと自傷行為や自殺企図などが見られます。妄想的に反応し多重人格を呈することもあります。
 C群の回避性PDは引きこもり青年に見られるタイプです。周囲から低く評価される,拒絶される,批判されるのではないかと怯えて対人接触を避けて引きこもっている人たちです。
 C群の依存性PDは世話を受けようと他者にしがみつき,他者の援助なしには十分に働くこともできません。ですから,日常生活で他の人たちからのありあまるほどの助言と保証がなければ何一つ決められません。また自分が依存している人たちに自分の意見を述べることができなくて,自分が間違っていると考えてしまいます。しかし周囲の支持を得ると仕事もしっかりやり通すことができるのです。その他にもシゾイドPD,失調型PD,反社会性PD,演技性PD,強迫性PDなどがあります。
 3.パーソナリティ障害者の相談
 上記のようにパーソナリティ障害の患者さんは自分の能力に応じた社会的適応がうまくいきません。そのために多くは自分に自信を失いうつ状態を呈しています。それ故に彼らの相談に乗る第一歩は「どうされましたか」「どのように困っているのですか」と問うことから始まります。そして彼らの訴える心理状態に波長を合わせ,心理的な苦痛や自分や周囲を困らせる言動を妥当性のあることだと受け止めていきます。赤シャツの立場に立つ限り坊ちゃんは救いを求めてこないでしょう。
この妥当性は以下の事実が裏づけになっています。彼らの多くが先祖から受け継いだ気質のために彼らを養育する親もまた失敗を重ねます。たとえば短気で神経質,加えて優柔不断であると育てる親の方も大変です。その上に両親の離婚や虐待,情緒的無視など,彼らの生い立ちは悲惨なために対人関係で数々のトラウマを負っていることが多いのです。ですから相談の第一歩は彼らを受容することから始まるのです。
その上で彼らに葛藤を引き起こしている現実生活の諸問題の解決を図るようにサポートするのです。次に,彼らのパターン化された内的あるいは外的問題の処理の仕方を「それで困っているのですね」と指摘し変化を与えることも可能です。たとえば,妄想性PDには「○さんを信じられなくて心配で夜も眠れなかったのですね」と。境界性PDには「感情的になったために○さんとの関係がギクシャクしたんですね」といった具合に,最後に彼らの苦しみにポイントを置いて指摘できるのです。
 要約すると,@彼らの考えや感情を妥当性のあるものとして受けいれ,A共感や理解を示すことで心理的にサポートし,B彼らの社会不適応パターンを傷つけることなく指摘することで悪いパターンを避けるようにできるのです。

V.ライフサイクルと精神疾患
 孔子は「15歳で学問に志し,30になって独立した立場を持ち,40になってあれこれ惑わず,50になって天命をわきまえ,60になって人のことばがすなおに聞かれ,70になると思うままにふるまっても道を外さないようになった」と自分の一生を節目で考えました。この考え方は精神医学を理解するのにもとても役立ちます。というのは,私たちは,直線的に成長するのではなく,人生の節目で一気に成長し,時には危機に遭遇することが多いからです。精神疾患にはある年代で現れやすい疾患があります。そのことを以下のような節目で述べていきます。
 1.10歳の「自我の芽生え」と「魔の中2の2学期」
 この二つの時期は私が臨床で大切にしている子どものこころの発達段階です。前者は,子どもの脳が世界を時間軸のなかで自分と世界とを関連づけて見ることを可能にします。10歳以前は,嫌なことがあっても「今鳴いたカラスがもう笑う」とけろりとしているのですが,10歳を過ぎると出来事は長期記憶されるようになり,なかなか忘れることができなくなるために,長いあいだ子どものこころを苦しめることになるのです。
後者は,性的な自分と社会的な自分の統合を試される時期で,それに高校受験が重くのしかかってくる時期です。中1の課題は,新しい環境の変化についていけるかどうかですが,中2の2学期はもっと心理・社会的な問題で,パーソナリティ発達と深く関わっています。これら二つの時期には家庭環境の変化を少なくすることが親の努めになります。対人関係の躓きと自己の能力の限界に直面して不登校やリストカットや摂食障害やPDの前兆が始まります。
 2.「17歳」の問題
 作家の庄司薫は『狼なんかこわくない』の中で17歳を「この時代の『男の子』というのは,まことに始末におえない。まず彼は,たとえ表面的には激しい自己嫌悪や荒々しい絶望を示そうとも,実はまだこの現実の中で試したことのない,漠然とした,そしてそれだからこそ大きな夢を抱いている」と述べています。
つまり,若さという可能性を最も自然に漠然と抱えているのが17歳なのです。可能性があるということは,それが漠然であるからこそ,非常に危険な年頃なのです。可能性の芽がつぶされると,自尊心の病理が露わになってきます。そしてそれは自己愛的憤怒と呼ばれるもので,底の尽きない泉のように憎しみを大きくさせていきます。特に,完璧主義の青年にとっては,17歳は人生という舞台から降りるか(不登校・引きこもり),あるいはそこに留まりつつ非現実的な空想を膨らませるか(統合失調症),逃げるか戦うか,脳の奥深いところで葛藤が起きているのです。
 この時期の対応は,彼らを否定することなく,しかも彼らの苦悩にも手を差し出さないことです。以上のように,引きこもりの問題点は,現実を離れることで自分の可能性と限界について学ぶ機会を失うことにあるのです。
 3.決断の時期,30歳〜35歳
 孔子も述べているように,人生の決断の時期です(山本七平)。内面の自己の確立を社会的に達成しようとする人生の一大転機が訪れる時期です。逆の言い方をするなら,決断するまでは,迷い・不安の中で生活していることにもなります。女性であれば30歳までには結婚して子どもを産みたいと望みます。男性だと「俺はこのままでよいのか」と決断を迫られます。という理由で,30歳前後は不安障害や気分障害が増えてきます。
この時期の対応は,流れを絶たないようにすることです。この流れは他人にはもはや止められないものだからです。と言っても,幼い頃の親子関係や無意識の葛藤がその流れを邪魔し翻弄することがあるので,自分を気づかせる精神分析的なアプローチが役に立つでしょう。精神分析の手助けは,無意識に光を当てて,自分の自然な流れを発見する過程になります。
 4.40の厄年
 今でも博多の「若八幡」には多くの人が訪れます。不惑の年は,あれこれ悩まない,ということですが,どこかで無理が身体に現れる時期なのです。本当は悩み多い年なのかもしれません。現代人からこの悩みを開放するのは,己に由るという意味の「自由」を勝ち取ることになります。漫画『釣りバカ日誌』の主人公「浜ちゃん」のように,物事にとらわれない境地に達すると病気もしないのでしょうが,「自由」を履き違えると,勝手気ままだと周りが迷惑します。この微妙な問題には座禅か精神分析的アプローチが手助けしてくれます。
 5.「50肩」に悩む中高年
 と言っても,寄る年には敵いません。50になるとあちこちにガタが出てきます。その代表が「50肩」です。心理相談の時に,この身体の問題に触れることはとても大切になると思います。「もはや自分は若くない」という身体の不安が心理に微妙な影を残すからです。悩みは身体から来ていることもあります。女性であれば閉経の年です。ようやく身体から開放される年なのですが,変わりに様々な身体面の衰えが襲ってくる時期です。この時期の身体の衰えをカバーするのが夫婦やパートナーといった人間関係なのです。心理的対応は身体と対人関係に焦点を当てるとよいと思います。この時期で重要な疾患は更年期うつ病でしょう。他のうつ病よりも病態は深刻です。
 6.70の癌死
 60歳の還暦が無事終わって,男がバタバタと死に追いやられる時期です。一方,女性は活気づく年です。多少膝が痛くてもあちこちの観光地を歩き回る女性の元気なこと。余りにも70歳が元気なので,「年金の食いつぶし」と揶揄されるくらいです。この時期の悩みは身体の病気から発生するものが大半ですので,身体医との信頼関係に癒されることになります。人生の先輩から学ぶという姿勢と対人関係がひどく病気に関与しているという視点が重要かと思います。いよいよ,老いやパートナーの死による気分障害や認知症が増えてきます。

本小論は,「福岡いのちの電話」の会報誌に4回シリーズで掲載されたものを加筆・修正したものです。
posted by 川谷大治 at 13:58| Comment(0) | 日記

精神科読本17「社交不安症SAD」

精神科読本17『社交不安症SAD』(2017年改訂版)
                  『社交不安症SAD』
T.社交不安症の定義
 本論で扱う「社交不安症」はDSM−5のSocial Anxiety Disorderの訳語です。以前は社会不安障害と訳されていました。socialを社会と訳したことで原義の意味が曖昧なものになるために社交と訳されるようになったのです。先ずはSocietyの意味から説明していきましょう。
 1.Society「社会」とは?
 誰が“Society”を「社会」と訳したかを調べてみました。広辞苑には福地桜痴による翻訳語と出ています。訳語が成立した経緯について柳父章著『翻訳語成立事情』(岩波新書)を参考に説明しましょう。明治になって西欧語の翻訳が国家的規模で進められました。Symphony を「交響曲」と訳したのは夏目漱石です。Skyを「空」と訳したのは森鴎外です。それまではSkyを日本人は「天」と呼んで、Skyは先祖の霊や神々の住まう所でした。それが何もない「空」と訳されたわけですからびっくりですね。ところが、Societyに相当する日本語がなかったので、当時の知識人はSocietyをどう訳するのか、とても苦労したようです。福沢諭吉は、人間交際、交際、交わり、国、世人、などと訳しました。中には、世間、仲間、世俗、仲間会社、などと訳した人もいます。
オックスフォード英語辞典では、“Society”とは
   1)仲間の人々との結びつき、とくに、友人同士の、親しみのこもった結びつき、仲間同士の集まり。
   2)同じ種類のもの同士の結びつき、集り、交際における生活状態、または生活条件。調和の取れた共存という目的や、互いの利益、防衛などのため、個人の集合体が用いている生活の組織、やり方。
1)の意味は狭い範囲の人間関係を表していますが、2)の方は広い範囲の人間関係のことです。福沢諭吉は1)の意味で訳しているのが分かります。ところが2)の意味に相当する日本語がなかったのです。日本では、国や藩は身分として存在しているのであって、個人を単位とする人間関係がなかったからなのです。それで世間、世俗、仲間社会などと訳されたのです。社会という訳語は非常に曖昧なのです。福地は、「社会」と訳するときに、「社で人々が集い会う」という意味をこめました。「社」という言葉は、同じ目的を持った人々の集りや、その名前をさす使い方で、明治以前からありましたから、「社で会う」としたのではSocietyの意味を成していません。どう訳したらよかったのか。今なら「ソサイアティー」とでもカタカナで表記するのでしょうか。
 一世紀を経て、「社会」という訳語は私たちの生活に定着してきました。しかしこのとは、Societyに相当するような現実が日本にも存在するようになったかというとそうではありません。それどころか、「社会に出る」、「社会が悪い」という言い方にあるように、世の中、世間を意味するほうに移ってきているのです。そうすると、「社会恐怖」は世の中が恐い、世間が恐い、という意味になるのです。これは本来のSocial Phobiaという意味からずーっと離れてきます。
 2.社交不安症の定義
 さて、DSM−5の社交不安症(SAD)の診断基準を見てみましょう。
  A.他者の注視を浴びる可能性のある1つ以上の社交場面に対する、著しい恐怖または不安、例として、社   交的なやりとり(例:雑談すること、よく知らない人に会うこと)、見られること(例:食べたり飲んだ   りすること)、他者の前で何らかの動作をすること(例:談話をすること)が含まれる。
  B.その人は、ある振舞いをするか、または不安症状を見せることが、否定的な評価を受けることになると   恐れている(すなわち、恥をかいたり恥ずかしい思いをするだろう、拒絶されたり、他者の迷惑になるだ   ろう)。
  C.その社交的状況はほとんど常に恐怖または不安を誘発する。
   注:子どもの場合、泣く、かんしゃく、凍りつく、まといつく、縮みあがる、または、社交的状況で話せ   ないという形で、その恐怖または不安が表現されることがある。
  D.その社交的状況は回避され、または、強い恐怖または不安を感じながら耐え忍ばれる。
  E.その恐怖または不安は、その社交的状況がもたらす現実の危険や、その社会文化的背景に釣り合わな    い。
  F.その恐怖、不安、または回避は持続的であり、典型的には6ヶ月以上続く。
  G.その恐怖、不安、または回避は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な   領域における機能の障害を引き起こしている。
  H.その恐怖、不安、または回避は、物質(例:乱用薬物、医療品)または他の医学的疾患の生理学的作用   によるものではない。
  I.その恐怖、不安、または回避は、パニック症、醜形恐怖症、自閉スペクトラム症といった他の精神疾患   の症状では、うまく説明されない。
  J.他の医学的疾患(例:パーキンソン病、肥満、熱傷や負傷による醜形)が存在している場合、その恐    怖、不安、または回避は、明らかに医学的疾患とは無関係または過剰である。
 具体的に、不安を引き起こす状況として以下のようなものがあります。
  大勢の人の前、目上の人、異性、交際、スピーチ、朗読、談話、電話、会食(同じテーブルで食する)、視線(人から見られる)、正視(視線を合わせる)、思惑(グループの中で皆を白けさせるのではないかと危惧する)
 そして不安は身体に現れます。
  赤面、表情(顔が引きつる)、吃音、震え(手や声)、発汗、硬直(身体が固まる)、嘔吐、意識喪失、頻尿、便意、尿閉(公衆便所で排尿できない)。

以上を恐れるのです。
 結果的に社会に出るのが恐くなるのでしょうが、社会を恐れているのではないことがはっきりしたと思います。「人と会う、接するのが恐い」というのが社交不安症の基本病態なのです。ここに訳語の問題点があるのです。
 3.社交不安症の有病率など
 1)有病率
 アメリカの報告ではSADの生涯有病率10%以上(3〜13%)です。うつ病の発病率に匹敵します。ここで疑問を感じた人は勘が鋭い方です。アメリカ人は陽気でゼスチャー交じりによく自己主張する人たちではなかったのか。われわれ日本人のように恥ずかしがり屋で内気な人間が社会的問題になるくらいに多いのか、と。ある研究では「人前で話したり行動したりすることに対する強い恐怖を20%の人が報告していたが、社会恐怖と診断できるほどの障害または苦痛を体験しているのは、約2%に過ぎなかった」と明らかにしました。たとえば、「最近、人の目が気になるのよね」とこぼす人にチェックリストをあげて、評価してみると意外と高かったりすることがあるのですね。だからといって病気だとは限らないのです。
 2)経過
 SADは「典型的には10台半ばで発症するが、小児期に対人関係の制止や人見知りの形で現れることが時にある」。「経過は持続性の場合が多い。期間としては一生続く場合が多いが、成人期に障害の重症度が弱まったり、寛解することもある。障害の強さは、生活上のストレス因子や要求に伴って変動することがある。例えば、デートをすることを恐れていた人が結婚をして社会恐怖が消え、配偶者が亡くなった後に再びそれが現れるということもある」と説明しています。対人関係の質によって不安が強まったり弱まったりするということなんですね。当たり前の話なのですが、このことは治療のところで再び問題にしますので記憶しておきましょう。
U.わが国の対人恐怖症とDSM-5の社交不安症(SAD)
 アメリカ人にこんなにナイーブで神経質な人がいるとは思わなかった、と思った人もいたでしょうね。私たち日本人であれば、SADは医者でなくても「対人恐怖症」と診断できるポピュラーな病気です。昔、電信柱に「赤面恐怖は治ります」と書かれた広告をよく目にしました。今日でも、朝刊に「対人恐怖症はこうして治す」といった本の紹介を目にします。それでは私たちにとってポピュラーな「対人恐怖症」はSADと同じ病気なのか違う病気なのか、について説明しましょう。
 1.わが国の対人恐怖症の研究
 1960年に東京慈恵医大の精神科教授森田正馬先生は『神経質の本態と療法』を出版しました。その中に、対人恐怖症のことを述べています。「赤面恐怖とは、人前で自分の顔の赤くなることを苦にするもので、つまり自分は、気が小さくて、恥ずかしがり屋である、こんなことでは一人前の立派な人間になることは出来ないと悲観し、苦悩する」、「自ら人前を気にすることを恐怖する(強迫)」と描写しています。そしてこの病気は森田療法で治癒すると主張し実践したのです。対人恐怖とは社会が恐いのではなくて人前を気にすることだと定義しているのです。1972年には名古屋大学グループによる研究が報告されました。笠原先生らは『正視恐怖・体臭恐怖―主として精神分裂病との境界例について』を出版し、わが国の青年が経験する対人恐怖を4型に分類し、その分類は広く使用されました。
   1群:青年期に一時的に見られるもの
   2群:恐怖症段階にとどまるもの
   3群:関係妄想性を帯びているもの(重症対人恐怖)
   4群:前統合失調症症状、統合失調症回復期にみられるもの
3群を「重症対人恐怖」と呼んで、「自分の視線や体臭が他者を不快にしたり傷つけたりすることを恐れる病態」と定義しました。そして1977年に、北海道大学の山下格先生は、対人恐怖症を「相手に不快な印象を与えたくない、嫌われたくないという願い、そして自分が相手を不快にさせ、嫌われるという恐れである。それは本人の基本的な対人態度に関連するものである」と考えました。そして緊張型対人恐怖と確信型対人恐怖(自己臭や醜貌恐怖が妄想的に確信される)の2型に分類したのです。笠原先生の2群と山下先生の緊張型対人恐怖がDSM−5のSADに相当します。しかし当時、日本で研究された対人恐怖症という疾病概念は日本独自の文化に根ざしたもので欧米にはないと見向きもされなかったのです。
 やがてDSM−VからSADが注目を浴びてくるのですが、笠原先生の3群や山下先生の確信型対人恐怖はDSM−Wでは文化結合症候群の1つとして“Taijin−Kyoufusho”(TKS)と呼ばれ、身体醜形障害あるいは妄想性障害身体型と診断されました。または、SADの他者影響型(offensive type)とも呼ばれ、通常のSADとは区別されているのです。それは、通常のSADは、単に「周囲に見られているかもしれない」ことを過剰に心配するのが定義だからです。
 ポイント@
 わが国の対人恐怖症の軽症型がDSM−5のSADで重症型が身体醜形障害あるいは妄想性障害身に分類される。
 
V.社交不安症の原因と治療
 日本の文化に根ざしたものと考えられていた対人恐怖症なのですが、実は欧米人にもその軽症型が高い率で存在していることがわかりました。そして日本では、その原因を性格論に帰着しましたが、アメリカではSADの原因は性格ではないときっぱり否定しています。詳しく議論する余裕がないのですが、これは治療に関する考え方にまで及ぶ大きな問題でもあります。
 1.社交不安症の原因
 遺伝的要因と環境的要因の二つが複雑に関与している、ということは多くの人に受け入れられています。
 1)遺伝的要因
 近親者がSADを発症すると近親者の発症リスクが5%から16%に増加するという報告があります。遺伝子レベルでの研究も盛んに行われています。ある人が不安になったときに、その不安をどう処理するかは、脳の不安の処理システムによることが大きいわけですから、親の体質の影響を抜きにしては考えられないでしょう。その傾向を性格と呼んでも構いません。たとえば、人前で緊張すると赤面する体質の人とそうでない人がいるように、赤面する人の方がSADになりやすいでしょう。
 2)環境的要因
 遺伝的要因よりも影響が大きいのは環境的要因でしょう。家庭環境、養育態度、同胞順位などが関与しています。環境的要因に関する研究はわが国の独断場なのですが、残念なことに英語の論文にしていないので海外ではあまり知られていません。環境的要因について説明しようとするなら、もう二部ほど必要になるほどわが国の研究は豊富なのです。遺伝的要因と環境的要因によってSADになりやすい性格が形成されていきます。性格の中に甘えの抑圧や二重性が見出されます。これが、あるできごとをきっかけに意識に上ったときに不毛の思考の連鎖が生じ、発症するのです。
 3)私の注目するミラーニューロン
  20年前の1997年のことです。私の患者さんの赤ん坊が8ヶ月になったばかりでした。母親の診察時に抱かれていた赤ん坊は私の方をじっと見ていました。私はお返しに舌で音を出してみせました。それに赤ん坊が興味を示したので、何度も私は舌を鳴らしました。すると驚いたことにその赤ん坊は私と同じように口を開けて自分の舌を鳴らすしぐさをし始めたのです。思想家ロジェ・カイヨワは「生物はその環境の中で自分が虜になったものになる」と考察しています。野うさぎは冬には白い毛に生え変わり、夏には茶色になります。ウサギが意識してそんなことをしているのかどうかは分かりませんが、環境の一部に成り変るのは事実です。フランスの精神分析家のラカンは1936年に赤ん坊の鏡像段階論を発表しました。赤ん坊は未熟児で産まれるので、自分の未熟さにどう対応するのかが生きるために重要になってくると考えたのです。ラカンは「赤ん坊は自分自身の外部イメージに自己同一視する」と結論しました。未熟児で生まれた赤ん坊は自分が目にする対象(多くは養育者)を模倣することで身体の新しいコントロールの仕方を学ぶというのです。優れた見解ですね。
 そしてラカンの発表から60年後の1996年にある事件が起きました。イタリアの脳神経の研究者によって猿の前頭葉にミラーニューロンが発見されたのです。人間では言語に関するブローカ野の周辺で見つかりました。ミラーニューロンとは、他人の行動を見て自分も行動している気分になるニューロンの集まりのことです。最初は模倣段階なのですが次第に脳は共感能力(心の成り立ち)へと発達していきます。最初は相手のふりを模倣することから相手になりきることを学んでいくのです。日本では幼い頃から「相手の身になって考えること」を徹底して教え込まれます。一方、欧米では生きていくために自分を主張することを教えられます。この「相手のことを考える」ということは共感能力の獲得につながり、それによって以心伝心のコミュニケーションが出来るようになっていきます。
 もしそれが何らかの原因で妨害されたとしたら対人関係に支障が発生するでしょう。遺伝的要因や環境的要因がそれです。その時期と程度とによってある人の場合は自閉症になり、ある人の場合は対人恐怖症やうつ病になりやすい体質や性格になるのだと思います。SAD の患者は自分が環境の一部になれなくて、自分だけが浮いてしまうと恐れているものです。この鏡像段階にSAD の原因がある、というのが私の基本的な考えなのです。冬になっても茶色のままの野うさぎを想像してください。このことは自尊心と強く関連しています。
 ポイントA 私の考えではSADの原因は幼少期の鏡像段階にある。
 2.社交不安症の治療
 さて、SADの治療に移りましょう。アメリカの治療指針では薬物治療を第一に考えています。それは今日の生物学的研究の成果でもあります。
 1)「箸(ハシ)」の理論
 U‐1で紹介した森田教授は対人恐怖症の患者の心理を見事に説明しています。
  ある大学生が学生食堂でクラスメートと昼食を摂っていました。その時、彼は自分の箸の持ち方が皆と違っていることに気づきました。彼の箸の持ち方が幼児のそれに近かったのです。彼は瞬時に箸を置いて具合が悪いと言ってそれ以上食べるのを避けました。そして翌日からは箸を持たないで済むカレー、チャーハン、パスタ類を食べるようになった。ところが、フォークやスプーンばかりだと自分が箸を使えないことがバレルのではないかと思って、遂には皆と一緒に昼食を摂るのを避けるようになったのです。避けることで恥掻かないで済みますが、今度はテーブルを挟んで食事していることを避けているのではないかと考えて、学校に出てくることすら怖くなったのです。
 森田教授は、「彼の失敗は箸の持ち方を治すのではなく隠そうとしたことにある」と看破しました。昔から「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」と言います。この箸の理論は社交不安症の人たちに「恥」の問題がひそんでいるということを教えてくれます。恥掻くことを恐れる心理がますます不安を高めるのだと森田教授は説明したのです。
 2)生物学的研究と薬物治療
 SADでは線条体のドパミンD2受容体結合性の低下とドパミン再取り込み部位の減少、セロトニン機能の低下、海馬−扁桃体の活動性の上昇をセロトニン放出増加が減弱することによって不安・恐怖を減少させる、という研究が報告されています。問題は上記の事態が何によって引き起こされたのかということなのですが、現段階では分かっていません。わが国の対人恐怖症の研究はその先を行っているので、今後生物学的研究とわが国の対人恐怖症の考え方のドッキングがあると面白い学説が生まれるのではないかと思います。
 薬物治療の第一選択薬はSSRIです。欠点は効果発現が遅い(6〜8週目)こと、少なくとも1年以上の使用を必要とすること、薬を止めると再発しやすいので、長期にわたって使用しないといけないといけないことです。アメリカの研究によると薬物治療の効果は50%程度だといわれています。残り50%は芳しい効果を挙げていません。とするとどうしましょう。
 3)精神療法
 SADの治療には精神療法があります。森田療法と精神分析療法がありますが、精神分析療法では古典的な方法だと治療中断が多く治療的工夫を必要とします。アメリカでは認知行動療法が盛んに行われ、日本にも輸入されて関連書物も数多く出版されています。ネットで社交不安症の精神療法とキーワードを打つと認知行動療法が出てきます。
 いずれも時間と治療費の制限があります。川谷医院では2つの治療様式を用意しています。1つは1回50分の精神療法を臨床心理士に担当してもらって薬物治療を精神科医が行うやり方で、ATスプリット治療と呼びます。これだと経済的負担が軽くなります。もう1つは通常の精神科診察の中で精神科医が薬物治療を行いながら精神療法的面接を行うやり方です。これで十分に良くなる方もいます。ただ精神分析療法のような自分探しの面白さ、その後の物事の考え方や感受性の変化は少ないかもしれません。
 アメリカの一般的な治療法は、SADを弱気で内気で神経質な性格のせいではなくて、生物学的に考えていこうとします。あくまでもアメリカ人は内気、引っ込み思案といった内向的な性格のせいにはしたくないのです。それで、人間の心をシナプス次元で考え、薬物治療を行っていくのです。一方、わが国では、弱気で内気な性格と強気で傲慢な性格の二重性、森田療法では精神交互作用、精神分析では甘えの抑圧、にその病因を求め、治療に当たってきました。このような考えを医学教育のなかで教える精神科教室が少なくなったこともあって、最近の精神科医はアメリカ的思考に傾いてきています。要は患者さんのニーズにあったアプローチを行うことでしょう。
 先のDSM−5の説明の中で「人間関係の質によって不安が強まったり弱まったりする」ということの重要性を指摘しておきました。この人間関係の質を治療者である私との関係と置き換えて考えて見ましょう。私との関係が安定し、信頼関係によって安心感が得られるのであれば、不安は軽減され、SADの症状も軽くなるでしょう。治療関係が安定するためにはセラピストと患者さんはどのような努力をするとよいでしょうか。最後に、精神療法(セラピー)を成功させる秘訣を以下に述べておきましょう。
 1.セラピスは誠実に患者さんの話に耳を傾ける。患者さんは恥ずかしいことやつまらないと思うことに思わぬ宝物が見つかることがあるので、あらかじめ考えた話よりもその場その場で思うつくままに話すことが治療に役立つことがある。
 2.症状がセラピストとの間で起きたときに治療の展開が見られるので、治療を中断させないこと。一時的に悪くなるときは治療の展開が起きる可能性が大きい。
 3.セラピストに分かってもらえない、助言をしてくれない、あるいはセラピーに異議を見出せないと感じたときにはそのことを心にしまうのではなくて、言葉にして伝えてみること。
 4.不安の対処の仕方は脳のシナプスレベルで調整されているので、薬物治療も捨てがたい。
 5.セラピストとの関係に似た対人関係が診察以外の場でも起きることがあるので、対人関係に注目してみること。そのときに誰が悪いという犯人探しをしない。
 6.そのパターンを知ることで自我が自由になり偏った考え方から脱出することが出来るようになる。
 7.セラピストとの関係の中で、自分が大切にしてきたもの、つまり誇りに気づき、「純なこころ」に触れることが出来たら治療は終わりです。
 X.まとめ
 駆け足で社会恐怖(社交不安症SAD)を説明してきました。饒舌で要領を得ない文章でくたびれたのではないかと心配しています。読み直すと、あれも書きたいこれも書きたいと欲が出てくるのですが、例えば内沼先生の『対人恐怖の人間学』にも触れたかったし、森田先生が発見した「純なこころ」にもっとページをとりたかったのですが、欲はいけません。これで終わりにします。
posted by 川谷大治 at 13:51| Comment(0) | 日記

精神科読本16「フリーター・ニートからの脱出」

精神科読本16『フリーター・ニートからの脱出』(2017年改訂版)
               フリーター・ニートからの脱出
T はじめに
 2004年4月現在、正社員として働いていない若者が450万にも上るといわれています。彼らのなかで対人関係に悩みをもつ者、劣等感からうつ状態に陥っている者、学校に行けないことで親子関係が悪化している者、自分に自信を失い家に引きこもっている者、さらには将来の自分の姿が見えなくなった者が精神科クリニックを受診してきます。
今日は、彼らから学んだことを話そうと思っています。そして不登校や引きこもり青年の心理を理解し、その手立てを考え、これ以上不登校や高校中退を増やさないためにはわれわれ大人は地域の一員として何ができるのかを一緒に考えてみたいと思います。
U 「働くこと」とは?
 「働くこと」についてこんな話があります。長く学校に行けなくなっていたある女子中学生は私の「大人はどうして働くの?」という質問に「税金を払うために」と答えました。「働く」とは、稼いだ金で税金や年金を納めることなのであって、何も自分が生活するためだけではないというのです。確かにその通りだと感心した覚えがあります。憲法にもあるように成人した後は働いて税金を納めないといけないわけですね。
 1.フリーターについて
 本題に入って、フリーターという言葉は、1980年代後半、アルバイト情報誌『フロム・エー』によって造られ、広められた言葉で、学校を卒業しても定職に就かずにアルバイトで生計を立てる若者たちを指します。フリーターはなぜこんなにまで増えてきたのでしょうか。小杉礼子さんの『フリーターという生き方』に、気になる調査結果が出ています。1990年3月に中学校を卒業した若者から正社員離れが進み、未就職のまま仕事をしないで引きこもっている若者やフリーターになる若者が増加し、何と95年3月に中学を卒業した者は9年後には3人に1人は仕事をしていないかフリーターをしているのです。現在30歳前後の若者から正社員離れが進み、現在25歳の若者の3人1人は正社員でない、というのです。
 フリーターを主観的な観点から分類したものが『フリーターという生き方』の中に出てきます。第一は、職業的選択を先延ばしするために、フリーターなったタイプで「モラトリアム型」と呼ばれます。「やりたいことが見つからないから」とか「とりあえず進学するよりじっくり考えたかった」などの理由でフリーターを選んだ人たちです。第二は、「夢追い型」で、バンドやダンスなどの芸能関係の仕事やケーキ職人を目指してフリーターになった人たちです。第三は、「やむを得ず型」で、文字通り本人の希望とは裏腹に周囲の事情でフリーターになった人たちです。就職試験に失敗したとか親の会社の倒産で進学を諦めた人たちです。
 次に、フリーターを選んだ理由を見ると、「自由・気楽」志向からがもっとも多い。フリーターは、時間の拘束がない、嫌ならいつでも辞められる、自分の好きなようにシフトを組んでもらえる、働いた金は自分が好きなようにできる、サービス残業もない、という理由です。もちろん親が生活の面倒を半分はみてくれています。しかしここに落とし穴があるのです。フリーターから正社員に変わる者は、学校を卒業して6、7年経つとその8割近くが正社員になっています。その理由は「正社員の方がトク」とか「年齢的に落ち着いたほうがよい」がほとんどです。「やりたいことが見つかった」という人は非常に少ない。フリーターは、責任がない分、仕事の技術が身につかないのです。正社員で働いていれば、営業マンから内勤に移り、仕事のスキルスを覚えて収入も増えていく。ところが、フリーターをやっているといつまでも仕事人として誇りをもてないし、地位も給料も上がらない、というマイナス面があるわけです。フリーターの若者のあいだで「フリーター28歳定年説」が囁かれています。フリーターをしていたら28歳以上になったらもう正社員にはなれないよってことなんだそうです。
 フリーターを辞めて正社員に変わる人は8割いますが、残り2割はフリーターや引きこもりを続けています。どういう人たちが多いのかといいますと、学校を中退した人たちです。1980年生まれのうち中卒で1万人、高卒で13万人、短大卒で5万人、大卒で15万人、合わせて34万人が学校卒業後、進学も就職もしていない。これに高校中退の12万人、短大中退の1万人、大学中退の4万人を合わせると51万人が将来の見通しもないまま社会に出ているのです。驚くべき数字です。
 2.青年とは何か?
 「モラトリアム人間」とは精神分析家の小此木先生が現代の青年の心理を知るキーワードとしてエリクソンから拝借した言葉で、社会に出るのを先送りしている若者のことです。現代ほど社会的責任を先送りにしている時代が長くなった時代はありません。いつまでも子どもから大人への移行期である青年期が長くなっているのです。かつて青年期はなかったというと皆さんはびっくりされるかと思いますが、本当です。初潮と精通が始まったらもう大人になる資格を得て結婚していたのです。結婚して部族を絶やさないようにすることが大人の使命だったのです。江戸時代は15歳で元服しました。それが現在では、25歳の若者の3人に1人が正社員として働いていないのです。
 それは平均寿命が延びたこととも無関係ではありません。日本人の平均寿命が50歳を越えたのは昭和22年のことです。当時の日本人の女性の生き方は、中学を出ると働いて20歳で結婚。22歳で最初の子どもを産み、40歳まで数人の子どもを出産。夫が50前に亡くなって長男が後を継いで、自分も数年後にはあの世に行く、という生き方が平均的でした。嫁姑の争いも数年辛抱しとけばよかった。
 しかし現在は、女性の平均寿命は約85歳です。それに合わせてか現在の子供はなかなか結婚しません。結婚適齢期の男性の45%、女性の50%しか結婚していないのです。いつまでも親になるのを先延ばししているのです。フリーターから正社員に変わる契機の一つに結婚があります。アルバイトの収入だけでは家庭は成り立たないからです。ですから、結婚しない人が増えたと言うことは「モラトリアム人間」が増えたと言うことでもあるのです。逆に言うと、結婚しないということは、親にはならないということでもありますから、いつまでも子どものままと言い換えてもいいかもしれません。やはり、フリーターの増加は社会の激しい変化に合った動きと言えるのかも知れません。
 3.「大人になること」=「社会化」とは何か
 社会という言葉は、明治時代に欧米の文化を輸入していたときのSocietyの翻訳語です。Societyにぴったりの日本語がなかったので苦心して造られたといいます。日本では人々が集うところは神社の境内なので、「神社で会う」という意味で社会という言葉が造られたのです。われわれが社会で生きていくということの中に、人と出会うという意味が含まれているのですね。ですから、「社会化」って何かといったら、人と会う、つまり人との連携をもち、社会の一員として居場所を見つけることだと思います。
 ところが現代社会はどんどん変化していっています。一寸一休みする余裕もありません。すぐに置いてきぼりにされてしまいます。学校を休んでいると、再び学校に出て行けなくなります。社会に受け入れられないのではないか、人とうまくやっていけるだろうか、自信を失くしているのです。自分に自信を失い、社会に居場所をなくしている人に必要なものはなんでしょうか。一に「友だち」です。「友だち」は人と人とを結びつける「利他の心」を灯してくれます。そして第二に、外界への興味・関心だと思います。友だちと会おうとしない場合はどうしたらよいでしょう。人と人とが関わることの楽しさを思い出させるとよいと思います。そのためには、親が変わらないといけないのではないでしょうか。友だちと会うのを避けて一人の世界に閉じこもっていると特殊な心理状態に陥ってしまい、その殻を破るのは大変な作業だということを理解することが大切になってきます。
 4.新しい言葉「ニート」について
 社会に居場所がないと、つまり人との出会いがなくて引きこもっていると、ますます社会に出ることが困難になって行きます。「臆病な自尊心」が芽生え、肥大化していって社会から引きこもってしまうのです。この「臆病な自尊心」が肥大化する前に何とか彼らが社会との接点を持てるような試みがないか、という視点を持った意味の言葉が最近よく使われるようになった「ニート」という言葉です。
 「ニート」は、英語の“Not in Education、 Employment、 or Training”の頭文字(NEET)からきています。イギリスでも「ニート」は問題になっています。意味は、働こうとしていない、学校にも通っていない、仕事に就くための専門的な訓練も受けていない、若者たちのことです。その姿は、引きこもり青年に似ていますが、ニートのすべてが引きこもっているわけではありません。またイギリスのニートと日本のニートはまったく違っています。
 この新しい言葉によって古い引きこもりは脇へ追いやられ始めています。いいことなのかどうかは分かりませんが、一つ言えることは、「引きこもり」という言葉には「社会に出て行かないのは本人の自己責任」という響きが感じられますが、「ニート」からはその責任の一端は社会の側にもあるので、受け入れ側の変革も必要だという響きを感じます。「引きこもり」の時代には、マスコミが当事者をテレビに引っ張り出して視聴率を稼いでいましたが、何ら解決策を講じようとはしなかったのに対して、「ニート」の場合は、彼らがなぜ社会に出て行けないのかをバックから応援しようという姿勢が感じられます。
 雇用・能力開発機構という国の独立行政法人によってヤングジョブスポットが全国各地で設置されています。履歴書の書き方から、就職面接の受け方まで、多面的な援助をしています。こうした動きは「引きこもり」の時代には見られなかったと思います。ただ、ニートや引きこもりの若者が単純に職業の知識や情報を欲しているかというとそうではないようです。やはり、社会での自分の居場所がない、つまり他者とのつながりのなさをもっとも嘆いているようです。どう人とつながりを持てるかという視点が彼らの援助には必要になってきます。
V 不登校と引きこもり青年への手立てと予防
 1.登校拒否と家庭内暴力の出現
 今の若者の問題が表面化したのは1970年代後半の登校拒否と家庭内暴力が社会問題化した辺りではないでしょうか。その前に、受験戦争が度々マスコミに取り上げられ、1968年には高石友也の『受験生ブルース』が大ヒットしました。そして1975年には、落ちこぼれを「詰め込み教育」のせいにしてマスコミが文部省を散々叩いていたことは皆さんの記憶に残っていることでしょう。文部省はゆとり教育へと進んで行ったのです。その前の1960年代は、村から大都市への人口の大移動が始まり、日本は経済大国を目指してまっしぐらに走っていた時期です。以来、少しの停滞もなく、一気に現在の状態に陥ってしまったのです。この30年間で何が失われたのでしょうか。そして何が求められているのでしょうか。社会ともっとも近いところで仕事をしている私たちに重たくのしかかってきています。
 エコノミストの丸山俊は彼の著書『フリーター亡国論』のなかで「若者の3人に1人が社会に出て行けない」と述べています。その理由を臨床の観点から考えますと、思春期および青年期の患者が自己中心の世界から脱却して利他の世界に移行できない、からではないかと私は考えています。自己中心の世界とは何でも自分の思い通りになる全能感の世界のことです。若い頃には誰もが自己中心の世界に浸り、夢想し、夢を膨らませ、そして現実に傷つき、悩み、次第に身の丈にあった自分を社会の中で築いていくものです。身の丈にあった生活というのは、別の言い方をするなら、妥協すると言うことです。競争と妥協は社会化への第一歩です。サリヴァンは児童期の学校教育にその始まりがあると主張しました。児童期は子どもが現実に社会人となる時期であって、友達と出会い、友達を大事にすることから自己中心性から脱却できるようになる、と言っています。しかし、世界は自分の思い通りにはならないことを知るだけでは妥協の道は達成されません。その後、10数年以上をも必要とします。この時期が思春期・青年期です。その長さが現代では途方もなく長くなってきているのです。
 2.不登校と引きこもりへの援助
 自分に自信のない子どもは社会の変化についていけません。努力するとそれだけ自分が成長すると自分を信じているとよいのですが、自分を信じていないと努力することが怖くなってきます。そのために、小学校から中学校、中学校から高校、高校から大学あるいは働いている社会への移行期に自分を問われ、変化していくことについていけないのです。ここに不登校と引きこもりの手だてと予防が隠されています。
まずわが子が学校に行かなくなったらどうしたらよいかを、私の考えていることをお話したいと思います。子どもが学校に行かなくなったら、先ず、大人になる前に問題が明らかになったと胸をなでおろしてください。次に、子どもさんが男の子であれば競争に負けてプライドが傷ついていると推測してください。競争にはいろいろありますが、多くは子どもがもっとも自信を持っていた領域です。勉強、スポーツ、クラスの人気者、いろいろあります。そのどれかの領域で自分を誇れることができなくなって自分に自信を失ってしまい、傷つくのを怖れて学校を避けていると考えてよいと思います。女の子であれば、友達関係が第一位で、自分の能力に関することが次に来ます。しかし女の子は大体が予後はよいので安心していていいです。学校に行かなくなっても友達が救ってくれますので、親は喧嘩しないように子どもの心をそっとするだけでよいと思います。中には泣き崩れるお母さんがいます。泣かないで子どもを信頼していたらよいと思います。
 問題は男の子です。昔だったら、将来の我が家を背負っていく息子が学校に行かなくなったら大変なことでしたが、最近では親の老後を見るのは息子ではなくてお金なので、多少は心配も少なくなっています。でもその金をフリーターの息子に食いつぶされたら老後はありません。それよりも心配なのは息子の将来でしょう。データーは冷酷な答えを出しています。男の子が将来、無職引きこもり青年になっていくのです。深刻に考えてください。子どもが自分で問題解決の方向に向かう気配があるまでは親は動かないほうがよいのです。決して焦ってあっちこっちに連れて行かないようにしてください。自分たちが育てた息子です。何とか自分で解決するだろうと信頼してください。
 それでも動こうとしないようであれば、次の手を打ってください。社会から遠ざかっていると、プライドは人一倍高いくせに傷つくことに非常に臆病になってきます。この「臆病な自尊心」を理解することです。そして自分が学校で生活していく自信がない、ということを誰にも言えないでいる苦しみを分かってあげてください。できれば、そういう弱音を吐ける友達がいたら助かるかもしれません。彼は友達の力を借りて成長するでしょう。そのような弱音を吐ける場所、時間を保証するのが親の仕事です。作家で元東京都知事の石原慎太郎は高校時代に学校に行けなくなったとき、美術の先生の家にはよく顔を出したといいます。なぜなら、美術の先生は絵が得意な石原都知事に一言も学校のことは口にしなかったからだそうです。何をしたかと言うと、「石原よ、この絵はすごいぞ」と美術雑誌を出して見せては芸術を語ったそうです。この姿勢が苦しむ若者を救い出すのです。
それでも誰とも会おうとしないのであれば、次の手を打つ必要があります。親の方が子どもととことん胸を開いて話ができるような準備をしてください。学校に行くか、引きこもりから脱出するかは本人の意思にかかわっているので、親が変わらないと子どもは決して動きません。ですから、自分の子どもをどんな子どもになって欲しいと思って育ててきたのか、そのために自分たちは子どもに何をしてきたのか、子どもの傷つきを恐れる臆病さは自分たちのコンプレックスと関係していないか、を夫婦でよく話し合ってみてください。不登校はある日突然発生しますが、その準備には長い月日が経っているものです。それも家庭内の親子関係や時代背景や幾つもの要因が複雑に絡んでいるものです。そして決して原因探しに明け暮れないようにしてください。自分たちでもよくわからない問題を子どもも悩み苦しんでいるのです。私は彼らの治療をしていて、それがかなり根の深いものであることを知りました。親が自分の困難さを責めるのではなく一緒に考えてくれる存在であると子どもが認知したら必ずや子どもは社会に出て行けるようになると思います。
 3.不登校と引きこもりを増やさないためには私たちに何ができるか
 方略はたった一つです。それは小学校教育の重要さを再認識することです。特に、自我の芽生えの小学校4年生までに、子どもたちがスポンジのように知識を吸収し、しかも精神的にもっとも安定した教育にもっとも適した時期であるかを再度認識することです。この時期を逃したら教育は他には望めません。どんな教育かというと、もうお分かりですね。競争で負けてもへこたれない、自分の弱さを受け止めるタフな心の子どもになるように教育することです。男の子であれば運動や勉強や喧嘩、女の子であれば友達関係や勉強や容姿に関することでしばしば傷つきます。それにへこたれないタフな心はどうして育つかというと、小学校4年までにとことん競争させることにあるのです。競争と妥協は子どもを成長させます。
 例えば、朗読を勧めるのもいいでしょう。最新の脳科学の知見によると、小学校4年生までは単純な知識の暗記にもっとも適しているのと、目の記憶よりも耳の記憶の方が心に残るからです。そうやって知識を詰めこんでいくと、自分が成長していくのが手にとるように分かるので、後に劣等感に苦しまない心が育つのです。あるいは縄跳び、一輪車乗り、カルタとり、クラブ活動などの運動などで子どもたちを互いに競い合わせるのもいいでしょう。今はなくなりましたが地区の相撲大会、文化祭、何でもよいのです。そこで1回でも立派な成績を修めると一生の宝物になりますし、へこみそうなときに励みになります。習字でもそろばんでもよいのです。かつて自分が得意だったことを子どもに教えるのもよいかもしれません。
 しかし困ったことに、最近では、小学校1、2年生で自我の芽生えが始まる子どもが出てきました。そんな子どもは小学校1年生から学校に行かなくなります。その多くは母親から離れることに不安を感じる子どもなので、そのときは専門家の援助が必要になるかもしれません。
子どもの成長には何も子どもだけに責任があるものではありません。環境側にも失敗はあるものです。私たち大人が常時立派であったかと言うとそうではありません。子育てのなかで何度も失敗を繰り返してきました。子育ては失敗の連続だったではありませんか。ひょっとするとこの失敗が子どもをタフな子にしたのかもしれません。自分の子どもの成長を見ながらよく育ってくれたと子どもに感謝するのは私だけではないでしょう。ですから、私たち大人の環境側のほどよい失敗も子どものエネルギーになると考えるのも一つの戦略ではないか、競争と失敗がタフな子どもを育てるのではないかと思うのです。
W さいごに
 社会に居場所を見出せない若者たちはこれからどこに行こうとしているのでしょうか。余計なお世話かもしれませんが、彼らの前途は厳しいと言わざるを得ません。このような状況を招いたのは、学校と家庭教育と平成不況に原因があることははっきりしています。不登校で満足に中学校教育を受けていなくても15の春にはトコロテン式に中学校を卒業させられます。なぜ中学校教師は「このまま卒業するのはよくないよ」と言ってあげられないのでしょうか。親から「あなたの好きなようにしなさい」と育てられると、仕事をしない人になるのは分かりきったことです。また、フリーターという言葉で中高年の解雇を見合わせて若者にアルバイトの生活を強いるように、社会全体が煽ってきたことは忘れてはいけないことです。
 親たちは自分の子どもが社会で人と関わっていくのに必要な心の準備ができていないことに気づくべきでしょう。そのことに眼をつぶり、「働け、学校に通え」と言っても、彼らを追い込むだけです。そして子どもがアルバイトを始めると問題がさも解決したかのように錯覚しているのです。フリーターはいろんな面で損をします。親は遊んでいるよりアルバイトでもいいから働いて欲しいと思っているので、フリーターとして仕事してくれていると安心します。子どもが半分自立してくれたらいいんですね。フリーターで半自立。半分は自分のお世話になっている。子どもは「私のもの」ですから手元に置いときたいのが親心でしょうか。自分の元から離れないで自分のお世話になり、かつ、半分アルバイトしてもらう。これを求めるわけですから子どももその状態を続けちゃいます。これでは何の解決にもなりません。
 今日は、日々の臨床から学んだことをもとにお話してきました。小学校4年生までの教育が重要で、子どもは学校教育の中で競争と妥協を経験して、傷ついてもへこたれないタフなこころと友達を大切にする「利他の心」を育てていきます。しかし、残念なことにわが子が学校に行けなくなって、長く学校社会から遠ざかっていると「臆病な自尊心」という心理状態に陥り、なかなか社会に居場所を見出せなくなってきます。この状況を救うのは友達であり、社会で人と人とを結びつける「利他の心」であることを話してきました。そのためには、私たち大人が変わらないといけません。どうか中学校を卒業するときに、「もう一度中学校をやり直しては」と言ってみてください。どんな答えが子どもから返ってくるのか楽しみですね。

本小論は、平成17年1月20日に佐賀県の唐津市で講演したものを修正・加筆したものです。唐津市の唐津地区精神保健福祉大会「ひまわりフェスタ」は34回を迎え、『不登校・引きこもりと現代社会』とうタイトルで講演をしました。それに、平成17年6月9日に熊本県の熊本県青少年育成県民会議で『ニート・フリーターからの脱出』という題で講演したものを追加しました。
posted by 川谷大治 at 13:35| Comment(0) | 日記

精神科読本15「境界性パーソナリティ障碍」

精神科読本15「境界性パーソナリティ障碍」(2017年改訂版)

                境界性パーソナリティ障碍

T 境界性パーソナリティ障碍とは
 1.境界性Borderline(ボーダーライン)という用語について
 ボーダーラインという医学用語が使われるようになったのはアメリカで精神分析が盛んになった1930年頃のことです。第二次世界大戦前のヒトラーのユダヤ人迫害にあって多くの著名な精神分析家がアメリカに亡命、移住してきたことによってアメリカの精神分析は発展しました。当時は、今日のように向精神薬は開発されていません。アメリカの精神科教授の8割を精神分析家が占め、市民にとっては精神分析治療を受けることが一つのステイタスになるほどでした。多くの人々が分析治療を受けに行きました。ところが、神経症の患者に精神分析治療(「自由連想」といって患者に頭に浮かぶことを報告させる)を施していると、治療が難しく、なかには状態が悪化して妄想状態を呈する患者が現れる、という報告が目立つようになりました。しかも、彼らを通常の対面法による精神科診察に戻すとその妄想状態が消失するのです。こうした神経症と精神病の境界という意味で彼らはボーダーラインと呼ばれました。
 その後、ボーダーラインの研究は進み、ロールシャッハという心理検査のように、無構造のテストでは統合失調症的な反応が見られるのですが、それ以外の検査では健康者と同じような反応を示すこともわかってきました。状況によって示す反応が違ってくるのです。さらには、精神分析の発展とともに、アイデンティティ拡散(エリクソン)、偽りの自己(ウィニコット)、基底欠損(バリント)といった概念が提出されるに従って、ボーダーラインをパーソナリティ発達の問題として見る流れが定着してきたのです。
そして今日のボーダーライン論に大きな影響を与えたのは、1970年代のカーンバークによっては提唱されたパーソナリティ構造論(性格特性)です。この段階に至って、ボーダーラインは@精神病との境界、Aうつ病との境界、Bパーソナリティ構造としての「境界(ボーダーライン)」という流れが明らかになり、1980年に登場したアメリカ精神医学会のDSM−V(精神疾患の診断・統計マニュアル)によって境界性人格障碍という用語が精神分析家だけではなく広く精神科臨床で使用されるようになったのです。当時はBorderline Personality Disorderという診断名に「境界性人格障碍」という訳語を当てていました。しかしこの人格障碍という訳語が「人格に倫理的な欠陥があるような」響きを与えるために大変評判が悪く、2004年の「DSM−W‐TR」から「境界性パーソナリティ障碍」と改訂されました。
 2.境界性パーソナリティ障碍(以下、BPDと記載する)とは何か
 今日では、境界性パーソナリティ障碍では、以下のような特徴をもつ疾患として理解されています。
 1)パーソナリティ障碍とは
 これまでに、パーソナリティ(personality)という専門用語は、明治の頃に「人格」と訳され、その「人格」という和製漢語は一人歩きし、本来の意味からかけ離れてきたために、「人格障碍」という病名は様々な偏見と誤解を産みました。それではパーソナリティ障碍とは何なのか?DSM−W‐TRでは「長期にわたって、通常よりも偏りの多い、いくつかの性格傾向の目立つ状態であり、そのために自分自身や周囲の人々にマイナスの影響を与える」障碍で、パーソナリティ障碍をA、B、C群に大別して、全部で10種類のパーソナリティ障碍を定義しています。その中で、境界性パーソナリティ障碍はB群のパーソナリティ障碍に含まれ、その治療は難しい。
 2)境界性パーソナリティ障碍の原因
 原因はまだよくわかっていません。体質的要因を強調する学派や環境要因を重視する学派、その折衷派と3分されているのが現状です。以前の私は折衷派でした。体質的な要因を抱えて生まれた子どもがほどよい環境を得なかったことによるものと考えていました。以前の研究によると体質的要因としては、幼い頃から癇の強い子で非常な負けず嫌い、恥ずかしがり屋、音に非常に敏感、夜泣きが激しい、自家中毒を起こしやすい、母親と離れるとよく大泣きする、という体質の子どもである場合が多かった。なかには、逆に育てるのにほとんど手がかからないよい子もいますが、こうした普通の子よりも偏った性格傾向が母親からしばしば報告されたのです。こうした性格傾向に、両親が不仲で家庭のなかが常に緊張していた、父親の暴言や暴力がしばしば見られた、母親が病気でほどよい養育ができなかった、などの環境要因が子どものパーソナリティ形成に大きな影響を与えていくのだと考えていました。
 ところが研究を続けているうちに以下のような2タイプがあるような考えに落ち着いてきました。@より環境要因の強いタイプ、A体質的要因に環境要因が関与するタイプです。いずれにしても環境要因は重大な意義を持っています。環境要因のない症例はない、と言っても過言ではありません。それを説明するのによいケースがあります。2015年の日本精神神経学会で発表したのですが、幼少の頃から人目に晒されることに不安と恐怖を感じやすい子どもは、ほどよい養育環境が提供されないと、つまり両親の不仲や養育者による虐待、さらには教育現場での不適応やいじめが重なると、親密な関係を築けずに自己の確立が停滞するBPDが存在するのです。詳しくは臨床ダイアリー“静かなるBPD”を参照して下さい。さらには3歳以前の幼少期のトラウマによる愛着障碍が3歳以降のパーソナリティ発達を病的なものにする症例に多く出会い、臨床ダイアリー『ウィニコットの破綻恐怖について』で取り上げています。
 さらに、学校教育も見逃せない問題です。特に、競争原理を排除した戦後民主主義教育と「いじめ」による仲間からの孤立は大きな問題です。ですから、単一の遺伝子が関与しているとか親の育て方が悪かったから病気になったという理解は正しくないのです。患者の多くは、こうした偏りを持ったパーソナリティのまま成長しているので、ライフサイクルの移行期、たとえば思春期から青年期、青年期から成人期への移行期に負荷される分離・個体化(親からの心理的・経済的自立)のストレスに対処することができずに発病するのです。
 3)子どもの「こころ」の発達
 a.小学生のこころ
 子どもは10歳前後の前思春期から「自意識」が芽生えます。この頃から、子どもたちは他者の視点を通して自己を見るようになります。それは新しい世界を子どもにもたらす一方で他人が自分のことをどう見ているのか悩ませます。自分が他者よりも劣っているのかそれとも優っているのか、また過去の自身の考え方や行為を振り返り不安と緊張を孕むようになるのです。つまり恥・劣等感・不全感に悩まされるようになるのです。またこの時期は同性の仲間と徒党を組み、行動を共にすることを楽しむようになります。それだけに、この頃の仲間からの孤立は強い劣等感を抱かせるのです。虐待やいじめといったトラウマは自己否定に彩られた自己像(「私は悪い子」空想)を抱かせ自己を育む自己像を描けなくさせるのです。
 b.中高生のこころ
 中学生になると、子どもたちの精神的不調は目に見える形で周囲に気づかれるようになります。その一つが不登校や自傷行為です。中学生という時期は「共同体か自己か」という弁証法的な緊張関係の中で、つまり、自己の欲求を押し通すと共同体と衝突し、共同体の益を優先すると自己を失う、という矛盾を経験しながら成長していくので、現実世界が内的世界にとって侵害となることもありますし、内的世界が病理に彩られていると外的世界を客観的に見ることもできなくなる、という問題を孕んでいます。
 中学生では外的世界の問題が高校生よりは大きく、男子では能力に関する優劣の問題、女子では級友との対人関係の問題がこころのトラウマになるという性差による違いはありますが、男女にかかわらずMicro Trauma(小さな心的外傷)の累積の影響は軽視できません。
逆に、高校生になると自己不全感が最も激しくなり、外的世界(環境)よりも内的世界の病理性が自殺を考える時に比重が大きくなります。気分障碍、統合失調症、摂食障碍、パーソナリティ障碍等が代表的な疾患である。対社会(家庭や学校)に対する反抗よりも自己破壊的になって自傷行為に走る者が増加しうつ状態を呈する者が増えるのもこの時期である。
 c.18歳以降のこころ
 さらに高校卒業後、大学進学や就職というアイデンティティの確立の段階へと入ると、「これが私だ」という回答を見出せるかどうかが課題になります。「普通であること」「何にでもなれる」という社会的自己の確立が困難になった現代社会では若者にとっては生きづらくなって、空虚感に彩られた抑うつ、アパシーになるのです。高校生と違ってこの時期の自己破壊的行為はいよいよ深刻なものになります。
 4)性格傾向の特徴
 それではどのようなパーソナリティの子どもとして成長していくのでしょうか。BPDの患者をうけもっていつも驚くのは、彼らの潜在能力が高いことです。絵がうまい、文章が天才的、踊りや話術に優れている、手先が起用、学力が高い、などはしばしば出会うことです。残念なことに、こうした能力を現実社会で発揮できないことが特徴の一つです。つまり、持っている能力を使いこなせずに社会適応レベルが低いのです。第二番目に、衝動に駆り立てられると我慢ができなくて、気持ちを上手にコントロールできないことです。三番目に、感情や対人関係が不安定であることです。機嫌が良いかと思っていると些細なことでいらいらしたり、怒りっぽいのです。ですから、友達や恋人に期待感や理想を抱きやすく、しかも落胆しやすい、といった特徴のために対人関係が不安定です。さらには、相手から利用され傷つけられやすく、逆に相手を責め、傷つけるなどの感情的な人間関係が特徴です。こうした性格傾向のために、自分らしさがわからなくなっている人が多いのです。先に述べたエリクソンのアイデンティティ拡散状態にあるのです。つまり、長期的な人生目標が定まらず、職業あるいは学業、個人生活の広い領域で停滞して、先に進むことができないでいるのです。
 5)その他の特徴
 BPDは明らかに女性に多い。75%は女性です。有病率はアメリカの報告によると、一般人口の約2%です。1980年に生まれた子どもは158万人なので、このうち約3万人がBPDと診断されることになります。精神科外来診療所に受診する患者の約10%、精神科入院患者の20%と見積もられています。わが国での多施設による研究はありませんが、当院では、総患者数の5%、外来通院患者の10%は境界性パーソナリティ障碍です。この数はイタリアの報告と同じです。
 6)経過                              
 多くの文献で、10代後半から20代にかけて症状が現れ、30−40代になると症状は緩和されると言われています。米国の精神科医マクグラッシャンはチェストナットロッジ病院に90日以上入院した患者の平均15年後の社会的適応度と精神・行動症状について追跡調査をおこなっています。それによりますと、以下のような5段階で予後を示しています。
   回復群(結婚して子どもを育てる):16%
    働いて活動的な社会生活を送る:37%
   中等度の改善(半分の期間で働いている):26%
   軽度回復(1/4の期間を入院、1/5の期間で働いている):16%
   慢性群(3/4の期間で入院、社会的に孤立):5%
 さらに、ほぼ半数の患者が子の親として生活していたことが明らかになりました。しかしこの疾患の自殺率は10年間で約10%と高い値を示していました。また、長期の予後を見ると、10年以内よりも20年前後で改善率が上がっているうえに、うつ病と同程度の適応を示していたことも分かっています。
 また、オースティン・リッグ・センターの退院後平均14年後の社会適応を見てもうつ病と同程度の適応を示しています。また、ストーンの調査では、1/3の患者が回復しています。退院して10−15年が経過した頃から徐々に社会適応性が高まり、症状も緩和しているのです。1/2の女性患者と1/4の男性患者が親密な対人関係を築けるようになっていたと報告されています。1/2から3/4の患者がフルタイムの仕事を持っていたのですが、残念なことに、自殺率は9%程度あります。
 要約すると、BPDは治る病気で、わが国の多くの精神科医が家族に「治らない」と悲観的なのは短期予後の結果なのです。
U 境界性パーソナリティ障碍の臨床像
 1.DSM-5の診断基準
ここでは、最新のアメリカ精神医学会が出しているDSM-5の診断基準を紹介します。境界性パーソナリティ障碍の臨床像は、 
 対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で、成人早期までに始まり、種々の状況で明らかになる、以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。
(1)現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努   
   力
(2)理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式
(3)同一性の混乱:著明で持続的な不安定な自己像または自己意識
(4)自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質乱   用、無謀な運転、むちゃ食い)
(5)自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し
(6)著明な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2〜3時間持続し、2〜3日以上持続することはまれ    な、エピソード的に起こる強い不快気分、いらだたしさ、または不安)
(7)慢性的な空虚感
(8)不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、   取っ組み合いの喧嘩を繰り返す)
(9)一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状
  
 症例を出して説明を加えるとわかりやすいのですが、プライバシーを保護するためにそれはできません。その代わりに、皆さんの知っている人物を紹介することでBPDの全体像を描くことにします。古くは、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデン・コールフィールドや作家の「太宰治」を想像するとよいでしょう。映画ではメル・ギブソンが演じる『リーサル・ウェポン』の主人公マーティン・リッグスや、日活映画の浅丘ルリ子演じる『女体』の主人公がそうです。この映画はとても優れた作品ですが、熱烈なルリ子ファンでないときっと観たことがない映画だと思います。このようにBPDは文学や映画の主人公になることが多いのです。他には、古い映画になりますが、ロバート・デニーロ主演の「タクシードライバー」やダイアン・キートン主演の「ミスター・グッドバーを探して」の主人公がBPD です。このようにBPD は周囲に大変な迷惑をかける人たちではありますが、なんとも言えない人間的魅力にあふれた人たちでもあります。
 2.川谷の分類:BPD2型
 この2型は社会適応能力、発症の仕方と治り具合から見た分類です。精神状態は安定すると速やかに社会に出て働くケースと、なかなか社会に出ていくのが困難なケースの2タイプです。その研究結果は2012年の第108回日本精神神経学会のシンポジウムで発表しました。
 1)退行型BPD
 半年〜2年間の治療で安定し社会に出ていく予後良好のタイプです。発症する前は曲がりなりにも社会に適応してきた人たちです。完全主義あるいは負けず嫌いといった性格の人たちが現実生活で傷つき、行き詰まった結果退行し、BPDの診断基準を満たすような状態を呈するのです。恋人や配偶者といった人間関係、職場での二進も三進も行かない状況、学校での「いじめ」による孤立が原因の主なものです。薬物治療よりも環境調整を図り、自身の性格を見直すことで改善します。回復すると、こころに不快な感情や葛藤を行動に移すのではなく、悩みながら(抱えながら)問題解決を図れるようになります。
 2)発達停滞型BPD
およそ2年間の外来治療、時には緊急の入院治療などを経ながら、状態は安定しますが、社会に出ていくのが困難なタイプです。中には部分的に症状を持つ者もいます。退行型BPDと違って、幼少の頃から社会適応に困難さを持っています。それを私は「ボア(bore)」と呼んでいます。BPDの主要な症状である「見捨てられ不安」に近いものですが、「ボア」は心身反応を伴うので、あえて新しい用語を設けました。その特徴は以下のようになります。         
 1.3歳の頃から「ボア(bore)」見られます。
 母親が傍にいると元気な普通の子どもなのですが、母親が視界から見えなくなると目に輝きが無くなり、退屈、無気力といった具合に元気が無くなります。活発に遊んでいたのに急に元気が無くなるのです。お母さんの前では何時ものように元気なので近所のおばさんたちに気づかれることが多い。
 2.生理的変化:過剰睡眠、だるさ、過食が見られ、一日中寝込んだりします。
 3.精神的変化:空虚で無気力な状態。
 4.行動的変化:上記の1、2、3の状態はとても不愉快でどうしようもできない状態なので、それを打開するための「行動化」が見られます。飲酒、薬物乱用、買い物、過食、万引き、喧嘩、セックス・・・等で精神を高揚させるのです
治療では「行動化」が患者にとっては自己治療的であることを認識し、患者が「行動化」の意味を理解できるように援助し、「ボア」を治療の最終ターゲットにします。

V 境界性パーソナリティ障碍の治療
 アメリカにおけるBPD の治療は1990年代の医療改革マネージド・ケア・システムによって入院治療から外来治療へ、そして外来治療は精神分析を中心とした個人精神療法の時代からケース・マネージャーのもとで多種多様な治療法が並行しておこなわれるマルチプル・トリートメント(多種多様な治療)がスタンダードです。私が精神科医になった1980年当時のアメリカにおけるBPD治療は入院治療が主流でした。しかも多くの患者が長期入院治療を受けていました。ドルが強かったときはそれだけの費用を払えていたのですが、ドルが次第に弱くなるにつれて、保険会社が費用を出すのを渋るようになりました。そして1990年代に入って、保険会社は支払った分の医療効果を査定するようになり、それはマネージド・ケア・システムと呼ばれる医療改革へとつながったのです。現在では、提供する医療サービスが確かなエビデンスを持っていないと保険会社へ医療費を請求できなくなっています。そのために、多くの病院で入院治療から外来治療へと大きな変換が行われたのです。
とは言え、治療の内容がお粗末なものになったわけではありません。それはうらやましい内容です。たとえば、ニューヨークのある病院の外来治療プログラムを見ますと垂涎ものです。一人の患者に数多くの医療スタッフが関わり、治療も薬物治療だけではなく、1回50分の対話による精神療法が週に3回以上行われ、さらには集団精神療法、デイケア治療、家族療法といった治療や就業の斡旋といった社会療法まで手厚く行われているのです。しかも働き出した患者のためには仕事の始まる朝あるいは仕事がすんだ夕方に治療が行われるように準備されているのです。しかもこのような治療がうまく進展しているかを保険会社のケア・マネージャーが査定しているのです。
 アメリカのBPDに関する研究は着実に積み重ねなれ、その研究データには圧倒されます。たとえば、アメリカ精神医学会が2001年に提出したBPDの治療ガイドラインは過去約30年に亙るBPDの論文(MEDLINEで1562本、PsycINFOで2460本)をもとに作られています。わが国ではアメリカのような基礎データ、特に患者を集団で見る臨床データを持っていません。私はかつて福岡大学病院を受診した108名の境界例や24例の自験例について生活史、家族歴、家系内精神科疾患の発現、性差、治療構造、治療転帰、などについて調査したことがあります。その調査結果で皆さんの参考になるところを述べますと、私が治療に当たった自験例では治療開始後4年が経過すると患者の75%は改善し、それは母親との同居生活のなかで安定する、という結果が明らかになりました。それはBPD治療のプランを考える際に非常に参考になります。BPDは女性患者が多いので、同性の母親との関係で安定するのです。わが国でも個人精神療法に優れた精神科医は少なくないのですが、アメリカの研究論文の質と量には脱帽せざるを得ないのが現状です。
 わが国では2002年4月からやっと「治療ガイドライン作成」のための厚生労働省の班研究(通称:牛島班)が始まり、その成果は牛島定信編『境界性パーソナリティ障碍〈日本版治療ガイドライン〉』(金剛出版)にまとめられています。
 以下の治療は当院における試みの一部です。
 1)精神科医による診察
私の基本的治療スタイルは治療への情熱と治療の限界性を常に意識しながら治療するストーン流のやり方です。そしてその実践は治療の柔軟性に重きを置いています。この柔軟性がマネージメントでもっとも重要な点だと考えています。通院回数、環境調整、他の治療法の組み合わせ、などの治療プランを患者(彼/彼女)と話し合っていく過程が治療の中心になります。患者は主治医との間で受け入れられるとそこに関係性が芽生えてきます。治療の妨げになる問題行動や不安定性は関係性の歪みとして現れ、私はそれをホールディングし、ときに情緒的に対峙し、人と安心して付き合えるような関係性を育てていくのです。
 2)薬物治療
薬物治療はこれまで補助的に使用してきました。しかし最近の向精神薬の発展により、薬物治療は捨てたものでないような気がしています。BPD患者は思春期から青年期にかけて発症することが多く、この時期の患者の病態は複雑かつ動揺しやすいので、使用する薬物もいろいろなものが使われます。抗不安薬は基本的には使わないようにしています。坑うつ剤も使用しますが、効果の程度は非定型抗精神病薬に劣ります。
 3)ATスプリット治療(精神療法)
 ATスプリット治療とは、主治医がマネージメント(管理)をおこない、精神療法を心理士が担当する治療のやり方です。アメリカではスタンダードなやり方でスプリット治療と呼ばれています。アメリカのように多くのスタッフによる治療は更なる不安を招く場合があるので、主治医である私とだけの診察で十分な人もいます。
 4)集団精神療法
 集団精神療法は今後期待される治療法の一つです。私の経験では、重症のBPDの治療が成功するかどうかの鍵は、一部の患者にとっては、デイケアを含めた集団療法に参加できるかどうかにあると考えられます。
 5)環境調整は特に重要です。枚数の制限があるために詳しく述べることができないのですが、クリニックにおける家族相談を含めた環境調整の比重は大きいのです。私の経験ではBPD患者は孤独に耐えられないので、治療のある時期に自我を支える治療的環境を整えることが行動化や悪性退行を少なくできるのです。
 6)就労への援助
 パーソナリティの社会化が進まずに年齢だけ増えて、病状が落ち着いたときは20代後半というのは、あまりにも辛い現実です。現実という高い壁をどうやってく乗り越えたらよいのか。そのために川谷医院では2015年1月から就労支援A型「ドンマイ」を併設し、就労を応援しています。
W まとめ
 境界性パーソナリティ障碍の用語の由来、臨床像から治療までをアメリカのそれを参考にしながら述べてきました。治療は大変根気のいるものですが、長期予後を見ますとそれほど悲観的ではないことが分かってもらえたのではないかと思います。当院での治療においていろいろな疑問や不満がありましたら遠慮なく申し出てください。私たちの治療をさらに引き上げることにつながるでしょうし、治療の成功を引き寄せることになると思っています。

参考文献  
川谷大治:牛島定信編『境界性パーソナリティ障碍〈日本版治療ガイドライン〉』.金剛出版、2008.
posted by 川谷大治 at 13:29| Comment(0) | 日記

精神科読本14「思春期における自己否定という罠」

精神科読本14『思春期における自己否定という罠』(2017年改訂版)
思春期における自己否定という罠
T.思春期青年期の精神病理
 1980年頃から思春期やせ症および過食症、リストカット症候群、登校拒否症、家庭内暴力、ボーダーラインと呼ばれる疾患が社会問題化してきました。それまでは精神科臨床で若者が受診するのは統合失調症、躁うつ病、そして対人恐怖症が中心でした。21世紀の今日では、以下の疾患が思春期臨床で問題になっています。
  1.統合失調症:100年前と同じ120人に1人発症。軽症化。
  2.双極性気分障碍(躁うつ病):軽躁状態を病的と考えるかどうか         
  3.思春期青年期のうつ病の増加。  
  4.アディクション(嗜癖):ある習慣への強迫的な執着と依存。
    1)物質:アルコール依存症,薬物依存,摂食障害
    2)行為過程:ギャンブル依存症,買い物依存症,家庭内暴力,ネット依存,
           ドメスティックバイオレンス,性依存,リストカット症候群
    3)関係:共依存(人に依存し世話を焼く)
      =アルコール依存症の妻,家庭内暴力の母親,虐待夫の妻
  5.境界性パーソナリティ障害
  6.パニック障害,強迫障害,適応障害,心的外傷後ストレス障害など
  7.発達障碍児のパーソナリティ発達:いずれ扱う予定です。
 二重下線が本論で扱っていく病態です。これら疾患をもつ若者の最大の問題点は,思春期における「自己否定」の先に見えてくる社会化された理想的な対象を描き出せない,ことです。そのため,同世代の若者に対して,恥と劣等感の意識が強く,社会に出て行くのに臆病になっています。自分の存在価値を他者とのあいだで確かめることができないために,自分を誇れることも自慢する場所も見出せません。唯一,空想世界だけが自分を裏切らない世界になります。そしてテレビゲーム,買い物,食べ物に嵌っていくのです。なかには自分の身体に傷をつけるといった被虐的な行為に嵌ってしまう若い女性も多い。
彼らの内的世界の自己像は肥大し誇大化しています。人一倍プライドが高くなっているのです。しかしそれは自分だけの世界に限定されているので,現実に触れると途端に,落ち込み,空虚感,孤独感に苛まされ,さらには自己愛的怒りを抑えることができなくなり,糸の切れた凧のように,どこへ流されていくのか自分でも分からない状態に陥るのです。とても辛い心理的状態です。
 どうしてこのような状態に陥ってしまったのか,そしてその状態から脱却するにはどのような方策があるのかを述べることが本論の目的です。家族はどのような援助ができるのかを分かりやすく述べて行こうと思います。
U.自己否定という罠
 1.「自我理想Ich ideal」と「理想自我Ideal ich」
精神分析では社会性を持った道徳的価値規範を取り入れた自己のあり方を「自我理想」と呼びます。自分本位の願望や自己愛を克己した後に形成される,より高い,より社会性のある人間像です。一方,自分の気に入った自己愛そのものの自己像を「理想自我」と呼びます。「理想自我」は,自分の中で主観的に作り上げられたもので,幼い頃の自己イメージと一致します。勉強がよくできて,みんなに秀才だとちやほやされる自分,美しくみんなに美人だといって褒められる自分,権力をもつ自分,名声に輝く自分,尊敬され・賞賛される自分,誰もが心に思い描く,心地よい,楽しい,素晴らしい自分が「理想自我」なのです。子どもの頃に鏡に映し出される自分の姿がその原型です。要するに,「自我理想」は社会的自分を「理想自我」はパーソナルな自分を表しているとも言えます。
 2.「自我理想」は「理想自我」の否定の過程で形成される=子どもから大人へ
 自己中心的なパーソナルな自己愛を一度否定した上に成り立つ「自我理想」は,自己中心的な欲望を否定し,自分のアイデンティティーのため,国家社会のため,学問のため,自分を越えた何かに身を捧げる人間としてのあるべき姿です。子どもから大人への移行期である思春期青年期にこの過程が進みます。ところが,この過程がうまくいかない若者が増えているのです。いつまでも「理想自我」にしがみついている若者たち,自己否定に嵌って「自我理想」が見えてこない若者たちです。前者は引きこもり青年に代表され,後者はリストカット,過食・嘔吐症,境界性パーソナリティ障害,買物依存症に代表されます。子どもから大人への過程が進行しないので,大人になるのが恐ろしく子どものままでいたいのです。
 最近の若者が,子どもっぽい自己を否定した上に成り立つ社会的な理想の姿が描けないのはどうしてなのでしょうか。いろいろ原因が浮かんできます。もともと一個の独立した人間として生まれてきたのに,母親が子どもを溺愛し「自分の子ども」として支配してきたために,子どもはいつまでも母親の庇護のもとで子どもでありたいと願います。面倒な人間関係は避けて,自分の思い通りになる母子関係を現実社会に求めるために打たれ弱い,傷つきやすいパーソナリティが形成されているのです。
母親からは分離できても理想とする姿が見つからないこともあります。その原因は社会の変化にあります。例えば,少なくとも戦前までの長男は跡継ぎとして生まれ,将来の姿ははっきりしていました。しかし,現代では,親と同じ仕事をすることを「帰りが遅くてたいへんそう」,「責任が重そう」と言って80%の子どもたちは拒否しています。父親の背中が将来の自己像にならないのであれば子どもたちは何を指針に成長していくのでしょうか。私が小学生の頃,どこの学校の校庭にも二宮金次郎の銅像が立っていました。薪を背負って本を読みながら歩いている姿は今でも心に深く刻まれています。あの二宮金次郎の銅像が今はどこにもありません。あるのはスマフォを操作しながら歩く若者たちです。
 どこの家にも「家訓」がありました。「正直であれ」,「贅沢はするな」,「他人様に迷惑をかけるな」などと家庭で道徳教育がなされていました。今は廃れました。あるのは狡賢い処世訓です。「誰にも迷惑かけなければ何をしてもいい」,「ばれなければ何をしてもよい」と大人は子どもに本気で教えているのです。このような社会で子どもに「自我理想」を求めても無理な話です。今の子どもたちにはクラーク博士の「少年よ,大志を抱け」は嘘っぱちに聞こえるでしょう。あるいは,子どもの心を鼓舞するのではなく重くのしかかるかも知れません。臆病になっている引きこもり青年に将来を熱く語りかけても,彼らの心には響かないのと同じです。
 また,自己否定する過程で「自己否定」という罠に嵌ってしまうために,「自我理想」を描けない若者もいます。彼らの話しに耳を傾けていると,自己否定が未来の「自我理想」を求めたものでないことがよくわかります。彼らの自己否定は小学校高学年から芽生え始め,中高生で盛んになります。小学5年生の頃から,「このままでは自分は駄目だ」とぼんやりとした不安感を抱くようになり,次第にそれが男の子であれば,「僕はみんなとどこか違う」,「僕は思っていたような万能的な存在ではない」と悩みだします。「成績が上がらない」,「卓球で後輩に負けた」,「僕の身長はもう伸びない」,「僕にはガールフレンドはできない」と不安になり,万能的な子どもっぽい自己愛を圧迫する現実を避けるようになります。「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」で理解できる心理状態が出来上がるのです。自分を脅かす現実に反抗するか逃げるか,の二者択一の道しか残されていません。
 女の子であれば友達関係の領域で自己像の不安がはっきりしてきます。友達とのあいだで「誰も私の方を振り向いてくれない」,「誰も私に関心がない」と感じ,友達とのあいだで無視されると夜もよく寝付けなくなります。また,友達の何気ない「あなたなんか嫌い」,「足が太い」,「思ったより重いのね」,「ぽっちゃりしているね」,「子どもっぽいね」,という言葉が心にグサッと来るのです。ここで「理想自我」を克己するのではなく,逆に友達から羨まれるような人間になろうと挑戦する子どももいます。ダイエットを始めるのです。そしてアディクションの「罠」に嵌ってしまうのです。なかには強迫的に「勉強」をやりだし睡眠時間が削れていく者もいます。友達から否定されたその夜に手首を切り,自己愛的な怒りを自分に向ける者もいます。そして何か傷つくことがある度にリストカットで憂さ晴らしをする罠に嵌ってしまうのです。
男女の差は,男性が自己否定を避けて万能的な「理想自我」を空想に追いかけるという「罠」に嵌ってしまう引きこもり青年になるのと違って,女性は万能的な「理想自我」を現実に追い求めて「現実の自分」を否定するためにダイエットやリストカットという「罠」に嵌ってしまうという違いがあります。男性であれ女性であれ,現実の自分に気づき,駄目な現実的な自分を否定して「理想自我」を空想の中で膨らませていくために,現実のありのままの自分を受け入れきれないでいるのです。
 3.自己否定という罠
 こうして自己否定がより社会的な自己愛を求める姿にならずに,強迫的に自己否定を求める姿が習慣化されたものがアディクション(=依存)です。何故,将来の社会的な理想像となるべき自己否定ではなくて,アディクションに嵌るような自己否定になるのでしょうか。それは現代の若者のパーソナリティ構造を見るとその仕掛けが見えてきます。
 現代の子どもたちは乖離された幾つもの世界で生活しています。代表的なものは現実と空想の2つの世界です。現実のストレスを発散してくれるテレビゲームも空想を補強します。また学校と家庭,家族と一緒にいるときと1人のとき,友達とのあいだでも自分を変えているのです。あちこちで違う自分を育てて一所懸命社会に適応しようとあくせくしているのです。それが行過ぎるとパーソナリティにスプリッティング(分裂)が生じ,スプリットしたままパーソナリティが形成されていきます。知らないうちに互いに連絡のないばらばらの自己像が形成されていくのです。この状態では本当の自己愛的な満足は得られません。何をやっても嘘っぱちのような気がするのです。心はいつも空虚です。本当に友達と一緒に笑いあうことができません。
 それが,思春期になって,自己の矛盾に気づいたり,他者から指摘されたりしたときにアイデンティティーの危機を迎えるのです。そのとき、自分のある部分の意識をなくす(解離と呼ばれる),現実を回避する(引きこもり),現実の姿を変える(ダイエット,リストカット)という防衛を取ります。「現実の自分」が心の中で膨らませていた自己愛的な理想自我の自己イメージ通りではなかったことに気づいたときに,一度この「理想自我」を否定するのではなくて,「理想自我」を守るために「現実の自分」を否定するから将来の自己像に結びつかないのです。「理想自我」は子どもにとって甘い,心地よい,万能感に満ち足りた極上の世界です。否定するのはとても困難なのです。しかもそれに成功して立派になったお手本となる大人も偉人も今はいません。いるのは利己を追い求めている自己愛的な現代の大人たちの姿だけです。
「理想自我」を否定するのではなくて,それからかけ離れた「現実の自己」を否定するために,自己否定という罠に嵌ってしまうのです。典型的な病態には,以下のようなものがあります。
 @リストカット症候群
  若い女の子に多い,現実の自己愛の傷つきとその心の痛みを身体の痛みで癒す行為
  嫌われた,無視されたことがきっかけになる,痛みを感じず名状しがたい恍惚感
  それが強迫的に習慣化される
 A摂食障害
  やせ願望と肥満恐怖からダイエットや強迫的な身体運動
  過食と嘔吐。一部境界性パーソナリティ障害を合併
 B家庭内暴力
  学校での自己愛的傷つきから登校拒否,それを親から無理に勧められて暴力を振るう
  男の子に多く,暴力が自立への一歩になることもあるが,多くは家に引きこもり,親を奴
  隷のように扱い,自分の思い通りにならないと暴力を振るい続ける
 C境界性パーソナリティ障害
  若い女性に多い,特殊なうつ感情(アンへドニア,虚しさ,淋しさ),見捨てられ不安,
  不安定な対人関係(理想化と脱価値化),自己破壊的で衝動的な行動(リストカット,大
  量服薬,過食),一過性の精神病エピソードなどの多彩な症状が特徴。治療は長期に及び
  とても難しい
 D引きこもり青年
  裸の自己愛(理想自我)が傷つくのを怖れて引きこもる青年,生活はネットやゲームにはまり,「臆病な自  尊心」と「尊大な羞恥心」という特殊な心理状態

V.予防と援助
 1.予防:自我の芽生え(小学校4年)までの詰め込み教育と競争が重要
 小学校4年生までの教育と子育てが大切です。5歳から小学4年までを潜伏期と呼びます。この時期は,心理的にもっとも安定した教育の基礎に適した時期です。この時期に「理想自我」でない「現実の自分」に気づいてもへこたれないタフな心が形成されていたらよいのです。自我の芽生えの時期に自分本位の自分作りから世界を意識した自分作りが始まります。タフでないと生きていけません。この時期に,両親の離婚,転校,いじめ,先生の誤解による自己否定があると,将来に続く劣等感と慢性の抑うつに彩られたパーソナリティが形成されるのです。
 そうならないためには,自我の芽生えまでに,十分な詰め込み教育とその中での競争が大切になります。江戸時代の子どもの教育は,武士の子であれば藩校で,農民や町民は寺小屋で受けました。寺小屋の授業は朝の8時から昼の2,3時まで行われ,休みは今の小学生が年間150日であるのに対してわずか半分しかなく,子どもにみっちり勉強させていたようです。今の学校ではこの競争がおろそかにされているので,来る思春期に耐えるだけのタフさが備わっていないのです。
 2.「理想自我」から「自我理想」へ
 自己否定の罠に嵌らずに自我理想をもつことは可能なのか?私の臨床経験から以下のようなことで子どもから大人へと成長していくのではないかと考えています。
 1)思春期における奉仕活動
 奉仕とは,ギリシャ語で「ディアコニア」と言い,汚濁を通してという意味があります。      当時はうんことおしっこの世話をすることが奉仕だったのです。神戸阪神大震災で日本中の多くの若者がボランティアで神戸に駆けつけました。おそらく彼らにとって,他者にとって自分の存在の価値を再発見する「機会」になったのではないかと想像されます。自己中心的な世界とはまったく異なる利他主義の世界です。「理想自我」を捨てるよい機会になるのではないかと思います。私にとっては医学部3年生の「解剖学」が同様の機会になりました。身を捨てて将来の医学の発展に献体するという意志に出会ったときでした。「己の欲を捨てて,患者のために働こう」と決心しました。そのときに私の「理想自我」のある部分は否定されたのではないかと思っています。
 2)New Object「バン」との出会い
 思春期におけるアイデンティティー形成に必要な家庭外の理想的な対象New Objectを私は「バン」と呼んでいます。私の育った土地では家庭外のしかもその土地で親しまれ尊敬される青年を「バン」と呼んでいました。朝鮮語の「班(バン)」に由来し,「バン」の上に「ヤンバン」といわれる賢いバンがいます。わたしたち子どもは「バン」と一緒に遊び,知らず知らずのうちに「バン」をモデルに自己形成の道を歩んでいったのです。こうした現象は今日でも生きています。例えば,『ヤンキー母校に帰る』の著者の義家弘介は中学生の頃はバリバリの悪たれのヤンキーでした。しかし彼は高校で哲学に触れ,彼に夢を抱きずっと信頼し続けてくれた女性教師に出会ったのです。金八先生が人気番組なのもそうした理由からです。
 この時期の嘘隠しのない真剣な一個のパーソナリティのぶつかり合いはその後の若者の人生によい影響を与えます。「バン」の特徴は,その土地の者,特に両親がバンを高く評価していること,バンは子どもたちに遊びを教え,祭りの運営を通してその土地の文化を伝承していく,子どもたちを信頼し長所を指摘する,ということです。こうした「バン」との出会いは子どもたちに確かな羅針盤を与えると思います。しかも「バン」自身が子どもだった頃に経験した悲しみを抱えていることが子どもたちに共鳴を与えるのです。思春期にあるパーソナリティに出会うことは子どもっぽい「理想自我」を捨てて「現実の自分」を受け入れる機会になるのではないでしょうか。
 3)「自己否定」の裏に子どもっぽい「理想自我」の存在があることを受け入れる
 「現実の自分」の自己否定の裏には「理想自我」を守ろうとする心理機制があるといいましたが,それを「子どもっぽい」と言って唾棄しないことは大切な気がします。思春期は失敗しながら成功を重ねて成長していくものだからです。でかい人間に出会わない限り,パーソナリティは耐えられる幻滅を繰り返しながら成長していくものだと思います。この「それほど自分は一角の人間ではなかった」という自己洞察は彼の強靭な精神を形成するものになります。ただそれには時間がかかるのです。その自己形成の場と時間を保証するのが親の仕事ではないかと思います。
W.まとめ
 以上,引きこもり青年,リストカット症候群,過食・嘔吐症,種々のアディクション,境界性パーソナリティ障害の治療から得られたキーワード「自我理想」と「理想自我」を駆使して,「理想自我」を空想の中で膨らませて「現実の自分」を否定するというやり方では一向に社会的な「自我理想」を描くことができないことを説明してきました。「現実の自分」を受け入れないで「理想自我」を肥大させていくためにアディクションという「罠」に嵌ってしまのです。この社会から引き離されていく過程はとても恐ろしいことです。しかし,彼らにも「理想自我」を克己するチャンスはあります。この「罠」から救い出すためには,彼らが「理想自我」を追求していることを理解し,かつそれを否定しないパーソナリティとの出会いが大切であること,さらには「理想自我」の幻滅に耐えられるタフな精神力は自我の芽生えの小学4年生までの競争のなかで形成されること,思春期には利他的な奉仕体験が「自我理想」を描くチャンスになることを述べてきました。
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精神科読本13「鴎外と漱石に学ぶ」

精神科読本13『鴎外と漱石に学ぶ』(2017年改訂版)
鴎外と漱石に学ぶ
T.フリータ―について
フリーター という言葉は、1980年代後半、アルバイト情報誌『フロム・エー』によって造られ、広められた言葉で、学校を卒業しても定職に就かずにアルバイトで生計を立てる若者たちを指します(小杉礼子著「フリーターという生き方」)。フリーターはなぜこんなにまで増えてきたのでしょうか。社会構造の変化もあるでしょうけど、若者の方にも問題がある気がします。読売新聞の人生案内(2004年9月15日付)に次のような相談がでていました。
1.読売新聞の「人生相談」のコーナーから
相談者は千葉の28歳の男性です。
28歳。無職の男性。大学在学中から20数種類アルバイトをしましたが、面白いと思えるものに出会えませんでした。大きな声と笑顔で挨拶とか掃除とかあれこれ強制させられるのは、不愉快でなりません。卒業後働いた会社は午前7時出勤とか、仕事がつまらないとか嫌なことが多くて身体がだるくて辞めてしまいました。現在はアルバイトをしたりしなかったり。働いていない時は母に生活の面倒をみてもらっており、申し訳なく思っています。サービス残業、リストラ、貧富差拡大等経営資本の論理がまかり通るのには納得がいきません。面接に行っても「今は何もしてないの?」と聞かれることが多く、不満に思います。資格試験の勉強をしていますが、労働が好きになれないと人生が充実しないわけで、それが悩みです。
随分前のNHKでフリーターの特集をしていたときに、フリーターの若者のあいだで「フリーター28歳定年説」が囁かれているということを知りました。ご存知ですか?フリーターをしていて28歳以上になったらもう正社員にはなれないということなんだそうです。フリーターのよい所は、時間の拘束がない、嫌ならいつでも辞められる、自分の好きなようにシフトを組んでもらえる、働いた金は自分が好きなようにできる、サービス残業もない、ということです。もちろん親が生活の面倒をみてくれているわけですけど。非常に気楽な仕事です。しかしここに落とし穴があるわけです。責任がない分、仕事の技術もステップアップしていかないのです。正社員で働いていれば、営業マンから内勤に移り、仕事のスキルスを覚えて収入も増えていく。ところが、フリーターをやっているといつまでも仕事人として誇りをもてないし、地位も給料も上がらない、というマイナス面があるわけです。フリーターはいつも働いているかというとそうではありません。働かない時期が半年から1年と結構長く続きます。そして再び働き始めては止めることをくり返すのだそうです。
 2.夏目漱石の『坊ちゃん』と『それから』
働かない若者のはしりは、漱石の『坊ちゃん』の主人公です。坊ちゃんも父親が亡くなって、遺産を兄と分けたあと、その金でどう生活しようかと悩みます。文学をやるにも肌に合わない。幸い物理学校の前を通りかかって生徒募集の広告を見てそこに入学します。要するに坊ちゃんはアイデンティティがはっきりしないまま物理学校の前を通って、教師になって松山に赴任する、というわけです。松山に赴任して山嵐と仲良くなって赤シャツと古狸を懲らしめて1年くらいで学校を辞めちゃいます。問題は、坊ちゃんが学校を辞めたあとのことを漱石は書いていない。読者は赤シャツを懲らしめた坊ちゃんに溜飲が下がるのですが、よくよく考えると、坊ちゃんはその後どうなっているか?その答えは『三四郎』、『それから』の中にあるようです。三四郎も熊本から出てきたアイデンティティがはっきりしない若者です。
『それから』の主人公が坊ちゃんの将来像と考えたらよいかもしれません。主人公の代助は30歳になるのに一向に働こうとしない、裕福な家庭の高等遊民です。高等遊民とは大正時代に流行った言葉で、大学は卒業したが働かないで生活している青年のことです。『それから』のあらすじを簡単に述べます。
代助は、これまでに何度も縁談を断わり、書生と女中二人を雇い優雅な暮らしを続けている。そんな時に大学時代の友人、平岡が金を借りに来る。しばらくして、平岡の妻三千代が代助の元を訪れてくる。何度か三千代と会うたびに代助は、三千代を以前から好きだったことに気づく。代助は、親の勧める縁談を断わり、三千代に愛の告白をし、平岡に謝罪する。代助は密通を犯したんですね。漱石はこの小説を「密通小説」として世に出した。それは社会的に許されないことで、父と兄は怒り、経済的援助を打ち切られる。三千代は度胸がすわり平静でいるけど代助は落ち着かない。代助は書生に「僕はちょっと職業を探してくる」と言って外に出て発病するのです。
仕事をしていない若者が無理に働こうとすると代助のようなノイローゼにかかることがあります。一見すると普通の青年と何ら変わりません。どこにも異常が見られないから親は「何故働かないの?」と責めるわけですけど、彼自身は自分が世の中でやっていけないことはうすうす気づいています。社会化されていないパーソナリティ、辛抱したり我慢したり出来ない精神的弱さというのは彼らが一番よく知っているんです。それは、人に言えないことなので隠すしかないんですね。もしくは合理化するわけです。たとえば、代助は次のように働かないことを合理化します。平岡との対話の中で

「何故働かない」「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に言うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ」「僕はいわゆる処世上の経験程愚なものはないと思っている。苦痛があるだけじゃないか。・・・パンに関係した経験は、切実かもしれないが、要するに劣等だよ」と仕事をする人を見下すのです。・・・彼を味方する仲のよい兄嫁は「それ御覧なさい。あなたは一家族中悉く馬鹿にしていらっしゃる」と痛いところを突く。

代助は自分の弱さを認めず、働いている人を馬鹿にしているんですね。これは無職引きこもり青年の言葉と同じです。何故働かないのか?先ほどの読売新聞の「人生相談」の若者もそうですよね。サービス残業・リストラ・貧富差拡大など経営資本の論理がまかりとおるのは納得がいかないと代助と同じことをいっています。大正時代の若者と今の若者と全然変わらない。変わったのは、こういうフリーターが増えてきたことなんです。毎年50万人の働かない若者が出てくるのが今の日本。坊ちゃんは、古い封建社会に楯突いて学校を辞めていくんですが、これからどうやって社会に出て行くのか。漱石に問いたいところです。
3.森鴎外の『かのやうに』
森鴎外の高等遊民は漱石のそれとは違います。漱石は無鉄砲なところが特徴ですが、鴎外の描く引きこもり青年は意気地がない。鴎外自身が若い頃、侍の子にしては意気地のない青年だった。鴎外はドイツに留学して若い女性エリスと恋仲になって帰ってきます。彼女は鴎外を追っかけてくるんですが、鴎外はその彼女に対して責任を取らない。友達にお金を借りてそれでドイツに帰してしまいます。それも、自分ではせずに友達にさせます。ちょっと卑怯な男ですね鴎外は。若かったから許せるのでしょうけど、鴎外は『舞姫』を書いた後に、それを友達に読んで聞かせているんです。どんな気持ちで読んだのでしょうか。文学的には成功したかもしれないが、人間的には夏目漱石みたいなすがすがしさ、清らかさがないような気がします。鴎外は小説『かのように』で洋行帰りの主人公に次のように語らせています。
主人公は、東大の歴史科を卒業し親の金で洋行し、帰国後は働こうとしない引きこもり青年です。以下は絵描きの友人との会話で、友人はこう言います。

「それでは、僕の描く絵には怪物が表れているからいい。君の書く歴史には怪物が現われてくるからいけないというのだね」。怪物というのは、本音とかそういうことなんですね。彼の葛藤を明らかにしていくくだりの中で主人公はこう言います。「まあ、そうだ」。友達は「意気地がないね。その怪物が現れたらどうなるのだ?」と聞きます。主人公は「危険思想だと言われる。それも世間がかれこれ言うだけなら奮闘もしよう。第一父が承知しないと思うのだ」、「いよいよ意気地がないね。そんな葛藤なら僕は解決しちまっている。僕は絵描きになる時に親父が見限ってしまった。現に高等遊民として取り扱るのだ。君は、歴史家になるというのをお父さんが喜んで承知した。そこで大学も卒業した。洋行も僕のように無理をしないで気楽にした。君は今までの葛藤を繰り延べしているのだ」と鋭く解釈する。「僕が5、6年前に解決したことを君は今好きなように歴史を書けばいいじゃないか」と言うと、お父さんが怖いと言うのですね。それで主人公は最後に「正直に真面目にやろうとすると八方塞になる職業を僕は不幸にして選んだのだ」と言うところで終わっています。

これは森鴎外の半自叙伝でもあるわけです。森鴎外は侍の子として生まれ、東大に入って軍医になった。小説家と三足の草鞋を履いているんですね。一方、夏目漱石は侍の子ではないが、町人と侍の中ぐらいの地位だったけど、帝国大学の英語の教授の職を捨てて朝日新聞に入社したわけですね。非常に無鉄砲というか潔いというか。一方森鴎外は、ずるずると三足の草鞋を履き続けるのですね。森鴎外と夏目漱石の二人は、現代の若者の特徴をよく捉えていると思います。親を乗り越えられないのが森鴎外。無鉄砲で口は達者なんだけど自分の弱さを認めようとしないのが漱石です。
V 若者のこころを知るキーワード;『臆病な自尊心』と『尊大な羞恥心』
代助と現代の働かない青年とは共通点があることは先に述べたとおりです。どんな所が似ているかというとある種の性格的な欠損があるということです。欠損とは社会化されていないパーソナリティということです。2番目にそれは社会状況(日露戦争に日本が勝利した)の中に原因を探ることができるということ。江戸から明治に移った時に「欧州に追いつけ追い越せ」といって日本人はがんばった。そして明治の規範というのが儒教だった。儒教の骨格は、有用な人・社会に役立つ人を求めているわけですね。ところが、代助とか先ほどの鴎外の主人公は、高等遊民で無用な人たちです。しかし、世のため人のためという私的な利害がない生き方は、時に危険な思想にもなりかねません。私的なものと公的なものとが無制限に結びついていくと、軍国主義に走る危険性があると丸山昌男は言っていますが、『それから』の時代には、そういう社会的状況があったわけです。3番目に自己愛の病理が隠されている。これが大きな問題だと思います。先ほど言った性格的な欠損というか、なかなか大人になりきれない、社会化されない、自分を社会に出せない問題につながっていきます。
1.代助のパーソナリティ:「親に頼っていながら親を否定する」
再び、代助に登場してもらいます。代助は闘いを諦めているんですけど経済的に父の財を頼りながら儒教かぶれの父を否定する。否定はするが父親を乗り越えられない。これが性格的な欠点ですね。自己愛の傷つきを守ろうとするんですね。そして、自分の弱さを直視できず「世間が悪いんだ」と「働くのは意味がない」とかそんなこと言うわけですね。これが、自己愛的な人の考え方、非常に自己中心的なんです。このような自己愛人間がどのようにして育ったかを見てみましょう。
代助は子どもの頃は、非常な癇癪もちで、とても臆病です。思春期には家庭内暴力も起こしています。ところが、大学を出た後は、癇癪はぱたりと止みます。家庭内暴力を振るう子どももね、暴力を振るった後は別人のように大人しくなって非常にいい子になるんですね。どっちが本当の自分の息子なのか親御さんはわからん。暴力を振るった後は、普段の息子に戻ってしまう。非常に物分りがよくて優しい子どもなのにいったんキレルと獣のようになってしまう。
代助もその傾向が少しあるわけですね。非常に癇癪もちなんです。漱石は代助に「有用な人」を大事にする儒教が大嫌いだと語らせている。代助は「自分は人のために役に立てないんじゃないか」という怯えに気づいているってことなんですね。彼自身は、地震が怖くて不安症でもある。同時に、代助は自分自身の容姿にうっとりしているところがある。

「彼は歯並びの好いのを常に嬉しく思っている。肌を脱いで綺麗に胸と背を摩擦した。・・・代助はそのふっくらした頬を、両手で両三度撫でながら、鏡の前にわが顔を映していた」

と言った具合に、代助は旧時代の日本を通り越えた人物でもあります。しかし、経済的には父と兄を頼っていて、その二人を軽蔑もしている。頼っていながら嫌う。このような心のあり方は青年期の特徴であって、若いから許されるのでしょう。30歳になったら許されない。ですから、代助は大人になりきれていないのです。いつまでも青年を続けている。働かない青年に共通の心の構造、代助はモラトリアム人間なのです。
2.社会化とは何か
われわれが、社会で生きていく「社会化」って何かといったら、やはり現状を、困難を乗り越えるためには自分が変化しないといけないということです。自分が変わらないといけないのに代助も鴎外の青年も今の無職青年もみんな、周りに変わってもらいたいと思っています。自分が変革することを恐れているのです。自分が変わらないと困難を乗り切れないのに社会のせいにしたり他の家族のせいにしたり自分が変わることを恐れている人なのです。社会はどんどん変化していって本人は置いてきぼりにされている。働かない若者もフリーターも変わらないんですね。
社会化は小学校に上がって始まります。どんな自己中心的な子どもも友達ができて友達のために生きようと利他主義の精神が灯ります。しかし、小学校の4年生前後の自我の芽生えの時期に傷つくと劣等感と羞恥心が強い子になります。この時期に、いじめにあうとか両親が離婚するなどの環境の変化に巻き込まれたりすると、自己の傷つきから回復できません。そして、中学校に上がります。小学校が2、3校集まって一つの中学校になりますね。初めて会う友達もできるわけです。そして5月か6月に運動会が開かれます。小学校の時は結構走るのが速かったのに、他の小学校から来た子に負けるとか、そういうことがあるわけですね。自尊心を傷つけられるわけですね。で、自分に自信がある子であれば、「よーし、次はがんばるぞ」と言って、2年生になった運動会では1ヶ月前から「今度こそ負けんぞ」と走る練習をするわけです。ところが『臆病な自尊心』を持っている子というのは、走る練習ができないんです。要するに「100メートルを15秒で走っていたのが、稽古して14秒で走れるようになる」という自分に対する信頼感がないんです。練習したって速く走れるようになれない、と諦めてしまう。「練習して負けたらどうしよう」と傷つくことを恐れて練習することが出来ないんです。
この『臆病な自尊心』はいろんな領域で顔を出すんですね。たとえば、縄跳びをしていて二重跳びができない。隣のB子さんは30回跳んだ。自分も頑張ってやればいいのにそれが出来ない。なぜならば「自分は稽古したってやれない」って最初から諦めている。ですから「自分に信頼が置けない子」を『臆病な自尊心』」あるいは「自分が傷つくことを非常に恐れている子ども」と言うんです。2年生の運動会では、緊張と腹痛で学校に行けなくなるんですね。それで運動会を休む。学校の成績が伸び悩む。悔やんで学校に行けなくなるのです。いわゆる「魔の中2の2学期」です。
運動会になると元気になる男の子がいます。勉強はさっぱりだけども「走りでは誰にも負けんぞ」みたいな誇りを持っています。しかし今の子どもたちは、何に誇りがあるかというと、みんなの中で笑いを取ったりみんなの前で笑わせたりとか、そういう人気者にならないとクラスに居場所がないのです。中途半端な能力や才能だと返って嫌われます。今の大学で一番人気があるのが「人間関係学科」とか「人間コミュニケーション学科」とか「心理学科」とか、コミュニケーションの学科ですね。他者とコミュニケーションを取れるのが自分の存在価値になっているんです。それに迎合する大学もどうかなーと思うんですけど。コミュニケーションは小学校の間で充分だと思うんですね。なのに、笑いを取ったり人間関係を円滑にできるように心理学を一生懸命勉強しようとする。なんか雲をつかむような話ですね。今の若い人たちは、自分に自信が無いし自分に信頼感がもてない。正社員として働いて責任をとるとかその中で働いて失敗しても成長させるという根気・我慢強さ、そういうたくましさがだんだんなくなってきたわけです。あまり若者の悪口を言ったから罰があたりそうですが、これが現実なんですね。こうなったのは、何故なのか?
3.模範になれるか今の大人たち
端的に述べるなら、現代の大人のふがいなさが原因ですね。最近の三面記事を眺めてみると子どもを殺したりする親、三菱自動車のリコール事件、外国産の牛を国産牛と偽って市場に出したりする大人、ポイ捨てする運転手、井戸水を温泉と偽ったり。昔は、「お天道様が見ているよ」だったのが、今は「ばれなかったら何してもいい」。そこまで人間は落ちてきたかという所まで落ちている。「ばれなかったら何してもいい」というのがわれわれ大人にある。何でだらしない大人になったのか。一本芯が通らなくなったのは、社会の変化と教育に原因があるんじゃないかと思うのです。
江戸時代の子どもは家の「後継ぎ」として大事にされました。家の子ども、村の子どもというわけですね。長男が後を継ぎます。次男・三男は、剣術で有名になってどこかの養子に行くしかなかった。人格円満、算術に優れている、と何か自分の良さをアピールして養子に行くしかなかったわけです。養子に行けないと、居候で長男のところにお世話になるしかなかったわけですね。農民も町民も一緒ですね、後継ぎとしての子どもです。家を後継ぐというのが大事だったんです。それが明治になって、「国家の子ども」という考え方になった。国も教育するようになりました。学校教育と家庭教育ですね。二本立てでいこうと。
 4.学校教育と家庭教育
 学校教育と家庭教育とがあって、その狭間がずっと続いたんですね。昭和12年に柳田国男が「平凡と非凡」という講演をおこなっているんですけど、日本の教育の中にはその狭間がずっとあると指摘している。国は「非凡な子ども」を育成しようとするのですが、家庭では「勉強なんかしないでよい。家のことをしろ」と「平凡な子ども」を求めたのです。ところが今は、学校は保護者に合わせて教育をせずに、家庭は自己中心的な子どもを養成するだけで、教育は「塾」に任せられている。しかしその「塾」の多くは試験の点数を上げるための教育であって、人間育成の教育からは離れている。
話が脱線してしまいました。話を元に戻します。「国家の子ども」が大正・昭和になると「家庭の子ども」になるんですね。戦後どうなったかというと「私の子ども」になっていきます。夫婦が離婚するときに、母親は「この子は私のもの」と叫ぶんです。「あなたは仕事ばっかりして何もしていないじゃない、この子は私のものよ」。人間が「モノ」になっちゃったんですね。そうなったら、子どもはお母さんの子どもだから大人になれないのは当然だと思いませんか?20歳になっても子ども。30歳になっても子ども。子どもは、母親の目にかなう子どもであればいい。いつまでも子どもでいい。フリーターで親の世話になっても何ら恥じることはない。こうなったのは、社 の変化とともに「私の」子どもになっちゃったからだと思うんです。
こうみてくると、若者には非はないわけです。親に非があるかというと親も社会変化の中で価値観が変わっていったわけですから親のせいにばかりはできない。みなさん寺脇研氏をご存知ですね。『ゆとり教育』を推進した文部省の次官です。寺脇研氏はある本でこう書いています。不登校になった子どもを持つ親に「学校に行かないことを正しい決断だと言ってやりなさい」といっているんです。正しい決断かどうかは、10年後20年後なってみないとわからないのに。彼も迎合していますね。不登校の子と会えば子どもの肩を持つ。親御さんと会えば親御さんの肩を持つ。教育関係の人と会えば高飛車に出る。一貫性がないんです。そして『ゆとり教育』を散々突き上げられたら責任も取らずに逃げ出したんです。「不登校は正しい決断だ」と、こんなことを一番偉い人が言ったら社会はどうなります。文部次官が文部科学省は必要ないと言っているようなものです。中学校・高校にも行っていない子どもがどうやって社会の中で生きていけると思いますか?「あなたが学校に行かないという決断は大変な問題だ」と寺脇氏は何故言わなかったのか。著書を数冊ほど読んでみましたけど、この人には日本の教育は任せられないと思いました。まあ、ここでこんなこと言っても仕方ないですが。
今日の働かない若者、そしてフリーターの若者は小中学校の頃に不登校を経験し、高校中退した人に多いんです。日本のトップが悪いからこのような状況になったのでしょうか。日本のトップを育てたのはその親であり、当時の教育や社会状況にも責任があるわけですから、犯人を求めると藪の中に入り込んでしまいます。しかし一つだけ許せないことがあります。昭和50年に「落ちこぼれ」という言葉が流行り、マスコミは一斉に「詰め込み教育」を批判しました。批判に弱い文部省のトップは「ゆとり教育」へと流れを変えていきました。そして今や、マスコミは「日本の子どもの学力が低下した」と騒ぎ立てているのです。もともと「ゆとり教育」は豊かな人間性を育てるために、外国産の牛を国産牛と偽らないような大人に育つような「心の教育」を選んだのですから、学力は目をつぶってよいわけです。このようにマスコミがある断片だけを捉えてニュースとして垂れ流すのはもう止めて欲しいと強く思います。
W さいごに
大学を卒業した学生の何割がフリーターになるのでしょうか?フリーターを長く続けていると、いつかは正社員として会社は雇わなくなります。フリーターはいろんな面で損をします。ところが親は、フリーターをしてくれていたら、「仕事してくれている」と安心する。親は子どもが半分自立してくれたらいいんですね。フリーターで半自立。半分は自分のお世話になっている。子どもは「私のもの」ですから手元に置いときたいのです。自分の元から離れないで自分のお世話になり、かつ、半分アルバイトしてもらう。これを求めるわけですから子どももずーっとその状態を続けちゃうわけです。ですから、大学4年間の中でこの問題が解決できるのでしょうか。そのためには、学校の先生と学生のパーソナリティのぶつかり合いが大切だと思うんです。どこかでぶつからないと学生は先生の心の豊かさを内在化できないと思います。迎合だけして、コンパしてコミュニケーションごっこするよりは、もっともっとぶつかってもらわないと。そうしないといつまでも大人になれない子どもが増えていくんじゃないかなと思うわけです。

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精神科読本12「パーソナリティ障碍とは何か?その2」

精神科読本12『パーソナリティ障碍とは何か?その2』(2017年改訂版)          
               パーソナリティ障碍とは何か?その2
T.はじめ
 『パーソナリティ障碍とは何か?その1』で説明しましたように 、精神症状はパーソナリティ構造に現実の諸問題が絡み合って起きるのですが、従来の精神科診断は精神症状を集めて診断するカテゴリー分類だったためにパーソナリティ障碍を診断するのには正確さに欠けていました。パーソナリティ自体を診断しようという理由で、カテゴリー分類から症状を生み出すパーソナリティ構造を解き明かすディメンジョン分類へと研究が発展したのは至極当然なことだったのです。DSM−5は病的パーソナリティ構造そのものを診断するためのディメンジョン分類を導入したのですが、臨床医には使い勝手の悪さゆえに拒否されました。そのためにDSM−5では従来のカテゴリー診断が再び採用されて、ディメンジョン分類は付録として巻末に載せられたのです。
パーソナリティ構造は遺伝的気質と環境要因とが互いに関与しながら形成され、現実の諸問題はそのパーソナリティ形成に深く関与するものからそうでないものまであります。パーソナリティ障碍(以下、PD)とはこのパーソナリティ構造の病理性をあらわすのです。
 本小論ではDSM−5のカテゴリー診断について述べる予定ですが、その前にPDの歴史的変遷から辿ってみることにします。
U.DSM-5のパーソナリティ障碍
 1.パーソナリティ障碍概念の歴史的変遷と診断
 PDの診断分類が始まったのはドイツの精神科医クレペリンの「精神病質」やシュナイダーの「異常性格論」(1932)の発表と同じ頃の1938年にアメリカで精神分析の臨床から起こりました。当時のアメリカの精神医学は精神分析の影響下にあってフロイトの神経症と精神病という二つの病態水準の区別が主流だったために、神経症と精神病の境界という意味で「境界例」という用語が用いられました。他方で精神分析領域からは神経症を症状神経症と性格神経症の2つに区別する動きも出てきました。症状よりも性格自体が治療の対象になったのです。
 約40年以上前の学生時代に使っていた大月三郎著『精神医学』(1978)を開くと、神経症の次に人格異常(今日でいうパーソナリティ障碍personality diorders)の項目があります。シュナイダーの分類、クレペリンの分類、そしてWHOのICD−8を実に丁寧に説明しています。先輩医師はしばしば「あの人はハルトローゼだから」と口にしていたのを覚えています。Haltlose(軽佻者)とは意志が弱く軽率で誘惑のままに流されるという意味です。因みにICD−8を紹介しましょう。
 1)妄想性:DSM-5の妄想性PDに相当に相当
 2)情動性:クレッチマーのチクロイドZykloidに相当
 3)分裂病質:DSM−5のシゾイドPDに相当
 4)爆発性:DSM-5の間欠爆発症に相当(とんでもない訳語です)
 5)強迫性:DSM-5の強迫性PDに相当
 6)ヒステリー性:DSM-5の演技性PDに相当
 7)無力性:DSM-5の依存性PDに近い?
 8)反社会性:DSM-5の反社会性PDに相当
 9)その他
 以上ですが、この教科書はとても分かりやすく書かれていて、研修医時代もよく使いました。今日も本棚から引っ張り出しています。
2.DSM-5のパーソナリティ障碍の分類
 さて、DSM-5のパーソナリティ障碍の説明に移りましょう。
 A群(主に認知に偏りがある。奇妙で風変わり)
 1.妄想性PD
   一般人口の2.3〜4.4%。他人が信じられなくて他人は絶えず自分を利用し危害を加える、または騙す人   たちと考えてしまいます。
 2.シゾイドPD
   一般人口の3.1〜4.9%。人と接して自分を変えることを極端に嫌うために臨床の対象になることは少な   い。家族から促されて受診することがありますが、自ら変化を求めて受診することはまずありません。社   会的孤立、対人関係の場での表現がしく、一匹狼、オタク、恋人をもたない、といった特徴があります
 3.失調型PD
   一般人口の0.6から4.6%。統合失調症に発展する割合は少ない。親密な関係で破綻し、親密な関係を作   れない、認知または知覚の歪曲と行動の奇妙さが目立つ、社会的・対人関係的に欠陥があります。関係念   慮を持ちやすく、迷信深い。魔術的な思考と知覚変容と特異な言い回しの会話が特徴。言語と概念のズレ  (自分は仕事で“話のできる”者ではなかった)が見られます。
 B群(感情と対人関係の不安定さ。演技的、情緒的、移り気)
 4.反社会性PD:無慈悲
   15歳から始まる、他者の権利を無視し、侵害する広範な様式。
   少なくとも18歳で15歳以前は行為障碍(非行など)のエビデンスがある、と言われています。30歳まで   に病状は軽くなるか寛解します。情緒表現の誇張が特徴で世話を受けるために他者操作的です。
 5.自己愛性PD:誇大性、称賛されたいという欲求、共感の欠如
   臨床症例では2〜16%。一般人口の1%未満。特有の誇大性が特徴。自分は優れた人間であって、他人は   自分を称賛するために存在する、と考える人のことです。他人の心の痛みが分からないし、周囲から注目   されないと傷つき、怒りで反応します。人生の成功者にしばしば見られるのが誇大型です。それとは逆に   自分の誇大性を裏に隠し臆病で劣等感の強い、周囲の反応に過敏になっている敏感型もあります。
 6.境界性PD:要求がましさ、自己破壊性、見捨てられる不安
   一般人口の1.6から5.9%。外来患者の10%、精神科入院患者の20%。パーソナリティ障碍をもつ人の30   〜60%。いろいろな領域における不安定性が特徴。対人関係、自己像、感情にわたって不安定性が認めら   れ心理的には見捨てられまいと必死の努力をし、日常の些細な他者との別れなどにも場にそぐわない怒り   で反応します。その時に見捨てられる自分は悪い自分だと認知し、悪い自己を排除しようと自傷行為や自   殺企図などが見られます。妄想的に反応し多重人格を呈することもあります。
 7.演技性PD:過度に情緒的で他の注目を惹こうとする(誘惑)
   過度の情緒表現と人の注意を引こうとする様式。一般人口の約2%。女性患者に多い。たまたま改訂版を   書いているときに、ミュージカル映画『シカゴ』(2002)を見ましたが、あの世界観を想像するとよいか   も知れません。
 C群(内的な不安または恐怖を特徴とする)
 8.回避性PD:屈辱と拒絶からの回避
一般人口の2.4%。外来患者の約10%。
回避行動は幼児期または小児期から始まります。内気、孤立、臆病さが特徴。引きこもり青年に見られる   タイプです。周囲から低く評価される、拒絶される、批判されるのではないかと怯えて対人接触を避けて   引きこもっている人たち。
 9.依存性PD:対人関係は控えめで従順で特定の人に隷属する
精神科外来で最も多いパーソナリティ障碍。見捨てられる不安が強い。そのためにBPD と違って、他者に   隷属的になる。
 10.強迫性PD:秩序、完璧主義、統制に囚われ、柔軟性に欠け、抑圧的
   頑固で融通性がない。強迫性のために他人が困っていることには無頓着。
一般人口の2.1から7.9%。精神科外来患者の約3〜10%。自己愛性パーソナリティ障碍も完璧主義に陥っ   ていると主観的で完璧にできたと思いやすく、自分に甘いけど、強迫性障碍の場合は自己批判的です。
V.パーソナリティ障碍の診断と治療について
 2008年8月にわが国ではじめての境界性パーソナリティ障碍の治療ガイドラインが牛島定信先生編集の下に出版されました。本のタイトルは『境界性パーソナリティ障碍障碍〈日本版治療ガイドライン〉』(金剛出版、2008)です。それ以前のアプローチは精神分析を主にやっている精神科医を中心とする力動的精神医学でした。それは1回50分のセッションを週に1、2回行なうもので、医療経済的に割の合わない仕事で一部の精神科医が細々と行なっていました。開業前の私もその一人でした(笑)。
 そして、多くの精神科医は「ボーダーラインは治らない」と治療に悲観的で、出来ないなら止せばいいのに薬物治療を中心に行なって、大量服薬や自傷行為を繰り返す患者を多く産みだしていました。巷には患者さんが溢れ日本の精神医療はお手上げの状態です。救命救急センターの先生たちによる精神科医の評判がとても悪くなりました。興味深いことですが、ODをして困るのは周囲の人たちです。ご本人は身体的には辛い思いをされるでしょうが、精神的には一種の救いを得ています。精神的には周囲が身体的には本人がという役割分担が発生します。これを私は「一人二役の劇化」と呼んでいます。もともとの問題が周りを巻き込むことによって本人の負担を軽くしているのです。これは奇妙な現象ですがとても治療的な意味を含んでいます。話がそれてきました。本題に移りましょう。
 1.パーソナリティ障碍の診断について
 これまで説明してきましたように、DSM診断の欠陥は、十分なトレーニングを積まなくても使えるという利便さにあります。ですから、用いる人によって診断が異なるということも考えられます。また、精神科医の研修にも問題があります。今日でもDSMのパーソナリティ障碍を認めない精神科医も少なくありませんし、若い頃の上級医師の指導をDSM診断よりも優先するために、なかなか一定した診断がつかない、といったこともあります。
 他にもDSMには問題を抱えています。例えば、境界性パーソナリティ障碍の診断でもっとも重要な症状は「見捨てられ不安」ですが、この項目は満たさなくても他の症状を5つ(もしくはそれ以上)持っているとBPDと診断できるわけなので、その整合性を疑われます。やはり、煩雑ですが、DSM‐5の精神を汲んで、これからはパーソナリティ障碍代案をしっかり身に付けるべきでしょう。
 2.パーソナリティ障碍の治療について
 先ず勧められるべき治療的接近は、悪性退行現象(=ボーダーライン化)を防ぐことです。牛島先生は、「退行的な行動異常より、社会的適応面の難しさに注目し続ける」ことが肝要で、「感情や葛藤に囚われている」と泥沼に陥る危険性があると主張し続けています。精神分析をやっていると、患者さんの問題行動の背後にある内的世界を重視する余り、患者さんの日常生活の不適応的な側面から眼を反らす傾向が多分に多かったからです。
次に、薬物治療の工夫です。抗不安薬の使用を控えることです。怒りのコントロールにハロペリドールを少量処方します。これだと大量に服薬しても生命に危険はありません。抗うつ剤の大量服薬は生命の危険が高いので慎重に処方されます。併発する気分障碍や各種の不安障碍にはそれぞれ薬物治療を行ないますが、奏効することは少ない。それよりも処方しながら、主治医との信頼関係を作り上げていく作業が数倍重要になります。
そして第三に、パーソナリティ障碍たる所以の病的パーソナリティ構造に注目する精神療法を行なっていきます。著しく偏った内的体験および行動には理解と共感(validation)の治療態度が欠かせません。そして信頼関係が出来上がるにしたがって病的パーソナリティ特性を共有していく作業へと移ります。その助けに当院ではバウムテストやロールシャッハテストを積極的に行なっています。その過程で、パーソナリティの柔軟性のなさを「矛盾を抱える能力」と「主観と客観を往き来する能力」を育てることによって、成熟させていくのです。最後に、ショートケアを中心とする心理社会療法を行なって社会に送り出す治療を行ないます。
さらに、心理社会療法に加えて当院では、併設する就労支援A型『ドンマイ』で2年間の就労体験を積極的に行っています。時給750円の仕事を1日5時間、週に5日間の就労の中で社会で働く基礎作りを行い、その後の就労支援を行っています。
Y.さいごに  
 パーソナリティ障碍とは何か?という質問に答えてきました。親から貰った素因が成長過程でさまざまなトラウマを重ねた結果、パーソナリティ発達が歪められ、停滞するのをパーソナリティ障碍と考えるようになりました。パーソナリティ発達の過程で、虐待や対象喪失体験、両親の不仲による家庭内の緊張、小学4、5年生の自我の芽生えの時期のイジメや転校による学校生活からのドロップアウトと高校中退、長続きしない仕事といった出来事がパーソナリティ発達の成熟を妨げ、未熟なパーソナリティ構造のまま身体だけが大人といった不均衡をもたらすと考えています。そのために、治療は、未熟なパーソナリティ構造の成熟化が重視されます。治療は、「生きなおし」を重視する外来治療が中心になります。その内容については他の精神科読本をご参照ください。
posted by 川谷大治 at 12:59| Comment(0) | 日記